第十八葉:黄金の野、剥がれゆく表の顔(猫かぶり)
白銀の霊峰を下り、二人が足を踏み入れたのは、見渡す限りの黄金色の麦畑が風に揺れる、人族の肥沃な大平原だった。
教団の次の狙いである『大地の聖域』を目指し、二人の彷徨は続いていた。
「……ふぅ。あの極寒の山に比べれば、随分と過ごしやすい土地ですね」
アルヴィスはフードを少しだけ後ろに払い、黄金の波を揺らす心地よい風に穏やかな声を乗せた。
霊峰での激戦から数週間。
彼の胸の『純白の枷』は、レンの神の力による定期的な調整のおかげで、今は驚くほど静かに制御されていた。
彼が歩いても、周囲の麦の穂が灰色に枯れ果てることはない。自分の足で、青々とした、あるいは黄金の自然を傷つけずに歩ける――それだけのことが、今のアルヴィスにはひどく新鮮で、誇らしかった。
「だろ? 俺のシステムメンテナンスのおかげ。やってみるもんだなぁ。もっと俺に感謝して、敬ってくれてもいいんだぞ、元・王太子様?」
一歩後ろを歩くレンが、いつものように刀の柄をぽんと叩きながら、飄々とした笑みを浮かべてからかってくる。
アルヴィスはふいと前を向いたまま、唇の端を小さく吊り上げた。
「……感謝なら、毎食後に貴方の持ってくる異世界の菓子を『美味しい』と言って平らげてあげていることで、十分に示しているはずですが? 誰かさんのおかげで、最近少し胃袋の緊張感が抜けて困っています」
「あはは! 言うねえ。次は『ドーナツ』っていう輪っかのお菓子を狙ってるくせにさ」
レンの軽口に、アルヴィスは「っ……」と言葉を詰まらせ、また少し顔を赤くした。
本当に、この男の前では調子が狂う。かつて翡翠の揺籠で、張り詰めた空気の中で完璧な「王太子」を演じていた自分が、まるで遠い過去の出来事のようだ。
レンと過ごす旅路の中では、無意識のうちに「裏」の剥き出しの感情が、ぽろぽろと表へ零れ落ちてしまう。
だが、そんな穏やかな空気は、街道の先に現れたひとつの『異変』によって一瞬で引き締められた。
「……レン、見てください。あの大地のマナの輝きを」
アルヴィスの金と黒の瞳が、鋭い「裏の顔」へと切り替わる。
街道の脇、美しく実っているはずの麦畑のただ中に、まるでぽっかりと開いた穴のように、不自然に『真っ白に干からびた大地の領域』が広がっていた。
それはアルヴィスの呪いで枯れたような灰色ではなく、文字通り色彩そのものを強奪されたかのような、無機質な『純白』。
「……チッ、またかよ。教団の連中、本当に仕事が早いね」
レンもいつもの軽薄さを消し、管理者の目でその白い大地を睨みつけた。
「大地の聖域へ近づくにつれて、マナの強奪速度が上がってる。世界から『夜』や『不純物』を消し去って、世界を純白に染めるための触媒が、この平原の地下にも張り巡らされてるわ。お前という『苗床』を教団の元へ引き寄せるための、システム的な導線ってとこだね」
アルヴィスは、その純白に枯れた大地へと近づき、そっと手をかざした。何も感じない。ただ、世界が拒絶されているかのような、深い沈黙だけがそこにある。
「……私の彷徨すら利用して世界を歪めようとするその傲慢さ、やはり根こそぎ叩き潰すしかありませんね」
アルヴィスの声から、完全に虚飾が剥がれ落ち、苛烈な意志が黄金の野に響き渡った。
二人の前に、教団が仕掛けた世界規模の『歪み』が、その醜悪な姿を現し始めていた。




