ノイ一族とランゲ伯爵家・後編
ランゲ伯爵夫妻は緊張した面持ちで息子と対面する。
「わざわざ半端な時期に王都に足を運ばせてすみませんでした」
「いいのよ!!気にしないで!!」
ペコリと頭を下げたアルフォンスにランゲ伯爵夫人は慌てたように声を上げた。すると彼は顔を上げた後に両親の正面に座る。
「そのだな……身体の方は大丈夫か?心的外傷の恐れがあるなら王家の方に申請も必要らしいのだが」
「心身ともに問題はありません」
「そうか」
ほっとしたようにランゲ伯爵が息を吐き出したのを眺めてアルフォンスはちらりと隣に座る母親の方へ視線を送った。
「寧ろ母さんの方が顔色が悪い。休みますか?」
「いえ。少し……ええ、少しではないわね……驚くことが多かったから。でも大丈夫よ」
「はい」
素直にアルフォンスが頷くと、ランゲ伯爵はミュラー伯爵から報告書と一緒に渡された賠償の件に関する書類をアルフォンスの方へ押し出した。
「何か希望は?」
「いえ別に。王妹殿下に以降関わらないならそれで。賠償金の方もそちらで収めて下さい」
「これは君に支払われるものだ」
「……」
ランゲ伯爵の言葉に少しだけアルフォンスは考え込んだような表情を作る。金額としてはまだ正式に確定はしていないのだが、書類に書かれている最低限の金額でもそれなりのものである。
「じゃぁ、俺が学園に通っていた時の費用返済分ということで……」
「アルフォンス!!」
突然の母親の声にアルフォンスは驚いたように彼女に視線を送る。
「学費を返そうなんて考えなくていいのよ!!賠償金は貴方が受け取りなさい!!」
「王家からランゲ伯爵家への賠償なのに?」
「被害に合ったのは貴方です」
普段は大声をあげることも強い言葉を放つことも少ない己の妻の行動にランゲ伯爵は驚くのだが、それと同時に本気で困惑したような表情を作っている息子にも戦慄する。本気で何故自分が賠償金を受け取るのか理解できていないのだ。
とはいえ、アルフォンスの言う通り王家からランゲ伯爵家への賠償である。名目上は家から家へと金が流れるのだが、その後個人資産に入れられるという流れは決して少なくない。
「あー。アルフォンス」
「はい」
「学費の件に関しては、当主である私が君を学園に入れると決めて、学費や生活費を家計から出していた。つまり君は当主である私に従ったのだから学費の返済は不要だ」
「あ」
ランゲ伯爵が諭すようにそう言い放ったのを聞いたアルフォンスが思い出したように声を上げたので、とりあえずアルフォンスの話を聞こうと先を促した。
「スペアとして役に立たない俺に金や手間をかける理由がずっと分からなかったのですが」
「……は?はあ!?」
「先生を探してくれた所まではまだ魔眼を何とかできるという希望もあっただろうから理解できるんですけど、どうにもならないとわかった後もずいぶん……」
「貴方が大事だからに決まってるでしょ!!」
「……」
バン!と卓を己の妻が叩いたことにランゲ伯爵は驚いたのだが、アルフォンスは腑に落ちないと言うような表情を向けて口を開いた。
「普通の子として育てると神殿に母さんは言ってた」
「……神の祝福だから神殿に貴方を差し出せと言われた時かしら」
「そう。けど俺はどうあがいても普通にはなれない。貴方達の希望には添えない。だから意味がわからなかった」
淡々と言葉を発するアルフォンスに伯爵夫人は絶句する。
「アルフォンス」
「はい」
「私たちの希望は君にとって窮屈だったか?」
言葉を失い呆然とする伯爵夫人の代わりにランゲ伯爵が問えば、アルフォンスは首を振る。
「いえ。特に不満は。寧ろ普通になりきれなかった俺に不満は?」
「君は精一杯私たちの希望に沿ってくれていた。……不満はないよ。私たちに遠慮がちだったのには理由があるのかい?」
「いえ?遠慮は……別にしていませんでしたけど」
「本当に?」
念を押すようなランゲ伯爵の言葉にアルフォンスは小さく首を傾げて何かを思い出す様な仕草をする。
「俺が六歳の時。隣の部屋の兄さんが詩の暗唱に嵌って、一晩中詩を読み上げていたのは煩くて寝にくいと思った」
「……それだけか?」
「はい」
余りにも予想外の返事に、逆に嘘でもつくならもう少しましな嘘をつくだろうと思ったランゲ伯爵は、ミュラー伯爵の言葉を思い出す。
「君は精神が強靭だな」
「無神経だと言われたことはあるけど」
困惑したような表情をアルフォンスが浮かべたので、ランゲ伯爵は思わず息を吐き出す。
「何か!!他にあるでしょ!?不満とか!!気に入らないこととか!!じゃぁどうしてちっとも家に帰ってこないの!!」
「用事がなかったから。手紙にも領地は問題はないと……帰ったほうがよかった?」
夜会がある時は両親が王都に来ていたのでそこで顔は合わせていたし、食事もしていた。近状報告……とはいってもアルフォンスの口から出るのは、問題ありません、の一択だったわけなのだがそれもしていた。それでは足りなかったのかと大いにアルフォンスは反省した。
「いや、よく考えたらいつでも帰ってきていいとは言っていたが、定期的に帰ってくるようには言っていなかった気がする」
「そう。だから用事もなかったし帰省しなかった」
「例えば……私たちが君の顔を見たいと言う理由で帰省を促しても迷惑ではないかね?」
「頻度にもよるけど……休みにも限りがあるので」
「流石に休みを全て潰せとは言わない」
「なら問題ありません」
うん。なんとなく分かってきたぞ。とランゲ伯爵は心の中で納得する。魔眼がどうこうではないと言うミュラー伯爵の言葉は間違いではないのだと思ったのだ。
寧ろこれは完全に性格的な部分だと。魔眼に振り回されていたのはアルフォンスではなく自分たち。
魔眼にこだわりすぎてアルフォンスという子どもの本質を全く見れていなかった。
余計なことをしない。しようとも思わない。必要な所だけ抑えておけばいいと思っているのだと漸く理解したのだ。
「……不満はないと君はさっき言っていたが、私たちは君を守れていたか?」
「十分に。だから俺はヒルダに会えた。俺は貴方達の望む様な育ち方ができなかったかもしれませんが」
「あー。うん。それはいいかな……普通の子を望んでいたわけではないんだ。ただ、君が幸せになってくれればよかった。ただ……そうだな、君の幸せがどんなものか私たちにはよくわかっていなかった。その点はすまなかった」
「いえ。ヒルダを見てればそうなのかと思ったので」
「ヒルダ嬢が?」
不思議そうにランゲ伯爵が彼女の名を呼べばアルフォンスは大きく頷いた。
「彼女は俺が真っ当な貴族として生きていくのが一番いいんだろうと、同世代の令嬢を勧めたり、騎士団を勧めたりと躍起になってましたから。だから何年もかけて俺はヒルダと一緒にいるのがいいと言い続けて、この間やっと納得して貰った」
「……あぁ、その件も少しミュラー伯爵から聞いている」
「丸三年はかかりました。最終的にはヒルダが俺を幸せにしてくれってゴリ押しになったけど」
「いや、え!?それは無理矢理じゃないのか!?大丈夫なのか!?」
大人しいと思っていた息子がそんなゴリ押しをするとは思っていなかったランゲ伯爵が思わず声を上げると、アルフォンスはしれっと言葉を放つ。
「生きてる間は俺の事幸せにしてくれるって言ってたから問題ないと思う。繋ぎの伯爵もヒルダが伯爵業面倒臭いって言うから引き受けたいんだけど。とはいっても、今の陛下が在位中はノイ伯爵が名目上は続けるって言ってるからそんな長くはないと思うし、多分俺が騎士爵取るほうが早い気もする」
「あぁ……騎士は続けるんだね。折角なったし……」
「ヒルダを娶るのに爵位がいると思ったからなっただけだから辞めてもいいんだけど、グラナート様との契約があるし二年は続ける予定。以降は騎士爵を取るのを目処にするか、ヒルダの仕事を手伝うか……手伝いたいと思うけどヒルダが騎士やめるの勿体ないって言い出す気もするからその時考える」
うちの子思ったより喋るな。その上、物凄く将来設計を立てている……そんな事をランゲ伯爵は考えていたわけなのだが、彼より衝撃が大きかったのだろう、ランゲ伯爵夫人は唖然としたようにアルフォンスの顔を眺めていた。
「貴方……」
「何?」
「そんなに喋るのね」
「必要があれば。婿入りの件は両親の許可を取れとヒルダに言われているので、俺の考えを言ったほうがいいと思ったんだけど……煩かった?」
「うちにいる時は余り喋らなかったから……」
「別に不満も問題もなかったし。あ、婿入りは?駄目?なにか問題があるなら対処するけど。条件面で納得できないなら不足分の説明もする」
「……貴方は……」
「はい」
少し迷ったようにランゲ伯爵夫人は瞳を彷徨わせると、恐る恐ると言う様に口を開いた。
「幸せ?」
「今は幸せですよ。ヒルダと一緒にいられるから」
「私たちは貴方に色々押し付けていたわ。あなたの幸せを決めつけて……」
「そもそも俺は俺の幸せが何なのか分かっていなかったんでしかたないと思うけど」
「は?」
「ヒルダに会うまでわからなかった。家にいた時に幸せだったかと聞かれれば、わからない、って思う。けど、あの家にいたから、今ヒルダの横で幸せになってるっていうのはわかる」
そこまで言うとアルフォンスは一旦言葉を切って深々と頭を下げた。
「感謝しています。それだけは伝えておこうと思って。それに……俺の存在が貴方達を煩わせているわけではないと分かって安心した」
あぁ、この子はこんな風に笑うのか。そんな事を考えてランゲ伯爵夫妻は息子の顔を眺めた。
***
結論から言えば無事にアルフォンスとヒルダの婚約に関しては結ばれた。王城から戻ったフレムデ・ノイ伯爵はニコニコと笑顔浮かべて婚約の場に立ち会い、ヒルダも夜会で会う時と同じ様に丁寧にランゲ伯爵夫妻に接する。
「あぁ嫌だわ。王太子殿下とお話なんて」
ノイ伯爵は直ぐに領地に戻らねばならなかったので、その後の食事会は不在だったのだが、代わりに仲介を引き受けたミュラー伯爵とその娘夫妻が食事会に参加した。そして女性ばかり集まるサロンで思わずランゲ伯爵夫人が言葉を零すと、ミュラー小伯爵夫人であるアリーセがおっとりと微笑む。
「そのままおまかせしますと言っておけばよろしいのでは?何か追加で制裁をお求めなら、今のうちに父に文章を作らせますけど……」
「あの子本当吃驚するぐらい興味がなさそうなのよ……賠償金に関しても、ふぅん……って感じだし……」
あれは遠慮しているのではない。本気で興味がないのだろう。そんな風に夫である男は言ったのだが、それでもとあれこれ聞いてみたが答えは同じ。最後には眉を下げて、王家と関わるのは面倒臭いので……と言われてしまえばもう黙るしかなかった。
そんな話を零せばヒルダは、わかる……と言うような表情を作った。
「面倒臭いのよねぇ王族って。あと、あの子悲しげな顔してゴリ押しすれば要求通ると思ってるわね!!通しちゃうけど!!かわいいから!!」
「ヒルダはアルフォンス君に甘いわね」
「赤狼もコドクも甘いわよ。まぁ私が一番甘やかすけど」
「あの顔!!あの顔狙ってやってるの!?」
驚いた様にランゲ伯爵夫人が声を上げれば、アリーセは浅く笑い、ヒルダは大きく頷いた。
普段余り表情を動かさないアルフォンスが露骨に眉を下げれば、大概周りは驚くし、それほどか……とつい譲歩してしまう。
「どこで覚えたのかしらね。団長辺りかしら。赤狼はやらないし」
「……あれは……効くわ……子どもの頃にやられてたら間違いなく際限なく甘やかして駄目な親になってたわ……」
「ランゲ伯爵夫人がきちんとアルを育ててくれたお陰で、いい子になってるわ」
「貴方もそう言ってくれるのね、ヒルダさん」
「かわいいと思ってらしたんでしょ?」
「えぇ。……うまくあの子を理解してあげられなかったけど……」
「まぁ、あの子も普通の子どもがご両親は欲しかったんじゃないかってずっと思ってたみたいだし、おあいこね」
おあいこ……ヒルダの言葉を口の中で小さく反芻してランゲ伯爵夫人は小さく笑った。少しだけ肩の力が抜けたような気がしたのだ。
少し温くなった紅茶を飲みながら彼女はヒルダに視線を送る。
夜会で何度も挨拶をしていたが、まさかあの時はこんな事になるとは思わなかった。けれどヒルダはいつもアルフォンスを褒めていたし、いい子だと言っていた。きっと自分よりちゃんとあの子を見ていたのだろうと思うと、ほんの少しだけ寂しい気持ちになる。
「ヒルダさん」
「はい?」
「あの子の事をよろしくお願いします。吃驚するぐらいマイペースな子だけれど……貴方といれることが本当に嬉しそうで……きっと幸せになれるだろうって……」
「あら、きっとじゃないわ」
「え?」
「絶対に私が大事なご子息を幸せにします」
そういい切ったヒルダを眺め、アルフォンスと同じ瞳の色を細めてランゲ伯爵夫人は安心したように笑った。




