エピローグ
ここはとある下町の酒場『俺の台所亭』。
太陽も地に沈み善良なる一般市民が一日の祈りを唱えて床に入る頃、傭兵の荒くれ者やよそから来た行商人たちなどでにぎわっていた。
がなり声やドスのきいた笑い声などが響きあう中、突如酒の入った木の杯が宙を舞い、殴りあいを始めた酔っ払いがいた。
この酒場ではよくあること、ほかの客も特に気にせず話に戻るもの、殴り合いを酒の肴にはやし立てるもの、どちらが勝つ賭けを始めるものとさまざまであった。
ところが酒場にどよめきがはしる。
殴り合いをしていた酔っ払いの一人が、腰から短剣を抜いて相手に向けたのだ。
酒場の注目を一身に受け、男は更に興奮しギラギラとした笑みを浮かべ短剣で威嚇する。
酒場の男たちはとくに慌てることもなく酒盛りを続ける。
酒場の店主と客達は「あぁ、よそ者か。かわいそうに。」と短剣を持った男を同情するように生暖かい目で見守った。
「…酒に酔ったとはいえ、喧嘩に刃物を持ち出すのはどうかと思うぜ…?」
にぎわう酒場にも決してかき消されることのない、若い男の静かな声が人々の耳に届いた。
酔っ払いは気が付くと、背後の若い男によって首元に短剣を突きつけられていた。
慌てて酔っ払いが自分の手を見ると、握っていたはずの短剣はなかった。
気配を消して近づいた若い男が、酔っ払いから短剣を取り上げて逆に首元に突きつけたのだ。
しかし酒で頭が鈍くなっている酔っ払いは状況を理解することができず、若い男の静かで鋭い殺気にあてられ一気に酔いと興奮と血の気がひき、力なくその場に崩れ落ちた。
瞬時に男を鎮圧した若い男の手腕に、見守っていた店主と客達は大きな感嘆のため息をついた。
若い黒髪の男は興味をなくしたように床に短剣を落とすと、もう一人の喧嘩をしていた男に視線を移した。
唖然と見守っていた男は、黒髪の男の冷たい視線をうけて小さく悲鳴をあげて腰を抜かした。
「クライン、そこの彼は相手が先に殴ってきたので殴り返しただけです。酒場ではよくあることでしょう? もう怯えて戦意喪失しているのですから、脅すのもそのくらいにしてあげたらどうです?」
カウンターに座って木の杯を持ちながら、目元をうっすらと赤く染めた金の長髪の男がやんわりと声をかけた。
クラインと呼ばれた男は鋭い目つきの黒い瞳をふっとやわらげ、拗ねるように目を細めて金髪の男を見返した。
腰を抜かしていた男はその鋭い眼光が外れたことにほっとため息をついたが、クライン自身は睨んでいるつもりも凄んでいるつもりもなく単純に男を眺めただけである。
「あのなぁ、俺は脅してなんかいねぇよ! それよりキースも動けよ、何で1人だけのん気に酒を飲み続けてんだよ!」
「私は非番ですから静かにお酒を楽しんでいるだけです。それに私が出なくても、クラインに任せておけば安心ですからね。」
キースと呼ばれた金髪の男は、上品な笑顔で黒髪の若い男に木の杯を振って見せた。
その容姿だけを見ればこのような平民街には全く似つかわしくない貴族のようだが、身にまとう雰囲気はやわらかく、酒場の雑多な雰囲気に無理なく溶け込んでいた。
「俺だって非番に決まってんだろうが!!」
元々、黒髪の男と金髪の男は並んでカウンターで飲んでいたのである。
酒場で起きた刃傷沙汰に黒髪の男のみがいち早く動き、金髪の男は楽しげにそれを見送っていた。
いつもどおりの騒々しい酒場に、黒髪の男の怒鳴り声と、ころころと楽しげに笑う金髪の男の声が交じり合って消えた。
クラインとキースはこの町を拠点とする傭兵団の副団長である。
しかしクラインは親族の厄介ごとを解決するという理由により、長いあいだ王都を不在にしていた。
一月ほど前に王都に戻ってきたのだが、以前の彼とは大きく変わっていた。
以前のクラインは派手な立ち回りを好みしかも喧嘩っ早く、酒場の揉め事などに関わると更に大事にしていた。
そのため『狂犬』などとひそかに呼ばれていたのである。
しかし王都に戻ってきたクラインは無駄な動作を一切省いた動きをするようになり、またどことなく落ち着きをみせ穏やかな一面を見せるようになった。
そのため、「気配を消して静かに近づき、獲物が気付いたときにはすでに首に刃を当てて命を握っている」という意味から『死神』と呼ばれ恐れられるようになった。
もうひとつ特に目立つ変化として、仕事以外で王都に出ることのなかったクラインが一月に一度、休暇の際に王都を出てどこかに出かける姿が目撃されるようになった。
彼は多くを語らないが「親戚の顔を見に行っている」とだけ話し、人々は先日王都を去った幼女のことであろうと理解している。
ちなみに出かけた際にはチーズや燻製肉を手土産に帰ってくることがあり、傭兵団では好評である。
また、『傭兵団の良心』『狂犬どもの調教師』とひそかに呼ばれていたキース副団長は、たびたび傭兵団の団員と共に酒場に姿を見せるようになった。
酒場や平民街では「あのキース副団長がデレた」ともっぱらの噂である。
傭兵団の団長についてだが、何故か傭兵団を目の敵にしていたマルゲルス監察官に懐かれ、逃げ回っている姿がたびたび目撃されるようになった。
人々はマルゲルス監察官の突然の変化に首をかしげたが、団長を追いかける姿を見た人は口をそろえて「とても活き活きしていた」と語った。
クラインが王都に戻ってから、孤児院に差出人不明で大量の女の子用の服とお菓子が送られたことがあった。
以前からドレスを寄付していたサルバン氏ではないかと思われたが、差出人不明の贈り物はその1回きりでしかもサルバン氏名義の寄付はその後も続いていたので、サルバン氏とは別の誰かということで落ち着いた。
今もその差出人はわかっていない。
知らせを受けて酒場に駆けつけた傭兵団の団員に酔っ払いを引き渡し、
「くそっ、いい気分が台無しだ…。おいキース! お前のおごりで飲みなおすぞ!!」
とクラインはカウンターに戻っていく。
ちなみにいまだ独身の彼は傭兵団の独身寮に入っており、どんなに遅くなろうが部屋で待つ人などはいない。
しかし『死神』と呼ばれ恐れられている彼の部屋には、白いウサギと茶色い熊のヌイグルミが大事に飾られている。
しかもたまにそのヌイグルミ達とベッドで一緒に寝ているのだが、『死神』と恐れられる彼の部屋を覗こうとする命知らずはいないため、この事実を知るものは誰もいない。
クラインがちょうどカウンターに戻ったとき、酒場の入り口から男にしては少し高く、しかし女にしては低い独特の声が上がった。
「今日は非番のクラインがこちらに来ていると聞きました! 明日の私も非番なのです、クライン、どこですか!? 一緒に朝まで飲み明かしましょう!!」
「げぇっ、何でエアリアスがここにっ!?」
「私が彼女を誘いました。」
「お前っ!」
「クライン、そこですね! キース殿、クラインを抑えていてくださいね!!」
「うおっぉおお見つかったぁ! おい、キース!お前はなしやがれっ!! エアリアスッ、お前もなんでロープを構えてやがんだよ!! 拉致する気まんまんじゃねえか!!」
微笑ましい一幕に、酒場の誰もが顔を背けて聞こえないふりをしながら笑いをこらえた。
下町の夜はまだまだこれからである。
『ヒトはソレを奇跡と呼んだ』 ~完~
終わりました!
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!
皆様のおかげで飽きやすい自分が完結をさせることができました。
もれてしまった小話などは、また小話集を別に作って書こうと思います。
本当にありがとうございました!!