18話 薔薇の館
思っていたほど変態な話にはなりませんでした。
マルゲルスの変態話も忘れたある日、俺は久しぶりの休日を『俺の台所亭』で遅い昼飯をとろうと平民街をひとりで歩いていた。
「…あの、すいません…。」
今にも消え入りそうな声で呼び止められた。
振り向くと、12歳くらいの少年がどこかおびえた様子で立っていた。
あれ?前の俺ならともかく今の幼女な俺に怖がる要素なんてあったか?
少年をよくよく観察すると、一般的な使用人の格好をしていた。
つまりこの少年の主が近くにいるはずで…。
俺が周囲を見回すと、離れたところに無駄にゴテゴテと華美な装飾をつけた馬車がとまっていた。
家紋がこれみよがしに掲げられているが、俺にはお貴族様の家紋なんて知らない。
「げ!」
馬車の小窓のカーテンが少し開き、マルゲルスの顔がのぞいた。
俺は瞬時にその場を立ち去ろうとしたが、少年が必死な声で追いすがってきた。
「あ、あのっ、主人があなた様と昼食をともにしたいと申し上げておりましてっ。どうか、どうか一緒に来ていただけませんかっ!!」
あまりにも必死な様子に俺は少年に向き直る。
よく観察してみると、少年の首筋にうっすらとムチで叩かれたような赤い筋がはしっているのが見えた。
もう治りかけの傷だが、ここで俺が断るとこの少年は奴にひどい折檻をうけることになるのだろう。
奴のあまりの下種さに、その場に唾を吐きたい気分に襲われる。
俺の見た目がどうであれ、自分より年下のまだ成人もしていないこの少年をそのような目に合わせる選択肢は俺になかった。
「わかった。その主とやらとご一緒してやろうじゃねぇか。」
俺のその言葉に少年はいったん安堵の表情を浮かべたあと、悲しそうな顔になり「ありがとうございます。…ごめんなさい…。」とつぶやいた。
俺は気にするな、とばかりに彼の腕をたたき馬車へと足を運んだ。
少年は我に返ると俺の前をいき、馬車につくと「失礼します。」と声をかけ扉を開けた。
俺は路地をざっと見回したが、ちょうど昼飯時のせいか皆建物の中にいるようで通行人はいなかった。
やべぇな、俺がマルゲルスについていったことを誰にも伝えられねえか…。
「どうぞ。」
俺は少年から差し出された手をとり、覚悟をきめて馬車に乗り込んだ。
「やぁ奇遇だね、また会えるとは。」
奴はしらじらしく笑ってみせる。
うそつけ、ぜってぇ俺のこと付け回して人気のないタイミングをはかってたんだろうが!
俺は奴の正面に座り込み、返事もせず奴の顔をねめつけた。
「あいかわらずいい眼をしているねぇ。そそられるよ。」
このド変態、いきなり密室でかましやがったな!
俺は両手に浮かんだ鳥肌をさすりながら、馬車が動き出した音と振動に集中していた。
奴はその間もずっと俺の顔を凝視している。
「私の行きつけの店に君を誘おうと思ってね。きっと気に入ってもらえると思うよ。」
てっきり奴の屋敷に連れ込まれると思ったので、油断はできないが少し安心した。
店なら他の目もあるだろうし、奴もアホな真似はしないと思うのだが…。
馬車はいつの間にか貴族街に入っていた。
もしかして本当にただの昼飯食うだけだったりして…、いや、あの嫌味な奴がそれだけで済ませるはずがない。
お貴族様御用達の店に連れてって、作法の何もできない俺をあざ笑うとか?
う~ん、回りくどすぎるよな…。
考えにふけっていると、カーテンの隙間から見える景色が一変していた。
まわりに建物がなくなり、妙に木々が多く視界をさえぎられる。
平民街の裏路地のような、人が本能的に避けたくなるような雰囲気が漂う。
ただ、あちらが自然にそのような雰囲気になったのだとしたら、今いるここは人為的なものを感じる。
やがて周りを木々に囲まれ、外からは見えないようになっている豪奢な建物に到着した。
その建物はいかにも貴族らしいのだが、俺はなぜか平民街の娼館を連想した。
…これって、奴の屋敷に連れ込まれるよりやばくないか?
マルゲルスは馬車を降りると俺に向かって手を差し出した。
俺がその手を無視して一人で馬車を飛び降りると、奴はため息をついた。
奴のその様子に、少し溜飲がさがる。
そのまま顔をそらしていると、奴はそっと俺に近づき俺の腰に手を回した。
うっぎゃぁぁぁぁぁぁあああああ!!
奴に軽く腰を押されるまま、俺は操り人形のようにギクシャクと屋敷のなかに入る。
今すぐにでも腰にある手を振り払い一発奴を殴って逃げたいのだが、こういうときって自分の思うとおりに体が動かないものなんだなぁ…。
俺はどこか現実逃避をしながらエントランスホールと思われる場所を見回す。
赤と黒を基調とした壁、天井にはゴテゴテとしたシャンデリア、騎士の鎧やステンドグラスなどが飾られている。
俺はお貴族様のセンスはわからねえが、何か下世話な印象をうけた。
「薔薇の館へようこそ。いつもの部屋を用意しております。」
いつの間にか俺とマルゲルスの横に、仮面で顔を隠した妖しい男が立っていた。
気配を感じなかったぞ!? 俺が動転しすぎなのか?この男がすごいのか?
俺は慌てて男を観察したが、仮面で顔を隠した異様ないでたちにも拘らず存在感に乏しく、人ごみの中に入られたらすぐに見失いそうだった。
しかも身のこなしにも隙が一切ない。
ますますこの屋敷が不気味なものに感じた。
「ご苦労。」
マルゲルスは男から鍵を受け取ると俺の腰を軽く押し、長い廊下へと歩き出した。
廊下にはたくさんの扉がついており、かすかにうめき声やあえぎ声や何かを叩きつける音が聞こえてくる。
俺は顔が引きつりそうになるのを必死にこらえながら、奴に腰を抱かれたまま歩いた。
平民街の娼館でさえこんな悪趣味なところはないぞ!!
ちくしょう、奴がときどき俺の表情を見てニヤニヤしてやがる。
気持ち悪いんだよ、こっち見んなぁぁぁぁぁ!!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。