第四章 【康時】
「何言ってんのよ。私は何もして…」
無駄な戯言を言う彼女に僕は持って来た【西村空江】の写真のある部分を指した。
「左手の甲にある【×】の傷跡…これは昨日も言ったように姉さんが小学五年生の時に付けられた物なんだ」
本来この傷は僕の手に付けられる物だった。その日、僕は誤って親父の酒のビンを落として割ってしまった。激怒した親父はナイフを振り上げ僕の手に罰として【×】を付けようとした。その時、姉さんがやって来て僕を庇い…
「だけど、写真に写っているこの傷は、よく見ると血がにじみ出ているんですよ。これっておかしいだろ?だって、傷跡は残るにせよ、四年も前に付けられた傷なのにまだ完治もせずに傷口から血が流れているなんて…死ぬ間際にまた、自ら傷つけたとは考えがたい。つまりこの写真に写っている少女は…」
「止めなさい!」
彼女はいきなり僕に飛び掛り、細い腕で掴みかかってきた。
「確かに、あなたのやった事は許されるべき事ではない。だけど動機は死んだお姉さんの為に…」
「世間の同情なんかほしくない!」
僕は思い切り彼女の手を振り払う。そして、さっきの続きを言った。
「この写真に写っているのは僕の姉さんじゃない…この写真に写っているのは、あなたが殺した本物の佐々木昌子だ」
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははは…」
彼女は顔を歪めて高々と笑い出す。
「つまり、あなたは私の正体が、西村空江だと言いたい訳?だったら証拠を見せてみなさいよ!私が彼女であるという証拠をね!」
僕は言った。
「…それはあなた自身の問題だ」
「…どういうこと?」
「姉さんの左手の甲には【×】の傷跡があります。それがあなたの左手の甲にもあれば…」
僕は彼女の左手…黒の皮手袋をはめた左手を指した。
「強制はしない」
その気になれば僕は彼女を押さえつけて強引に手袋を外させる事が出来る。しかしそれでは全く意味がない。
「くっ…」
彼女は左手にはめてある手袋に右手を掛けるが、そのままの状態で外そうとしない。ただ、少しだけ汗をかき、手を震わせているのが分かる。
「…昌子さんの事を気に掛けているの?」
僕は彼女に近づき、そっとその手に触れた。
「確かに、今ここであなたが手袋を外したら昌子さんの死は無駄になってしまう。でも、自分を殺した女が自分になってのうのうと生きているなんて、昌子さんにしてみればどう?それに、さっきあなたは僕に言いましたよね。あなたが私にメモ帳を持ってろって言ったのはあなたの心のどこかが私に自分を追い詰めてくれって望んで、あなたに無意識に内に言わせたんじゃないかって…それと同じ様に、あなたも心のどこかで自分を追い詰めてほしいと望んだから、僕にこの写真を捨てずに持ってろって言ったんじゃないか?」
「………」
「もう、赤の他人の仮面なんか外しちゃおうよ」
「…良くも悪くも成長したみたいね。康時」
彼女は小さく微笑すると、掛けていた眼鏡、髪を留めていたゴムバンド、そして、はめていた皮手袋を地面に捨てた。
「…お帰りなさい。姉さん」
姉さんの左手の【×】が、異様に輝いて見えた。




