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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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番外編5 有能令嬢クラリッサは今日も忙しい


 わたくしがこの宮廷に来たのは、父が大臣に任じられたからですわ。


 南方の名家ロートリンゲン。由緒ある家柄。社交の場には慣れている。宮廷に出れば、すぐに華やかな立場を得られると思っておりました。


 甘かった。


 宮廷の令嬢たちは、わたくしを遠巻きにした。声が大きい、気が強い、派手すぎる。目が合っても笑顔は返さない。集まりに誘われない。


 孤独。

 認めたくはなかったけれど、孤独でしたわ。


 だから——陛下にお目通りしたとき、あの穏やかな目を見て、この方だと思った。この方なら、わたくしを受け入れてくださるかもしれない。この方のお傍にいたい。


 今思えば、それは恋ではなく、寂しさだった。

 でも、あの頃のわたくしにはわからなかった。



 陛下のことを調べた。お茶の時間、好みの菓子、通られる廊下。三日でスケジュールを把握した。厨房を一週間で全員当たった。花を置く場所の光の入り方まで確かめた。


 我ながら、よくやったと思いますわ。


 しかし、全て空振りでした。侍従に止められ、護衛にお断りされ、花は片付けられた。


 そして気づいた。陛下が最も多くの時間を共にしておられるのは、黒い髪の女だと。


 見黒様。

 神託少女。


 わたくしは——あの方が、憎らしかった。



 廊下で、道を譲らなかった。


 わたくしなりの宣戦布告でしたわ。ここにいる!あなたに負けるつもりはないのだ、と。


 見黒様が足を止められた。

 わたくしを見た。黒い目が、まっすぐこちらを見た。


 何を言われるかと身構えた。「道を空けなさい」か。「無礼ですわね」か。あるいは、冷たい笑みで通り過ぎるか。


 見黒様が仰ったのは——


「……あなた、とても綺麗ね」


 頭が真っ白になりましたわ。


「その巻き毛。陽に当たると金色が透けて見えるわね。それに、肌がまるで磨かれた陶器のよう。……綺麗。とても綺麗」


 何を仰っているの。わたくしはあなたに戦いを挑んでいるのよ。なぜ褒めるの。なぜその目に敵意がないの。


「あなたの隣に立ったら、どんな絵になるかしら。黒と金。面白いわね」


 見黒様はそう仰って、わたくしの横をすり抜けて行かれた。

 振り上げた拳の行き場がなかった。


 すぐに、お茶の招待状が届いた。

 行くべきかどうか迷った。罠かもしれない。わたくしを呼び出して、衆人の前で恥をかかせるつもりかもしれない。


 けれど。

 行かずにはいられなかった。「綺麗ね」と言われた声が、耳に残っていたから。



 お茶の席で、わたくしは全てをぶつけた。

 陛下とはどういう関係なのか。わたくしを追い払わないのか。


 見黒様は動じなかった。


「なぜ追い払うの? 陛下を好きな人がいるのは、悪いことではないでしょう」


 ……ずるい。そんなこと言われたら、怒れないではないですか。


「それよりも——菓子を食べないの? おいしいわよ」


 食べた。おいしかった。悔しいことに。

 気がつけば、自分の話をしていた。南方の実家のこと。友達がいなかったこと。宮廷で孤立していること。


 なぜ敵に弱みを見せているのか、自分でもわからなかった。しかし、見黒様の目が——杞憂を聞くときの目だと、後で知ったが——あまりにも静かで、何も品定めしていない目だったから。


 帰り際に見黒様が仰った。


「あなたとわたしとでやりたいことがあるの。協力してくれないかしら」


 何のことかわからなかった。しかし、頬が熱くなった。

 敵だと思っていた人に、必要とされている。


 それが——嬉しかった。



 催しの運営を任された。

 正直に申し上げて——天職でしたわ!


 会場の手配、参加者の管理、当日の進行。全てが、わたくしの得意なことだった。陛下のスケジュールを三日で把握した情報収集力。厨房を全員当たった行動力。花の配置で光の入り方まで確かめた審美眼。全部、ここで活きた。


 催しの準備で、侍女たちや令嬢たちと話す機会が増えた。最初は警戒されていた。しかし、一緒に働くうちに変わっていった。


「クラリッサ様、こちらの配置でよろしくて?」

「こっちの方がいいわ。光が奥まで届く。花は入口に集中させて、奥は香りで誘導するの」


 令嬢たちが顔を見合わせた。


「さすがですわ……」


 初めてでしたわ。「さすが」と言われたのは。


 気がつけば、周りに人がいた。わたくしの声が大きいことを、「指示が通りやすい」と言ってくれる人がいた。わたくしの気の強さを、「頼りになる」と言ってくれる人がいた。


 友達ができた。

 二十年近く生きてきて、初めて、多くの友達ができた。



 催しを四度、五度と重ねるうちに、宮廷の中でわたくしの立場は変わっていた。

 地方から「うちでも催しを」という声が上がったとき、見黒様が仰った。


「クラリッサに手引書をまとめてもらいましょう」


 二ヶ月で書き上げた。無我夢中で、全力でしたわ。会場の選び方から天候対策まで。わたくしが四度の催しで学んだ全てを注ぎ込んだ。


 手引書が地方に配られて、催しが各地で開かれた。全ての土地で成功した。

 ある日、見黒様がお茶を飲みながら仰った。


「クラリッサ。あなた、すごいわね」


 不意打ちでしたわ。


「見黒様こそ」

「わたしは何もしていないわよ。あなたがしっかりとやってくれたのよ」


(……また。この方はまた、そういうことを仰る。わたくしの手柄をわたくしのものにしてくださる)



 催事大臣に任じられた日。

 陛下から直接、辞令をいただいた。


「クラリッサ嬢。この国の催事を束ねる大臣の任を、お前に託したい」


 背筋がぶるぶる震えた。


 大臣。わたくしが。あの、陛下に突っかかっていた女が。見黒様に敵意を向けていた女が。お父様と同じく、大臣という立場に。


 辞令を受けた後、見黒様の部屋に行った。


「見黒様」


 見黒様が立ち上がられた。


「おめでとう、クラリッサ!」


 涙が決壊してしまいましたわ。……この方の前では、堪えられなかった。


「わたくしは……あなたに突っかかっていた女ですわ」

「知っているわ。懐かしいわね」


 わたくしは涙を拭った。


「あのとき、廊下でわたくしが道を譲らなかったとき。見黒様は、『綺麗ね』と仰いましたわ」


 見黒様が頷いた。


「言ったわね」


 クラリッサ嬢の声が、かすれた。


「あの一言がなかったら、わたくしは今ここにいませんわ」


 見黒様がお茶を差し出してくださった。


「お茶を飲みましょう。大臣になっても、ここではいつも通りよ」


 お茶を飲んだ。


「……おいしいですわね」

「でしょう?」


 最初のお茶会と同じ言葉でしたわ。でも、あのときとは全然違った。あのときは敵意を飲み込みながら食べた菓子の味。今は——涙と一緒に飲んだ優しいお茶の味。



 大臣に就任してまもなく、もう一つの知らせが届いた。

 陛下と見黒様の、ご婚約。


 宮廷中が騒いだ。「神託の力が失われるのでは」「大臣たちは反対したのでは」。声が飛び交っていた。


 わたくしは、自分の部屋で、しばらく座っていた。


 陛下。


 わたくしが宮廷に来て、最初に目を奪われたお方。お茶の時間を調べ、菓子の好みを突き止め、廊下の光の入り方まで確かめた——あの頃のわたくしの全てだったお方。


 今、そのお方が、見黒様と婚約された。


 胸に手を当てた。

 痛みは——なかった。


 驚いた。痛まないのだ。あの頃のわたくしなら、きっと泣いていた。きっと怒っていた。「わたくしの方が先に好きでしたのに!」と叫んでいた。


 でも、今のわたくしは知っている。あれは恋ではなかった。寂しさだった。居場所がなくて、温かい目をした人にすがっただけだった。


 陛下は穏やかで、器が大きくて、この国を導くお方だ。あのお方のお傍に立てるのは、見黒様しかいない。それは、わたくしが一番よく知っている。だって——見黒様のお傍で、この二年間、あの二人を見てきたのだから。


 陛下がお茶を飲むときの穏やかな目。見黒様が何かを仰ったときの、少しだけ目を細める笑み。あの二人の間にある空気は、最初から違っていた。わたくしがどれだけ陛下を追いかけても、あの空気の中には入れなかった。


 でも、見黒様は別の椅子を用意して、わたくしを入れてくださった。


 「綺麗ね」と仰って、お茶に呼んで、催しを任せて、手引書を書かせて、大臣にまでしてくださった。わたくしの居場所を作ってくださった。


 見黒様は、友人だ。


 こう言うと畏れ多いことかもしれないけれど——わたくしはそう思っている。あの方は、わたくしの一番の友人だ。


 そして陛下は、わたくしが最初に「素敵だ」と思ったお方だ。


 それぞれに大好きな二人が、結ばれる。

 嬉しいに決まっていますわ。

 見黒様にお祝いを申し上げに行った。


「見黒様。ご婚約、おめでとうございます」

「ありがとう、クラリッサ」


 わたくしは背筋を伸ばした。言いたいことがあった。


「陛下と見黒様はお似合いですわ。ずっとそう思っておりました」


 見黒様が少し驚いた顔をされた。


「あなた、陛下のことが好きだったでしょう?」

「ええ。憧れておりました。でも——」


 笑った。自分でも驚くほど、晴れやかな笑顔が出た。


「今は、お二人の幸せが嬉しいんですの。それが全てですわ」


 見黒様が、にこりとされた。


「今のクラリッサは、輝ける風のよう。爽やかで、華やかな香りがするわ。きっと、すぐにいい人が見つかるわね」


(……見黒様。それは、予言ですの?)



 催事大臣として忙しい日々が始まった。


 地方との連絡。新しい催しの認可。手引書の改訂。季節ごとの催しの準備。


 補佐官がついた。


 名をディートリヒという。文官出身の、真面目な男だった。わたくしより三つ年上。背は高くないが、姿勢が良かった。眼鏡をかけていた。字が綺麗だった。


 最初の印象は——地味。

 しかし、有能だった。


 わたくしが「こうしたい」と言えば、翌朝には実現のための計画書が机に載っていた。わたくしが見落とした事務手続きを黙って済ませてくれていた。わたくしが走り回っている間、書類を整えて待っていてくれた。


 三ヶ月一緒に働いて、気づいた。この人は、わたくしを支えるために来たのだ、と。


「ディートリヒ。あなた、いつも先回りしていますわね」

「大臣がお動きになった後の処理を、誰かがやらねばなりません」


(……それはそうですけれど)


「……それは、わたくしが散らかすから、ということですの?」


 ディートリヒが眼鏡を押し上げた。


「大臣は嵐のようなお方です。嵐の後に道を整えるのが、私の仕事です」


(嵐。わたくしを嵐と。……否定できませんわね)


「しかし」


 ディートリヒが、少しだけ声を落とした。


「嵐がなければ、何も変わりません。大臣の嵐は、この国に必要な嵐です」

(……この方は、わたくしのやり方を否定しませんのね)



 半年が過ぎた。


 ディートリヒの仕事ぶりに、文句のつけようがなかった。計画書は正確で、報告は簡潔で、わたくしの指示を一度で理解した。


 しかし、それだけではなかった。


 催しの前日、わたくしが遅くまで会場の確認をしていると、机の上に茶と菓子が置かれていた。ディートリヒが帰り際に用意していったのだ。何も言わずに。


 雨の日には、わたくしの外套が掛けてあった。朝、わたくしより先に出仕して、掛けておいたらしい。


 地方の催しの視察で馬車に乗るとき、荷物をすでに積み込んでくれていた。わたくしの分の水と食料まで。


「ディートリヒ。あなた、わたくしの世話係になったつもりですの?」

「いいえ、補佐官です」


 眼鏡を押し上げた。表情は変わらない。


「補佐官の仕事に、菓子の手配は含まれますの?」

「大臣が空腹で判断を誤られるよりは、菓子を一つ用意する方が効率的です」


 全部「仕事だから」で説明しようとする。菓子も外套も荷物も、全て「効率」で片づける。でもわたくしは知っている。ディートリヒがわたくし以外の誰かに菓子を用意しているのを、見たことがない。



 ある夜、書類の整理が長引いた。

 ディートリヒがまだ残っていた。


「もう帰りなさい。遅いですわ」

「大臣が残っておられるのに、先に帰るわけには」


 わたくしは書類を取り上げた。


「命令ですわよ」


 ディートリヒはひょいと書類を自分の机に戻した。


「命令に従わない権利は、補佐官にもあります」

(……頑固な人。この人は、普段は大人しいくせに、こういうときだけ頑固ですわ)


 二人で書類を片づけた。終わったのは深夜だった。

 廊下に出ると、ディートリヒが言った。


「大臣。お送りします」

「一人で問題ありませんわ」


 ディートリヒが一歩、隣に並んだ。


「深夜です。お送りします」

(こんなところでも頑固ですのね)


 並んで廊下を歩いた。月が窓から差していた。


「ディートリヒ」


 足音が揃った。


「はい」

「あなた、なぜわたくしの補佐官を引き受けましたの」


 ディートリヒが少し黙った。眼鏡の奥の目が、まっすぐ前を向いていた。


「催しの第一回を、見ておりました。客として」


 わたくしは驚いた。


「あら」

「大臣が——あのときはまだ大臣ではありませんでしたが——取り仕切っておられるのを見ました。指示が的確で、何より、ご自身も動いておられた」


 足が止まった。


「あのとき思いました。この方の後ろで書類を整える仕事がしたい、と」


(……第一回。あの最初の催し。わたくしが見黒様に言われて、初めて仕切った催し。あのとき、この人は客席にいたの)


「それは……仕事としてですの?」


 ディートリヒが眼鏡を押し上げた。


「最初は、そうでした」

「最初は?」


 月明かりの中で、ディートリヒの耳が赤くなっていた。眼鏡の奥の目は、まだまっすぐ前を向いていた。しかし、声だけがわずかに震えていた。


「……今は、少し違います」


 廊下の空気が変わった。


「……クラリッサ大臣」

「ええ」


 ディートリヒが息を整えた。


「不適切であれば、お忘れください」


(あら、なんだか嫌な予感がしますわね。いえ、嫌ではない。嫌ではないのだけれど)


 ディートリヒが、まっすぐ前を向いたまま言った。


「あなたの嵐の、傍にいたいのです。仕事としてではなく」


 廊下が静かだった。月だけが見ていた。


(……この人は。「嵐」と呼んでおいて、その嵐の傍にいたいと言う。普通、嵐からは逃げるものでしょう。それなのに、この人は嵐の中に立って、書類を整えていたいと言う)


 ……見黒様。

 あなたもわたくしのことを風に喩えましたわね。……つまりこの人が、わたくしにとって……。


(見黒様が、わたくしに「綺麗ね」と仰ったとき。わたくしは、敵意を向けていた相手に美点を認められて、何も言えなくなりましたわ)


(今、わたくしは——この人に、「嵐」だと認められて、同じように言葉を失いかけている)


(わたくしの気の強さを。声の大きさを。派手さを。嵐だと呼んで、それでも傍にいたいと言ってくれる人が、いる)


「……ディートリヒ」

「はい」


 わたくしは背筋を伸ばした。


「明日から、菓子は二人分用意なさい」


 ディートリヒが顔を上げた。


「わたくしの分と、あなたの分ですわ。あなた、いつもわたくしの分しか用意しないですし。自分は食べていないでしょう」


 ディートリヒの目が、大きくなった。


「それは……」

「お返事は」


 ディートリヒが、深く息をした。それから、小さく笑った。わたくしが初めて見る笑顔だった。


「……かしこまりました。大臣」

「クラリッサ、と呼びなさい。今は勤務時間外ですわ」


 ディートリヒの耳が、さらに赤くなった。


「……クラリッサ殿」


 わたくしは半歩近づいた。


「殿はいりません」


 ディートリヒはとうとう、顔全体が真っ赤になった。


「……クラリッサ、さん」

(まだ硬いですわね。まあよくてよ。ゆっくり慣れなさい)


 月が綺麗な夜でしたわ。

 明日、見黒様にご報告しなければ。


 きっとあの方は「まあ、そう。おめでとう」と仰って、お茶を飲むのでしょう。それだけで十分ですわ。

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