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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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第三十話 なら、わたしも素人ね


 催しが三度目を迎えた頃、問題が起きた。


 きっかけは、宮廷付きの学者トマス殿の発言だった。


 トマス殿は歴史学の権威であり、三十年にわたって書庫の管理に携わってきた人物だった。白髪の痩せた老人で、知識は深いが、気難しかった。


 催しの報告を聞いたトマス殿が、大臣たちの集まる場でこう言った。


「見黒様の催しは結構なことです。しかし、参加者の質については一考を要する。市井の素人が書き散らしたものを、学問の府たる宮廷が後押しするのは、いかがなものか」


 場が静まった。


「書くということは、学問です。修辞を学び、論理を磨き、先人の著作を研究した上で、初めて筆を執る資格がある。農家の娘や商人の息子が、手慰みに書いたものを『作品』と呼ぶのは、正規の教育を受けた者に対する侮辱ではないでしょうか」


 名前は出さなかった。しかし「農家の娘」が誰を指しているかは、全員がわかっていた。


 マリエス。

 別の学者が同調した。


「確かに、最近は質より量が優先されている。印刷の発展で粗製濫造が増えた。このままでは、本というものの価値が下がる」


 別の学者が拳を握った。


「学問を修めた者と素人を同列に扱うのは、学問への冒涜だ」


 グレン殿がその場を収めようとしたが、発言は止まらなかった。


 翌日、この話が見黒様の耳に入った。



 わたくしが報告したのではなかった。クラリッサ嬢だった。


 クラリッサ嬢が、珍しく怒っていた。


「見黒様。お耳に入れたいことがございますの」


 見黒様が杯を置かれた。


「何かしら」

「トマス殿が、催しの参加者を『素人の書き散らし』と。正規の教育を受けた者だけが書く資格がある、とまで仰っていましたわ」


 見黒様は黙って聞いておられた。


「マリエスのことも暗に……『農家の娘の手慰み』と」


 見黒様の表情は変わらなかった。


 変わらなかったことが、逆に怖かった。ガルドの件のときとは違う。あのときは笑みが消えた。今は——笑みのまま、目だけが動いていた。


「……そう。トマス殿がそう仰ったの」


 クラリッサ嬢が頷いた。


「はい」


 見黒様が窓の外に目を向けられた。


「クラリッサ。ありがとう。教えてくれて」


 見黒様がお茶を一口飲まれた。


「トマス殿をお呼びして。それと——あの催しに参加したことのある学者たちも、何人か」



 トマス殿と、四名の学者が見黒様の部屋に呼ばれた。


 全員が緊張していた。見黒様にお呼ばれしたことは名誉だが、この状況では呼ばれた理由がわかっている。


 見黒様は窓辺の椅子に座っておられた。お茶の用意がしてあった。


「座って。お茶をどうぞ」


 学者たちが座った。誰もお茶に手をつけなかった。

 見黒様が穏やかに仰った。


「トマス殿。お聞きしたいの。書くということは、学問を修めた者だけのものかしら」


 トマス殿が背筋を伸ばした。


「見黒様。わたくしは学問を軽んじているのではありません。むしろ守りたいのです。何十年もかけて積み上げた技術と知識を、素人の書き散らしと同列にされては——」


 見黒様が静かに仰った。


「素人」


 見黒様がその言葉を繰り返された。

 声は穏やかだった。しかし、部屋の空気が変わった。


「トマス殿。わたしは宮廷の学問を修めていないわ。修辞学も学んでいない。論理の訓練も受けていない。先人の著作を体系的に研究したこともない」


 トマス殿が口を開きかけた。


「わたしは書庫の本を好きなように読んだだけよ。教師についたことはないわ。つまり——あなたの基準で言えば、わたしも素人ということになるわね」


 部屋が凍った。

 トマス殿の顔から、色が抜けた。


「い、いえ、見黒様は——見黒様は別です。見黒様は神託者であられて——」


 見黒様がお茶を一口飲まれた。


「神託者であることと、学問を修めたことは、別の話でしょう?」


 更にもう一口。


「わたしは素人として本を読んで、素人として物語を愛して、素人として催しを開いたの。マリエスも素人よ。土間に棒で物語を書いていた女の子。でもあの子の物語は、この国で最も読まれている」


 見黒様が学者たちを見回された。


「あなたたちの学問を否定しているのではないわ。あなたたちが積み上げたものには価値がある。それは間違いない。でも——書くことの価値は、資格で決まるものではないでしょう」


 トマス殿が何かを言おうとして、言えなかった。


「新しい人が来なくなった場所は、枯れていくのよ」


 見黒様がぽつりと仰った。


「学問の場も、物語の場も。新しい声を笑えば、声は来なくなる。声が来なくなれば、場は縮んでいく。残るのは、古い人だけ。そして古い人たちも、いつかいなくなる。……分かるでしょう。皆、不老不死ではないの。何物も常に何が残せるか、何を渡せるかを考えねばならない。わたしも例外ではないのよ」


 沈黙が長く続いた。

 トマス殿が、深々と頭を下げた。


「……見黒様。ご無礼を、お許しください」


 見黒様が首を振られた。


「謝ることではないわ。あなたの気持ちもわかるもの。大事にしてきたものを守りたかったのでしょう?」


 トマス殿が顔を上げた。目が、少し潤んでいた。


「でもね。守り方を間違えると、守りたかったもの自体が消えてしまうの。新しい人を迎えることは、あなたの学問を脅かすことではないわ。むしろ——あなたが教えられることが増えるということよ」


 トマス殿が、しばらく黙っていた。それから、静かに言った。


「……次の催しで、わたくしが講座を開いてもよろしいでしょうか。修辞と論理の基礎を、書きたい者に教えるような」


 見黒様のお顔が、ぱっと明るくなった。


「素敵ね。お願いするわ!」


 わたくしは日誌に書いた。


「本日、見黒様がトマス殿らの学者を諭された。『新しい人が来なくなった場所は、枯れていく』と仰せられた。見黒様は学者を罰さず、否定せず、新たな役割を与えられた。排除ではなく取り込み。門を閉じるのではなく、門を通った先に学びの場を置く。見黒様はいつも、壁を作るのではなく、道を作られる」


-----


 トマス殿が民間の書き手を「素人の書き散らし」と言ったらしい。マリエスのことも「農家の娘の手慰み」と。


 クラリッサさんが怒って教えてくれた。


(……あー、来たか。これは……思ったより早かったな)


 前世で何度も見た光景だった。


 古参が新参を笑う。「最近のは質が低い」「昔は良かった」「素人は引っ込んでろ」。オタク界隈でもあった。同人即売会でも、投稿サイトでも、SNSでも。ベテランが新人を見下す。教育を受けた者が独学の者を馬鹿にする。そうやって新しい人が来なくなって、界隈が縮小して、最後には誰もいなくなる。


 前世にいた界隈もそうだった。古参が新参を叩いて、新参が来なくなって、過疎って、サービス終了。残ったもので必死に課金したり要望や感想を出したとしても限界がある。あの流れを、この世界で繰り返させるわけにはいかない。


(ていうかマリエスを馬鹿にした? あの子を? 土間に棒で物語を書いて、わたしの心を動かしたあの子を?)


 怒り、ではなかった。ガルドのときとは違う。あれは本を焼くという行為への純粋な怒りだった。今回は——呆れに近い。


(……呼ぼう。話をしよう)



 トマス殿と学者たちが来た。全員ガチガチに緊張していた。


(そりゃそうよね。自分たちの発言がわたしに伝わったってわかったら、そうなるわ)


「座って。お茶をどうぞ」


 誰もお茶に手をつけない。……まぁ、分かるけども。みんなお茶飲まないのね。もったいない。おいしいのに。


「トマス殿。お聞きしたいの。書くということは、学問を修めた者だけのものかしら」


 トマス殿が「学問を守りたい」と言った。「何十年もかけて積み上げた技術と知識を、素人と同列にされては」と。


(気持ちはわかる。わかるのよ。前世でも、プロの漫画家がアマチュアの台頭に危機感を持つ話は何度も見た。技術を磨いてきた人が、技術のない人と同じ土俵に立たされるのは怖いことだ)


 でもね。その恐怖で門を閉じたら、終わりなのよ。


「トマス殿。わたしは宮廷の学問を修めていないわ。修辞学も学んでいない。論理の訓練も受けていない。つまり——あなたの基準で言えば、わたしも素人ということになるわね」


 全員固まった。


 だって事実じゃない。わたしは正規の教育なんて受けてない。前世の大学は出たけど、この世界の学問体系とは関係ない。書庫の本を好きに読んだだけ。独学どころか、趣味の延長よ。テキトーに読んで、テキトーに覚えて、テキトーに喋ってるだけ。


 トマス殿が「見黒様は別です」と言った。


「神託者であることと、学問を修めたことは、別の話でしょう?」

(別じゃないのよ。わたしも素人。マリエスも素人。わたしたちは同じ側にいるの)


 お茶を一口飲んだ。


「わたしは素人として本を読んで、素人として物語を愛して、素人として催しを開いたの。マリエスも素人よ。土間に棒で物語を書いていた女の子。でもあの子の物語は、この国で最も読まれている」


 前世の投稿サイトでもそうだった。学歴も経歴も関係ない。面白いものを書いた人が読まれる。それだけ。シンプルな話。


「あなたたちの学問を否定しているのではないわ。あなたたちが積み上げたものには価値がある」


 本当にそう思ってる。学問は大事よ。体系的に学ぶことの価値は、わたしが一番知ってる。いかにハマったジャンルだろうとも、前世で専門的な知識を独学で触ろうとしても無理なラインはある。限界をさんざん感じたもの。


「でも——書くことの価値は、資格で決まるものではないでしょう」


 学者たちを見回した。


「新しい人が来なくなった場所は、枯れていくのよ」


 これは前世で何百回も見てきた真実。閉じたコミュニティは死ぬ。開いたコミュニティだけが生き残る。例外はない。


「学問の場も、物語の場も。新しい声を笑えば、声は来なくなる。声が来なくなれば、場は縮んでいく。残るのは、古い人だけ。そして古い人たちも、いつかいなくなる。……分かるでしょう。皆、不老不死ではないの。何物も常に何が残せるか、何を渡せるかを考えねばならない。わたしも例外ではないのよ」


 トマス殿が頭を下げた。「ご無礼をお許しください」と。

 ああ、いや、謝らなくていいのよ。気持ちはわかるって言ったし。


「謝ることではないわ。あなたの気持ちもわかるもの。大事にしてきたものを守りたかったのでしょう?」


 トマス殿が顔を上げた。


「でもね。守り方を間違えると、守りたかったもの自体が消えてしまうの。新しい人を迎えることは、あなたの学問を脅かすことではないわ。むしろ——あなたが教えられることが増えるということよ」


 前世のオタク界隈でも、古参が新参に教える文化がある場所は強かった。「にわか乙」じゃなくて「ようこそ、まずはこれ読んで」って言える場所。そういう場所だけが長く続いた。


 トマス殿が「次の催しで講座を開いてもいいか」と聞いてきた。修辞と論理の基礎を教えたい、と。


(……おっ。いい方向に転がった。「門を閉じる」から「門の先で教える」に変わった。最高じゃない。ベテランが新人を育てる側に回る。これが一番健全な形よ)


「素敵ね。お願いするわ!」


(よし。催しが次のステージに入った。参加の場から、学びの場へ。前世のイベントで言えば、即売会にワークショップが併設されるようなもの。これは強い。コミュニティとして一段階上がるってもんよ)



 部屋に戻って、お茶を飲んだ。


(……「なら、わたしも素人ね」。あれ、効いただろうな。でも嘘は言ってない。わたしは本当に素人だし。前世込みでも、この世界の基準では無学の人間よ。ただ本を読むのが好きなだけの人間だし、その辺の身は弁えてるつもり)


 でも、それでいいのよ。好きなだけで十分。資格がなくても、学位がなくても、好きなものは好きだって言えばいい。それを笑う人がいるなら——笑う人の方が、間違ってる。


 マリエスの新刊を開いた。八巻。今朝届いたばかり。


(この子の物語は、学問じゃない。資格でもない。ただ、自由なだけ。自由に書いた言葉が、人の心を動かす。それだけのこと)


 ページをめくった。

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