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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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第二十二話 そんなんうちに来たら良いのよ


 北西の軍事国家ガルドについて、見黒様が関心を示されたことは一度もなかった。


 ガルドは小国だが、軍事に特化した国だった。鉄と兵と規律。それだけで周辺の小国を従えてきた。文化や芸術には価値を置かない。書物は実用書のみ。物語や詩は「弱者の慰み」として蔑まれていた。


 この国とガルドの間に直接の緊張はなかった。距離があったからだ。しかし、フェリクス殿との同盟以降、この地域の力学は変わりつつあった。ガルドも動き始めていた。


 最初の報告が来たのは、秋の初めだった。


 フェリクス殿からの書簡だった。


「ガルドが周辺の小国で書物を焼いている。物語を書く者を捕らえ、軍の宣伝を書かせている」


 グレン殿が見黒様に報告した。わたくしも傍に控えていた。


 見黒様は、お茶を飲んでおられた。


「……書物を?」


「はい。物語や詩集を焼き、作家を拘束しているとのことです」


 見黒様の手が止まった。

 杯を持つ手が


 わたくしは七年間、見黒様のお傍にいた。そのようにピタリと止まるのを見たのは、初めてだった。


「……焼いているといったの?本を?」

「はい」

「作家を、捕まえて」

「はい。軍の宣伝文を書かせていると……」


 見黒様が杯を置かれた。

 音がしなかった。静かに、静かに置かれた。それが逆に、怖かった。


 見黒様のお顔は、笑っていなかった。

 七年間、見黒様はいつも笑っておられた。微笑み、苦笑、含み笑い、いたずらっぽい笑い。どんな場面でも、見黒様の顔には何かしらの笑みがあった。


「グレン」

「は、はい」

「その国は、作家を何人捕まえているの」

「正確な数は不明ですが、数十名と聞いております。周辺三国の主だった物語作家と詩人がほぼ……」

「焼かれた本は」

「数百冊に及ぶと……」


 見黒様が立ち上がられた。


 部屋の空気が変わった。わたくしの背筋がブルリと震えた。


 見黒様の声は、静かだった。低くもなく、高くもなく。いつもの声だった。しかし、いつもの声であることが、逆に尋常ではな怒りを示していた。


「陛下にお会いしたいわ」



 陛下は、見黒様のお顔を見た瞬間に察された。


「何があった」

「陛下。北西のガルドが、周辺の国で本を焼いて、作家を捕まえています」


 陛下が少しだけ目を細められた。


「聞いている。フェリクス殿からの報告が来ていた」

「ご存じだったの」

「ああ。対応を検討していたところだ」

「対応。対応ですか」


 見黒様がその言葉を繰り返された。

 間があった。


「陛下。わたし、その作家たちを全員引き取りたいの」


 陛下が見黒様を見られた。


「引き取る、と」

「ええ。描きたいものを自由に描いている作家ならば、放っておいてもいいわ。でも、圧政のもとにいる作家がどんな扱いを受けているかなど、想像に難くない」


 見黒様の声に、わずかに熱が入った。七年間で初めて聞く種類の熱だった。


「ならば、うちに全員来てもらいましょう。寝食を保証して、わたしたちに『お話』を聞かせてもらうの」


 陛下がしばらく黙っておられた。

 それから、何かを思案した後に仰った。


「アカリ殿。それは、つまり……」

「お話を聞かせて、と言っているだけよ。わたしはいつもそうしているでしょう?」


 陛下が、ゆっくりと頷かれた。


「……ああ。アカリ殿はいつもそうだな」


 陛下が立ち上がられた。


「グレン。フェリクス殿に書簡を送れ。ガルド周辺の作家の保護について、協力を要請する。受け入れの準備も始めよ」


 グレン殿が深く頭を下げた。

 ラルフ将軍が一歩前に出た。


「陛下。護衛が必要であれば」

「ああ。作家たちの移送に護衛をつけてくれ」

「承知仕りました」



 見黒様とわたくしが退出した後——これは後にグレン殿から聞いた話だが——陛下とグレン殿は、しばらく二人で話しておられたという。


「グレン。見黒様のお考えを、お前はどう見る」

「……恐ろしいお方です」


 グレン殿は拓本を前に数字を並べるときの顔で、見黒様の提案を分析し始めた。


「まず一手目。作家を引き抜くことで、ガルドは軍の宣伝文を書ける人間を失います。兵の士気を煽る文書、周辺国への威圧の書簡、占領地での布告——全てが書けなくなる。筆を持てる人間がいなくなるのですから」


 陛下が頷かれた。


「二手目。こちらに来た作家が自由に書き始めれば、必然的にガルドでの経験が作品に滲みます。それが周辺国に広まれば、ガルドの圧政が白日のもとに晒される。我が国は何一つ告発する必要がない。作家たちが勝手に真実を書くのです」

「告発ではなく、物語として、だな」


 グレン殿が指を一本立てた。ここが要点だ、という仕草だった。


「そこが肝です、陛下。告発文であれば相手国は『政治的中傷だ』と反論できる。しかし物語は反論しようがない。物語に描かれたものが事実かどうかは、問題にならない。読んだ者の心に残るのですから」


 グレン殿が少し間を置いた。


「……しかも、物語を『弱者の慰み』と蔑んできた国には、物語に対抗する術がない。書ける人間を全て手放した上に、物語そのものの力を理解していない。物語を軽んじた国に対してこそ、これ以上なく有効な手です」


 陛下が杯を傾けられた。


「まだあるな。三手目は?」

「三手目が最も恐ろしい。作家を保護することで、我が国は『文化の庇護者』としての名声を得ます。周辺の小国に対して、軍ではなく文化で影響力を持つ。ガルドが武で周辺を従えていたものを、我が国は文で覆す。しかも、剣を一本も抜かずに」


 グレン殿は息をつかれた。額に手を当てて、少し考え込むように間を取った。それから、声を落とした。


「そして四手目。これは外ではなく内に効きます。ガルドの圧政を描いた物語が国内に広まれば、我が国の民は思うでしょう。——この国はなんと平和なのだろう、と。見黒様がおられるこの国に生まれてよかった、と。外に向けた策が、同時に国内の統治を安定させるのです」


 グレン殿が窓の外に目を向けた。夜の城下が静かに広がっていた。


「無論、作家たちはこの国に恩義を感じるでしょう。彼らが書くもの全てが、我が国への感謝を含むことになる。自発的に。強制なく。これほど強力な統治と宣伝の土台はございません」


 陛下がしばらく黙っておられた。


「……見黒様は、そこまでお考えだろうか」

「わたくしにはわかりません。しかし、見黒様がなさることは、常に——」

「ああ」


 陛下が小さく笑われた。


「常に、我々の想像を超える。……しかしな、グレン」

「はい」

「わたしはな。見黒様がそこまで計算しておられたかどうかは、正直、どちらでもよい」


 グレン殿が顔を上げた。


「あの方は怒っておられた。本を焼かれたことに。作家が捕らわれていることに。あの怒りは、本物だった」


 陛下がお茶を一口飲まれた。


「本物の怒りから出た行動が、結果としてこれだけの策になる。それが見黒様だ。計算であれ直感であれ、わたしはあの方の言葉に従うよ」


 グレン殿は深く頭を下げた。


「……陛下もまた、恐ろしいお方です」

「なんと。まぁそう言われようと、へっちゃらだ」


 陛下が軽やかに笑われた。



 わたくしは、見黒様のお顔を見ていた。


 陛下が動かれたことで、見黒様の表情が少しだけ戻った。完全には戻っていなかったが、目の奥に、さっきまでなかったものが灯っていた。


 部屋を出られるとき、見黒様がぽつりと仰った。


「エル」

「はい」

「わたしは怒っているわ」

「……はい」

「本を焼く人間がいるということに。書きたいものを書けない人がいるということに」

「……はい」

「でも、怒るだけでは何も変わらないでしょう。だから、取り込むの。全部」


 見黒様の声は、もう静かに戻っていた。しかし、その静けさの中に、鋼のようなものがあった。


 わたくしは日誌に書いた。


「本日、見黒様が初めてお怒りになった。七年間で初めてのことだった。見黒様が笑みを消されたのは、書物が焼かれ、作家が囚われていると聞いたときだった。見黒様は罰を求められなかった。報復を求められなかった。『全員引き取る』と仰った。敵の力を削ぐのではなく、味方の力を増やす。それが見黒様の怒りの形だった」



 数週間後、最初の作家たちがこの国に到着した。


 痩せた者が多かった。目が暗い者が多かった。長い間、書きたいものを書けなかった人間の目だった。


 見黒様が出迎えられた。


 一人一人の顔を見て、一人一人に声をかけられた。


「遠いところから、ありがとう。疲れたでしょう。まずは休んで。それから、よかったら——あなたのお話を、聞かせてくれるかしら」


 作家の一人が泣いた。年配の男だった。


「……わたしの話を……聞いてくださるのですか」

「ええ。聞きたいの。あなたが本当に書きたかったものを」


 その男は、翌日から書き始めた。

 一週間で、十二人の作家が書き始めた。

 一ヶ月後には、新しい物語が城下に流れ始めた。ガルドでは決して書けなかった物語が。自由に書かれた物語が。


 それらの物語は、ガルドの圧政の実態を——作家たちが意図しなくても——滲ませていた。読んだ者は自然と知った。あの国で何が行われていたかを。



 フェリクス殿が来訪された際、見黒様とお茶を飲みながら仰った。


「——見黒様。一つ聞いてもいいですか」

「何かしら」

「あの作家たちの引き抜き。あれは……情報戦のつもりで?」


 見黒様が首を傾げられた。


「情報戦?」

「ガルドのプロパガンダ要員を根こそぎ奪い、自由に書かせることで敵国の内情を世に広める。軍を動かさずに相手の正当性を崩す。……見事な情報戦だと」


 復国の王ともなれば、見え方が違うのだろう。見黒様は意外そうな表情をされた。


「ああ……。あなたには、そう見えるの?」

「違うのですか」


 見黒様が少しだけ笑われた。あの日以来、初めて見る笑みだった。


「わたしはただ、お話を聞かせてほしかっただけよ」


 フェリクス殿が黙った。それから、小さく笑った。


「……ええ。あなたは、いつもそうだ」


 わたくしには、フェリクス殿が何を思って笑っておられたのか、正確にはわからなかった。しかし、あの笑みには——敬意と、それから、少しだけ諦めのようなものが混ざっていた。


-----


 怒った。本気で怒った。

 前世を含めて、こんなに怒ったのは初めてかもしれない。


 本を焼いている国がある。作家を捕まえて、書きたくないものを書かせている国がある。


(あっっっりえない……!!)


 グレン殿の報告を聞いたとき、お茶を飲む手が止まった。


 前世でも、表現の自由がどうとか、検閲がどうとか、そういう話はあった。遠い国の話として聞いていた。でも今、目の前にある。この世界で、今起きている。


(本を焼く。作家を捕まえる。書きたいものを書かせない)


 オタクとして、これだけは許せない。


 推しの作家が連載を打ち切られるだけでも悲しいのに。書きたいものを書いている人間を捕まえて、宣伝を書かせる?


(それは作家じゃない。奴隷だわ。ぜぇっっったいそんなの許せない)


 怒りで頭が熱かったが、不思議と思考は冷えていた。前世の漫画で読んだことがある。本当に怒ったときは、叫ぶんじゃなくて、静かになる。頭が勝手に「どうすればいいか」を計算し始める。


(罰を与える? 違う。戦争する? 違う。報復? 意味がないのよそれじゃ。焼かれた本は戻らない)


 じゃあどうする?失われた本は取り戻せなくても、これから書かれる本は守りたい。つまり、作家たちが来ないことには……。


 いや、そうだわ。これよ。


(作家を全員、こっちに来てもらおう。寝る場所とご飯を用意して、好きなものを書いてもらう。焼かれた分は、新しく書いてもらえばいい)


 前世で言うところの「引き抜きヘッドハンティング」よ。敵のコンテンツ制作チームを丸ごと自社に迎え入れる。向こうは宣伝が作れなくなる。こっちはコンテンツが増えるって寸法。クリエイターや技術職の人材を軽んじたら国力を失うのだから!


(……しかも、来てくれた作家さんたちの話が読める。わたしが。新しいお話が増える。これは得しかないわ!)


 早速、陛下に会いに行った。



「陛下。わたし、その作家たちを全員引き取りたいの」


 陛下は驚かなかった。この人は本当に動じない。


「描きたいものを自由に描いている作家ならば、放っておいてもいいわ。でも、圧政のもとにいる作家がどんな扱いを受けているかなど、想像に難くない」


 だってそうでしょう。書きたくないものを書かされて、書きたいものは焼かれる。それがどんな気持ちか。前世で推しの作家が編集に方向性を変えさせられて、明らかに筆が死んでいった時のことを思い出す。あれの百倍ひどいことが起きてるのよ。


「ならば、うちに全員来てもらいましょう。寝食を保証して、わたしたちに『お話』を聞かせてもらうの」


 お触れのときと同じだ。「お話を聞かせてほしい」。やることは変わらない。ただ、今回は相手がもっと遠くにいて、もっと困っている人たちだというだけ。


 陛下が動いてくれた。グレンも、ラルフも。


 いや、マジでありがたい。この国の人たちは、わたしが「やりたい」と言ったとき、動いてくれる。見黒様でよかった〜!!黒髪万歳!



 しばらくして、保護された作家たちが来た。

 痩せていた。目が暗かった。


(この人たちが……。書きたいものを書けなかった人たち……)


 前世で見たことがある。好きなことを禁じられた人の顔。やりたいことを諦めた人の顔。あれと同じだ。

 一人一人に声をかけた。


「遠いところから、ありがとう。疲れたでしょう。まずは休んで。それから、よかったら——あなたのお話を、聞かせてくれるかしら」


 いつものやつだ。杞憂のときも、お触れのときも、同じことを言ってきた。「お話を聞かせて」。これがわたしにできることの全部だ。


 年配の男が泣いた。


「……わたしの話を……聞いてくださるのですか」

「ええ。聞きたいの。あなたが本当に書きたかったものを」

(聞きたいに決まってる。絶対わたしでは思いつかないようなお話。出来事。それがわたしの一番の楽しみなんだから)



 一ヶ月後、新しい物語が城下に流れ始めた。

 作家たちが書いたものだった。自由に書かれた物語だった。前のガルドでは絶対に書けなかったであろう、自由な話だった。


 エルが報告してくれた。


「見黒様。ガルドから来られた作家の方々の物語が評判になっております」

「そう。面白いのがあったら持ってきてね」

「はい。それと……」

「何かしら」

「作家の方々の物語の中に、ガルドでの暮らしが描かれているものがございまして。読んだ民が、ガルドの圧政について知るところとなり……」

「ああ……今までにない憂鬱なものもあるのね。大丈夫、全部読むわ」

(そうなるだろうね。自由に書いていいよって言われたら、自分が経験したことを書くもの。それは自然なことだわ)


「結果として、ガルドの評判が周辺国でかなり悪くなっているとか」

(まあ、本を焼いて作家を捕まえる国の評判が良いわけないわよね)


「見黒様。これは……フェリクス様が仰っていた情報戦としては、かなりの……」

「情報戦?」


 何のこと? わたしは作家を保護しただけだし、私欲だし。確かにフェリクスがプロパガンダを云々とはいってたけども。


「わたしはただ、お話を聞きたかっただけよ」


 エルがあの顔をした。「信じていないけれど信じます」の顔。


(また出た、あの顔。エルのあの表情なんかかわいいのよね)


 本を開いた。今日の三冊のうち一冊は、ガルドから来た詩人の新作だった。


 読み始めた。


(……いい詩ぁ…!! 抑えつけられていた人が書く詩は、解き放たれたとき、すごい力を持つ。前世でもそうだった。解放されたアーティストの作品は、自由に滾って燃えているようなエネルギーあるわ〜〜〜!)


 ページをめくった。

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