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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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第二十一話 わたしが誰と茶を飲むかは、わたしが決めるわ



 見黒様が宮廷に来られて五年が経った。


 見黒様は十七歳になられた。


 わたくしの日誌は、ずいぶんと増えて九冊目に入っている。


 フェリクス殿との同盟は、見黒様が「面白い人ね」と仰った翌月に締結された。レヴァン再建国との相互不可侵と交易の協定だった。フェリクス殿は定期的にこの城を訪れるようになり、見黒様とお茶を飲んでいかれた。


 二人のお茶の時間は不思議なものだった。


 見黒様とフェリクス殿は、難しい政治の話をほとんどしなかった。本の話をしていた。鍛冶の技術の話をしていた。農業の話をしていた。時おり、誰にも通じない言い回しで笑い合っていた。


 わたくしには、その言い回しの意味がわからなかった。しかし、見黒様が他の誰にもしない笑い方をされるのは見てとれた。嬉しそうというよりは、懐かしそうだった。


 宮廷では「もしや見黒様とフェリクス殿はいずれ」という噂が囁かれ始めていた。しかし、わたくしの目にはそうは映らなかった。あの二人の間にあるのは、恋慕ではない。何と呼ぶべきかはわからないが、もっと——乾いた、しかし温かい何かだった。



 東方との関係は、この一年で大きく動いた。


 鉄の品質問題で一度は緊張が走ったが、ラルフ将軍の早期対応と外交交渉で小康状態に戻っていた。加えて、雷鳥の一族がもたらした鍛冶技術のおかげで、この国は東方の鉄に依存しなくて済むようになりつつあった。


 東方にとって、それは面白くない話だった。


 さらに、この国がレヴァン再建国と同盟を結んだことで、東方は両側を挟まれる形になった。外交的な焦りが出始めていた。


 そんな折に、東方から使節が来た。


 表向きは「友好の再確認」。しかし大臣たちは身構えていた。南方の脅迫状のときと同じ匂いがする、と。


 使節の代表は、ヴォルク卿という男だった。五十代。目つきが鋭く、口調は柔らかいが言葉の端々に棘がある。外交の老練な手練だった。


 謁見の間での挨拶はつつがなく終わった。問題は、その後の晩餐の席で起きた。



 晩餐には陛下、見黒様、大臣たち、ラルフ将軍、そしてフェリクス殿も同席していた。ちょうどこの時期に定期の訪問で城に滞在しておられたのだ。


 東方の使節にとって、フェリクス殿の同席は想定外だったはずだ。ヴォルク卿の目が一瞬細くなったのを、わたくしは見逃さなかった。


 食事が進み、酒が回った頃、ヴォルク卿が口を開いた。


「いやしかし、フェリクス殿は若くして大国の再建を成し遂げられた。まことに見事でございますな」


 フェリクス殿は軽く会釈した。


「まだ道半ばです」


 ヴォルク卿が身を乗り出した。


「ご謙遜を。それに、お若くて、聡明で、なかなかの美丈夫でいらっしゃる」


 ヴォルク卿の声に、甘い毒が混ざり始めた。


「ところで、神託者殿もお年頃でいらっしゃいますね。十七歳とお聞きしました」


 空気が少し変わった。大臣たちが背筋を正した。


「フェリクス殿と神託者殿。お二人の同盟をさらに強固なものにするには——婚姻が最も確実な手段だと、わたくしなどは思うのですが」


 晩餐の席が、静まった。


 挑発だった。しかも、最も悪質な種類の。

 ヴォルク卿は、どちらの国がどう反応するかを見ようとしていた。


 大臣たちは凍りついていた。この提案の毒に、気づいた者もいたはずだ。陛下は静かにお茶を飲んでおられた。フェリクス殿は無表情だった。


 全員の視線が、見黒様に集まった。



 見黒様は、ヴォルク卿を見ておられた。


 しばらく、黙っておられた。あの沈黙だった。喉を痛めた日の、あの沈黙と同じ質のもの。


 ヴォルク卿の額に、わずかに汗が浮いた。


 見黒様が、ゆっくりと口を開かれた。


「ヴォルク卿」

「は、はい」


 見黒様が微笑まれた。穏やかに。しかしその穏やかさが、かえって空気を締めた。


「あなたは、とても気が利くわね」


 ヴォルク卿が、一瞬たじろいだ。褒められたのか、皮肉なのか、判断がつかなかったのだろう。


「こんな大切なお話を、あなたご自身のお口から仰るのね。あなたのお国は、よほどあなたを信頼していらっしゃるのね」


 ヴォルク卿の顔から、色が引いた。一瞬のことだった。しかし、わたくしには見えた。


「わたしが誰とお茶を飲むかは、わたしが決めるわ」


 間。


「それは、あなたにもあなたの国にも、誰にも差し出すつもりのないものなの」


 もう一拍。


「でも……東方のお方と共にお茶を楽しむ日があっても良いかもしれないわね」


 そして見黒様は、ヴォルク卿の目をじっと見られた。


「もっとも……茶葉選びからこだわりそうなあなたには、わたしとのお茶はどう楽しめるか分からないけれど」


 ヴォルク卿の体が、はっきりと揺れた。


 あの一言は、この場の誰にとっても重かった。「茶葉選びからこだわる」——それはすなわち、今夜の婚姻提案を一から周到に仕込んだのはヴォルク卿自身だと見抜いておられるということだった。そして「どう楽しめるか分からない」——あなたの計算は、わたしには通じないかもしれない、と。


 微笑まれた。

 あの、うっそりとした微笑みだった。


 ヴォルク卿の顔から、色が抜けた。



 晩餐が終わった後、大臣たちの間で解釈が飛び交った。


「『お茶を飲む相手はわたしが決める』——これは、婚姻の相手を外交の道具にはしない、という宣言だ」


 別の大臣が続けた。


「しかも『差し出すつもりのないもの』と仰った。お茶を飲む相手とは、すなわち——陛下ではないか。陛下とのお茶の時間を、誰にも渡さないと」

「最後に『あなたとも飲む日が来るかもしれない』——これは東方に対話の余地を残された。完全な拒絶ではない。しかし、主導権はこちらにある」


 グレン殿の声に熱がこもった。


「しかもその直後に、『茶葉選びからこだわりそうなあなたには、わたしとのお茶はどう楽しめるか分からない』と。あれは——ヴォルク卿が独自にこの提案を練り上げたことを見抜いた上で、『あなたの計算ではわたしは読めない』と突きつけられたのだ」

 

 大臣の一人が唸った。


「独断で仕掛けたことまで見透かされた上に、通用しないと宣告された……ヴォルク卿の顔が白くなるのも無理はない」


 大臣の一人が、低い声で言った。


「……諸君、気づいているか。あの婚姻提案の真の狙いを」


 場が静まった。


「神託の力は清浄の身に宿る。婚姻はそれを破ることになる。……ヴォルク卿は、同盟に楔を打つふりをして、見黒様の神託の力そのものを奪おうとしていたのだ」


 大臣たちの間に、怒りが広がった。


「婚姻を勧めるという体裁の——」


 別の者が、低く言い放った。


「神殺しだ」


 沈黙が落ちた。


「……見黒様は、それもお見通しだったのだろうか」


 誰も答えられなかった。

 フェリクス殿は黙って聞いていた。それから、小さく笑った。


「……あの方には、敵わないな」


 その後、廊下でフェリクス殿が見黒様に礼を述べておられるのを見た。


「先ほどの件。……ありがとうございます」


 見黒様が足を止められた。


「何のことかしら?」

「婚姻の提案を、あのように退けていただいて」


 見黒様は不思議そうな顔をされていた。


 フェリクス殿が小声でわたくしに言った。


「俺の立場では、あの提案を断れなかった。同盟を結んだばかりの主国で、神託者殿との婚姻を俺の口から断れば、同盟そのものを軽んじていると取られかねない。……見黒様があの場で仰ってくださったから、俺の立場は守られた」


 見黒様はそれを聞いておられなかった。もう廊下の先を歩いておられた。


 フェリクス殿は、その後ろ姿を見て、もう一度小さく笑った。


「……あの方は、自分が何をしたか、わかっていないんだろうな」


 わたくしは答えなかった。答える必要がなかった。

 ラルフ将軍が、剣の柄に手をかけたまま頷いた。


「見黒様は、言葉だけで戦場を制される」


 わたくしは日誌に書いた。


「本日、東方の使節が婚姻を提案した。見黒様は『お茶を飲む相手はわたしが決める』と仰せられた。婚姻を政の道具にすることを退け、しかし対話の余地は残された。見黒様にとって『お茶を飲む』とは、最も深い信頼の表現である。それを差し出すかどうかを自ら決める——それが、見黒様の外交だ」


-----


 東方の使節が来た。


 ヴォルク卿という人で、目つきが鋭くて口調が柔らかい人だった。前世の漫画で言うところの「丁寧な悪役」のテンプレに見えなくもない。


 晩餐に出た。フェリクスもいた。食事は美味しかった。青い実の焼き菓子も出た。フェリクスが菓子を食べるとき、いつも一瞬だけ手が止まるのが面白い。たぶんブルーベリーのことを思い出しているのだろう。


 酒が回った頃、ヴォルク卿が喋り始めた。フェリクスを褒めて、わたしの年齢に言及して、それから——


「フェリクス殿と神託者殿。お二人の同盟をさらに強固なものにするには——婚姻が最も確実な手段だと」

(え。結婚? わたしが? フェリクスと?)


 周りが凍りついていた。大臣たちが固まっている。フェリクスが無表情になっている。陛下だけ普通にお茶を飲んでいる。


(陛下、動じないわね〜)


 全員がこっちを見ている。

 いやいやいや。結婚って。わたし、結婚したいとか考えたことないんだけど。フェリクスは嫌いじゃないけど、あの人はオタク仲間というか同類というか、そういう感じであって、結婚とかそういうのじゃないのよね。


 というか、結婚したらお茶の時間が減りそう。それは嫌だわ。今のお茶の時間はとても気に入ってるの。陛下とのお茶も、フェリクスとのお茶も、エルと過ごす時間も。全部わたしが好きで選んだ時間なのに、結婚とかで変わるのは嫌


(……うん。そういうことよね。シンプルな話だわ)


 杯を置いた。小さな音が、静かな場に響いた。


「ヴォルク卿」


 燭台の火が揺れた。窓の外から夜風が入ったのだ。黒髪が少しだけ動いた。


(あ、今の風、タイミングいいわね)

「は、はい」

「あなたは、とても気が利くわね」


 ヴォルク卿がたじろいだ。褒められたのか皮肉なのか判断がつかないって表情。お父様のお手紙のお返事にはお礼を、の対面バージョンってだけなのだけど。


「こんな大切なお話を、あなたご自身のお口から仰るのね。あなたのお国は、よほどあなたを信頼していらっしゃるのね」


 ヴォルク卿の顔が白くなった。一瞬だけ。あ。なんか刺さった?

(皮肉じゃないわよ。でも褒めてもいない。前置きよ)


「わたしが誰とお茶を飲むかは、わたしが決めるわ」


 思ったことをそのまま言った。


「それは、あなたにも、あなたの国にも、誰にも差し出すつもりのないものなの」

(だってわたしのお茶の時間でしょう?当たり前じゃない)


「でも……東方のお方と共にお茶を楽しむ日があっても良いかもしれないわね」

(まあ、この人が失礼なだけで東方が嫌いなわけじゃないし。お茶くらいならいいかなと思って)


 ヴォルク卿の目を見た。なんかちょっと疲れた目をしていた。


「もっとも……茶葉選びからこだわりそうなあなたには、わたしとのお茶はどう楽しめるか分からないけれど」

(だってこの人、なんか細かそうな顔してるもの。きっとお茶の淹れ方とか温度とか茶器とか、全部自分で決めたいタイプよね。わたしのお茶なんて、エルに淹れてもらってぼーっと飲んでるだけだし)


 にっこり笑った。

 ヴォルク卿の顔が白くなっていた。


(……あれ。そんなに怖かった? 普通のことしか言ってないんだけど)



 晩餐が終わった。


 フェリクスが廊下で声をかけてきた。


「見黒様」

「あら、フェリクス。お疲れさま」


 フェリクスが少し言いにくそうに切り出した。


「先ほどの件。……ありがとうございます」

(先ほどの件?)

「何のことかしら?」

「婚姻の提案を、あのように退けていただいて」

(あー、あれか)

「退けた、というか……わたしが結婚したくないだけよ」


 フェリクスがなんか難しいことを気にしていたみたいだけど、結局は少し笑っていつもどおりの表情になってた。


(フェリクス、なんかほっとした顔してる。あの人もあの提案嫌だったのかしら。まあそうよね、いきなり結婚しろって言われても困るわよね)



 部屋に戻った。

 エルが聞いた。


「見黒様。本日のお言葉、見事でございました」

「そうかしら」

(エルはなんでも褒めてくれるからな〜。まぁおかげでいい気分ではあるけど!)


 エルが少し間を置いた。


「『お茶を飲む相手はわたしが決める』……あのお言葉は、宮廷の歴史に残るかと」

(大げさなのよね、この子は)


 鏡の前に立った。十七歳の自分を見た。


(……ちょっと大人っぽくなったわね。髪がさらに伸びた。もう腰を超えてる。座ると床につく。切るつもりはないけど)


 窓の外を見た。


(今日のわたし、なかなか格好良かったと思う。「もっとも……」で始まるセリフってかっこいいよね〜!)


 本を開いた。

 悪くない一日だった。

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