3 ケモ化とキノコ
——朝。
起きたら、犬耳と尻尾が生えていた件について。
「…………ナニコレ? ふっさふさー」
自らの頭にピョコンと飛び出たふわっふわなイヌ耳と、腰からポンっと飛び出た尻尾をわっさわっさとモフるヒューイ。
「きゃぁぁぁ! ヒューイさん可愛いですっ。姿絵に残したいのになんで私、魔道具持ってないんですかぁぁ!? モフらせてぇぇぇ!!」
「あいや、アステルや。落ち着け!」
興奮して手がつけられなくなったアステルを失礼にならない程度の羽交い締めにすることで、ヒューイへの激突を回避したフェル。姿絵残しの魔道具ならおそらく教官が持っているはずと呟くと。
「教官を叩き起こしてきますね!」
彼女らしからぬアクティブさで行動を開始した。
「…………どうしようフェル君。アステルちゃんがすんごくコワイんだけど」
「安心せぇ、ワシも同感じゃ」
寝ているアルにどさくさに紛れて技とか掛けているアステルを眺めつつ、ヒューイとフェルは呆然としていた。
「あー、もう。朝からなんの騒ぎっすかぁ……って、ヒューイさんどうしたんすかその耳と尻尾!」
騒ぎにつられて起き出したローレンツは最初、不機嫌さを隠しもしなかったのだがヒューイの耳と尻尾を指差して笑い出す。
「………………雪うさぎ、が、子犬になった…………きゅぅ」
反対に脳の処理が追いつかなくなったのかテオドールはバタリと倒れ伏した。
「全く貴様ら、朝っぱらからなんの騒ぎだ!?」
日課の筋トレから帰ってきたエルンストまでやってきて、収集がつかなくなった。
*
「朝起きたらこうなってた。原因はわからない――と、そういう事なんだな?」
いろんな場所に青アザを作ったアルが改めて確認するも、事態解明は全く進まない。その間、アステルはパシャパシャと一人ヒューイ撮影会に没頭していた。最初こそサービスで笑顔を浮かべたりしていたヒューイも、飽きて来たのかうんざり気味である。
「つーかアステル。一応、その魔道具借り物というか……報告書用に使うやつだからな?」
アルが釘をさすも、パシャパシャという音は一定の速度で鳴り続けている。……アステルさん、全く聞いちゃいない。
「アステルよ。今のヒューイの何がお主の琴線に触れたんじゃ……?」
フェルの疑問の声で、ようやっと記録音が止んだ。
「普段からかわいい魔王様がイヌ耳と尻尾でケモナーですよ!? 興奮するなと言う方がおかしいんです!!」
それに私、実はモフラーなんですよね! とか言い出すアステル
「魔王でケモナーならワガハイがいるではないか! モフるならワガハイを……!」
「ノーチェさんはケモナーというよりは猫さんって感じなので、ノーサンキューです」
モフれるほどフカフカじゃありませんし……と、返ってきた返事は非情だった。
「なぬっ!?」
普段から猫の姿でいることが多いことが仇となった形だ。ガクリと崩れ落ちるノーチェ。
アステルに好かれれば美味しいお菓子がたくさん食べられると思っているノーチェは彼女からの好感度には敏感なのである。ライバルであるヒューイへの好感度が上がってしまうのも許せないらしい。
「アステルちゃんのそれってモフラーというより、イヌラーって言った方が正しいんじゃないっすかね……」
一般的にモフれるほどフカフカなのはイヌに多いがゆえのローレンツのツッコミ。
「——で、心当たりは無いのか? 一昨日、独断行動中に怪しげなものや、正体不明な物を口にしたとか」
「特には。……あ、おいしそーなキノコなら食べたよ!」
はずんだ声で答えたヒューイにエルンストとアルは確信した。
「それだな」
「間違いないだろう。キノコはやばい」
冒険者時代に辛酸を舐めたからな、とアルは続けた。
「キノコも色々あるからニャー」
「そういや森で暮らしてた頃の主食だったって、いつか言ってたな」
「うむ。最終的に栽培して増やしていたのだが、何処ぞの学生どもに食い尽くされてしまったのだ……」
あの時の恨み忘れてないのにゃとノーチェがヒューイたちを見た。が、彼らには身に覚えがなく首をひねるばかりである。
「……あっ、もしかしてあの時の高級キノコ!」
最初に気づいたのはアステルだった。そう、確かノーチェと遭遇する前日に高級キノコの群生地を見つけたのではなかったか。
「まさか……あの時みんなで美味しく頂いたキノコって、ノーチェが自家栽培してたやつだったりする、の……?」
ヒューイがぎぎぎいっと、黒猫の方へと顔をむけるとはたして――
「そ の 通 り だ にゃ。……あそこまで増やすのにどれだけ苦労したことか! 思い出したら何か腹が立ってきたにゃ……」
ノーチェの怒りに魔力が呼応して黒いモヤモヤが辺りを漂い始めた。
「食べられるキノコの選別からはじめて、栽培に適した場所を探して……何度も何度も何度も何度も失敗して数年がかりでやっとあそこまで育て上げた群生地が一晩で……」
「た、たべもののうらみはオソロシイヨネー……」
ただならぬ様子にヒューイの頬を冷や汗が伝う。幸か不幸かノーチェの気持ちが一番理解できるのは原因である彼であった。
「ちょ、これヤバくないっすか!?」
「魔王とまた戦う羽目になるとは心が躍るな!」
「こらエルンスト! お前のバトルジャンキーに俺たちを巻き込むんじゃないっ! ……なぁ、俺帰ってもいい?」
「どこに帰るというんじゃ、教官よ。……アステル、彼女の気を引けるような菓子の持ち合わせは?」
「さっきからクッキーをチラつかせてはいるんですけど……ダメです! 目に入ってないみたいです!!」
よほど恨みが深かったのか、ノーチェから発せられるどす黒いオーラは増加の一途を辿っている。伝家の宝刀であるお菓子でも釣れないとなると、戦闘は避けられないかもしれない。
だが朝っぱらからこんな旅人の往来がある街道脇で魔王とドンパチする訳にはいかない。ヒューイは最後の説得を試みた。
「ねーねー、ノーチェさんや」
「——キノコ泥棒滅すべし」
ダメだった。取りつく島もなかった。
「み、みんな戦闘準備ぃーー!!」
ノーチェからなんかヤバイ波動が放たれたのは、ヒューイの掛け声と同時だった。
「ぎゃぁぁぁぁー!」
まず最初に脱落したのは、未だに気絶中だったテオドールと、心の準備ができていなかったローレンツである。ノーチェの放った衝撃波に吹き飛ばされた二人の姿は森の奥へと消えていった。
「クソっ、貴重な戦力と盾が!」
「……教官にあるまじき発言じゃなぁ」
「教官である前に一人の人間なんだよ!」
自分の命、大事。
「せめて『俺の生徒に手を出すな』くらいの台詞は——ないのぅ」
「教官ですもんね」
「……うぐぐ。これはこれで傷付くなぁぁ!」
生徒たちの蔑みの視線でやっと自分の言動の酷さに気がついたアルであったが、手遅れであった。信頼度はゼロを超えてマイナスである。
「わーったよ、やるよ。真面目にやれば良いんだろ!?」
両手にナイフを構え、やや捨て鉢に言い放ったアルの前方では。
「ククク。前回は全く歯が立たなかったが、この半年の修行の成果を見せる時だ!」
「んー、なんかしっぽが邪魔ー……バランスが取りづらいよぅ」
ヤル気に満ち溢れてバーサク状態のエルンストに、普段とは違うもっさり具合に戸惑うヒューイがいた。不安げに揺れる尻尾がその心情を如実に表している。だが——
「キノコ、ウラミ、ハラサデカ……」
目の前にはキレッキレなノーチェさんのお姿。たぶん魔王さまからは逃げられない。
「行くぞ! てやああ!!」
一番に動き出したのはヤル気満々のエルンスト。牽制に放たれた何発もの影魔術をかいくぐり、ノーチェに肉薄する。そして下方からの振り上げ。
——キィン。
固い金属同士の衝突音。エルンストの剣とノーチェの長くなった爪がぶつかった音だ。華奢に見えるノーチェだが見た目に似合わずその力は強い。ギリギリと鍔迫り合いをしているが、両手剣のエルンストに対してノーチェが使っているのは片腕のみ。明らかにエルンストの部が悪い。
「クッ、力でもまだ及ばないか……!」
悔しそうに唇を噛みしめる。
「いやいや、たかだか数ヶ月努力したくらいで魔王倒せるんなら、今ごろその辺勇者だらけになってるからな!?」
ツッコミつつアルがナイフを振るうが、空いた腕で軽く薙ぎ払われ弾かれた。
「正面からの切り結びとか苦手だってぇのに!」
だが攻撃が通らないのは百も承知だ。もともとアルはパワーファイターではない。彼の狙いは——ノーチェの手を一時的に塞ぐこと。それさえできれば、現存の最大火力が何とかするだろうという他力本願。アルは自身を含めたメンバーの実力を正確に把握していた。
「いっくよー!」
アルの期待通り、ノーチェの背後に回った最大火力であるヒューイの声が響き渡る。
「吹っ飛ばーす!」
必死にノーチェの気をひくアルやエルンストの様子など気にする事なく、ヒューイは「てーい!」と軽い調子でノーチェに武技を叩き込んだ。なすすべもなく吹っ飛ぶ彼女含めた3人。
「キーノーコー!」
「何で俺までぇぇ!?」
「……クッ、まだまだ修行が足りないか」
彼らは思い思いの叫びを残しつつお空に消えていったのであった。
「ふう。いい汗かいたね!」
尻尾をブンブンと左右に振りつつ額の汗を拭うヒューイ。
「……ノーチェさん正気に戻って帰って来ると良いんですけど……」
「あの様子では望み薄じゃが……」
吹っ飛ばされている最中でもハイライトが戻ってなかったのが確認できたので、正気に戻っているとは考えづらい。
「っていうか、そもそもどうやったらあのノーチェを正気に戻せるのカナ?」
「お菓子じゃムリでした……」
「いっそのこと満足するまでキノコを食べさせるというのも手かもしれんのぅ」
「うーん。問題はどんなキノコならお眼鏡に叶うかって事だよね」
そもそもの発端を考えると彼女の怒りを鎮めるためには高級キノコを捧げる以外にあるまいが、都合よく近場に生えているとは思えない。
「……ふむ。これはもう徹底抗戦しかあるまいか」
「ストレス解消って意味ではキノコ三昧よりかはマシだろうけど、たぶんこっちが保たないよ?」
唯一ノーチェと渡り合えるヒューイだが、彼は彼女に比べて圧倒的に体力が足りない。長期戦になれば確実に負ける。
「——あっ。使い魔契約で何とかできたりは……?」
ふと思い至ったアステルの案に「……あ、それな!」という表情になるヒューイ。そういえばそんなモノもあった。しかも主人の方が強い本契約済み。魔王が相手でも十分に勝算はある。
「とりあえず『正気になぁれっ☆』って命令したら元に戻るかな?」
「そこはヒューイ次第じゃろう。命令するのはあくまでもお主だからの」
「うむむ……責任重大だね」
そんな話し合いの最中、森が揺れた。ちょうどノーチェ達が吹っ飛んでいった方角から聞こえる爆音。それがだんだんと近付いて来ている。
「……これ、もしかしなくてもノーチェさんですよね」
「……ですよねー」
「……じゃのう。ではヒューイ、後は頼む」
そうして現れた彼女は。
「キーノーコーォォ!」
なんか色々とダメな感じだった。主として命令しても跳ね除けられそうなくらいには。
「ノ、ノーチェ! 正気になぁれっ☆」
一か八か。声に魔力を乗せるという高等テクニックを駆使しての命令。側から見ればコメディチックな状況ではあるが、当事者からすると命がかかっている。その結果は果たして——
「き、キノコを……よこす、のだ……」
「その執念はどこから来てるのさ」
多少は効いているらしい命令。カタコトではなくなったが、まだ正気に戻ったとは言い難い。
「ワガハイ知ってる。貴様の影収納に、うちのキノコ盛りだくさん……」
ノーチェの言葉にヒューイへと集まる視線。皆ジト目だった。
「こ、こないだの長期休暇にキノコ狩りしたんだよネ……魔の森で」
「……ノーチェさんに返してあげてください」
「………………はい」
そうしてヒューイが所持していた全てのキノコを奉納することでなんとか魔王の怒りは収まったのだった。
ヒューイに生えた尻尾とケモミミに関してはヘールズ到着前日に何の前触れもなく引っ込み、アステルがたいそう落ち込んだそうな。




