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29.だからエルちゃんが大好き

 意識を失い、倒れ込んだニーナをエルフィリアは見下ろしていた。

 ニーナから見ればエルフィリアは終始余裕そうに立ち回っていたように見えたかもしれないが……実は割とぎりぎりだ。

 というのも、『内側』で魂の融合魔法に抗いながら『外側』で戦況に応じた魔法を行使する。それが思いのほか、エルフィリアの魂に激しい負荷をかけていた。

 もう限界が近い。

 本当なら、今すぐにでも魂の融合魔法を完全に打ち消して、エルフィリアとクロムという二つの存在に戻らなくてはいけない。

 だが、まだ最後にやるべきことがある。


『……エルちゃん、ニーナを殺すの?』


 自分の中で、クロムが言う。

 頭に響く声とも違う。魂の繋がりによってクロムがなにを伝えたいのかがわかるような……とにかく、言葉では言い表せない感覚だ。

 気を失ったニーナのそばにしゃがみ込んで、エルフィリアはその頭の上に手をかざした。


『……エルちゃん?』


「ニーナの魂に、反魔法を仕込んでおくのです。一定以下の威力の魔法はすべて無効化して、その一定を超えた魔法も、その一定分だけ威力が減衰する。そんな自立式の反魔法を」


 反魔法と一口に言っても、実は種類が二つある。

 一つが、特定の魔法のみを無効化する手動式の反魔法。エルフィリアがよく使うのはこれだ。魔力消費量が少なく、そして効果も非常に高い。

 そしてもう一つが、自動的に魔法を打ち消す自立式の反魔法である。

 反魔法は魔力消費が少なく、その割に高度な技術を必要とすることで有名な魔法だが、それは前者の手動式のみでの話だ。こちらの自立式はむしろ普通の魔法を遥かに超えて魔力効率が悪い。

 反魔法を他のものに付与する場合、自立式しか付与できない。かつてクロムが封印されていた地下へ繋がる出入り口を塞ぐ壁に付与されていた反魔法も、その自立式である。


「今の私が使う術式は力を抑えられたニーナに打ち破れるようなものではないのです。これでニーナの魔法の力は、ちょっと優秀な魔法使い程度になる。そうすれば、今回みたいなことはもう絶対にできなくなるのですよ」


『……ニーナを殺さないの?』


「まぁ……これでも一応クラスメイトなのです。本を一緒に探してくれたり、クロムの面倒を見てくれた恩もあるのです。理由なんてそれだけなのですよ」


『わたしもエルちゃんも、殺されかけたのに?』


「それを言ったら私だってお前を殺そうと考えたことがあったのです。ニーナにももしかしたら……私みたいになんの力もなく、ただ考えるだけの時間が必要かもしれないと思うのです」


『お人好しだね』


「そういうクロムは殺したかったのです? ニーナのこと」


『ううん。今後エルちゃんに危害を加えようとしないなら、別に』


「その辺は徹底しておくのです。私やクロムに悪意を向けようとしたときだけ反魔法の効果が高くなるよう術式を組み込んでおくのですよ」


『そんなことできるの?』


「今の私ならできるのです」


 幸い、魂の融合魔法のおかげで『心』の術式も少しだが知ることができた。

 それを直接いじることはできないが、その『心』の動きに呼応するような術式を編むくらいのことはできる。

 無論、そんな反魔法を仕込んだところで魔法以外の手段でならニーナにも二人に危害を加えられてしまうのだが……その場合、ニーナが魔法を使えないことに対し、エルフィリアとクロムは存分に使えるのである。

 よほど姑息な手を使われない限り、二人が警戒さえしていればそう危険はないだろう。


「……よし。できたのです」


『学園には今回のこと、報告するの?』


「報告というか、たぶんもう気づかれてるのです。ニーナが派手に魔法を使いすぎなのですよ。だからさっさとニーナを抱えて逃げるのです。魂の融合の解除はその後なのです」


 とは言え、宙空に漂う魔力の残滓を解析すれば、それがニーナの物であるということはすぐにわかってしまう。

 エルフィリアやクロムも魔法を使ったので、ぶっちゃけ二人ともあとで事情聴取されることは間違いない。それはもう防ぎようのない事実だ。

 ただ、その前に口裏を合わせておく必要がある。なにせ、やましいことがあるのはニーナだけではないのだから。

 魂の融合魔法の存在を口外するわけにはいかない。クロムが魔王の器で、七年前の戦争の中心にいたことなんて知られるわけにはいかない。


「……もう、大分魂の融合魔法への反魔法維持がきついのです。クロム、さっさと移動するのですよ」


『うん』


 クロムの魔力を借り受けて、魔法による身体能力強化を発動する。

 ニーナを抱えて旧魔王城を跳び下りると、少し遠回りするような形で街へと向かう。

 魂の融合魔法は、その道中で解除した。

 元に戻れず徐々に『心』が失われてしまっていくという可能性も若干考慮していたが、エルフィリアとクロムという一つ一つの存在に問題なく戻ることができた。

 ひとまずはこれで、一件落着と言ったところだろうか。




 ニーナに連れ去られて殺されかけるとかいう散々な目に遭ってから、早一週間が経つ。


『……わかりました。全部言う通りにします』


 あの後、目覚めたニーナはなぜか妙にしおらしく、エルフィリアの要求はすべて受け入れてくれた。

 そんな彼女の態度にエルフィリアもクロムもちょっとばかり不信感を抱いたものだが……今のところ、大した変化はない。本当に彼女は約束はすべて守ってくれているようである。


「……またなのですか」


 朝。目が覚めて布団の中を見れば、やはりクロムが潜り込んできていた。

 すやすやと。実に憎らしいくらい幸せそうに眠っている。


(今日からまた学校なのですけど……こいつ本当にそれわかってんですかね?)


 あの散々な日の後日、当然三人は立入禁止区域である旧魔王城に残っていた魔力の痕跡について、学園から事情聴取を受けた。

 その時にはとっくに口裏を合わせていたわけなのだが、その内容は大体ニーナが悪いという感じにまとめた。

 無論、魔王の器だとかクロムとニーナが魔族だとか、そういう世間的にやばいことはすべて包み隠しにして。

 しかしニーナはそもそも主席入学者である上に授業態度も真面目と先生の評価も厚い優等生である。

 ニーナ本人も口裏を合わせた話を肯定してはいたが、あまりに胡散臭すぎたのだろう。

 最終的に、エルフィリアもクロムもニーナもまとめて一週間の謹慎処分という形で落ちついた。

 とは言え、たかが謹慎だけで済んでよかったとも言える。下手したら退学処分だってありえたのだ。

 それがなかったのは、おそらく学園長である賢者リーゼロッテがクロムの事情を知っていたことが大きいだろう。

 場所が旧魔王城ということもあり、今回の騒ぎが魔族絡みであることに彼女はきっとすぐに気がついた。

 ひとまず口外はしていないようだが……ニーナが魔族であるということも、リーゼロッテだけは言わずともすでに把握していると見ていいだろう。

 こうなったらもう、ニーナの賢者暗殺計画など絶対に成功しない。そして内側に自立式の反魔法を仕込まれている彼女は、クロムを攫うこともできない。

 ただ、人間のふりをして密やかに生きていく。それくらいのことしか彼女にはもうできないのである。

 人間を恨んでいたニーナにとって、あるいはそれは死ぬことよりも残酷なことかもしれないが……まぁ、そんなことはエルフィリアの知ったことではない。後のことは勝手に自分で決めろって感じだ。

 閑話休題。

 今日はその謹慎処分がちょうど解けて、久しぶりの学校に通う日であった。


(……む、むぅ)


 クロムの寝顔を眺めていると、ふっとその唇に視線が行ってしまう。

 思い出すのはやはり、魂の融合魔法の発動条件を整えるために、彼女が口づけをしてきた時のこと。


(こ、こいつあの時……し、しし、舌入れてきてたのですよっ。い、いくら互いに体液を交換する必要があったからって……まあ口の中鉄の味ばっかでなんも感触とかわかんなかったのですけど……)


 まさしく瀕死の状態だったのだから記憶や感覚が曖昧だったことはしかたがない。

 しかし逆に言えば、普通の状態だったクロムはそれらがはっきりしているということではないだろうか?


(なんか、それ、ずるいような……い、いや、ずるいって別に変な意味じゃなくてですねっ!? うぅ……というか、なんで私がこんなに悩まないといけないのです! 私はなにも悪くないじゃないですかっ!)


 悪いのは誰かと言われたら、まあ元を辿ればニーナだろう。

 でも口づけなんてことをしてきたのはクロムなので、エルフィリアはクロムも悪いことにする。

 悪いやつにはお仕置きだということで、ぐにぐにと頬を引っ張りまくってみた。

 若干寝苦しそうだったが良い気味である。おかげで徐々にエルフィリアの気が晴れていく。


「んぅ……エル、ちゃん?」


「ちっ、起きやがったのです」


「じゃあ寝てる。すやー」


「いや起きろなのです」


「むぅ。だって起きちゃダメって……」


 そんなことは言っていない。起きたことに文句を言っただけで。


「今日からまた学校なのです。あんまり怠けてちゃダメなのです。とりあえず朝ご飯を作ってくるので、作り終わる前くらいには来るのですよ」


「あ。一緒に行く」


 台所に向かうエルフィリアの後ろに、とてとてとクロムも続く。

 いつもはエルフィリアが朝ご飯を作っている最中に起きてくるので、最初からついてくることはちょっと珍しい。まあ、エルフィリアがいたずらしていて早く起きてしまったからなのだが。

 いつも通り朝食を作り、二人でテーブルを囲む。

 それが終われば身だしなみを整え、鞄を持って、一緒に玄関を出て学園へ。


「ニーナ、学園来るかな」


 登校中、クロムが小首を傾げて呟いた。

 リーゼロッテと図書館で遭遇した時、彼女は自分がクロムの正体を知っていることを仄めかしていた。最初から知っていながら学園への入学を許していたのである。その時点で予想できていたことだが、どうもリーゼロッテは魔族という存在にあまり偏見を持っていないらしい。

 そのためか、リーゼロッテに魔族であることが十中八九ばれているニーナも、一応まだ学園に籍を置くことができている。

 しかし籍を置いているからと言って、また学園に来るかどうかは話が別だ。

 実のところ、ニーナには学園に通うメリットがまったくない。

 今のニーナにクロムを捕まえたり、賢者を暗殺できる力はない。そして三次元術式をも自在に操る魔法力を持つ彼女にとって、学園で習う未熟な人間の術式なぞお遊びにも等しいものだろう。

 賢者に正体がばれている時点で居場所も補足されているだろうから、姿を完全にくらますことは無理だろうが……学園を自らやめる選択くらいは容易に取れる。


「そんなの私の知ったことじゃないのです」


 ニーナが来るかどうか。そんなクロムの疑問をエルフィリアは軽く突っぱねる。

 多少は恩があり、情もあったので見逃しはしたが、それだけだ。殺されかけた事実に変わりはない。

 来ないなら来ないで別にいいし、来るなら来るで……まあ、その時はその時である。


「あ」


 ふと、クロムが声を上げる。

 どうかしたのかと、そう問いかけるより先に、エルフィリアは急に後ろから誰かに抱きすくめられた。


「エールフィリアちゃーん」


「ちょ、な、なんなのですっ? って、この声は……」


 噂をすればなんとやら。

 若干強引に振り払って後ろを振り向けば、予想通りの顔がそこにある。

 ニーナベルティ・レインベリア。つい一週間前、エルフィリアとクロムの二人を殺しかけた張本人が、かつてと同じ人の良い笑顔を浮かべてそこにいた。


「……急になにするのです? ニーナ」


 少し、言葉に棘が含まれてしまうのもしかたがないことだろう。

 見逃したと言っても、確執がなくなったわけではない。

 クロムもかなり警戒しているようで、いつでもファイアボルトの魔法を使えるように右手に魔力を集めていた。

 そんな二人の様子を見て、ニーナは少し困ったような表情になって両手を上げた。


「えっとね、今の私はあなたたちに危害を加えるつもりはないわ。その力もない。それはエルフィリアちゃんたちがよくわかっているはずでしょう?」


「……エルちゃんが封じたのは魔法だけ。刃物でも使えば簡単に傷はつけられる」


「せっかく助けてもらったのに、そんなことしたら今度こそ本当に私が殺されちゃうわ。それにそのつもりなら、今の抱きしめる時にでも刺せたはずよ。そうじゃない?」


「む、むぅ……でも……」


「クロム。いいのです。その右手の魔力も収めるのですよ」


「……エルちゃんがそう言うなら」


 しぶしぶと言った様子でクロムが引き下がる。


「で、なんの用なのです? ニーナ。あんなことがあって、よく平気で話しかけられたものなのですよ」


 棘のある口調でそう言うと、ニーナは申しわけなさそうに顔を伏せた。


「あの日のことは……私がすべて悪かったわ。責任を取れというのなら、私にできることならなんでもするつもり」


 一週間前、気絶から目覚めた時もそうだったが、やはり嫌にしおらしい。

 ニーナのポーカーフェイスは完璧だ。エルフィリアとクロムはその企みに気づくどころか、ニーナが怪しいとすら思っていなかった。

 だから、このニーナの態度が本当なのか嘘なのか、なにかまた企んでいるのか。それを判断することはエルフィリアにはできない。


「この目をえぐり取って差し出せというのならそうするわ。私の正体を皆に知らせろというのならそうするわ。あなたが死ねというのなら、私は自ら命を絶ちましょう」


「…………」


 ただ、なんとなく、あの夜のニーナとは少し違うような、そんな感覚は確かにある。

 だから、少しくらいは信じてみてもいい気がしていた。

 そしてその前に、いくつか聞いておかなければいけないことがある。


「別にそんなんしなくていいのです。そんなことよりニーナ、ちょっと質問に答えてくれるのです?」


「ええ。なんだって答えましょう」


「……なんで学園にまだ通うことにしたのです?」


 ニーナが身につけているのは、エルフィリアやクロムと同じミスラテイル学園の制服だ。

 それはつまり、彼女にとって大したメリットのない学園に、彼女がまだ通うことにした証明である。

 ニーナはその質問に「んー」と少し考えるような仕草をした後、エルフィリアを見て微笑んだ。


「エルフィリアちゃんがいるからかしら、ね」


「はあ。なんで私がいると通う気になるのです。また攫うつもりなのです?」


「そんなことはもうしないわ。エルフィリアちゃんがいるからっていうのは……そうね。エルフィリアちゃんのたどる未来を見てみたいからなの」


 要領を得ない回答。

 わけがわからず首を傾げるエルフィリアに、ニーナは続けた。


「あの夜……私はエルフィリアちゃんとクロムちゃんに負けたわ。そしてその時私は、神にも等しき……いえ。神すら創り出せる始祖の力。それをエルフィリアちゃんの中から感じたの」


「始祖って、大げさなのです」


「ううん、大げさでもなんでもない……それからね、私は確信したの。エルフィリアちゃんは必ず、いずれ世界を大きく変えるすごい魔法使いになるって。私はそれを見てみたい」


 そう語るニーナの表情は真剣で、嘘や冗談なんて微塵も窺えない。


「……恨んでないのです? 私のこと」


「恨む? どうして?」


「私はニーナの魂に反魔法の術式を刻んだのです。魔法が前と比べてうまく使えなくなってること、当然気づいてるですよね?」


 ニーナは本来、転移の立体魔法陣を片手に展開しながら十を超える上級魔法を行使する腕を持っている。

 しかし今の彼女には逆立ちしてもそんなことはできない。せいぜい上級魔法をニつ程度、同時展開することが限度だろう。ましてや転移の魔法を個人で展開するなんて規格外なこと、できるはずもない。

 それでも優秀な魔法使いではある。だが、しょせんただの優秀だ。

 かつてのような賢者にも匹敵し得る魔法の力は、彼女にはもうない。

 あれほどの魔法の腕は容易に身につけられるものではない。そのほとんどを無に帰すような術式を、エルフィリアはニーナの内側に刻んだ。


「私に愛想よくして近づいたって……今の私にはもう、ニーナの中の反魔法を解く力なんてないのですよ。もしもそれが目的なら、さっさと諦めた方が懸、命……」


 ニーナが自分に近づいてくる理由の一つを推察し、そう釘を差そうとしたのだが、その言葉は途中で止まってしまった。

 というのも、ニーナの様子がおかしい。


「うふ、うふふ……え、エルフィリアちゃんの術式が私の中に……ふふ、ふふふ……」


(……なんで笑ってんのです、こいつ……)


 両手を頬に当てて、その頬も少し興奮しているかのように紅潮している。そんなニーナの様子にエルフィリアは内心ドン引きしていた。

 もう質問とかどうでもいいので他人のふりをしてこの場を去りたいと思いかけたところで、はっとしたニーナが両手をぶんぶんと振って慌てて取り繕い始める。


「あっ。や、その、う、恨んでなんかないわっ。むしろしかたがないというか、これくらいで済ませてもらって感謝してるくらい」


「はあ、そうなのですか」


「……その、エルフィリアちゃん。私はね、ずっと人間を恨んで生きてきたの」


 少し言いにくそうにしながら、ニーナが自分のことを話し出す。

 往来の中で話すようなことでもないので、人気のない路地に三人で入っていってから、その続きを催促する。


「ずっと昔、まだ私が小さかった頃……父様は人間たちから私を守って死んだわ。ただひっそりと暮らしていただけだったのに、魔族だって言うだけで……エルフィリアちゃんなら知ってるでしょう? 魔族はね、殺したって罪にはならないの。むしろよくやったって褒められるのよ、人間の世界では」


「……そうですね」


 一瞬、エルフィリアはクロムに視線を向けた。

 クロムもまたニーナと同じ魔族だ。しかも七年前の戦争の中心にした魔王の器。

 その存在が知れれば、数え切れないほど多くの人間から殺意と敵意を向けられ、抹殺されかねない。


「父様が亡くなってから母様は変わってしまった。人間を恨んで、憎んで……」


「だからニーナも?」


「私は……私はただ、あの頃と……父様と母様が笑って、そこに私も一緒にいる、ただそれだけの日常が続いてくれればよかったの。それを取り戻したくて、魔法ならそれができるかもって……」


 それは、いつかのエルフィリアと似た望み。

 かつて過ぎ去った、理不尽に奪われてしまった大切な日々。もう取り戻せないと頭ではわかっているのに、それをどうしても心が認め切れなくて、希望を探さずにはいられない。


「私には魔法の才能があったわ。でも……だからこそ、わかるのよ。魔法を知れば知るほど、私の願いは叶わないものなんだって突きつけられる。父様がいなくなって、母様が変わって……私は一人でずっとそんな無力感に苛まれ続けて。それでね……諦めてしまったの」


「諦めた、のです?」


「かつての日常を取り戻すことを、ね」


 エルフィリアと同じ望み。だが、そこがきっと分岐点だった。

 エルフィリアは諦める前に、クロムが救ってくれた。

 だけどニーナはそんな人がいなかったのだ。

 ただ変わり果てた日々の果てに、幸せだった記憶のすべてを捨てた。


「諦めて、それで、私も母様と同じように人間を憎んだ。人間を滅ぼす、そのためだけに生きるようになった。本当に叶えたかった、でも叶えられなかった願いを忘れて、ただそれだけを……」


 ……もしかすればエルフィリアも、ニーナと同じようになっていた未来があったのかもしれない。

 同じ望みの果て。すべてを諦めてしまった先で、ただ魔族を憎んで滅ぼすためだけに魔法を研究する。そんな未来もあったのかもしれない。

 隣にいるクロムの手をぎゅっと握る。クロムは少し驚いたようにエルフィリアを見上げたが、手を離すことはしなかった。


「……でも」


 そんなエルフィリアとニーナの二人を交互に見て、ニーナは少しだけ悲しそうな、今まで一度も見たことがない笑顔で、言う。


「でも、思い出したの。あの夜の、お互いを守ろうとするあなたとクロムちゃんを見て。父様が生きていた頃……幸せだった、心の底から取り戻したかった過去を」


「……ニーナ」


「本音を言うとね、私はまだ人間が憎い。特に、幸せそうに笑ってる親子なんて見ると、それを壊したくなるわ。お前たちは私の幸せを奪ったのに、って」


「…………」


「でも、もしかしたらあなたなら……エルフィリアちゃんなら、こんな世界を変えてくれるかもしれない」


「世界を変える、のです?」


「ええ。エルフィリアちゃん。エルフィリアちゃんは、クロムちゃんのことをどう思ってるかしら?」


「はぁっ? どうって……」


 エルフィリアがちらりとクロムを一瞥すると、こちらを見ていたクロムと視線が合う。

 それが少しこっ恥ずかしくて、エルフィリアはすぐにさっと目線をそらした。


「まあ、その……悪いやつじゃないのです」


「クロムちゃんはどう? エルフィリアちゃんのこと、どう思ってる?」


「どうって……大好き?」


「んぐっ! またお前はそんな恥ずかしいことを平然と……!」


「いらい、いらいよえるひゃん」


 ぐにぐにとクロムの頬を引っ張る。クロムの抗議は完全無視だ。


「うふふ……だからよ。エルフィリアちゃん。あなたたちがそうだから、少しだけ、待ってみようと思ったの」


「はあ? もうちょっとわかりやすく話してくれないです?」


「前にも言ったけど、私はあなたのことを調べさせてもらったわ。だから知っている。あなたが私と似た人生を送ってきたことは」


「……まあ」


 ニーナはエルフィリアの胸を貫き、その死を確信した時、その人生を「くだらない」と評した。

 でもそれは……あるいは、自分自身に向けて言っていたことでもあったのかもしれない。

 叶わない望みを抱き、追いかけた。そんな過去の自分を否定し、人間に復讐しようとする今の自分を肯定するために。


「あなたはいずれ必ず世界を大きく変えるすごい魔法使いになる。そしてその時、世界がどう変わっていくのか……それを私は見極めたい。人間も魔族も関係ない、ただ一人の人として他人を見ることができる、あなたが描く未来を」


「はあ……さっきから言いたかったのですけど、私はそんな大それた存在じゃないのですよ。世界を変えるだなんて、そんなことできるとも思えないのですけど」


「うふふ、そういうのって自覚がないものよ。でも私は確信しているわ。いずれエルフィリアちゃんがそうなるって」


「あいかわらず変なやつなのです。期待に添えなくても文句はなしなのですよ、ニーナ」


「もちろんよ」


 すっ、とエルフィリアは手を差し出す。

 それにニーナは目を丸くして驚いた後、まるで許可を求めるようにエルフィリアとクロムを交互に見た。

 エルフィリアはさっさとしてほしいというような表情をして、クロムはただ、じっとニーナを見据えている。


「……ありがとう」


 そう言ってニーナは、エルフィリアの手を取った。

 殺されかけた事実は、未だ変わりない。だけど、これでひとまずは仲直り。


「さ、長話しすぎたのです。謹慎明けで遅刻するわけにもいかないですし、学園に急ぐのですよ」


「うん」


「そうね」


 学園への道を三人で急ぐ。ニーナが少し先を歩いて、その後ろにエルフィリアとクロムが続いた。

 その途中、クロムがニーナには聞こえないような、エルフィリアだけに聞こえる声で問う。


「これでよかったの?」


「愚問なのです」


 クロムと過ごした日々の中で、エルフィリアは知った。

 人間も魔族も同じだ。その胸の内にある思いも、願いも、心も。

 エルフィリアとて、自分が甘いことはわかっている。

 だけど、この選択に後悔はない。

 かつてはこの甘さのせいでクロムを殺す決断ができなかった。

 だけど、そのおかげで今があると考えることもできる。

 エルフィリアはクロムの真実を知り、クロムはエルフィリアの本当のことを知って、それでもなお、ともに歩むことができる、今。

 だとしたらこの選択もまた、なにか大きく確かな形をなす時が来るかもしれない。


「……だからエルちゃんが大好き」


 そう言って、クロムはエルフィリアの頬にそっと口づけした。

 一瞬エルフィリアの思考が停止したが、すぐに、かぁーと顔が真っ赤に染まる。


「お、おま……! こ、こんな往来で……!」


「家ならいいの?」


「そ、そそそういう問題じゃないのですっ!」


「あら? 二人ともどうかしたの?」


「なんでもないのですっ! ニーナ、さっさと行くのですよ!」


「あ。ま、待ってエルちゃん」


 ニーナの手を取って走り出すと、置いてかれまいと慌ててクロムも駆け出した。

 これからもこんな日々が続くと考えると若干ため息をつきたくなるが……まあでも。

 それもまた、悪い人生でもないかもしれない、とエルフィリアは思った。

短いですが、これにて完結となります。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読み終わりました、素晴らしい百合作品でしたが、少し短くて物足りなさを感じます。エルとクロムの交際の続きがあればいいのにと思います
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