14.賢者様
「その人はたぶん賢者様ね」
図書館からの帰宅途中。ニーナを探している最中に遭遇した出来事と不審者の特徴をエルフィリアが話すと、ニーナはそう断言した。
「賢者なのです……?」
「そう、賢者様。話くらいに聞いたことがないかしら。黄金と蒼銀の入り交じる髪と瞳、そして空恐ろしいほどの美貌を備えた美女……賢者、リーゼロッテ・グラサイト・レヴナンスゼウス」
その名を語るニーナの瞳には、憧憬や対抗心など、さまざまな感情が交錯している。
確かに、ニーナが語るその特徴はエルフィリアが見た不審者の特徴と一致していた。一致してはいるのだが……。
「はぁ……賢者、なのですか……あれが」
ぶっちゃけエルフィリアのリーゼロッテへの印象はかなり悪い。
ぶつかったと思ったら急に脅された挙げ句、わけのわからないことを一方的にまくし立てられて、なんの説明もなく姿をくらまされたのだ。
当然と言えば当然である。
そしてエルフィリアは心の中で悪態をつきまくっていることからして察してあまりあるが、いろいろ根に持つタイプだ。
これまでは賢者という肩書きと存在に対して漠然と畏敬のような感情を抱いていたが、あの不審者がイコールして賢者である事実を知ってしまった今、そんな曖昧な思いは一切合切が死滅してしまった。
代わりに不信感のゲージがマックスだ。
「んー……魔法使いを目指す子なら賢者様には大体憧れるものだと思っていたけど、エルフィリアちゃんは違うの?」
エルフィリアの苦い顔に、ニーナは不思議そうに首を傾げる。
「そりゃ、私だって会う前まで少しは尊敬してたのです。でもそれだけなのですよ。あんなことがあったら、もう尊敬なんてできないのです。それに私は、自分の目で見たことだけを心から信じると決めているのですよ」
「ふふっ。エルフィリアちゃんはかっこいいわねー」
まあ直接見た結果、少しの尊敬さえ余すことなくこぼれ落ちてしまったわけだが。
「……さて、それじゃあ私はこっちだから」
分かれ道に差し掛かるとニーナは足を止め、エルフィリアが進もうとしていた方とは逆の通路へ体を向けた。
「あ、わかったのです。ニーナ、今日は本当にありがとうなのです。またなにかお礼でも考えておくのですよ」
「いいのよお礼なんて。エルフィリアちゃんっていう新しい友達ができたってだけでもじゅうぶんなくらいなんだから」
ニーナはそう言うと、じゃあね、と手を振って足早に去って行った。
お礼のことについて食い下がろうとしたが、ニーナに気を遣わせるだけだと判断し、開きかけた口を閉じる。
それに、もう辺りに夜の帳が降り始めている。こんな時間までニーナを付き合わせてしまったのに、これ以上彼女を拘束しているわけにもいかない。
(お礼をどうするかは、私が適当に考えておけばいい話なのです)
ニーナが視界から完全に消えるまで見送った後、エルフィリアも自らの帰路についた。
家につくと、鍵を取り出して扉の鍵穴にそれを入れる。
しかしその鍵は、帰ってきた時にいつも回している方向には曲がらない。
すでに鍵が開いていたのだ。
そして、この家の合鍵を持っているのはクロムだけだ。
(クロム、先に帰ってたのですね。まあ帰ってなかったらそっちの方が困ったのですよ)
家の中に入り、これまで一人暮らしだったがゆえに少しだけ躊躇したが、「ただいまなのです」と帰宅の挨拶をした。
「……おかえり」
結構遅くなってしまったのでクロムは自室でごろごろしているとも思ったが、案外近くにいた。
廊下の角からひょこっと顔を出したクロムは、心なしか少し……いや、だいぶ恨めしげな顔をしている。
クロムが人だかりで困っているところを二度もスルーしたのだ。
しかもそのうち初めの一回は故意にクロムを一人にして、二度目はクロムを置いて行き場所すら告げずに消えた。
彼女が怒るのも当然と言える。
「わ、悪かったのですよ。その、クロムを置いていって。でもクロムを助けようにも、私も人だかりは苦手だったのです……ずっと家にこもって魔法の研究とかばっかりしてたので……」
あまりの圧力に腰が引きつつも、エルフィリアは謝罪と弁解の言葉を述べた。
それでもクロムは未だエルフィリアを非難するように見つめていたが、しばらくすると、ふっと小さく息をついて、呟いた。
「……ハンバーグ」
「へ?」
「今日は、ハンバーグがいい」
いいよね?
その瞳は言外に、「ハンバーグにするなら今回だけは許してあげる」と告げていた。
「……わかったのですよ。今から頑張って作るのです。少し時間がかかるので、クロムは部屋に戻ってるといいのです」
「嫌」
「は?」
「今日はもうずっと一緒にいる」
「……えっと、つまりどういうことなのです……?」
「言葉通りの意味。次、下手に目を離したら、またエルちゃん一人で逃げちゃうから」
さすがに自分の家でまでクロムから逃げるようなことはエルフィリアもするつもりはないのだが……。
じとーっ、と。クロムの有無を言わさない目線の圧力に、エルフィリアは反射的にこくこくと頷いてしまっていた。
そんなエルフィリアの反応に、クロムも満足そうに口元を緩める。
そしてようやくいつものように、とてとてと親しげに歩み寄ってきた。
「じゃあ、早く台所行こう。お腹いっぱいすいた」
「まあ、作るのはいいですけど、そんなすぐにはできないのですよ?」
「手伝う?」
「料理をなのです? これまでは私一人でやってましたけど、クロムは家事とかやったことあるのです?」
「もちろん」
「……もちろん、ないのですよね?」
「うん。ない」
「はぁ。下手に動かれると私の方が困るので見てるだけでいいのです」
自信満々にもちろんとか言うものだから、少しだけもしかしたらと思ったら、これだ。
ため息をつきながら、エルフィリアはクロムに手を引かれて台所へ足を運んだ。
保管庫から食材を取り出して調理を始める。
そのエルフィリアの様子を、クロムは少し離れたところでそわそわと眺めている。
まだ調理を始めたばかりだというのに、早くできあがったものを食べたくてしかたがないのだろう。
(なんの変哲もない普通のハンバーグなのですけど……)
長い間一人暮らしをしていたから、エルフィリアはそれ相応には家事ができる。でも、それだけだ。
エルフィリアの料理が特別おいしいということはない。
どうせ自分しか食べない料理だったのだ。自分が食べられる程度の出来ならそれだけでよかった。
だというのにクロムは、それが一番のごちそうだとでも言うように、目を輝かせて料理の完成を待っている。
初めて会った時から今に至るまで、エルフィリアは未だにクロムの心を完全に理解できた試しがなかった。
「クロム。これ、イスなのです。立たれてると視界に入った時にいちいち気になって邪魔なのですよ。適当に座ってるといいのです」
「エルちゃんは?」
「座って料理なんて危なっかしくてできないのですよ」
「だったらわたしも」
「立たれてると邪魔だって言ったのが聞こえなかったのです? いいから座ってるのです」
「……わかった。エルちゃん、ありがとう」
「礼を言われることなんてしてないのです」
窓の外はもう真っ暗で、月は空高くに浮かんでいる。
もしも一人だったなら適当な保存食で済ませていたところだ。
とは言え、元魔王なクロムさまがご所望であるならしかたがない。クロムを置いてけぼりにして行ってしまったことはエルフィリアも悪かったと思っていた。なので、ハンバーグくらいはしっかりと作り上げる。
そうして、いつものように二人で席について食事を始めると、話題は自然と学校での話になっていた。
「そういえばクロムは仲のいい友達でもできたのです? 一応今日は別行動でしたけど」
「今日はずっとエルちゃんを探してた」
「へ?」
「人だかりを振り切って、ずっと校舎中エルちゃんを探してた」
エルフィリアがいたのは別館の図書館だ。学園の敷地内ではあるが、校舎の中というわけではない。それではエルフィリアが見つかるはずもなかっただろう。
「そ、それは悪かったのですよ……」
「別にいい。だって、ハンバーグ作ってくれた」
「……本当にハンバーグ程度で許してくれるのです?」
「? ハンバーグはおいしい」
「いやまあそれは否定しないのですけど」
エルフィリアは思う。
(私なら、もしクロムが勝手にいなくなって一日中探してて見つからなかったらこんなもんじゃ絶対許したりしてないのです。クロムって実は案外心が広い……って、そんなわけないのです。単純にハンバーグがすごく好きなだけなのですよ、こいつは)
非常においしそうにもっきゅもきゅと頬張っているクロムの姿を見て、エルフィリアは肩をすくめた。
「エルちゃんは?」
こてん、と首を傾げるクロム。あいかわらず言葉が足りなすぎてイマイチ言葉の意味が伝わらない。
「ハンバーグの味はまあまあなのです」
「そっちじゃなくて、友達」
「ああー……まあ一応一人はできたのですよ。別にできてもできなくてもどっちでもよかったのですけど」
「……そっか」
「それがどうかしたのです?」
「別に」
ふと、クロムが一生懸命エルフィリアを探していた裏で新しい友達と一緒に遊んでいたことを根に持っているかとも思ったが、そういうわけでもないらしい。いや、遊んでなんていなかったが。
あまり不機嫌そうな雰囲気は感じない。少しだけ拗ねているような感じはするけれども、それだけだ。
まあ、それくらいなら放っておいてもいいだろう。黙り込んだクロムを放置し、エルフィリアは食事の手を進めた。
やがて食べ終えて食器の片付けを始めると、自分の食器を持ったクロムも、エルフィリアの後ろをとてとてとついてくる。
「エルちゃん、この後はどうするの?」
「どうするって……食器を洗ったらお風呂に入って、出たら日課の魔法研究をして、キリのいいところで寝るのです。明日も学校ですからね」
「なるほど」
「……?」
宣言通り洗い物をする。これまた世間知らずなクロムが皿などを落としても困るので、エルフィリアが一人でやる。
その間もずっとクロムは、エルフィリアが料理をしていた時に座っていたイスに腰をかけて、なにが楽しいのか、リズムに乗ったように左右に体を揺らしていた。
洗い物も終えるとお風呂にお湯を入れる。
エルフィリアの家の風呂は家の大きさ相応に結構な広さがある。しかし洗い物もそうだったが、水やお湯を高速で生成することができる魔道具を利用しているので、そう時間はかからない。
「……よし。それじゃあお風呂ですけど、クロムはどっちがいいのです?」
「どっちって?」
「先に入りたいか後に入りたいかってことなのですよ」
「よく意味がわからない」
「はあ?」
クロムが居候し始めてからそれなりに日は経っている。お風呂に交互に入るのは毎日のことだ。
それを意味がわからないなどとのたまわれて、逆にエルフィリアの方がもう意味がわからない気持ちだった。
そんなエルフィリアに、クロムは「だって」と自分の言葉を補足する。
「今日はもうずっと一緒にいるって言った。エルちゃんも頷いてくれた」
「……え? あれってもしかして本当にずっとって意味だったのです……? お風呂に入る時も、寝る時も……?」
「当然」
「えぇ……」
予想外な事実に、エルフィリアは心底めんどくさそうな顔をしてしまった。
クロムはエルフィリアに懐いているがゆえに一緒にいたがっているけれども、エルフィリアの方は別にそうでもない。一緒に暮らすことに慣れてはきたが、一緒にいたいと思ったことは一度だってない。
眠っている最中に布団に潜り込まれることは日常茶飯事なので寝る時はまあギリギリよしにするとしても、お風呂という完全にプライベートな空間を急に侵略されることは、エルフィリアにとって好ましいことではなかった。
けれど……クロムはそのつもりで「一緒にいる」と言って、エルフィリアはそれに許可を出した。約束をしてしまった事実には変わりがない。
ずっとエルフィリアを探していたというクロムに後ろめたい気持ちもある。話が違うからと言って、今更約束を違えるわけにもいかないだろう。
「はぁー……わかったのです、わかったのですよ。でも、今日だけなのですよ」
「うん。わかってる」
(ほんとにわかってるのですかねこいつは……)
一度気を許してしまったら、後日またなに食わぬ顔で「一緒に入ろう」と言ってきそうで怖い。というか、そうなってしまう未来が目に見えている気がした。
思わずため息をついてしまいながらも、その時はその時である。
エルフィリアとクロム、それぞれの自室に足を運び、着替えを準備してからお風呂場へ足を運んだ。
「……ふむ。クロム、ちょっとこっちに来るのです」
「んー? うん」
脱衣場。
服を脱ぎ途中だったクロムを手招きして鏡の前におびき寄せると、二人で並んで立ってみた。
(……よし。やっぱり身長私の方がちょっと大きいのです!)
実はニーナに小さいと言われた時からずっとエルフィリアはそのことを気にしていたりした。
一番身近にいるクロムより確かに自分の身長が高いという事実を再確認し、エルフィリアの頬が緩む。
とは言っても三センチ未満の、ほんの小さな違いなのだけれども。
「いいことでもあったの?」
「ふふふ、あったのです。あったのですよ」
「そうなんだ。エルちゃんが嬉しいなら、わたしも嬉しい」
「だったらもっと笑顔でも浮かべるのです。いつも無表情だと友達の一人もできないのですよ」
「笑顔……こう?」
「……いや、変わってないのですよ」
「変わってる。ほらここ、口の端。ちょっとだけ上がってる、はず」
「わかりにくすぎなのです」
たまにどことなく嬉しそうに微笑んでいることはあるので、笑顔を浮かべられないというわけでもないだろう。きっと、ただ単に意識的にそうするのが苦手というだけだ。
笑顔の練習をしだしたクロムを鏡の前から引き剥がすと、浴室に足を踏み入れる。
かつての両親が冒険者としてそれなりに稼いでいたこと、優秀な魔法使いであったこと、そしてエルフィリア自身もまた魔法使いであることから、エルフィリアの家には至るところに生活を楽にするための魔道具が仕込まれている。
浴室もまた例外ではない。ここしか知らないクロムは気づいていないが、実はエルフィリアの家の浴室の機能や便利さは上級貴族のそれに匹敵していた。
「エルちゃんエルちゃん」
「はいはい、なんなのですクロム」
「背中の洗いっこし」
「一人でやってろなのです」
目をきらきらと輝かせたクロムの要求を光の速さで却下する。
妙にエルフィリアに懐いているクロムのことだ。どうせそんなことを言ってくるだろうとは思っていた。
エルフィリアが了承したのは一緒にいることだけである。その先のお願いまで聞いてやる必要はない。
「むぅ……」
クロムは名残惜しそうな目をしていたが、エルフィリアが取り付く島もない態度を取り続けていると、やがて彼女も諦めたようだ。
クロムが肩を落として自分で自分の体を洗い始めたのを横目に、一足早くそれらを終えたエルフィリアは浴槽に体を浸けた。
(気持ちいいのです……今日は半日くらいずっと探しものをしてたですからね。気づかないうちに、だいぶ疲れが溜まってたみたいなのです)
背中を預け、湯気がのぼる天井を見上げる。
今日あった様々なことが頭をよぎっていき、その記憶が最後の方まで来た辺りで、ふと、不可解なことを思い出す。
(……そういえば、ニーナを探してる時に会った、あの賢者っぽい女……去り際に気になることを言っていたのですよ)
なんて言っていたんだったか。目を閉じて深く記憶を探り、その時のことを思い返す。
(確か……一階、北東の角。右手側、四つ目の本棚。下から二段目、右から十二冊目。合言葉は『りんごの木』……でしたっけ?)
注目すべきは本棚というワードだ。
四つ目の本棚、つまりは大量の本棚がある空間ということ。
そうなると十中八九、あの図書館のことに違いない。
(図書館の北東の角、そこから右手側で四つ目の本棚。そこになにかが仕掛けられていて、『りんごの木』という合言葉でそれが解除できるようになっている……ということなのですかね)
あの怪しい女が本当に賢者だとするなら、そういう学園の秘密を知っていてもなんらおかしくはない。
なにせミスラテイル学園の学園長はまさしく賢者その人、リーゼロッテ・グラサイト・レヴナンスゼウスなのだ。
(あの賢者っぽいやつはクロムの正体を知っていたのです。その上で私を見逃した……だとしたら、あんまり危険はないはずなのです。怪しさだけは満点なのですが……そこになにがあるかはわからないのですけど、行ってみる価値はあるかもしれないのです)
そうして考えごとにふけっていると、ふと、なにか柔らかいものが肩に触れる感覚があった。
少しびくりと驚いて横を見ると、同じ浴槽に入っていたクロムがじーっとエルフィリアの顔を見つめていた。
「い、いつの間に入ってたのです? 驚かせるのはやめるのですっ」
「気づかなかったのはエルちゃんの方。わたしはなにもしてない」
そう言ったクロムは、こてん、と可愛らしく首を傾げた。
「それで、なにを考えてたの? エルちゃん」
「なんでもないのです。っていうか近すぎなのですっ。もうちょっと遠くに座るのですよ」
クロムの両肩を掴んで押しのける。クロムはされるがままだった。
「……クロムは、リーゼロッテっていう名前を知ってるのです?」
一瞬の沈黙の後、そんな疑問が口をついて出ていた。
あの時会った賢者と思しき彼女はクロムのことを知っていた。
いや、考えてみれば、それは賢者ならば当たり前のことだ。
七年前の戦争。その戦いで一番活躍したのは賢者その人だったと言われている。だとすれば、元魔王であるクロムと直接顔を合わせていてもおかしくはない。
むしろそうでなくてはおかしいくらいだ。
「りーぜろって? 誰?」
「なんかものすごい怪しい雰囲気の女なのですよ。クロムと同じように左右で目の色が違ってて、髪もメッシュがかかったみたいに二色に分かれてるのです」
「んー……? ……あっ」
最初はまったく心当たりがないという反応をするクロムだったが、なにか思い至ったのか、ふっと声を上げた。
「やっぱり知ってるのですか?」
「確か、わたしを……封印? そう、封印した人、だったはず……」
「クロムを封印した人なのですかっ?」
「うん。えぇと、確か……」
――此度の戦争では多くの犠牲者が出た。たとえあなたが無知なる者だとしても、魔族であり魔王でもあったあなたを敵視する者は後を絶たないでしょう。
――ですから、私はあなたを封印します。この世界の平穏のため、そしてあなた自身を守るため……あなたを死んだこととし、時の概念さえ曖昧な辛苦のない空間にあなたを隠秘する。
――いつか、人と魔族の諍いがなくなるその時まで。
「って、そんな感じのことを言ってたような……気がする?」
「……ふぅむ……」
……どうやら、エルフィリアが会ったあの怪しい女性は本当に賢者だったようだ。
いや、そんなこと最初からわかりきっていたが、どうにもそれを信じたくなかったエルフィリアも、クロムの話を聞いてその認識を確定させた。
クロムを封印していた術式は、エルフィリアのこれまでの人生で一度として見たことがない非常に高度な構造をしていた。
あれを作ったのが本物の賢者だというのなら納得だ。有象無象の魔法使いがあれほどの術式を創り出せるとは到底思えない。
時間の感覚を歪めることで、長い間封印されることになるクロムの精神を守りつつ、その存在を隠蔽し続ける。
魔王であったクロムを閉じ込めるための牢獄ではなく、悪意を持つ人間たちからクロムを守るための隠蔽の術式。それこそがあの封印の正体だった。
だとすれば、リーゼロッテがエルフィリアを見逃したことにも合点がいく。
(それにしても、無知なる者ですか……やっぱりクロムは、七年前の戦争には直接的には関わっていないのですかね? ……けど……)
直接的ではないかもしれない。だが少なくとも、間接的には関わっている。
そうでなければ、魔王などと呼ばれたりするものか。
「その人が、どうかしたの?」
「いや……実は今日、そのリーゼロッテに会ったのですよ。クロムの封印が解けてることも知ってたのです。他にもなんかわけわかんないことをたくさん言われたのですよ」
「……また、わたしを封印するの?」
エルフィリアの言葉を聞いたクロムは、不安げに瞳を震わせていた。
あの封印の術式が本当に時間の感覚を狂わせるのなら、クロムにとってそれが苦痛になることはない。
むしろその先には、もっとクロムが過ごしやすい未来の世界が待っているかもしれない。
元々、エルフィリアがクロムの封印を解いてしまったことはイレギュラーだった。それを修正し、人と魔族の諍いがなくなる未来が訪れる時がいつか本当に来るとするなら、魔族に恨みを持つ人間ばかりが存在する今の世界より、ずっとずっと過ごしやすいはずなのだ。
それでもこうして封印という行為に対して忌避した反応を見せるのは、きっと彼女が今の生活を……。
「はぁー、封印なんてしないのですよ。だからそんな顔するのはやめるのです」
「……本当?」
「本当なのです。そもそも、私はまだお前の魔力量の秘密を解き明かしてないのですよ。どうしてクロムがそんなにたくさんの魔力をもって生まれることができたか……それさえ知れれば、私の悲願だって叶うかもしれないのです。みすみすその可能性を逃すつもりは私にはないのです」
「そっか」
「そうなので、わっ!? ちょ、寄りかかってくるななのです!」
唐突に体を預けてくるクロムを最初のようにどけようとしたが、今度は頑なに離れようとしなかった。
エルフィリアは、ただの一度だってクロムに優しく接したことはないつもりだ。それなのに、なぜここまで懐かれてしまっているのか……いつもいつも、エルフィリアはそれを不思議に思う。
クロムの根気に最後にはエルフィリアの方が折れてしまい、結局エルフィリアはしかたなくそのままクロムと寄り添って湯船に浸かり続けた。




