表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/9

第1話 真帆の本

カフェ・リーフのテラス席で、私は本を一冊、テーブルの上に置いた。


『君の手に触れる前に』


表紙には、男の子が二人いた。


一人は窓際に座り、もう一人はその机へ手をついている。顔は近い。けれど、唇も手も触れていない。


触れていないのに、どう見ても好きだった。


私はアイスコーヒーのストローをくわえたまま、しばらく表紙を眺めた。


真帆は昔から、こういう絵を描く。


大げさに抱き締めたり、壁へ押しつけたりしなくても、視線と指先だけで、二人の間に何かあると分からせる。


表紙の下には、佐藤真帆、と印刷されていた。


本人の名前なのに、活字になっていると少し不思議だった。


初の商業単行本。


発売日に買うと約束していたので、私は昼休みに会社の近くの書店へ寄った。店員に見せる必要もないのに、レジへ持っていく間、表紙を内側へ向けてしまった。


長年の習慣は、世の中が多少変わったくらいでは消えないらしい。

もっとも、今は隠さなければならないわけでもない。


私は普通の会社員で、休日や仕事のあとに小説投稿サイトへBL小説を載せている。

たまに感想が来る。数字が少し増えると嬉しい。増えなくても書く。


商業作家になりたいと思ったことはない。


締め切りも売上もないところで、好きな二人を好きなように幸せにする。そのくらいの距離が、私にはちょうどいい。


鞄の中で携帯電話が震えた。


画面を見ると、真帆からだった。


〈もう着く〉


短い。


高校生の頃から、真帆のメールはだいたい短かった。


私は〈テラスにいる〉と返して、単行本をもう一度開いた。


最初のページには、制服姿の二人がいた。

同じ教室にいるのに、別々の友人と話している。片方だけが、もう片方を見ていた。


「待って。じゃあ、この二人って――」


口に出してから、私は周囲を見た。


隣の席では、買い物帰りらしい女性二人がケーキを分けている。誰もこちらを気にしていなかった。


一人で漫画へ話しかける会社員は、少し気にした方がいいのかもしれない。


けれど、仕方がない。


この二人はたぶん、まだ付き合っていない。


視線を向けている方は、自分の気持ちにもう気づいている。見られている方は気づいていないふりをしているが、本当はずっと前から分かっている。


たぶん、二人の間には一度、何かあった。


夏休みの終わりとか、雨の日の帰り道とか。


私はページをめくった。


次の見開きでは、二人の手が机の下で近づいていた。


「それ、ありじゃない?」


誰に聞かせるでもなく呟く。


真帆に言えば、たぶん返事は決まっている。


そこまでは考えてない。


昔からそうだった。


考えていないと言いながら、否定はしない。こちらが調子に乗ると、それは描かない、と切る。たまに黙り込み、少ししてから、……それ、いい、と言う。


その一言が出たとき、私たちは勝ったような気になった。


私たち、と考えて、時計を見る。


待ち合わせの時間まで、あと五分。


今日は真帆だけではない。


彩香と理沙も来る。


四人で会うのは久しぶりだった。


真帆とは、今でもときどき会う。新しい絵を見せてもらったり、私の書いたものを読んでもらったりする。


彩香と理沙とは、年に何度か連絡を取る程度だ。


誰かが結婚したとき。転職したとき。思い出したように同じ本を読んだとき。


連絡先は残っているのに、予定はなかなか合わない。


大人になると、会いたいという気持ちと、実際に会える日は別の場所にある。


テラスの脇を、制服姿の女の子たちが通り過ぎた。


三人で笑いながら、駅の方へ歩いていく。


私は真帆の本へ視線を戻した。


制服の袖。

机の上のノート。

触れそうで触れない手。


真帆が高校生の頃、よく使っていたスケッチブックを思い出した。


授業の合間や、放課後や、カラオケの薄暗い部屋で、真帆は名前のない男の子を二人描いた。


その絵を見るたび、私は勝手に話を作った。


どうして二人が出会ったのか。

どちらが先に好きになったのか。

喧嘩をしたら、どちらが謝るのか。

そのあと、どこまでしたのか。


最後の質問だけは、たいてい理沙だった。


あの頃、私たち四人がそろって話せる場所は、ほとんどカラオケボックスしかなかった。


私は本を閉じた。


表紙の二人は、やはりまだ触れていなかった。


けれど、その距離を見ているうちに、駅前のカラオケパルの狭い部屋と、テーブルの上に置かれた一冊の同人誌と、真帆の鉛筆が紙を擦る音が、順番に戻ってきた。


三人の声も、テラスを行き交う人の気配も、少しずつ遠くなる。


代わりに、あの頃のカラオケパルの薄暗い部屋が、はっきりと浮かんできた。


あの夏も、私たちは四人で集まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ