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坂下

僕は31歳の誕生日を静かに迎えた。

18時。会社を出る。

帰宅すると、いつもの3キロを走る。

今日もランニングを終えた。額には汗がじっとりと滲み、5月の風は火照った頬を冷ました。

今日は彼女とのディナーの約束があった。手短にシャワーを浴び、青ひげを丁寧に剃った。

金曜日になると彼女から連絡が来る。外で食事をして、そのまま僕の家に泊まる。

僕は猫と暮らしている。猫は彼女によく懐き、僕らがベッドに入ると扉の前でよく鳴いた。「何してるの?」とでも言いたげだった。髭を剃り終わったところでスマホが鳴った。確認してみると一宮からのラインだった。「坂下さん、今日打ちに行きませんか?俺は昼から打ってます」

1ヶ月ぶりに一宮からの連絡だ。一宮は僕の命の恩人で、今の僕があるのは一宮のおかげと言っても過言では無い。

僕は一宮とのパチンコを優先した。

彼女には仕事が遅くなると伝え、一宮が指定したパチンコ屋へ。車で40分かかった。

「お久しぶりです」

「お久しぶりです」

一宮はいつも同じような服を着ていた。二、三着を着回しているんじゃないかと、勝手に思っている。

「とりあえず1本吸いましょうか」

「そうですね」

僕らは喫煙所へ向かった。一宮は相変わらずデカい図体に似合わず細いオプションパープルの1ミリを吸っていた。

僕もマルメンに火をつける。メンソールの香りが鼻腔に広がる。

「最近はどうでしたか?」

「相変わらずですよ。介護の仕事がない日はパチンコ屋に来てます」

「パチンコって今ひとつ面白くなくないですか?」

「そうですか? 俺は楽しいですけどね」

一宮といると僕は気を使わくて済んだ。

ふとスマホが鳴る。「仕事何時に終わりそう?」彼女からだった。「まだわからない」とだけ返事をし一宮との雑談に戻った。

僕らは喰種を打った。キラキラと光るパチンコ台。僕はパチンコを打っている瞬間だけ海辺のことについて思いを馳せることができる。

ある日、仕事で海辺に行った。

現場から百メートル歩くと海だった。

波音を聞いていると、都会でまとっていた何かが剥がれていく気がした。

その時、心の奥で誰かが囁いた。

―――将来、海辺で暮らせ。

その意味はわからなかった。

でも、シンプルな暮らしに憧れたのはその日からだった。

海辺には色も形も違う家が並んでいた。

誰にも決められず、自分の好きなものを建てた家だった。

その自由さに、僕は憧れた。

何者にも支配されることの無い生活。

僕はそういうものに憧れた。

31歳の今となっては、とうに忘れてしまった事柄であるが。

金木くんの手が落ちた。いわゆる激アツモードだ。戦闘に勝ちボーナスへ突入する。

「やりましたね、坂下さん」一宮がグーを目の前に差し出してきた。僕もグーを合わせる。独身男2人のパチンコ屋グータッチ。傍から見たらキツいかもしれないが、僕たちはこれが楽しい。やがてラッシュに突入することなく僕は終了した。単発だった。

やがて、一宮の台に反応があった。金木くんの手が落ちたのだ。僕がチラリと一宮の顔を見ると、彼はパチンコ台の演出ひとつひとつに肩を揺らしていた。まるで草原に迷い込んだ小鹿のようだった。やがて、一宮はラッシュに突入し、僕らはグータッチした。

それから一宮のラッシュは止まることを知らなかった。時計は20時を回り、出玉は25000発を越えていた。十分だろう。僕は勝ち続ける一宮の背中を横目にパチンコ屋を後にした。

車に戻ると彼女からLINEが来ていた。「遅い」。やれやれ、「今から帰るよ」

すぐに彼女から返信が来た。「今日はカレー」

スマホを閉じると、僕は夜の公道へ繰り出した。来た道を引き返しながら地元へと帰っていく。

帰りは道が空いていて30分ほどで家に到着した。「ただいま」

「おかえりなさい」

彼女の横を通り過ぎると、彼女は鼻をくんくんさせた。「パチンコ屋の匂いがする」

やれやれ。「一宮さんにパチンコに誘われたんだ」

「私より優先順位が高いのは承知だよ」

「聞きわけがいいね」

「伊達にあなたの彼女やってないから」

「そう」

僕はコートを脱ぎながら答えた。

彼女は猫を抱き上げ、食卓に座った。

「先に食べちゃった」

「ああ、ごめん」

「いいのよ」

 僕はカレーをよそった。どうやら今日はビーフカレーらしい。猫は彼女の腕から抜け出し、僕の足元へやってきた。ゴロゴロと喉を鳴らしている。「まだキャットフードあげてないのかい?」

「私の猫じゃないもの」

「やれやれ」僕はカレーを食べるのを中断し、猫にキャットフードをあげた。猫はものすごい勢いでキャットフードを食べていた。そして、一気食いすると水をガブガブ飲んだ。飲み方が酷くて、床に水が飛び散った。僕は床を拭いた。猫は満足したのか、自分の寝床に戻っていった。

「ねえ、あなた」

「なんだい?」

「明日ボール拾いに行かない?」

「ああ、ゴルフ場ね。珍しいね君から誘ってくるなんて」

「私、お酒も飲まないし、たまにはたくさん歩きたいのよ。ストレスの発散というか」

「いいよ。ボール拾いの楽しさがわかるとは君も立派な農民になってきたな」

僕たちはネットフリックスを見た。猫は気がつけばソファの隅で丸くなっていて、映画の内容も半分ほどしか覚えていなかった。


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