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やはり、私はまた生きることにした【後編】

三. 中学と高校


 中学時代と高校一年は、いじめに苦しみました。相談できる友達もおらず、先生なぞ全く頼りになりませんでした。だから、一人で耐え続けなくてはいけませんでした。いじめがエスカレートするごとに、私の中の()()がめらめらと燃え立ち、学校を休んでたまるものかと思いました。


 頑固なのです。


 学校が嫌いな私にとっての唯一の楽しみは勉強でした。というより、何か文字を書くということは苦しみを忘れさせてくれました。そして、皆黙って黒板の方へ黒い頭を向けている間だけは、ほっとできる時間なのでした。ノートにひたすら文字を書いたり、先生の話を聞くことは、個人的な(一方通行的な)世界で、誰も私に注意を向けないからです。


 また休み時間は、図書館で一人で過ごすことも、心落ち着ける活動の一つでした。高校の三年間、私を支えたのは図書館でした。本を読んだり、練習問題を解いたり、本棚と本棚の間の通路に入るのが私の日課でした。短い休み時間や、体育祭、文化祭、実験や調理実習など、他人と関わらなければ成り立たない、いわば双方向的なやり取りが必要な場面は酷く恐れ、とても憂鬱でした。


 グループを作る段階で、いつも残り物になり、私が入ったグループは『かわいそう』とみなされました。外されるだけなら、まだ良いものです。なお悪いのは、面と向かって悪口を言われることです。


 高校は二年になるといじめはなくなりました。それは文系と理系に別れた時でした。やはり私は独りぼっちだったものの、つらくはありませんでした。クラス内のいじめはなくなったからです。


 けれど、ここで付け加えたいのは学校の外でも「?」と思うべき経験をしたことです。


 今思えば笑い話の種になりそうですが、自転車で通学する時に、決まって他校の面識のない中学生や高校生が声をかけてくることです。


 かなりのモテですね。


「うわー、キモっ!!(笑)」

「ブサイク!!(笑)」


 見知らぬ人によくそんなこと言えるなぁと、その度胸に感心するほどですが、それは私が何も言わなそうな、言ってOKな人間だと判断されたためだと思います。


 一度や二度ではなく、かなりの確率で、すれ違いざまに(彼らは確実に私に聞いてほしいのです。)それは家族で他県に遊びに行ったときも、修学旅行先(高校の)でも、言われました。


 それも、みんな、そろいにそろって、おんなじ、フレーズで!!


 極めつけは高校三年の帰宅時の道中で、後ろから自転車に乗ってきた高校生とおぼしき人が、声をかけてきました。


「パンツ、ナニイロ?」


 私は学校の清掃の時間に話せる唯一のクラスメートにその事を話してみました。それも、面白おかしそうな話しとして、なにげに。深刻に捉えてほしくなかったし、そんなこと言うやつはアホだね、みたいな程度で話そうと思ったからです。そうしたら、その場に居合わせた担任の先生が、「笑い事じゃないよ、それって犯罪じゃない?」と言いました。私が平気な様子を見て、それなりになりましたけど。


 私は「パンツナニイロ事件」として、記憶の中の"面白おかしい"専用ファイルに静かにしまっておきました。


 そういうことがあっても高校生活は中学に比べれば断然過ごしやすかったと言えます。


 中学は思い出すだけで動悸がするものです。


 中学のいじめがきっかけで、いや、それ以前の幼稚園の嫌な記憶がきっかけで、先生という大人は全く頼りないものだと理解しました。結局人間ですから、自分のことしか(仕事として)頭にないのです。


 いじめがピークになっていた頃、ちょうど修学旅行の計画が始まりました。グループを決めて、どこを見物するか輪になって話すのです。私はいつもの笑顔で(決して輪を乱さず、"協調性"を優先度第一にして)、みんながここ行きたい、あそこ行きたいと言ってる中、うんうんと聞いていました。


 私は当時、かなり辛かったので、修学旅行へは行きたくありませんでした。


 担任の先生にも話をしましたが、先生はなかなか認めませんでした。修学旅行へは行った方がいい、みんな行くんだから、行く()()だの一点張りでした。親が話をしても、先生は意地でも私を行かせようという気でした。


 その事が起きる前だったか、理科の課題を出したはずなのに、提出してないことになっていて、先生に呼びだされたことがありました。一番後ろの生徒が後ろから前へ集めてきた時、ちゃんと出したはずでしたが、ないと言うのです。それで、私はいったん教室に帰りました。そしたら、クラスの人たちが私を見て笑っていました。何事かはちゃんと分かっていたので、後ろの黒板にいる彼らの方を見るまでもなく、そのくしゃくしゃの課題プリントをもってまた職員室へ行きました。先生に経緯を説明しましたが、「はぁ?」といった様子で、全く聞き入れてもらえないどころか、クラスの人に課題の紙を隠された事実をバカにするような態度を示したのです。


 悪口を書いた紙くずを私に渡してみて、どういう反応をするかクラス中で楽しんでいたことも、四六時中の私を見るたんびに、何かしらの暴言を吐いたり、無視したりすることなど、総合して考えてみても、そんな人たちと旅行が楽しめるはずもないでしょう。


 セクハラとパワハラと、上下階級差別の横行する中学校は、大人の世界の縮図のような気もします。きっと、大人になれば、そんな子ども染みたことをする人もいなくなるに違いないと、大人の世界を夢見ていた当時は考えていたかもしれませんが、大きな年月が過ぎ行きた今でははっきりと、子どもの世界も大人の世界もそんなに大袈裟な違いはないのだなと私は結論するのです。


 そんなこんなで、いくらお人好しの私でも、笑顔で旅行に行きましょうとはなりませんでした。


 中学二年のスキー教室のことです。グループで外されていた私は、スキー場で一人ぼっちでいました。自由時間でみんな好きなことができる時間です。


 その時、スキーの見知らぬ講師の人に、なぜみんなと一緒にやらないのか、一人でこんなとこにいてはダメじゃないかと怒られました。別に危険な所にいたわけではありません。その時、他の生徒たちも近くで遊んでいましたから。


 悲しい気持ちになりました。その人に優しく声をかけてもらって、ロッジの暖かい部屋で温かい飲み物を飲みながら話を聞いてくれたら、私はどんなにか救われる思いがしたことでしょう。そのような幸運に恵まれなくとも、寒いスキー場に一人そのまま放っておいてくれさえすればまだ良かったのです。勿論その人は、私がクラスメートにいじめられていることなど知るよしもありません。仕方のないことです。


 しかし、そういう大人の軽はずみに放った言動が、すでに傷ついている心をえぐり、とどめを刺すことがあるのです。


 修学旅行へは行かないと決めた私の気持ちは揺るぎませんでした。


 担任はクラス全員が、一人も欠けずに修学旅行へ行かせることに必死になっているようでした。生徒の頭数が、さも大事であるかのような口振りでした。


 自分のクラスではいじめはありませんと言いたげに。


 修学旅行の前に起きたある事で、担任に言われた言葉は本当に傷つきました。


 それは、いじめられる側にも、なにかしらの落ち度や責任があるのではないかということ。


 なんであなたはいじめられるんですか?


 いじめられることをしたんじゃないんですか?

  

 どうしてみんなと仲良くできないんですか?


 まさか先生がそんなことを言うとは思ってもみないことで、数秒息をするのを忘れていました。


 何故ですか……?


 返す言葉もありません。


 実際先生自身も、クラスの強い人たちからからかわれていて、大変そうでした。私という、より弱い人間を見つけ、一緒になっていじめることで、自身の救いを得たのでしょうか?


 結論からいうと、担任は私に謝るように言いました。私は何を謝るべきか分からないまま、謝罪の言葉を述べていました。


 いじめられるようなことをして済みませんと。


 幸運なことに私は修学旅行に行かないで済みました。さらに喜ばしいことに、大好きな図書館で自習できたのです!


 しかしながら、同じような、いやそれ以上の過酷な経験を大人になってから、経験することになろうとは、この時は知る由もなかったのです。寧ろ、中学の経験はその後の暗黒時代に備えるものとなりました。


 いじめに直接参加しない人や、やめた方がいいと思う人もいたかもしれません。でもただ一緒になって笑って遠目で見ている傍観者に罪はないのでしょうか?


 私には分かりません。同罪とは言えないかもしれません。けれど、教室中の雰囲気が邪悪で陰湿なものだったので、クラスの誰もが私の敵に見えました。笑顔と自信の鎧を着た私の内側には、敵に相対するような用心深さと恐れが隠されていました。


 あんなに悪口書かれているのに、平気でいられるなんてすごいね。


 あるクラスメートが私に言いました。


 だろ?


 中学の人たちのどの顔も思い出したくないし、随分と時間の経った今もふと当時を思い出すと、胸が締め付けられ、体から冷や汗が吹き出します。写真で撮ったときのようなはっきりとした映像と人間の声とその時の私の感情がまざまざと目と耳と心に甦ってくるのです。そのたんびに傷つくのです。



四. 矛盾


 もっと自分の気持ちを相手に伝えていれば良かったのかもしれないと思うことがあります。


 悲しければ悲しい顔を、怒っていれば怒っている顔をすれば良かったのだと。


 けれど私は心の反応を素直に表に出すことが出来ませんでした。自分の気持ちを悟られるのが怖かったのです。無防備な姿になることを極度に恐れていました。


 だから私は内部を守る固い甲羅をつけて生きてきました。甲羅は危険の多い外界からの防護壁なのです。「私」が壊れないように、内部を守る大事なものなのです。他者と接する時には、この甲羅からこっそり顔を覗かせて対応していくうちに、自分というものが何なのか分からなくなりました。そして他人からの冷たい言葉や行動に傷つかないように、無頓着でいようと、自分の感情を無にするのが習慣化してくると、より一層自分が分からなくなりました。


「私は今を生きている」という実感が湧かないのです。他人がいることで自分の存在が分かるというような何とも奇妙な次元に入ってしまっているのです。


 相手はこう思っているから、自分は「こうするべきだ」とか、あるいは「こうしなければならない」といった具合です。


 ほぼ一瞬のうちに相手の感情が自分の心の中に雪崩れ込んでくるのです。他人の機嫌が良くなるか悪くなるかは、自分の行動の選択次第であるという、強迫めいたものが私を支配し、駆り立てるのです。


 どこまでがやりすぎなのか、あるいはまだまだ自分はだめなのか分かりません。正しい行動が出来ているのか、もっと気を配る必要があるのか分からないので、疲れるのです。


 他人と接することは私にとって未知の領域であるばかりでなく、周囲の感情に監視されているようで怖いのです。考えないようにしても、またもとの不安な切迫感に支配されてしまうのです。自分に意志がないというのも、また違う気がします。前にも書きましたが、私は頑固者だからです。臆病と頑固は矛盾はしないのです。周囲に同化したくないけれど、人を傷つけたくないのです。


「自分とは何者か」


 その問いへの答えを探すのに、多くの人が迷い苦しんできました。忙しい毎日の現代、いちいち考える暇もないかもしれません。


 けれど一度立ち止まって自分の軸を考えてみると、今後の生き方の方向性を見直すきっかけになったり、人生を深く味わい知ることができるかもしれません。同時に虚しい気持ちになったり過去の古傷を見なくてはならないこともあるでしょう。


 しかしそうするだけの価値はあると思うのです。



五. そして、生きる


 私を慰めてくれたのは、内面=自分の世界の存在でした。自分の世界に浸り閉じ籠ることは、心の痛手を癒す唯一の方法でした。図書館で本を読むこと、そして物を書くことです。決して他人が入り込めない場所が、自分の世界でした。


 私は文章力がいま一つなので、大した文章は作れません。でも、自分の気持ちを言葉で伝えられない分、文章で表現することが可能であることに感動したのです!


 これからも私は本を書くでしょう。


 きっと書くに違いありません。


 そして、時代や人種や背景の異なる作家が書いた様々な本たちに巡り合うことでしょう。


 いつまでも自分の世界を愛し、たった一人の住人として、そこに住まうのです。


 今後もきっと苦しいことが山ほどあるに違いありません。けれど、やはり、私は生きることにするでしょう。


 とりあえず生きていかなければ始まりませんから、


 やはり、私はまた生きることにしました。



〈完〉

最後までお読みいただきありがとうございました。

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