第八十五話 廃鉱山キャンプ
浪政の古い四駆、白のランクル70に揺られて二〇分ほど走っていた。少し広い林道で舗装もしっかりしてる。ただ、あちらこちらで工事をやっていた。もう時間帯が時間帯なので現場は撤収しているが、路肩には工事のガード柵がところどころに設置されている。比較的平坦で高低差の少ない林道をどんどん森の奥に進んでいく。
分岐を右側の狭くなっている方に行くと、少し走って車を停めた。
「ここからは自転車だ」
浪政は荷室の折りたたみ自転車を二台降ろした。
「なんで?」
「あの先、車は進入禁止になるんだ。それに車停めるところがねーからよ。ここで乗り換えってわけだ」
ちょっと変わった複雑な折りたたみ機構を持つ一台を組み立てると、浪政はもう一台の方も組み立てだした。
「こっちは変な組み立て方だね。こんなの見たことないよ」
「こいつはイギリスので、このカラーだと二〇万くらいすんだぜ」
「に、二〇万」
たしかに変な形で変な色だった。オリーブというかなんというか、でもペンキで塗装というんじゃなくって、金属の質感がそのまま剥き出しになっていて金色の溶接の痕もはっきり見える。
「いかにも職人の手仕事って感じがするだろ。こっちのはネットショッピングで二万ちょっとだ。でも走行性能はそんな変わらねーよ」
うーん、自転車ってわからん世界だ。
俺は二万ちょっとの方で走った。
しばらく行くと通行止めのフェンスがあった。
浪政は手早く自分と俺の自転車を折りたたむと金網に登った。
「そいつを持ち上げてくれ」
金網のてっぺんで俺が押し上げた自転車をつかむと、向こう側に二台とも自転車を降ろした。
「折りたたみって便利だろ?」浪政がウィンクする。
こういうわけだから折りたたみ自転車だったのか……
荷物もフェンスを越して、自転車を組み立てると俺らは再びこぎ出した。
フェンスを越えるときに、やっぱり浪政は反対運動に引きずり込もうとしていると思った。いや、もう片足突っ込んでるのかも。
でも、こういうのは女スパイのおかげで実は慣れていて、大それたことという感覚はない。麻痺しているのかもしれない。
日が暮れかけていた。
「ライトは?」
「満月だ。いらねえよ。月が明るいからさ」
薄蒼い夜がせまってくる。俺らは無灯火のまま走っていた。
前方から車のライトが近づいてくる。
「隠れろ」
浪政に言われて道路からそれて林の中に身を潜めた。
「実を言うとライトを点けるとやつらに見つかるかもしれないからな。満月の今夜がよかったんだ」
やっぱり反対運動に巻き込まれかけてると苦笑しながら、車が通り過ぎるのを待っていた。
自転車があってよかった。歩けば二時間くらいはかかったかもしれない。最後の最後で少し登ったがおおむね平坦な道のりで、小さな折りたたみ自転車でもさほど苦労せずに日が暮れる前に到着できた。
辿り着いた場所は緩やかな丘の上だった。そこからなだらかに斜面となって遠くまで広がる森を見降ろす。
夕闇のせまる森にところどころコンクリートの建物が点在していた。目を凝らすとそのどれもが廃墟となって久しい。窓は破れ落ち、つる性の植物にまとわりつかれコンクリートの躯体だけが年月に耐えて遺存している。
そこは歴史からおいてけぼりにされていた。
密林の中にアンコールワットを見つけた探検家の気持ちが少しだけ分かるような気がする。
「いい場所だろ」浪政が言った。
「うん……」
「俺はこの場所を守りてえんだ」
気持ちは理解できる。だが返事はしなかった。
西には金色の夕焼け雲、街は北の方角だが直接は見えず、もっと日が暮れれば街の明かりが雲に反射して下に街があることを示すだろう。
「こっち来てみろよ」
浪政に言われて丘を少し登ると、その先にも森が続き、そんななかに突然切り開かれた場所があった。
剥き出しの黄色い土に大型の建設機械。そして野球場くらいの広い範囲が掘り返されて、そこには金属の構造物が縦横に行き渡されている。地下の基礎の部分の建造が進行しているのだ。思ったよりも大規模な工事が既になされていたことに驚く。人の気配はもうない。
「ここがヤオヨロズクラスター第二次開発計画の現場だ」
「もう始まっちゃってるんだ」
「今止めなきゃもうどうしようもなくなる」
そうだろうか。むしろ、もう手遅れなんじゃないだろうか。
でも、そのことは俺は言わなかった。
「あれはなに」
木造の小さな小屋があったのだ。鉱山関係のコンクリートのものとは少し違う。
「ああ、炭焼き小屋だな」
「へーっ」
「もう使ってないぜ」
「あの中で泊まってもいいかもね」
「虫とかが大丈夫ならいいがな。ムカデも蜘蛛もうじゃうじゃいるぜ。おれはやだからな」
「うへえ」それは俺もいやだ。
工事現場からは見えない場所に、テントは一人用のコンパクトなものを二つ張って、マットと寝袋は中に入れる。
食事の準備はコンビニで買った食材を並べて、アウトドア用の小さな折りたたみいすでバーナーを囲むともうできた。
ビールで乾杯して、バーナーでホルモンをあぶる。火力が強くて煙が上がって肉の焦げる香ばしい匂いが立ちこめた。頬張った肉からジュワッと旨い油がこぼれて舌をやけどしそうになる。
「うまっ」
「だろ」波政が笑った。
酒の肴に浪政が鉱山跡に伝わる民話を話してくれた。
ここの鉱山は、江戸時代は金山、明治は銅山として利用されて来たのだが、金山が銅山になったことにまつわる口承伝説だった。江戸時代に藩の直轄事業として金山が開発されていたのだが、採掘を巡って村々で諍いが起きてしまう。
ある村が相手の村を攻めたときに鎮守の森にあった要石を動かしてしまい、それによって封じられていた異国の神が目を覚まし、光を放って去ってしまったそうだ。その神の放った光に照らされてすべての金鉱脈が銅に変化し、それ以降、金は採掘できなくなってしまった。目撃した村人は銅の像に変化し、その像は近くの神社に安置されているという。
元素である金が銅に変化するなんてことはあり得ない。つまるところ金が掘り尽くされて銅山になったのだろうけど、金山が銅山に変化したってことの縁起譚とも言える内容だった。