18.誘拐
翌日、エミリアは一人で部屋に居た。
ルーファスは昨日、エミリアの身は必ず護ると言ってくれていた。この離宮に居る限りは安全だと、警備についても説明してくれた。
その真摯な態度は、エミリアを傷つけようとはまるで考えもせず、ただ大切にしてくれているようだった。
だが、エミリアが動けば警備も動かなければいけないし、離宮に勤める者たちにとってはイレギュラーな対応になり大変だろう。
ルーファスは『使用人に気遣う必要など無い』とにべもなかったが、立太子の儀までもう数日しかないのだ。終わるまではじっと大人しくして、余計な事をしないに限る。
図書室の本をホリーに借りてきてもらい、エミリアはそれを読んで部屋から出ずに閉じこもろうと思っていた。
こんこん、とノックの音が聞こえた。
「はい」
エミリアは簡潔に答える。誰か、侍女か使用人かが用のある時にもこうやってノックしてくるからだ。
「失礼いたします」
掛け声と共に入ってきたのは知らない男だった。
しかり立派な身なりで良い服を着ている。身分卑しくない人であることは間違いないだろう。それに、声に聞き覚えがある。どこで聞いたのだろう……。
そう思って見ていると、男は一人ではなかった。騎士団であろう揃いの制服を着た兵たちを引き連れて入室してきたのだ。
エミリアはたちまち警戒して彼らを見つめた。男はエミリアを見据え口を開いた。
「私はルーファスさまのお側仕えの一人、バイロンである。貴女をとあるお方の元へ連れて行くことになった」
「その事を、ルーファスは知っているのですか」
「勿論」
全く信じられなかった。
そうやって、ルーファスの政敵の元へ連れて行こうとしているのではないか、そんな風に疑ってしまう。エミリアは首を横に振った。
「お断りします。私はこの離宮から出ません。ルーファスと直接話をさせてください」
「そうですか。素直に言うことを聞いて頂けないなら実力行使も仕方ない。おいお前たち、この娘を連れて行け」
「……!」
兵たちが駆け寄って来て取り囲まれる。そうなると、エミリアには抗う術は無かった。必死に頭を働かせ、状況を整理して考える。
このバイロンという男は、図書室でヒューゴーと話をしていた。エミリアの事を尋ね、彼女がエサであると聞かされている。
そのエミリアを狙うという事は、エサに釣られて攻撃してみるという事だろうか。ルーファスは裏を読んで狙われないだろうと予想していたが、的は裏の裏をついてきたのかもしれない。
だが、エミリアが危害を加えられたというのはルーファスの陣営にとっては攻撃材料になって有利、というのは本当の話だろう。ルーファスはあの調子で悲しんでくれるだろうが、しかし王座の争いの前ではささいな事柄だ。
それに、こうやって囲まれてしまえば連行されるしかない。
あとは、ルーファスが上手く立ち回ってくれる事を祈るだけだ。万が一にも気付いて助けてくれたら、とても有難いのだが。
エミリアはそんな風に考え黙って着いて行くことにした。
離宮を出たのは久々だった。
車寄せではない、別の出口の扉前にあった馬車の中に入れられたが、馬車の中は窓を閉め切られ中から外は見られなかった。
程なくして、馬車が止まって降りるよう促される。此処でも入口の目の前に停められていたので、建物の全景も見えないが離宮からそう離れては居ないだろう。
バイロンが先導し、エミリアが後をついてその背後を兵たちが固めている。エミリアは大人しく案内されていった。
豪華な建物の中らしく、廊下も広く素晴らしい造りだ。エミリアが入るよう促されたのは、一際大きな扉の前だった。
「連れて参りました」
バイロンが恭しく声を掛けると、内側から扉が開かれた。
入室したエミリアが見ると、奥のソファに一人の男が座っていた。
ルーファスと同じ銀色の髪に水色のような蒼の瞳だ。ルーファスより年齢を重ねた落ち着きはあるが、その美貌はまるで損なわれず、逆により魅力的になっている。とても美しい男性だった。
ルーファスとそっくりという事は、血縁関係があるのだろう。では、この人こそがルーファスの叔父であり敵の宰相だろうか。エミリアは立ったまま、彼は座ったまま話は始まった。
「君か、ルーファスを骨抜きにした命の恩人というのは」
「………………」
骨抜きになんてしていない、そう反論したかったがぐっと耐えた。何を言って良くて、何が駄目なのかまるで分からないからだ。黙って居ると、彼は続けた。
「何年も前に助けたらしいが、まさかあいつがここまで女に入れ込むなんて聞いたことも無い。誰も想像さえしなかった筈だ。私も未だに信じられない。どんな手を使ったんだ?」
「………………」
「答えろ」
怖くて、身体が勝手に震える。
こんな風に、大人の男性に威圧的に凄まれた事なんて今までに無かった。詰問されたこともない。
それに、背後には女一人など簡単に殺せる兵たちが居るのだ。平常通りに居られる訳がない。エミリアは上擦る声で必死に答えた。
「わ、私は……、何も、していません。使った手なんて、ありません」
「ふん、そんな訳がない。何年も前に助けたといっても、ただそれだけであいつがこんなに君に入れ込む訳が無い。あいつは利用価値が無ければ、会って話すことさえ無い男だ。君にはどんな利用価値があるんだ、エミリア・フローレス」
名前を調べられている。フルネームで呼ばれるとは、徹底的にエミリアの背後を洗わせ、その調査報告書を読んで覚えているのだろう。
エミリアは更に慎重に、考えながら言葉を紡ぐ。
「そんな訳がない、入れ込む訳がない……。随分よくご存じなんですね、ルーファスの事を」
「勿論。彼が生まれた時から見守っていた。全ての動向は把握しているよ」
「そんな方でも分からないのに、わたくし如きが分かる筈もございません。すべてはルーファスの思うままに」
エミリアがへりくだって答えると、その男は不敵な笑みを浮かべた。
「分からないから聞いているんだよ。君も分からないなら、こうやって直接尋ねるべき価値は無いということかな?」
暗に、用無しは始末すると言っているような気がする。エミリアの身体は震えた。
エミリアには、何の知恵も武力も、はったりだけで場を乗り切るような度胸も無い。
ただ普通に暮らしていた田舎の善良な人間なのだ。こんな豪華な部屋で権力者に責められるだけで声が上擦り涙が零れそうになる。
それでも、今ここを切り抜けられなければ。そして不吉なことで、考えたくはないが、もしここでエミリアの身に危害が加えられてもルーファスにはきっと役立つ筈だ。
エミリアの今の拠り所はルーファスしか無い。一番助かる可能性があるのは、ルーファスが気付いて助けに来てくれることなのだから。
彼の事を思い浮かべながら、エミリアは口を開いた。
「直接尋ねるべきなのはルーファスに、でしょう。どうか彼をお呼びください。その問いをルーファスなら直ぐお答え出来るでしょうから」
上手く切り返せた、と思う。
心臓の鼓動が頭から鳴っているように、緊張でドキドキと鳴り響いている。それでも、ここで泣き喚いたり取り乱したりしてはいけないと、エミリアは必死に己を奮い立たせた。
男はソファにふんぞり返っていたが、ふっと笑って立ち上がり、ゆっくりとエミリアの方に歩いて来た。
「それでは君の事を直接、君自身に尋ねることにしよう。君がルーファスの傍に居るのは何故だ。金か。それとも王妃にしてやると甘言で誑かされたか。残念だが、君のような他国出身の、身分も後ろ盾もない娘は王妃になどなれないよ」
「っ……」
「愛人で良いというなら、国内に置いてやってもいいが。ルーファスが王妃を迎えたら離宮にも居場所は無い。どこか郊外の館にでも移って、彼が来るのを待つ生活になる」
「………………」
どうして、ルーファスそっくりの整った顔立ちで、こんなに意地悪なことを言って責め続けるのだろう。
エミリアは唇を噛みしめ必死に泣き出すのを堪えようとしていたが、勝手に涙が溢れてきた。
その間にもエミリアの周囲をわざとらしくゆっくり歩きながら、男は話を続けた。
「その場合、そんなに裕福な暮らしは出来ない。君が街に出掛け買い物をしたり、商人を呼びつけ品物を得たりする度に、ルーファスが批判される事になるからだ。愛妾に贅沢をさせる愚かな王太子、とね。もし金目当てなら、今私が君にまとまった額を払おう。だからこの国から出て行くと良い」
「で、出ては、行きません……」
「おやおや、どうしてかね。言った通り、今出て行った方が金になる。それに身分についても期待なんて出来ない。愛人として惨めに、正妃に気を使いながら生きていくことになる。君の利益は何も無い」
嫌味たらしく話す男が、エミリアを覗きこむ。エミリアは、涙を零しながらも目をそらさず、一生懸命に言葉を紡いだ。
「利益なんて、関係ありません……っ、私は、ルーファスに寄り添いたいだけです……」
泣きたくないのに、ぽろぽろと涙が溢れる。それでも、しゃくりあげたり声が裏返るのを必死に堪えようと、エミリアは息を押し殺しながら気持ちを落ち着かせようとした。
だが、男の言葉での苛めはまだ止まらない。
「ふーん、金目当てでも身分目当てでもないと、そう言い張るか。それでは、君の実家とルーファスなら、どっちが大事かな?」
「っ……」
何を言い出すのかと、零れる涙はそのままに目を見開くエミリアに、ルーファスそっくりの美貌の男は口撃を止めない。
「君の実家の荘園は、エルトワ王国と我が国ヴィレカイムの国境近くにある。もし君がエルトワからの密偵や間者の類だって噂が立ったら、まず荘園に我が国の兵が出向くことになる」
「…………」
それは、兵を差し向けるから早く帰れという事なのだろうか。父母が、荘園が危ないかもしれない。
エミリアの足と身体は震え、益々涙が零れで落ちた。
「そうならない為にも、家族が大事なら帰った方が良いんじゃないか」
「そ、それでも、帰りません……」
「それは、どうして?」
男の問いに、エミリアは泣きながら答えた。
「私が帰る時は、ルーファスが帰るようにと言った時だけです」
「ほうほう、それは。では、両親より男の言うことを聞くということかな。もし兵が攻めてきても仕方ないことだと、その思いで此処に居座ると」
「……っ」
もう涙が止まらない。エミリアは泣いてしまって、何も言えない。
父母にはちゃんと連絡をして、そしてそもそも自分が密偵ではないと照明しなければ。
ちゃんと言い返して、落ち着かなければいけないのに。
それなのに、涙が出て息が出来なくて、言葉が出てこない。
自分自身に失望し、途方に暮れていると突然扉が開き風が吹き込んできた。そして声が聞こえる。
「荘園にはカデルという目端の利く者を置いてあります。荘園の中に妙な輩が潜り込んでいないか調べ、そしてもしもの時には国境近くの別邸に鳥を飛ばし連絡を付けるようになっています」
「ルーファス……」
男が呟く。やってきたのはルーファスだった。すぐにエミリアを抱きしめ、そして宥めるように囁く。
「だから荘園は無事だ。泣くな、エミリア」
「っ、っ……ルーファス……っ」




