16.傷心
エミリアにとって、今聞いた会話は衝撃すぎた。読書の続きをしようと手にした本を眺めていても、内容など頭に入ってくるわけもない。
確かに、ショックだ。でも、彼らの話は胸にすんなり染み込んだ。
エミリアにだって分かっていた。この離宮はとても快適で、皆がかしずいてエミリアの為だけに仕えてくれる。ルーファスの指示のおかげだ。
ルーファスだって、何か目的が無ければエミリアのような田舎娘を大切にしお姫様のように扱わないだろう。
それが、利用するという事だ。ルーファスの世界では当然のこと。
頭では理解できた。でも、悲しい。
エミリアの心はずたずたに傷つけられていた。その痛みが苦しい。
どうやって図書室から部屋に戻ったのか、ぼんやりとしていて覚えていない。ただ、侍女のホリーが気遣わしげに見ていたことは分かる。
ホリーには下がってもらい、居室で一人になったエミリアはこれから一体どうすべきなのかを考えようとした。本当は家に帰りたい。でも、命を狙われるのは確実だという。制止を振り切り、家にまでたどり着いたら何とかなるだろうか。
しかし、一人でこの離宮を出るというのは現実的ではない。部屋に出た瞬間に誰かが気付き止めるだろう。
ではいったいどうすれば。命だけは守ってもらい、無事にルーファスが立太子となれば、お役御免となったエミリアは家に帰してもらえるかもしれない。
でもそれを考えると、胸が苦しく息が詰まる。此処を出されるのを、ルーファスに追い払われるのを想像するだけで悲しい。
いつの間にか、彼の傍に居て抱きしめられるのが当たり前となっていた。他愛のない話をしながら食事をするのが常になっていた。無理矢理連れてこられ、嫌だったのに。
すっかり情が移って、このままルーファスに優しくされて必要とされたいと願うようになっていたようだ。しかし実際の彼はヒューゴーの言うように、そんな風に甘い事ばかり言う人では無いだろう。
冷徹な施政者。人の上に立つ者。
智と策で以って、国の全てを手に入れようとしている。
常識的に考えて、そんな人がエミリア如きの普通の娘を大事にする訳がない。彼らの言っていた、この大事な時期に。
あれこれ考えていると、時間はかなり経っていたらしい。
「エミリアさま、夕食の時間です」
気が付けば、ホリーがすぐ隣に居て声を掛けられていた。おそらく、ノックしても返事が無かったから心配して入ってきたのだろうが、彼女が入室したのもまるで気付かなかった。
そっと気遣うような表情なのが、申し訳ない。エミリアは気丈に振る舞った。
「あら、もうそんな時間なのね。寛いでいたから気が付かなかったわ」
「はい。本日は殿下も同席されるとの事です」
「………………」
エミリアの胸がズキっと痛んだ。
彼にどう振る舞えば良いのだろう。責め立てる? 泣き喚く? それとも真意を問いただす?
どれも、出来ないと思う。もしそんな事をして、彼が本当だと認めたら、エミリアの心はぽきりと折れてしまい立ち直れないだろう。
真実を見つめる勇気が無いなら、いつもと同じように振る舞うしかない。エミリアは通常通りを心掛け、彼との食事の場であるダイニングに出向いた。
「やあ、エミリア。今日もなかなか時間が取れなくて、やっと食事を取れる。君と共に時間を過ごせるのは嬉しいよ」
「ええ……」
普段通りなら、いつもはどんな事を話していただろう。お互い、他愛のない話ばかりしていたと思うが、今は何を言って良いか思いつかない。
言葉少ないエミリアに、ルーファスが話を聞かせてくれた。
「今日は儀式の中で重要な宣言をする遠い親戚、三代前の王の弟君と会った。まあ年寄りは話が長い。早く要点を述べろ、と言うわけにもいかず参ったよ」
「そうなの。未だにご健在なのは凄いわね。おいくつの方なの?」
上手く返せた、と思う。
こんな風にルーファスは、言える範囲で今日あった話を面白おかしくしてくれる。いつもは、エミリアも自分のした事を話していた。
「おそらく九十近い。長寿なことだ。俺たちもあやかりたいものだな」
「っ……、私は……」
そうやって未来を共に過ごしているかのような事を言われると、自分はその時どうしているのだろうと考えてしまう。エミリアは俯いてしまった。
「エミリア?」
「え、ええ。私の方は、今日は……」
今日は図書室に行って歴史の本を少しだけ読んだ、そう言おうとして、でも図書室に行った話をしても良いのかと口ごもる。それを言うと、ヒューゴーの話をエミリアが聞いていたと分かるかもしれない。
エミリアが何と言った物かと考え込んでいると、ルーファスは手を振って合図をした。すると給仕や侍女、控えていた使用人たちが一斉に部屋を出て行く。人払いをしたのだ。
エミリアが、皆の動きを追ってきょろきょろしているとルーファスが行儀悪くテーブルを肘につけた。そして足を組んで尋ねる。
「それで? どうしたのかちゃんと教えてもらおうか」
「どうしたのかって、別に……」
エミリアがヘタな嘘をつくと、ルーファスが低い声を出す。
「エミリア、こっちを向くんだ。さっきから全然俺の方を見ていない」
「…………」
その通りだった。知らず知らずのうちに彼の顔を見られず、視線を避けてしまっていた。
のろのろと顔をあげてルーファスを見ると、彼は笑みを浮かべているものの、それはいつもの優雅で優しい物ではなく、凄みを感じさせる怖い笑顔だった。
どうやら彼は怒っているらしい。
「俺は今までずっと、人の本心に隠された物を看破し、嘘吐きの嘘を利用するような生活をしていたんだ。エミリアのような正直者が隠し事をしたところで、すぐに全部暴いてみせる」
「う……」
「俺が本気を出して調査する前に、自分で言ってくれ」
「………………」
一体、何をどう言えば良いのだろう。話を聞いてしまったのも偶然なのに、ヒューゴーたちについて言い付ける事にならないだろうか。
でも、ルーファスのこの鋭い切込みを躱せる方法など、エミリアには思いつきもしなかった。
逡巡するエミリアに、ルーファスは今度は懐柔するような優しい声を出す。
「君の事が心配なんだ。俺は何よりも君を大切に思っている。困った事があるなら何でも言って欲しいし、誰かに傷つけられたというならその者を容赦はしない」
だって、でも。
エミリアの胸に様々な想いがない交ぜになって、そしてぽろりと涙と共に言葉が零れ出た。
「どうせ捨てるなら、もう優しくしないで……」
ルーファスが少し驚いた顔になった。そして、すぐにエミリアの手を引っ張って椅子から立たせると、自分の膝の上に乗せた。
ルーファスの膝の上で横向きに座らされ、抱きしめられる。
エミリアの顎を持って自らの方に向かせたルーファスは、笑みをひっこめ真剣な表情だった。
「どうしてそんな結論に至ったか、全て話してくれ」
「………………」
「そんな事は絶対にないと断言しておく。前にも言った通り、君を婚約者として周知させ立太子の儀で婚礼を発表するのだから。エミリア、君は俺と結婚して王妃となるんだ」
ルーファスの言葉に、エミリアは涙混じりに想いを吐露した。
「だってそんなの、信じられないの。私はただの田舎の普通の人間だから。貴方のような人にそんな事言われる方がおかしいと思ってしまうの。まだ、利用されている方が分かるのよ」
「急にどうしてそう思うようになった? それを教えて欲しい」
ルーファスはぎゅっとエミリアを抱きしめて言う。この暖かさを、温もりを手放したくない。本当に、彼の言う事を信じて良いのだろうか。エミリアは震える声で言った。
「私はエサだって……、わざとルーファスの敵に狙わせる為に寵愛されているって、聞いてしまったの」
すぐに否定して欲しい。その気持ちでぎゅっと彼にしがみつくが、ルーファスは特に驚きもせず「ああ」と言った。
「それを耳にしてしまったのか」
「……!」




