後編
アブシュパの国 後編
「しかし、王家のアブシュパが竜であったとは……」
ブランツは同じ感想ばかりを何度も繰り返している。王家のアブシュパと呼ばれる特別なアブシュパ達は、王宮の中庭で何人もの世話係に囲まれて優雅に暮らしている。普通のアブシュパと違って甲羅の色は黒一色。足の数以外はゾウガメと変わりない姿である。王家のアブシュパの家系図も残されているが、元は初代国王と共に旅をした亀型モンスターだったらしい。初代国王と初代アブシュパは心が通じあっており、テレパシーで意思疎通もできたと伝えられている。世界中を旅していたというのだから、生息地を出たら死ぬ呪いもかかっていなかったのだろう。そして冒険者として活躍した彼らは、最後に初代アブシュパの故郷であるダンジョンへたどり着いた。初代国王とアブシュパの他に魔法使いや賢者、戦士もいたというが、パーティーメンバーの詳細はわかっていない。ともかくパーティーはダンジョンを攻略し、ダンジョンコアを破壊した。その時にダンジョンにいた甲羅の美しいアブシュパ達が捕獲され、繁殖を続け今の一般アブシュパに至ると言われている。コアのなくなったダンジョンは崩壊し、跡を留めるのみとなった。そこに村が生まれ町になりやがて国となった。
王家のアブシュパは、初代アブシュパの子孫である。代々女系で、黒い甲羅のアブシュパはメスでしか生まれない。そのメスは普通のアブシュパと交わり子をなすのだが、オスは虹色の甲羅で生まれ、メスは黒い甲羅で生まれる。ちなみに王家以外のアブシュパは、オスもメスも芸術的な色合いの甲羅をしている。普通のアブシュパに黒い甲羅が生まれることはない。ただ王家のアブシュパに限っては、雄と交わっていないのに有精卵を産んだ例があり、雌雄同体なのではとの説もあるが定かではない。オスと交わらずに産まれた卵からは黒いメスしか生まれない事から、王家の血が濃いアブシュパのみ単体生殖されているのではないかと考えられるが、解剖するわけにもいかずデータも少ないので立証はされていない。
「昔話にあるじゃろう。初代様パーティーはダンジョンボスの古代竜を倒したと。あれが、その古代竜の力かも知れぬな」
「アブシュパが古代竜の力を得て、甲羅を背負った竜となった、のですか」
「そうじゃ。もしくは、そもそも初代アブシュパも古代竜の一種で、ダンジョンの古代竜を倒したのやも知れぬ。ダンジョンの竜というのもアブシュパで、アブシュパ同士の戦いであった可能性もあるのぅ」
「……ややこしいですな」
「本当のことなどわからん。それよりも、今のことじゃ。この1ヶ月攻め続け、帝国の戦力は10分の1程になっておる」
「そうですな。連戦連勝。陛下の魔道具と王家のアブシュパのお陰で、我が軍は大きな損害なく帝国軍を圧倒しております」
「それでもこちらも死者は出たがな……」
帝国軍も様々な策を練ったり物量で押し切ろうとしてきたり、躍起になって抗戦してきた。時には魔道具が思うように動かず攻められたり、竜が出る裏をつかれたりとアブシュパーニャが劣勢になる場面もあった。その時には兵も死んだ。もっともすぐに代わりの魔道具が敵を焼き尽くし、別の王家のアブシュパ竜が蹂躙し、一回の戦闘で10名以上の死者が出たことはない。それでもアブシュール七世は兵の死に涙し、己の失策を悔いていた。
「新しい魔道具使うときは、嬉々としてますけどね……」
「敵の死に涙する必要はなかろう。何人殺そうが、敵は敵よ」
この割り切りの良さが、陛下の強みなのだとブランツは思った。実際アブシュール七世の考案した魔道具は、人道的にどうかという面で見ると完全にアウトであった。驚くほど簡単に人を殺し、生き残ってもトラウマで二度と戦場に立てぬ程の傷を残す。敵を倒すということに徹底的に特化しているのである。
例えば、空気を薄くするという魔道具があった。空気中の何とかいう成分を吸収し、生物が呼吸してもその成分を取り込めなくするのである。説明を聞いても何のことやらわからなかったが、実際その魔道具を設置した地域に踏み行った帝国軍は、進むほどに顔色青ざめ喉を抑えてひどく苦しそうに死んでいった。救出され命を長らえても脳に障害を負うだろうと教えられ、悪魔の所業かと逃げ出したくなったものだ。
「ブランツ、高いところは平気か」
突然王に聞かれ、意図がわからず返事できなかった。
「今はまだ勝っておるが、帝国にはまだまだ余力がある。なりふり構わず捨て身の物量突撃をされたら、危うい。ここでまた撃って出る。お主にも来てもらおうと思う。空を飛ぶが、平気か」
「空、ですか」
「そうだアブ竜に乗って帝国の首都を急襲する」
「アブ竜って、王家のアブシュパが変身する竜のことですかね?」
聞きなれない単語に、質問してしまう。聞くは一時の恥である。
「うむ。昨日エリナがそう呼んでいてな。わかりやすいから公称にすることにした」
「公称ですか。またそんな簡単に。いや、今回のはわかりやすくて良いですけど」
「そうであろ」
「あ、えーと、多分大丈夫だと思います。空。飛んだことないですけど」
「心配するな。わしかて飛んだことないわい」
そうして2人の初飛行が決まった。
数日後、王家のアブシュパ3頭が竜の姿になり、アブシュール七世とブランツ、守護騎士筆頭のタイマイという女騎士を乗せてアブシュパーニャを飛び立った。
そのまま高高度を飛行し帝国首都の上空にて急降下。密偵より前情報のあった、皇帝が参席する貴族会を急襲した。食事のある会議との建前であったが実際は立食パーティーで、集まってきた帝国近衛騎士をブレスで焼き尽くし、逃げ惑う貴族達の中で凛として立つ皇帝を拉致してきた。
高いところは平気だという自称通り、国王も執事も守護騎士も飛行に関しては問題なかった。むしろ国王が喜びすぎて高すぎるテンションに他2名がイラついたくらいである。ただ急降下については各人様々だった。国王は吐いた。守護騎士は漏らした。執事は、興奮した。辺境の小国で先祖代々続く職を全うするのみと思っていた人生で、かつてないほどに昂り興奮した。上空からの急降下、からの獲物を捕らえる流れにどうしようもなく年甲斐もなく悦びを感じていた。
「陛下、私めの前世は猛禽類かも知れませぬ」
普段口にすることのないそんな戯言を言うほどに、心が躍っていたのだ。
「何でも良い。後は任せた。オエー」
全く使い物にならない国王をよそに、ブランツは皇帝を見つけ出しアブ竜を脅しに捕縛し乗せて連れ帰った。自分でも驚くほどの手際の良さだった。
「さて、皇帝陛下。未来についての話をしましょうか」
吐き気の治まったアブシュール七世がそう話しかけた時、帝国の皇帝ガルゴールは後ろ手に縛られ猿轡をされ、玉座の間の床に転がされていた。当然答えられるわけもない。
フゴーフゴー
何かを訴えようと声を出すが、猿轡のせいで内容を成さない。
「おっとすみませぬな。その姿では話せんでしょう。誰か、縛りを解け」
守護騎士達が捕縛を解いてゆく。
「こんな事をして、どうなるかわかっておるのか?」
歳の頃は60くらいだろうか。明らかにアブシュール七世よりは歳を経ている。だからなのか、初手から偉そうだった。
「偉大なる我が帝国は、びくともせぬ。すぐ次の皇帝が立つだけよ。徒労であったな、アブシュールよ」
「七世つけてもらってよいですかの?呼ぶときは」
「なに!?」
「わしも一応国王やってるわけですよ、皇帝陛下。できれば辞めたいけど。今回最初にそちらが攻めてきて戦争になったわけですけど、正直舐めとるでしょう、うちの国のこと。そういうのって、わかるんですわい。わしの名前は知っていても、第何世か、までは知らなかったんでしょうが。下調べが甘すぎると思いませぬか。戦力も読み違えておるし、もっと楽勝で勝てるとタカをくくってたんでしょうな、貴方も、貴方の取り巻き達も。甘いですなぁ。今だって、拷問された挙句手足切り取られ、洗脳の魔法をかけて送り返されてもおかしうないのに、自害を考えてすらいない。わしはやりますぞ、そのくらい。民を殺されとりますからな」
ガルゴールは、冷や汗が止まらなくなった。戦する相手国のことを、ほとんど知らない。宰相たちがチャンスだと言うから何もわからぬままに話に乗ったのだ。しかし始めてみれば連戦連敗。将校や宰相達は予想外の魔道具や守護魔獣を敗戦の原因と口にするばかりで、誰も責任を取ろうとしない。敵は強く、容赦がない。初めて話したアブシュパーニャ国王の目は、狂人のようで心底怖い。これは、攻める相手を間違えたのでなかろうかと思い始めていた。
「に、二度とこの国には攻め入らぬ。本当だ。審判の神ユラキに誓う。賠償もする。それで収めてはもらえぬだろうか」
ガルゴールは、床に頭を擦り付けて懇願していた。額が擦り切れ血が出るのも気にならない。とにかく許しを得たい、失敗を無かったことにしたい、死にたくない、そんな気持ちしかなく、普段皇帝として振る舞う傲岸不遜な様子はどこにもなかった。
「意外と変わり身が早いですな、皇帝陛下。しかし、本心ではありますまい。命が助かれば、次はいかに残虐に我が国を滅ぼし奪うかの算段をするのでしょう」
「そ、そんなことはせぬ。余は宰相どもに騙されたのじゃ」
「エリナ、あれ」
手慣れたメイドから渡されたのは、細長い一本の杖だった。年代を感じさせる古い木製で、頭のところは拳くらいの瘤になっていて、黒い石がはめ込まれている。持ち手あたりは黒光りし、年季が入っているのが見てとれる。
「さて、ほい」
アブシュール七世が軽く杖を振ると、ガルゴールの体が黒い霧に包まれた。姿が見えぬほどに霧が濃くなり、そこだけ闇が塊になっている。
「ぐあー、や、やめて、ふぐぁ、助けて、おぼぁ、もう、もうやめて、殺してくれ……」
途切れ途切れにガルゴールの声が聞こえる。最初こそ大きな悲鳴だったが、次第に弱くなり、啜り泣くような懇願に変わっていった。やがて、その声すら聞こえなくなった。
「そろそろ良いか」
退屈そうにアブシュール七世が杖を振ると霧が晴れ、床に座り込んだガルゴールの姿が見えてきた。
「おお、これは」
変わり果てた姿に居並ぶ者たちがどよめく。ガルゴールの頭髪は全て真っ白になり、眼窩は窪み、うつろな瞳で独り言をぶつぶつ呟いている。
「一体、何があればこんな短時間でここまで変わるのか」
ブランツが驚くのも無理はない。時間にしてほんの3分程の出来事で、一気に老けて弱って生気を失ってしまった。
「愚かな皇帝に教えてやろう。この国の地にかつて存在したダンジョンの名は、地獄という。悪と闇と魔物の世界じゃ。今お主が、体験した世界がそれじゃ。このアブシュパの魔石を埋め込んだ杖は、地獄とこの世を繋ぐことができる。なんならお主を永久に彼の地へ閉じ込めることもできるぞ」
ガルゴールの精神は崩壊寸前だったが、アブシュール七世が穏やかに話しかける声は聞こえていたようだ。涙と涎を顔中に垂らしながら声を上げて泣き出した。
「先程、お主と地獄に魔法の縁を繋いだ。この世界のどこにいても、この杖で魔法を発動すればお主を再び地獄に堕とすことができる。お主だけではないぞ、お主を中心に、この地の広さと同じだけの広さが地獄に繋がるのじゃ。周りにいる者も含めてな」
「……」
「よいか、二度と我が国を舐めるな攻めるな害するな。地獄に堕ちたくなければ、な」
皇帝は、コクコクコクと、機械仕掛けの人形のように首を振る。
こうして、アブシュパーニャの圧倒的勝利という、世界中の誰もが予想しえなかった結果をもって戦争が終結した。
それからしばらくして、戦後処理の政務中にアブシュール七世は吐血して倒れた。春一番が吹き渡り草花の蕾が春の息吹を感じさせる午後のことだった。
「陛下!気がつかれましたか」
「おお。まだこの世か。わしはまだ生きとるんじゃな」
「丸3日寝てた。私が看病した」
「すまんのぅ、エリナ。そうか。3ヶ月、たったのか。毎日薬は飲んでおったんじゃがのぅ」
「国王陛下」
白衣を着て赤毛の髭を口の周りに蓄えた男性が進み出た。主治医である。表情は暗い。
「おお、アカヒーか。どうじゃ、わしはあとどれだけ生きられる。正直に答えてくれ」
「内臓の9割が病に冒され、回復魔法も薬も効きませぬ。おそらくもってあと2、3日かと」
「そうか……よかったわい。話をする時間はありそうじゃな。最後に意識を戻してくれたのは、神の計らいかの」
アブシュール七世は、微笑んだ。
「陛下、これ食べて。アブシュパの卵」
「ん?おおエリナ。わしは卵は食えんぞ、知っておろうに」
王家にはいくつかの禁忌がある。アブシュパの卵を食べてはならないというのも、その一つである。産業としてアブシュパを畜産し糧とはするが、決してその卵食するべからず、と語り継がれ、心通わせる為に必要なことだとされている。ちなみに肉は普通に食べる。
「わかってる。でも寿命伸びるかも知れない。バチが当たったってどうせ死ぬなら、やってみる」
幼い頃から共に育ったメイドの真剣な表情に、アブシュール七世の顔が綻ぶ。
「気持ちは嬉しいが、おそらくその卵を食べるとよくないことが起きる。理屈ではなく、そう感じるんじゃ。決して食べてはならぬ、とな」
メイドは目を伏せ、そっと卵の載った盆を下げる。
「しかしのぅ、こうなっては子供がおらんのが悔やまれるのぅ」
「陛下、恐れ入りますが、お跡を継がれる方をご指名くださりますか。妹君のアブシュミカ様でよろしいでしょうか。先程知らせがあり、明日には到着なされるはずです」
「そうか、アブシュミカが来るか。悪いことしたの。せっかく魔法学校の生活を楽しんでおったのに」
「国の一大事ゆえ、そのようなことは言っておられませぬ」
「ああブランツ、言い忘れておったが、わしはエリナと結婚した。わしが死んだ後はエリナが女王じゃ」
「そんな大事なこと言い忘れないで下さいよ!え?エリナと結婚?いつの間に?」
「前々からエリナにはプロポーズしておったんじゃがな。中々受け入れてもらえなんだ。わしの病がわかって戦が始まってからじゃから、つい2ヶ月前位かのう、エリナが頷いてくれたのは」
「そんな仲だったんですか陛下とエリナは」
「ん?どういう意味じゃ?ああ、男女の仲という意味なら、違うぞ。10代の頃から恋人になってくれと言い続けておったが、けんもほろろどころかずっと無視されておった」
おそらく30年に及ぶ片思いに、ブランツは国王が可哀想になった。
「……」
「何か言わぬか。おめでとうとかおめでとうとかおめでとうとか、言うことあるじゃろ」
「はは、国王陛下、おめでとうござりまする」
全く気づいていなかった執事は、深々と腰を曲げ祝いの言葉を述べた。王宮の従業員は、朴念仁の執事以外の全員が国王陛下の片思いに気づいていた。あまりに長い期間のことなので、特に応援するでもなく、定番のネタとして他に話題がない時に話すくらいのものであった。誰も執事に教えなかったのは、いつ執事が気付くかが密かに賭けの対象にされていたからであって、さして深い意味はない。
「さて、エリナが王となると、アブシュミカには時折アブシュパと心通わせに帰ってきてもらわねばならぬことになるが、強制はすまい。冒険者の魔法使いになるというあいつの夢を優先させたい。どうせアブシュミカが子を成さねばいずれ血筋は途絶えるのじゃ。今お役目を終えたとて何の違いがあろうか」
初代国王の血筋を引くものが王家のアブシュパと心通わせねば、ダンジョンが復活しアブシュパは魔物の姿に戻ると言われている。が、前例がない為、実際のところどうなるかはわからない。だが国王は、それで国が滅びるのもやむをえないと考えていた。エリナには、王家の財産全てを投げ打って民の今後の生活を守るよう伝えてある。密かに買い求めていた隣国の地に、新しい街を築けば良い。皆で移住し、やり直せば良い。病を告げられるよりもずっと前から、考えていたことだった。
「ブランツ、かねてより言うておった移住計画、指揮はお主に任せたぞ」
「陛下、てっきり現実逃避の妄想かと思うておりましたが、本気でしたか。そのお覚悟、このブランツしかと受け止めました。謹んで拝命致します」
2人は目を合わせ、頷き合う。何となくわざとらしい悲壮感が芝居がかって見える。悲劇というより喜劇のように。
「私も言い忘れていた」
「なんだエリナ、今良いところじゃ」
「子供ができた。陛下の子供」
「なんじゃと!?」
「なにっ!?」
男2人は目を見開き鼻の穴を開き、ふんがと勢いよく鼻息を吹き出した。
「え、エリナ!子供ができたと。妊娠したと申すか」
「へ、陛下の子を身籠ったということか」
「だから、そう言ってる。落ち着くのが必要だ馬鹿ども」
非常に失礼な物言いなのだが、手を取り合って喜びのダンスを踊るオッサン2人の耳には入っていない。
「でかしたぞ!エリナ!さすが我が最愛の姫よ!」
「陛下!お祝い申し上げますぞ!姫というにはとうがたっておりますが」
ガスっ
無表情の妊婦が上司である執事の足を蹴りつけるが、浮かれているので効かない。
はぁー。とため息をつき、喜びに満ち溢れた2人を黙って眺めることにする。いつも無表情なメイドの口元には、わずかに、ごくわずかにだが笑みが浮かんでいる。彼女の心は、今までの人生で1番の幸福感に包まれていた。
「えー、おほん。だが、まあのぅ。子供ができたのは非常に喜ばしいが、それではエリナを女王という責務に就かせることはできん。とりあえず跡継ぎはアブシュミカじゃな」
「妹君の夢はどうなさいますか、陛下」
「そんなもの知らぬ。諦めればよい」
先程とは真逆のことを言っているが、アブシュール七世の心にブレはない。自分の中の優先順位に順位の変動があり、妹が一気に降格されただけの話である。
「今は何よりエリナとお腹の子が1番じゃ。大事な時期ゆえ、細心のケアが必要じゃ。おぅい、誰かあるか。王家のアブシュパを連れて参れ。心通いの儀を行う。全てのアブシュパにエリナと子の守護を頼むのじゃ。おい、アカヒー。わしの寿命を伸ばせぬか。子の顔が見たい。抱いてみたい。成長が見たい。反抗されたい。尊敬されたい。共に酒が飲みたいのじゃ!」
ベッドから立ちあがろうとしたアブシュール七世は、よろけて倒れ落ちそうになった。そこに素早く滑り込み、エリナがアブシュール七世の体を支えた。
「大丈夫。この子は私がしっかり育てる。大丈夫」
アブシュール七世の体から、ふっと力が抜ける。釣り上がった目も、安心したかのように優しくなる。体の内からくる病の痛みや苦しみがあったはずだが、急に楽になったようで、穏やかな微笑みさえ浮かべている。
「ああ、そうか。わしはアブシュパになるのじゃな。そして、守るのじゃな。ああ、今やっと初めて解ったわい。我が血筋は、そうじゃったのか。それならば、よい。うむ、悪く、ない」
虚空を見つめながら何かを悟り、アブシュール七世は満足そうに目を瞑った。そして、そのまま息を引き取った。
国王の葬儀は国葬ではなく家族葬にて執り行われること、次の王は女王エリナとなるが就任の儀は喪中の為執り行わないこと、アブシュパ心通いの儀は年に一回アブシュミカが帰国して執り行うこと、これらが矢継ぎ早に公布された。国民は、アブシュール七世の死を悼んだ。王家の血筋ではないエリナが王となることにも、抵抗はなかった。安定期に入り懐妊が発表されると喜びに沸きたったが、例え子を成していなくても受け入れていただろう、そう思えるほどに、この国の民の懐は広く皆が人の痛みと喜びを知る優しき者達であった。
オギャーオギャー
しばらくして、エリナは元気な男の子を出産した。ブランツやアブシュミカとも相談し、名はアブシュール八世とした。国王にならなくても良いと思っていた。ただ自分の信念を持って、生きて欲しいと。父親のように。
いつの頃からか、一頭のアブシュパが、女王エリナの側に付き添うようになっていた。虹色の甲羅の、オスのアブシュパである。時に悪漢からエリナを守り、時に並んで寄り添うように芝生の上で昼寝していた。相変わらずいつも無表情なエリナであったが、そのアブシュパといる時だけは嬉しげにささやかな笑みを浮かべていたという。