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逃走/追走(終了)

 携帯のスピーカーから智一のやや軽薄な声が響いてきた。若干の緊張は含まれているが、おおよそいつも通りの智一の声に、雅哉の気分も日常に引きずられていき多少なりとも悄然としていた気分が持ち上がった。

『うーす。了解。ということは見失っちまったんだな、犯人』

「ああ、その通りだ。面目ないな……」

 電話越しに犯人を追っていたが見失ったことを連絡した雅哉。ちなみに犯人と一戦交えて、掌を穿たれたということは伝えていない。

「なに、いいって……俺が言えることでもねえんだろうけどよ。無関係のやつのために犯人を追っただけでも勲章ものだ」

「安い勲章だな。ガキの怪我じゃあるまいし」

 かかか、と闊達な智一の笑い声に「よくやった」というねぎらう響きがこめられていたのを敏感に感じつつ、

「それじゃ、今からそっちに戻るよ。ちなみにそっちはどんな感じなんだ?」

 前半の台詞は肩の力を抜いたような、後半の台詞は慎重さに肩が強張っているような口調で、そう訊ねた。

 この質問にはまじめに答えるべきと判断した智一は、先ほどまでの親愛なる道化のような明るさを潜めて、電話越しの現状を話す。

「ああ、こっちは今警察と救急を待ってるところだ。人が倒れたんだから救急への連絡はスムーズにいったんだが、目撃者もいないし警察は疑わしそうだったんだ……正直来てくれないかと思ったぜ」

「……警察に連絡入れるようにいった俺が言うのもなんだが、よく警察が動いたな?」

 かつて交番のすぐそばで喧嘩したこともある雅哉が意外そうに目を丸くした。その時は目撃者も何人もいて、そのうち何人かは警察に駆け込んだだろうに10分以上誰も来なかったのだ。

 その意外さが伝わったのか、あるいは自身にも何意かしら思うところがあるのか、電話越しの智一も意外そうにして、おかしなものを見たとでも言いたげに。

「ああ、なんかさとりと電話代わったら何分も話さないうちに『すぐ来るよ』、だってさ。あいついったい何もんだ?」

「まじかー……すげえな。ところで被害者――というか、倒れた――女の子の方はどうだ?」

 友人の思わぬ影響力に嘆息しつつ、雅哉は深入りすることなく話題をシフトした。それがいってもいいことなら、さとりは友人である2人に話すであろう。

 今話さないのは、話したくないのか、色眼鏡をつけてほしくないのか。どの道藪をつついてまで知る必要もないのだから、今は聞かなくて良いだろうという考えから、雅哉は早々にさとりの正体への話題を放棄した。

「ま、たしかに正体なんぞどうでもいいか。倒れた女子のほうは、幸い軽症だろうな。お前のおかげで頭を打った様子もないし、見た限りどこかに怪我があるわけでもない。何で倒れているのかマジわからねえ」

「世の中には不思議があふれてるってことだろうよ。ま、こんなところかね。それじゃあ切るぞー」

「あ、チョイ待て。ふむ……ふむ。あいわかった」

 突然電話の向こうで話し始めた友人に首をかしげながら、耳に携帯を添えつつ歩いて待つ。

「おう、この女泣かせ! かわいこちゃんがお前と話したいだってさっ、ひゅーひゅー!」

「はぁ?」

「ショートヘアの黒い髪の、ちょっと幼い感じの妹形のかわいさをもつ――って、ぁー!」

 何かよくわからないが電話の向こうで妙にハイテンションになってある女の子の特徴らしきものを羅列し始め、すぐに小さな悲鳴とともに途切れた。

 途切れた後のカエルが踏まれたようなくぐもった悲鳴は……まぁ、聞こえなかったことにしよう。きっと空耳だ。

「もしもし、まさや? 女の子の一人がお礼言いたいんだってさ。それじゃあ代わるね?」

「あ、ちょ……っ」

 許可を得る前に変わった気配がして、誰とも知らぬ少女の硬い息遣いが聞こえた。

「あ、あの……っ、もしもしっ?」

「あ、ああ。どうも」

 緊張に硬くなる二人の電話の背後からは智一が喝采をあげている音が小さくBGMとなって聞こえた。それもすぐに止んだ。

 それをきっかけに、電話越しの誰かさんは緊張が解けたらしい。

 くす、と小さく笑うと、笑ったことをあわてながらも、今度の呼吸は先ほどよりも硬さが取れていた。

「……何か用なのか?」

「あ、さっきはその……みーちゃんを助けてくれてありがとうございます

「……みーちゃん?」

 知らぬ呼称に誰かと悩んだが、該当するのは一人しかいない。倒れこんでいた彼女だろう。

 電話越しでもそのことをあわてて説明をした少女に、見えないと知りつつ、身振りもあわせて「ああ、うん」と相槌を打った。

「わたし、隣にいたのにぜんぜん気づかなかったのにって、友達を守ってくれて本当にありがとうございます!」

「……べつに、気づいたから動いただけだ。感謝ならそっちに残って救急とか呼んだ俺の連れに言ってくれ」

 ややぶっきらぼうな返事になってしまったが、それでも電話越しの彼女はめげずに、威勢よく「本当にありがとうございましたっ!」と、見えもしないお辞儀が見えそうなほどの感謝を送った。

「うん……どういたしまして」

 やや戸惑いながら、雅哉は「それじゃ」といって電話を耳から話して、目の前に持ってきてしげしげと見つめる。

「…………」

 雅哉は、知らぬ間柄の相手との会話は得意ではない。

 敵意を向けるのなら冷淡に返せば良いが、好意を向けられたらそれを受け入れてもいいものか迷ってしまう。

「むぅ」

 そうして感謝をもてあましていると、再び電話が代わった気配がしてまた耳をつけた。相手は智一ではなくさとりだった。

「……トモは?」

 電話の持ち主のことを尋ねてみると、ちょうどそのあたりで、雅哉の耳にはサイレンの音が小さく聞こえ始めた。

「トモは女の子に踏まれて悶絶してるよ? まさやは今こっちに向かっているんだよね。それじゃ、わたしたちは待ってるからねー」

 ……前半は聞こえ始めたサイレンに意識を向けて生まれた空耳だろう。あるいは小粋なジョークに違いない。

「……了解」

 確かめるのも怖いので好奇心に蓋をして、遠ざかりつつあるサイレンを聞きながら、雅哉はとぼとぼ2人のいる商店街へと足を向けた。


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