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事件の影・下

雅哉が駆け寄る先で、今まさに少女が1人倒れようとしている。

「……っ!」

 息を止め、足を踏みしめ、体を前へ前へと倒すように加速していく。

 体に必死に追いつこうと、1歩1歩の歩幅が大きく取られ、足は止まることなく動き続けた。

「うわ!」

「きゃっ!」

「あぶねっ!」

 見ず知らずの通行人たちが、その勢いに押し広げられるように道をあける。あるいは、その鬼気迫る形相が、道を譲る理由かもしれない。

「……っ!」

 彼の存在に気が付いたものは道をあけ、気が付かないものはただ置き去りにされた。

 躱し、躱され、細い街路の多くない人ごみを駆け抜け、その甲斐もなく、決定的瞬間には間に合いそうもなかった。

「てめっ!」

 今雅哉の目の前で、誰にも気づかれていなかった男が、誰にも気づかれることなく腕を振りおろし終えた。

 その腕には、小さな――こぶし大にも満たないけれど、人を殺すには十分な大きさの――ハンマーが握られている。

 もとより男が腕を振りかぶってようやく駆け出したのだから、間に合うはずもない。

「ぇ……?」

 倒れていく少女。

 けれどその瞳に映っているのは、「どうして?」という疑問ばかりだった。

「え?」

「あれ」

「……うそ」

 彼女の体が崩れていく様子を、友人たちは茫然と見つめた。

 ――どうして、たおれるの?

「……え?」

 まったく前触れもなく、不調の兆候すらなく、忽然と倒れていく少女に、現実感が追い付いていなかった。

 倒れていく彼女に何のアクションも起こせないまま、硬直してしまっている。

「っ」

 ただ1人、雅哉だけが行動を起こせていた。

 そして、「やばい」と思っていた。

(あのまま倒れたら……頭ぶつけかねないぞっ!?)

 すでに頭部は見知らぬ凶行者に打たれている。これ以上の刺激は避けたいところだった。


 間に合えっ! その一心で駆け抜け、それがかなわなかった――かなうはずもなかった――疾走が。

 間に合わないことを知っていてもなお駆け抜けた精神が。


 ――彼女が倒れる間際に、彼女を助けることを可能とした。 

「……ギリセーフだな」

 足から滑り込むように姿勢を低くし、彼女の頭部とアーケードのタイルの地面の間に体を割り込ませ、クッション代わりに体を使う。

「え」

 その様子に周りにいた少女たちはもちろん、商店街を歩いていたほかの人たちの驚いた視線も集めることとなったが気にしない。気にする余裕もない。

「っ……!」

 ぶぅん! と遠方から投げられた狙いの甘いハンマーを、雅哉は体をずらして事なきを得た。

 ハンマーが飛んできたその先には、例の男がこちらを見て、憎々しげな表情をした――様な気がする。

「雅哉!」

「なに、その子どうしたのっ?」

 完全に出遅れた形になったが、智一とさとりも数秒遅れてようやく駆けつけてきた。

「おせぇぞお前ら!」

「う……」

「わりぃ」

 何も見えていなかった2人からすればどうしようもないことだが、そのことを半ば理解しつつも雅哉は叫んで、憤りを発散させる。

 それは同時に、自分を落ち着かせるための行動で、それよりも先に、この場の指導権は俺に寄越せと端的に叫んだつもりもあった。

 それを表すかのように、雅哉は頭に衝撃を与えないように立ち上がり、さとりに指示を出す。

「さとり。この子の頭が打たないように抱いてくれ」

「え、ええ」

 そして、さとりにけが人を受け渡す途中で、すぐに智一にも指示を出す。

「トモ。お前は救急車と……一応警察にも連絡だ」

「お、おう。わかったぜ」

 2人の了承と同時に向けられた「それでお前は?」という表情に、雅哉は追い詰められた表情をしながら視線を道の先に向けて答えた。

「決まってる! 犯人を追うんだよ!」

 今にも駆け出さんとしている雅哉に、2人は驚いた顔を向け、そしてその間に駆け出した雅哉に向かって声を上げた。

「がんばれよ!」

「がんばってね!」

 雅哉は言葉を返すのも惜しい気持ちで、けれど律儀に腕を上げて応えながら、男が消えた先へと駆けた。


 被害者の少女の友達は、その一幕を呆然と眺めることしかできなかった。

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