38 本番開始
時が経つのは早いもので、とうとうフリードリヒのデビュタメント当日が訪れた。
緊張した面持ちのフリードリヒと共に馬車に乗りこんで王宮に向かう途中、密かに報告を受けていたバスーキンが、二人を見て重々しく口を開く。
「ディラック殿、キリエ殿。……頼んだぞ」
「必ずや」
静かに小さく、だがしっかりとうなずいた二人に、フリードリヒが首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
「んー? 危ないかもしれないから、絶対あたし達から離れちゃ駄目ってことよ」
笑いながら言うキリエにうなずき、フリードリヒは窓の外に目をやる。
道のりは──まだ遠い。
****
従者と共に(バスーキンと侯爵の厚意でつけてもらった)大広間に入ると、先日とは全く雰囲気の違う華やかさがあった。
「すごい……これが正式な舞踏会?」
「はい。以前よりもずっと華やかでしょう?」
呆然と呟いたキリエに、まだ緊張しながらもフリードリヒが笑いかける。
この間と同じようにバスーキンとディラック、フリードリヒとキリエに分かれると、案の定それぞれに紳士淑女が集まってきた。
(今日は来られちゃ困るのよね……)
苦々しい思いでキリエがそつなく対応して、先日と同様テラスに出る。
「キリエさん、大変ですね」
苦笑するフリードリヒに、キリエも苦笑を返す。
「ほんとにね。大体、こんな格好しなくて──」
ひゅんっ!
言葉を切ったキリエが、隠し持っていた飛剣を放つ。それは違わずに、フリードリヒを狙って放たれた毒付きのナイフを弾き飛ばした。
「キリエさん!」
「フレディ君、こっち来なさい!」
驚いて声をあげたフリードリヒに大声を出し、キリエは勢いよくドレスの裾を跳ね上げる。
スカートの中に吊し隠していた剣三本を、手荒く取り出した。
そのうちの一本をフリードリヒに投げるようにして渡すと、続いていまだに何も気づいていない大広間から走り出てきた従者にもう一本を渡す。
「悪いわね、手伝ってもらっちゃって。ディラックに渡してよ? 終わったら逃げて。迅速に」
「かしこまりました」
従者は丁寧に頭を下げると、再び中へと走っていった。
「フレディ君、ごめん」
呟いたキリエがナイフをひらめかせ、ドレスを大きく切り裂く。
膝上十センチほどまで無惨に破かれたスカートを見下ろして満足そうにうなずき、彼女は剣を構えた。
「──フレディ君」
「はい」
「君も手伝いなさい。稽古つけてあげたんだから、それぐらいできるでしょ?」
さらりと言ったキリエが、身につけている装身具を乱暴に外していく。
高価な宝石が、乱暴に床にうち捨てられる。
「邪魔。」
隠していた飛剣がなくなり、もはや用済みとなったカモフラージュの腕輪を外すと、金の腕輪が誇らしげに光った。
『来たわ! バスーキン伯に攻撃がいかないように注意して!』
『まかせろ!』
キリエは最前線で食い止める係。ディラックは取りこぼしを確実に仕留める係。
フリードリヒには気の毒だが、キリエは彼と一緒の方が貴族達に怪しまれにくかったのだ。
実は端からこっそりフリードリヒも応戦の頭数に入れつつ、キリエは木立から飛びかかってきた男からフリードリヒをかばい、真っ向から斬り結んだ。
「あんたらうざいのよ」
低い声でうなって剣を薙ぎ、キリエは一太刀で男を片づける。
ようやく異変に気づいた大広間から、淑女達の絹を裂くような悲鳴が響いた。
その中でバスターソードを抜きはなったディラックが構える。
華やかな舞台が、一瞬にして阿鼻叫喚の空間に変わった。
「まったくもう……ドレスって動きにくいから嫌いよ!」
しかもヒールだしね、あたし!
やけくそ気味に叫びつつ、フリードリヒめがけて飛ばされたナイフを弾く。
息つく間もなく斬りかかってきた男の腹に剣を貫通させた。
美しい薔薇色のドレスが返り血で染まっていくが、彼女はそんなことなど気にもとめない。
「フレディ君、左っ!」
キリエに言われ、前方の敵と対峙していたフリードリヒが一旦大きく飛びずさった。左側の死角から襲いかかった男の剣を受け流し、素早く後ろに回りこんで斬り捨てる。
続いて先程の相手に肉薄すると、その利き腕に深手を負わせた。
「そうそう、上手よ」
そんな余裕などないはずなのに、フリードリヒに笑いかけて励ましたキリエの視界に、微妙に見慣れてしまったローブがちらりと映る。
映った瞬間、キリエは吼えていた。
「ちょっとあんた! 勝負しなさいっ!!」
「キリエさん!? どうしたんですか?」
唐突に人格が変わったキリエに驚いてフリードリヒが振り向くと、キリエは奥歯をきしませながらうなる。
「返せあたしのファーストキスっ!」