33 化けの皮がはがされました
カード場はさらに混みあっていた。ざわめきの端々からドミニゴの集団が来たと知ったアリスの表情が、僅かにぴくりと動く。
だが何事もなかったかのように自分の台に戻り、近寄ってきた男達の相手を始めた。
淡々と仕事をこなす彼女に一人の男がふと目をやり、次の瞬間小さく瞠目する。踏を返して足早に歩み寄り、台の前で立ち止まる。
それに気づいてちらりと視線を上げたアリスが、男に笑いかけた。
「見ない顔ね。ここは初めて? それとも馴染み? あたし、最近入ったばっかだからよく知らないのよ」
「──どういうつもりだ」
「……どういう意味? あんたとは初対面よね」
困惑したように眉根を寄せるアリスの手をつかみ、ローブの男は問答無用で奥に引きずりこむ。
男女の営みのために用意された部屋に無理矢理連れこむと、男はアリスをベッドに放り投げて、後ろ手に鍵を閉めた。
「どういうつもりだ」
先程の言葉を繰り返す男をじっと見つめ、アリスは大きく息を吐く。
「──何でわかったのよ」
「見ればわかる。上手く化けたな、キリエ」
ディラックにしかばれなかったのにとぼやくアリス──いや、キリエにくつりと笑い、シュレイドはばさりとローブを払いのけた。
「何故ここにいる」
「情報がほしいのよ。ドミニゴだけじゃなくて、裏全体の、ね」
本部からの情報を待ってたんじゃ、遅すぎるのよ。
迷いのないその言葉を聞いて、シュレイドは納得したようにうなずく。
「スラッシャーか」
「そういうこと。絶対誰にも言わないでよ、ばれたらあたし殺されるんだから」
肩をすくめたキリエが鋭い目でシュレイドを射抜くと、予想に反して彼はあっさりとうなずいた。
「いいだろう。ただし」
そこで言葉を切って、シュレイドはすいとキリエの正面に立つ。
何をと問う間も与えず、素早く噛みつくように彼女の唇を奪った。
「何すんのよ!」
思わず隠しナイフをひらめかせるキリエを無駄のない動きでよけて、再び肉薄したシュレイドは、手慣れた様子で彼女の両手を封じる。
「おとなしくしろ。俺達がここに入ってからある程度の時間が経っている。入るのも見られているから、今更何事もなかったように出ていくのは不可能だろう」
「そこで何でキスするのよ」
「単なる口止め料だ」
あっさりと言い放たれ、キリエは思わず目の前の男をタコ殴りにして袋に詰めて海に沈めたくなった。だがしかし、弱みを握られた今は、下手に手出しができない。
「印をつけさせてもらうぞ」
首筋に顔をうずめるシュレイドに、キリエは特に抗うでもなくおとなしくしている。ちくりと鋭い痛みが三カ所にはしり、首筋から鎖骨にかけて三つの紅い花が咲いた。
シュレイドに解放されたキリエは、恨みがましい目で彼を睨みつける。
「すぐ消えるようにしたでしょうね」
「当然だ」
足を組んで椅子に座ったシュレイドが、キリエを見ながら淡々と言う。
「〈ネラン〉と〈ラントン〉が手を結んだ。〈トゥール〉に対抗するための一時停戦のようだな」
「──それ本当?」
「偽りを言って何になる」
ネランとラントンは、アシャクロム内で敵対している暗殺組織だ。長年抗争が絶えず、過去には一方のトップの暗殺が引き金となって、三年にも及ぶ壮絶な闘争が繰り広げられたこともある。
対するトゥールは、アシャクロム内随一の巨大な組織。金さえ積めば何でもする。
「ずいぶん思いきった行動に出たわね」
「背に腹は代えられんのだろう」
ネランもラントンも、それぞれトゥールと対立している。けれどトゥールは強大すぎて、個々では歯がたたなかったのだろう。
「……トゥールが斃れたら、アシャクロム内の勢力関係が激変するわね」
「ああ」
「ドミニゴにとって、それは有利なの?」
「だろうな」
激変する際に潰されることはない。
あっさりとした彼の態度からそう考えていることは明白だったし、キリエ自身も潰されるほど甘い組織ではないと思っていた。
「混沌の時代がくるわね」
「アシャクロムは皆、覚悟している」
「手練が大勢喪われるわね、惜しいこと」
「承知の上だ」
「どれぐらい続くのかしら」
「さてな」
淡々となされる会話。
「……そこまでして、手に入れたいものなの?」
「だろうな」
何を、とは問わない。言わない。
彼女達はわかっているから。
シュレイドがちらりと懐中時計を見て小さくうなずき、キリエをうながした。
「そろそろいいだろう」
その言葉を合図にキリエが立ち上がり、部屋を出かけてくるりと振り向く。
「あたし、ここではアリスだから。間違わないで」
二人が連れ立って戻ると、シュレイドに男達の鋭い視線が突き刺さった。一瞬彼と視線を交わしたアリスは、小さく肩をすくめてすたすたと自分のテーブルに戻る。
知ったことかと内心舌を出していたのだが、やがて男達の間に耳打ちが広がり、シュレイドに対する尖った視線は消えていく。
一体何かと微かに眉を顰めたが、すぐに考えることを放棄した。
(ま、いっか)
考えても答えが出ない場合は、いくら考えても体力の消費。無駄なことはしたくない。
それが彼女のポリシーだ。
「アリス! 娼婦の真似事はしないんじゃなかったのか?」
(……やっぱきた……)
何やかんやとアリスに言い寄っていた、若いスリの少年だ。
いっちょまえに煙草を吸うくせに、鼻に浮かんだそばかすが子供っぽくて可愛らしい。
「馬鹿言わないでよ、あたしはそんなことしてないわ」
「じゃあ、何で!」
「気に入ったの。あいつはあたしより強い」
後半だけは、悔しいけれど真実。
本当は絶対に認めたくない言葉を薄い笑みに乗せて言いながら、アリスはテーブルの下でこっそりと、シュレイドに向けて中指を突き立てた。