32 ミラのアリス
ミラ。
看板さえ出ていない、寂れたカード場。
その地下にある隠し扉の向こうに、アシャクロムはある。
そこにいくつか並んでいる薄暗いカード台の一つで、つい先日入ったばかりの娘が暇そうにグラスを傾けていた。
紅のまっすぐな髪を無造作に流して、黄色いスカートから伸びた脚を組んで。気だるげに座ってはいるが、どこか鋭い空気が消しきれない。
台の前に一人の男が立ったのに気づき、娘は視線を上に上げた。
「いらっしゃい。掛け金は十二ガロスからよ」
目をすがめるようにして艶めかしく笑った娘の顎をつまみ、男も口の端をつりあげる。
「アリス、俺はカードよりも鴉の行方が知りたい」
「それなら二十ガロスね。使える情報かどうかはあんた次第だけど」
吐息がかかるほど近くでささやかれても、娘──アリスは余裕の笑みを崩さない。
男が硬貨を台の上に置くと、アリスはちらりとそれを見て口を開いた。
「最近よく頑張ってるみたいよ。王都を中心に、こっちの方まで手を伸ばしてるみたい。まあ、あそこは元々そんなに予算もらってないから、一月もすれば追跡を諦めるだろうっていうのが大方の見解。都市によって巡回の時間は決まってるわ」
そうして差し出される、白い手。
男がその上にさらに数枚の硬貨を乗せると、アリスは満足そうに目を細めて言葉を続ける。
「どこの情報がほしいの?」
「ドリアークとザアナンだ」
「ドリアークは午後二時から四時。ザアナンは深夜一時から二時よ」
それを聞くと、男は満足そうに身を起こした。
台の上の硬貨を指で弄びながらアリスが笑む。
「悪いわね、あたしはこれでしかザクレドク様に上がりを出せないのよ」
彼女が衣食住の保証と引き替えに無償で働いていることは、男達の間では有名なことだった。
「夜の相手なら、もっと稼げるんじゃないのか? 望む相手はいくらでもいるだろうに」
にやりと笑いつつ男が言うと、アリスも口の端をつり上げる。
「ここに来る男達が、どうして他の奴じゃなくて金をとるあたしのところに来るのかはわかってるわ。でも、見くびらないで。──あたしは娼婦の真似事をするまで堕ちちゃいないのよ」
あたしには、この情報網があるんだから。
確かに彼女の持っている情報は、アシャクロム固有のものともまた違うルートで手に入れたものもある。彼らが彼女の元に向かうのは、その理由もあった。
「残念だな」
どこか楽しそうに言って、男がすいと離れていく。アリスは軽く髪をかきあげて、硬貨を数えながら麻袋に入れていった。
小さなざわめきに混じって、ちゃりんと固い音が響く。
「アリス」
呼ばれて顔をあげ、しわの深く刻みこまれた老人の姿を認めたアリスは、小さく目を細めた。
「こんにちは、メゾン翁。何のご用?」
「仕事を持ってきた。誰か適当な奴に振り分けてくれ」
そう言ってささやかれた言葉の数々をしっかりと記憶し、アリスは小さくうなずいた。
「それで全部?」
「ああ、頼むぞ」
ここに働く者は他にもいるというのに、どうして入ったばかりの彼女に頼むのかなどと訊く者は、一人もいない。
誰もが彼女の優秀さを認めているのだ。
老人が去った後、アリスは少し考えて、そこここでたむろして情報交換をしている男達の数人の名を呼んだ。
一人一人に仕事内容と報酬を告げ、承諾の是非を問い、振り分けていく。
「よろしくね」
短く告げて、彼女は休憩のために奥に入っていった。自分の部屋に戻ると、ベッドに腰かけて深く息を吐く。
「疲れた……」
ぼそりと呟き、コップに酒を注いでゆっくりと飲み干す。
そうして机に向かうと、それまでに仲介した仕事を羊皮紙に全て書き出した。窓辺にいた鳩を呼んで足にそれをくくりつけ、代わりに元々ついていた羊皮紙を外す。
「お行き。気をつけてね」
放った鳩をしばらく見送り、アリスは手に持った羊皮紙を広げた。きっちりとした少し癖のある筆跡に微笑み、その内容に苦笑する。
「さすがに酒の量が増えすぎたかしら……」
これじゃまるで、あたしが酒中毒者みたいじゃない。
ぴん、と片手で器用に羊皮紙を弾き飛ばし、狙い違わず机の上に着地させる。
窓の外に広がる風景を眺め、彼女は一瞬遠い目になった。
「帰りたいなあ……」
だが、それも刹那のこと。
すぐに元の勁い瞳に戻ると、彼女は仕事場に戻っていった。




