31 ナイチンゲール
厳しい言葉に、キリエの表情が固まる。
いつもならば真っ先に反対するはずのフリードリヒも、苦しそうな表情で黙ったままだ。
その様子でこれが覆らないことを、キリエは悟る。
そんな彼女に、エリシアが不思議そうに首を傾げた。
「スラッシャー?」
「俗語ですよ、エリシア様。貴族の方々の言葉で言うと──そうですね、〈夜鳴鳥〉が一番近いでしょうか」
げんなりとしつつキリエが発した言葉に、エリシアはそういえば、というようにうなずく。
〈夜鳴鳥〉は貴族が個人的に「飼っている」、裏の情報を集めるのを生業とする者達の呼び名だ。
単に略して〈鳥〉と呼ぶこともある。
エリシアの様子を見る限り、知識としては知っているが、彼らが具体的にどんな者達なのかまでは聞いていないようだ。
「スラッシャーは主に子供に対して使われます。時折女性もいますが……。スリや盗みをしている子供達の中でも、特に貴族などの資産階級・支配階級から密かに依頼を受けて、様々な場所に潜り込んで情報を集める子供のことですね。ほとんどの貴族は──というよりも、表の世界の人間は知りませんが」
「裏の……職業ですの?」
「潜りこむ場所が、ですが。後は命を懸けるような状況もありますね」
不安そうなエリシアにあっさりと肩をすくめて答えると、キリエはちょんと小首を傾げてディラックを見た。
「ドミニゴ? 穂刈? それとも──まさか、〈アシャクロム〉!?」
相棒の表情を見つつ候補をあげていたキリエが、突然何かに気づいたように叫ぶ。真面目な顔でディラックがうなずいた。
「お前の言う通り、本部からの連絡をちんたら待ってらんねえからな。頼むぞ」
急に真剣になった傭兵達の空気に、年少二人が首を傾げる。
そんな彼らに気づいたらしく、ディラックが補足説明をした。
「アシャクロムは闇のギルドみたいなもんだ。ドミニゴも当然属している。手っとり早く言えば、盗みから殺しまで、どんな奴でも揃ってるな。そこをまとめる奴は──いや、今はいいか」
かぶりを振ると、ディラックは簡潔にまとめる。
「とにかく、そこに潜りこめば、どんな情報も入ってくるってわけだ」
「……行けばいいんでしょ、行けば。せいぜい休んで回復してくるわよ」
己の相棒の目的まで見通して、キリエは大きくため息をついた。
「変装してくる。時間をちょうだい」
「もちろんだ。完璧に別人になれよ」
やけくそ気味に部屋に戻り、これでもかと念入りに変装する。いざという時のために、擬装するための道具は用意してあった。
やがてできあがった自身に鏡越しに笑いかけ、中庭に戻って三人に声をかける。
「お待たせ」
振り向いたフリードリヒが固まった。彼の言葉が急に途切れたのを不審に思い、眉根を寄せて振り向いたエリシアも固まった。
ひときわ目を引く、緋色の髪。ゆるくカーブを描くそれに囲まれているのは、扇情的な瞳をした、気の強そうな美女だ。
目尻に僅かに添えられた紅の色が、彼女の蠱惑さをより一層引き立てている。
胸元の大きく開いたドレスはぴったりとボディラインに沿い、そのプロポーションの良さを際だたせていた。
「ど……どなたですか……?」
「何言ってんの」
さらに呆れた声でキリエ──らしき人物──が腰に手をあてる。
「なかなかうまく化けたな」
「苦労の結晶よ。もっと褒め称えなさい」
両手で頬を挟まれて上向かされ、キリエは覗きこんでくるディラックにぶすっとした顔で返した。
「ウィッグ……ですよね、それ」
「これはね。でも、地毛もきっちり染めてるわよ」
燃えるような紅の長い髪。それを高く一つに結って、キリエが濃紺の目を細める。
「化粧もしてるけどね。やっぱ、普段化粧してない奴が化粧すると、変装の効果あるわねえ」
適度にあだっぽく、そして鋭さも兼ね備えた表情を作り出す化粧。
「本当は目の色も変えた方がいいんだけどね。いい方法知らない?」
文句たらたらのキリエに、ディラックが苦笑した。
「こんなものがあるぞ。お前なら飲めるだろ」
そう言って彼が差し出したのは、酒のような液体。
「……何コレ」
「見ての通り、酒だよ。特殊な成分を含んだ。ただし、これは赤にしか変わらないし、大体三時間ほどで元の色に戻っちまう。気をつけろよ、下手するとアル中になるからな」
「大丈夫よ、あたし酒には強いもん」
むしろ底なしの自信がある。
胸を張ったキリエが、ちょうだいちょうだいとディラックに両手を出す。
仕方がないというように苦笑した彼が瓶を差し出すと、彼女はすぐにそれを一口あおった。
「うわっ! 何これ」
すっごい辛い!
驚いて目を見開き、キリエが瓶から口を離す。
「超辛口ね、これ」
「コップに一杯、それで三時間だ」
「わかった」
うなずくキリエの瞳が染まっていく。
彼女の目を覗きこんだフリードリヒが呟いた。
「あれ? 赤じゃない」
「え? ほんと?」
「ええ」
飛剣を鏡代わりにして見てみると、確かに鮮やかな藤色の瞳と視線が合った。
「何で?」
キリエが首を傾げると、ディラックが彼女の顎をつまみ上げて瞳を覗きこみながら、考え考え答える。
「お前は効きにくい体質……なんだろうな、多分。だから元の瞳の色が残ってるんだと思う」
「ふうん」
少し不満を抱きながらも、キリエは飛剣を懐にしまい直す。
「残念そうだな」
おもしろそうにディラックが声をかけると、キリエはだってと頬をふくらませる。
「赤い髪に赤い目って、何か格好いいじゃない」
その返答に声をあげて笑いながら、ディラックがくしゃりと彼女の頭をなでた。
「頑張れよ」
「まかせて」
にいと笑ったキリエは、その夜のうちに姿を消した。