21 まんまと罠にかかってしまった
調子がよくなってきてから、キリエは何度となく侯爵が雇っている傭兵達を訪ねていた。
自分が思い描いている人達ではなかろうかと。
連日、時には一日に何度も訪れているにもかかわらず、彼らは図ったように部屋にいない。
そのくせ、ディラックはきちんと会えているし、薬ももらってくるしで、キリエはすっかりふてくされてしまっていた。
「なんでディラックが会えてあたしが会えないのー!」
「しょうがないだろ、お前のタイミングが悪いんだって」
「でも、こんなに会えないのって、逆に不自然すぎない? なんか裏があったりして」
「そりゃないな。あの人達は信用できる」
勘の鋭いディラックにそう言われては、キリエは反論できない。ベッドの上を転がりながらふてくされていると、フリードリヒが例の得体の知れない笑みを浮かべながら、部屋にやってきた。
「キリエさん、実は新しい洋服ができたんですが……」
もちろん、ディラックさんの分も。
にっこりと笑うフリードリヒに連れられて洋服があるという部屋に入ると、何故か何人もの侍女が微笑みつつ立っていた。
何やら嫌な予感がして、キリエはちょっぴり後ずさる。が、無情にも扉はぴったりと閉められていた。
(フレディ君──仕組まれた!?)
とりあえず、冷や汗だらだらで逃げ道を探しつつも笑顔を浮かべてみる。
「えっと……あの?」
彼女たちは微笑んだまま静かにキリエに近づき──洋服を脱がしにかかった。
「きゃああっ!?」
悲鳴をあげてももう遅い。下着まで脱がされ、新品同様──というよりも新品の──ものをつけられる。
どうやらシルクのようだ。
シルクって着たことないなーなどと考えている間にも、同じくミルク色のキャミソールなどを着せられ、いきなりコルセットで締めあげられた。
「痛い痛い痛い! 苦しいってば!!」
「我慢なさいませ。世の女性方は皆さんなさっていることですよ」
「あたし、そんな一般女性じゃないし! 傭兵だし!」
「まあ、なんて細い腰! しっかりと引き締まって……これなら大丈夫ですわね」
苦痛を訴えてもさらりと流され、さらに締めつけられてしまった。だから何が大丈夫なんだとキリエが思っていると、侍女の波の一部に穴ができた。
そして、目の前に現れたものを見て、彼女はもはや何を言う気力も失せてしまう。
上品な藤色の──ドレス。
どう考えても普段着るものではない。
げんなりとしたキリエに手早く着せつけると、顎をつまんで上向かせ、化粧までし始める。
(フレディ君……あんた一体、あたしに何がしたいわけ?)
もう何やら「とほほ」な心境のキリエの頭に、いきなり何かをかぶせられた。
顔の横を覆うのは、水色の紗。
「……何であたしがウィッグなんてかぶらなきゃいけないのよ」
即行で出ていこうとしたが引き留められ、さらに五分ほどかけて髪を結い上げられてから、ようやく解放された。
力一杯扉を開けて足音も荒くエリシアの部屋に戻ると、フリードリヒが満面の笑みで出迎える。
「ああ、やっぱりお似合いですね。僕の見立ては間違っていませんでした」
「……フレディ君? どういうことか説明してくれるよね?」
今にも襟元を締め上げそうな形相でキリエが詰め寄ると、扉の方から「同感」と声があがった。
振り返ると、今すぐにも社交界のパーティーに出られそうな格好のディラックが、疲れきってすさんだ笑みを浮かべている。
「一体どういうことだ? いきなり部屋ん中に引っ張りこまれて服引っぺがされて、気がついたらこの格好だ。当然、どういうことだか説明してくれるんだろうな?」
殺気立った二人の様子にさすがに焦ったのか、フリードリヒは両手をあげて押しとどめた。
「ま……まあまあ、落ち着いてください。社交界に潜りこむために用意したんですから」
「「はぁっ!?」」
思いがけないことを言われ、二人は同時に奇声をあげる。
「父上の希望で。キリエさんも承諾してくださったと聞いてますよ」
「キリエ!!」
「何それ、濡れ衣!!」
「え? 初日に了承をとったと聞いたんですが……」
不思議そうに首を傾げるフリードリヒを見て、キリエは必死に記憶をたどる。
そして。
「あ の と き か !」
侯爵と対談をしているバスーキンを思い出した。
全ての話を右から左へスルーしていたが、確かに何かを聞かれて適当に答えた記憶がある。
「明日に間に合うよう、ずいぶん急かしたんですよ」
にっこりと微笑むフリードリヒの前で、二人は一気に脱力して床に座りこんだ。そのまま頭でも抱えて転がり回りそうな勢いだ。
「父上の曾お祖父様の弟が勘当されて消息不明になっています。お二人はその子孫ということに──」
「──つまり、遠縁よね」
「はい」
とてもまどろっこしくて遠い親戚だ。確かによくわからなくて、誰も疑わないだろう。
「実は……僕のデビュタメントは王宮なんです。まさかドミニゴもそこまでは来ないだろうと思いますが……それでも、万が一ということもありますから」
「まあ……そりゃそうだが」
苦り切った表情で、ディラックががりがりと頭をかく。その横でキリエがウィッグの毛先をいじりながら、深く息を吐いた。
「……それで? あたし達の普段着は、一体どこにあるのかしら?」
密かに血管が浮き上がっていそうな笑顔のキリエに、フリードリヒはあっさりと「今は渡せません」と言い放った。
「何でっ!?」
「お二人には、付け焼き刃だとしても、今日いっぱい紳士淑女の作法を勉強していただきます。たとえ落ちぶれても、元貴族ならばそれぐらいのことは身につけるはずですからね」
「うげ。苦手なんだよね、そういうの」
作法と聞いてキリエが心底嫌そうな顔をしたが、フリードリヒはどこ吹く風でにっこり笑う。
「ディラックさんは僕と、キリエさんはエリシアと。ではまた明日、お会いしましょう」
ぱたり、と閉められた扉を呆然と見つめるキリエに、エリシアが楽しそうに目を細めた。
「さあ、始めますわよ。覚悟はよろしくて?」