20 幻影と、小さな勇気
ぼんやりと目を開けたキリエは、夢の残滓を払うように一度強く目をつむる。
──古い、古い夢を見ていた。
泣く弟。
自分を呼ぶ声。
走る自分。
呟いた言葉。
「ばいばい……か」
再び目を開いたキリエは、ぽつりと呟いた。
ずいぶんと昔の夢を見てしまった。死んだかと思ったが、どうやらまだ生きているようだ。
傷の痛みが全くなくなっていることに気づき、キリエは上半身を起こす。そして、慣れた気配が身近にあることに気づいた。
「ディラック……」
そっと起き上がり、素足のままで開きっぱなしの扉をくぐる。脚に何かがまとわりつくと思ったら、七歳の頃から着なくなって久しいスカートだった。
シンプルな白いワンピースを首を傾げながら見下ろして、その視界の端に見慣れた脚を見つける。
壁にもたれてディラックが眠っていた。
死体は全て片づけられて床も清められ、戦闘の名残を語るものは何もない。
相棒の手に握られた、ほとんど残りのない軟膏の入れ物を見て、彼が幾度も薬を塗った事を知った。
──他でもない、自分のために。
「──ありがと」
その入れ物から懐かしい匂いがするのに気づき、微かに眉を顰める。──やはり、彼らなのだろうか。
一瞬三つの顔が脳裏をかすめ、しかしありえないとかぶりを振る。
そっとディラックの頬にキスをすると、彼が身じろぎをした。ぼんやりと目を開けてキリエの姿を認め、今度は大きく目を見開く。
「おはよ」
「具合は……いいのか?」
「うん」
小さく笑って答えると、腕を引かれて抱きしめられた。その力の強さに一瞬息が止まるが、耳元でささやかれたかすれ声に目を閉じて微笑む。
「無茶はするなって言ってるだろうが。──無事で、よかった」
「──ごめんね、ディラック」
キリエはディラックの背中に腕を回し、力一杯抱きついた。
そうしてさんざん怒られて無事を喜ばれて、もう二度と(彼のいるところでは)無茶な行動をしないと約束させられてしまった。
傷の具合はどうなのか、歩いても大丈夫なのかと心配しまくる相棒に「エムス謹製の薬でしょ」と言い放ち、なおも引き留めようとする彼の手からやっとの事で逃れる。
「あの二人は? 結構ショッキングな場面見せちゃったし、フォローしとかないとね」
キリエは苦笑しつつ、フリードリヒもいるであろうエリシアの部屋に向かった。ひんやりとした床の感触が、裸足の足に心地よい。
ノックをして扉を開けると、中にいた面々が彼女を見て一様に目を見張った。
「キリエさん、怪我は──!?」
「あー、もう大丈夫。心配かけてごめんねー」
駆け寄ってきたフリードリヒにぱたぱたと手を振りながら答え、エリシアにも笑みを向ける。無論、そちらは無視をされたが。
「ね、それよりこれ見て。スカートなんて九年ぶりなんだけど、似合う?」
悪戯っぽく笑ってくるりと回るキリエは、年相応の少女に戻ったように可愛らしかった。これで一般的な少女のように髪が長ければ、さぞ男共に人気があっただろう。
「似合う似合う。男みたいに髪短くしてなきゃ、もっと似合うがな」
からからと笑うディラックに、キリエも苦笑する。
「それは言いっこなし。あたしの腕がもっとあがったら、伸ばしてみてもいいかもしれないけど」
「今より強くなってどうすんだよお前」
ディラックと笑いあっていたキリエは、ふとエリシアと目が合い、その笑みを柔らかいものに変えた。
「……エリシア様、お怪我は?」
「ご──ございません」
ふいと目をそらすエリシアに黙って微笑み、キリエはよかったと呟く。
「あのような場面をご覧になって、気分が悪くなったでしょう? 申し訳ありません」
頭を下げるキリエにエリシアはしばらく口ごもる。首を傾げるキリエに、彼女は意を決したようにその……と口を開いた。
「貴女の職業……一概に卑しいとは言えないようですわね」
そっぽをむきながら、小さな声で言うエリシア。
上に立つ者として教育を受けてきた彼女にとって、自分の非を認めるのはどれほど勇気がいることだろう。
「そう思っていただければ光栄です」
小さな子供相手のように優しく言うキリエを、エリシアがぎりと睨みつける。だが、キリエにとっては、それすらも小さな子供が我を張っているようで可愛らしい。
貴族の姫君としては、全く正しい反応だ。発言を撤回したこと自体が珍しい。
その勇気を振り絞った行動を、キリエは微笑ましく、そして好ましく受け止めた。




