13 信じていたのに
──生まれながらの貴族のような彼女が、里子?
信じきれないキリエの前で、フリードリヒが苦笑する。
「僕が彼女と会ったのは、彼女がまだとても幼い頃で。家族以外に懐かなかった彼女が僕だけに懐いた、ただそれだけのことなんです」
彼の目が、昔を懐かしむように細くなった。
その向こうには、きっと出会った頃の自身達が映っている。
「成長したら、彼女はきっと他の人に嫁ぐでしょう。僕は彼女の精神安定剤のようなものですよ」
そう言ったフリードリヒの言葉に重なるように、キリエはぽつりと呟いた。
「痛いなあ……」
「傷が開いたか?」
真剣な表情で訊いたディラックに、彼女は違うとかぶりを振る。
苦笑してあの子、と続けた。
「エリシア様の言うこと。すっごく正論なんだもの、なおさらぐさっときたわよ。──あたしもね、よく考えるの」
人殺し。
それは彼女が彼女であろうとする限り、一生つきまとう言葉。
「あたしなんか、あの子達の姉って名乗る資格はないんじゃないかって。あの子達にとっては、あたしが姉であることが恥ずかしかったり、あたしが送ったお金なんて嫌で使えないんじゃないかしら」
共に里子だというフリードリヒとエリシアを見ていると、故郷にいるはずの弟達を思い出す。
あの子達も、無事に大きくなっていれば、きっと彼らと同じ年頃のはずだ。
あの子達に軽蔑されたら、自分はきっと生きていけないだろう。キリエのたった一つの、大切な生き甲斐に。
──喪われたかもしれない、生き甲斐に。
この二人は同じ里子なのに、こんなに立派に育っている。同じ里子だというのに、この差は何なのか。
嫉妬する自分を、哂いたくなった。
キリエの顔がまた泣き笑いの形に歪み、ディラックがその髪をなでる。そんな彼女を元気づけようと思ったのか、不意にフリードリヒが明るい表情で口を開いた。
「そういえば、キリエさん! ギブロスに新しい噂が出たらしいですよ」
「ギブロスに?」
「はい」
キリエの瞳に興味の光が灯るのを見て、フリードリヒは俄然意気込んだようだ。
「ギブロスの腕輪は金だって噂でしたけど、実は白金だったらしいですよ」
嬉々としたフリードリヒの言葉に、キリエの思考が停止した。
「……え?」
白金? ギブロスが?
嘘だ。
ぎしりと固まったキリエの表情には気づかぬ様子で、フリードリヒは興奮気味に続ける。
「白金ですよ、白金! さすがギブロスですよね。エムスも特別なものを用意するなんて、なかなか粋な事を──」
「……ギブロスが、白金を?」
ぽつりと呟いた言葉は乾いていた。
頭がくらくらする。
声が震えそうなのを抑えて、必死に冷静を装う。
ギブロス達の腕輪は金だと、今までの噂ではそうだった。師匠がそう言ったから、キリエ自身もずっと信じていた。
けれど──金とは根本的に違うもの?
キリエの異変に、そこでようやくフリードリヒも気づく。慌ててキリエの顔を覗きこんで、驚いたような顔をした。
「キリエさん!?」
「……白金……?」
フリードリヒの呼びかけも上の空で、キリエはぐるぐると回る思考の海に沈む。
そんな馬鹿な。ギブロスが白金なんてありえない。
だってエムスには、白金の腕輪なんて存在しない。たとえ英雄だろうと、特別扱いなんてしない。
「どうして! どうして──白金の腕輪があるの? エムスは金が上限のはずよ。どうしてなの!?」
悲鳴に近くなったキリエの声。泣き出したくなるのをぐっとこらえたが、頬に一筋の雫が伝った。それが悔しくて、ぐいと乱暴に拭う。
信じていた。
あの人達の言うことを信じていた。
だって、言い方はともあれ、嘘は絶対につかなかったから。
けれど──出会った瞬間から欺かれていたのだろうか。ずっとずっと尊敬していたのに、師匠達はおもしろがっていたのだろうか。
ギブロスの腕輪について訊いた時、彼らは笑って否定したのだから。
混乱の頂点に達したキリエをなだめるように、ディラックがそっと空色の髪をなでる。
「……キリエ。お前、傷平気か?」
「平気よ。明日からでも動けるくらい」
弱々しく笑って答えるキリエに、ディラックが容赦ない一撃を見舞った。背中の傷を押さえるようにぐぐっと力をこめられ、キリエはたまらず悲鳴をあげる。
「これのどこが平気なのか、教えてほしいな? ん?」
「こ……この鬼畜!!」
「やせ我慢するお前が悪い。傷見せろ、傷」
「平気だってば!」
「ただでさえ、さっきから眠いくせに。変に意地張ると、後で支障が出るぞ」
ずばりと図星をさされ、キリエは反論できなくなる。「ううう」やら「ぐぬう」やらうなりつつ、ようやくおとなしくベッドに横になった。
強制的に眠らされることへの抵抗を示しつつ、キリエはほどなく眠りに落ちる。
そんな彼女を、ディラックが心配の色を覗かせる目で見ていた。