プロローグ
辺り一面が血の海に染まる街の一角で。
ぐったりと目を閉じる女を抱いて悲観に暮れる。
「カイナ…すまない。俺がお前を一人にしたせいで…何でもっと早く気付けなかった!何で…!いつもこうなんだ…」
「ヨル…」
そんな男に何と声を掛けたらいいかも分からず、少女は立ち尽くした。
「悪いな…三人で一緒に暮らす事は出来そうにない。…お前と過ごした日々はそう悪いものじゃなかったが…どうしたって無理だ。俺は世界を…人間を許せない。…俺から二度も…大切な女を奪いやがって…!」
ごごごごごごご…
ばきっ…ぴきっ…びきびきびき…!
「…っ!?」
(なんて…禍々しい魔力なんだ。この国を…世界を滅ぼすつもりか…そうなったら……いや駄目だ…そんなの、駄目に決まってる!)
「…ヨル!堪えるんだ!これ以上は抑え切れない!殺すなら、この国の奴等だけにしてくれ!じゃないとヨルが…!」
湧き上がる怒りと悲哀を背に、立ち昇る混沌。怨嗟と悪意が望む結末は遠からず。澱んだ魔力が破滅を齎し、やがて全てが終わりを迎える…その前に。少女は声を張り上げ、宥めようとした。けれど…。
すっ…
じゃり…
「堪える?…奪われた側の人間が?…お前は一体…俺の何を見てきた…」
「それでも…!魔力が暴走したらヨルだって無事じゃ済まない!…希望はある。世界は広いんだ!ヨルが行ったことのない国だってまだ沢山ある!…そうだ!教国には死者を蘇らせる魔法があるって聞いた事がある!今から一緒に行こう!これまでみたいに本を読んで、昼寝をして…二人で…だから…!」
「聞いた事がある…か。都合の良い言葉だ。死んだ人間が生き返るなんて…そんな奇跡、ある訳がない」
「ある!あるんだ!きっとある…!オレが必ず見つけてみせる!そうだ…オレと同じ最上位の精霊なら…あの精霊なら手掛かりくらい…」
「…知っているかもしれない、か?そうやって…可能性を信じて木に登った。結果はどうだ」
もう、何を言っても止まらない。この世界もまた、男を裏切り続けてきた。いや、目を向ける事さえ出来なかった。目を向ける余裕なんてなかった…。
だから…何も信じられなかった。
「…それは…けど…オレが居るじゃないか!何で…オレじゃ駄目なんだ…オレなら…ずっとヨルの側にいてあげられる!だから…」
「お前は精霊だろ。…人間じゃない。見掛けは女でも、性別すらない。それに…もうそんな事はどうでもいいんだ…」
「嫌だ…オレを一人にしないでくれ!オレはお前の為なら何でもしてやれる!人間が憎いならオレが殺すっ!怒りも…悲しみも寂しさも…!オレが全部受け止めてみせる!だから…!」
やがて世界は、色を冒しながら極彩色へと染まり、誰の目にも疑いようのない天変地異の兆しが訪れる。
雷鳴が轟き、暴風が荒れ狂う中。避けようのない別れを前に、彼女は崩れ落ちそうな声で言葉を尽くした。
「…それじゃ遠回りした意味がないだろ。もう…うんざりなんだよ。…もう疲れたんだ。こんな世界…魔王に滅ぼされるよりも先に、俺が滅ぼしてやる…!今まで、苦労を掛けたな…お前は俺と違ってまだやり直せる。自由に生きろ…じゃあな、アリカ…」
「ヨルっ…!!」
腕に抱く女を見つめ。空を仰ぎ、涙を零す。そして不器用な笑みと、此度初めての別れを告げ。男は爆ぜる魔力と共に光の彼方へと消えていった。
それから一年後。
「……全てを知った時、貴方はどれ程の怒りを抱くでしょうか。仄暗い瞳で私を射抜き、或いは空虚な声で罵倒する…その後はきっと私を…それでも、精霊よどうか…卑しく罪深い私の願いを、叶えて…」
「……………」
唐突に訪れる意識の覚醒を経て、霞む視界に映る女性の姿と、自身の手に触れる温もり。
まだ判然としない五感を置き去り、女が消え入りそうな声で何かを呟き始めると、必死に耳を傾け、記憶を手繰り寄せる。
結果、目に映る女性の姿はおろか、耳を掠める声にさえ覚えはなく。そも銀髪の女性を見ることさえ男にとっては初めての事だった。
見知らぬ天井に煌めくシャンデリア。身体を横たえるベッドは広く、窓から差し込む陽の光が肖像画を照らす。それは恰も、王侯貴族が暮らす邸宅を想起させ。まるで別世界。そう思った瞬間。不意に言葉が宙を舞う。
「………ここは一体…」
「……っ!?よる…勇者様!良かった…お目覚めになられたのですね!…誰か!誰かっ!」
がちゃ…
「姫様、どうなさいましたか…これは…」
「見ての通りです。勇者様がお目覚めになりました。お父様…いえ、陛下にご報告を。それから食事の用意と…念の為、治癒魔法が使える者をここへ。後は…」
「ふふっ。ご安心下さい。委細承知致しております」
「…そうでしたね。取り乱してごめんなさい」
「いえ。では、失礼致します」
待ち侘びた時の訪れに嬉々として声を上げ。呼び付けた侍女に慌ただしく指示を飛ばすと、向けられたその笑みに、羞恥心が込み上げる。
姫と呼ばれる者として。些か威厳を欠く姿を見られた彼女は一つ咳を払い、ようやく男に向き直った。
「…こほんっ…失礼致しました。勇者様…」
「…ここは、異世界ってやつか…」
「っ…!」
(あぁ…そうですね…そういう人ですよね。何も変わらない。けれど、変わってもらわなければならない事があるのです…私の全てを懸けてでも…)
「慧眼、恐れ入ります。疑問の尽きぬ状況、順を追ってお話しさせて頂きたいと思いますが…その前に…お身体の方は問題ありませんか?」
「構わない。…特に異常もないようだ」
「畏まりました。ではまず自己紹介からさせて頂きます…初めまして。私の名はレイシア・イアス・ラン・ルーウィン。ここルーウィン王国の第一王女です。以後お見知りおきを」
「…柊夜神だ。宜しく頼む。聞きたい事は山程あるが…まずは姫様の話しを聞くとしようか。その後で幾つか俺の質問に答えてくれ」
「ふふ…はい」
こうして、唐突に幕を開けた異世界の冒険譚。
果てに世界を束ね、幾星霜の想いが降り注ぐ。これは誰にもある、出会いと別れ。積み重ねの物語。




