後編
「鏡開きってもともと武家から始まった習慣なんだって。鏡餅は松の内の間に年神さまをお迎えする依り代で……依り代ってなんだろね? あ、そうそう。それで松の内が明けたら年神さまが宿った鏡餅を割る……違った、開くことで年神様をお送りしてお正月に区切りをつけるんだってさ! 開くって言い方をするのは『割る』『切る』が切腹を連想させて縁起が悪いかららしいよっ」
携帯の画面と私を交互に眺め、ドヤ顔でぐっちゃんが言った。
新年になってから十日。今日は鏡開き――飾っておいた鏡餅を食べる日だ。
「ふーん、そうなんだ」
「えっのんちゃんひどい! せっかく俺が調べたのに反応がうすい!」
「私いま真剣だからちょっと待ってて。真空パックの鏡餅なんてどうやって割るのか知らないの」
一瞬だけぐっちゃんに向けていた視線をパソコンに戻し、いくつか料理サイトを読んでから立ち上がる。どうやら水や湯にひたして柔らかくなったのを手でちぎるのが一般的なようだ。そうだよね、包丁だと刃こぼれしちゃいそうだもんね。手のひらサイズの鏡餅を切ろうとして指を怪我するのも嫌だし、上から体重をかけて押すにしたってすごく力が必要そうだもん。良かったあ。
……と、ここまで考えたところで「あれ、そういえばぐっちゃんってさっき何を言ってたっけ?」と頭が回り始める。武家がどうとか、切腹だから割るとか切るとかがよくないとか、そんなことを一生懸命話してくれてなかった?
「……そっか。だから槌を使ったり水で柔らかくしたりするんだ」
「のんちゃん?」
「いやね、ぐっちゃんが鏡開きの由来について教えてくれたでしょ? 実家で食べてたお餅はいつも槌を遣ってたんだけど、こういうのはどうすればいいのかなーって調べてたの。そしたら柔らかくしてから手でちぎるって書いてあって。鏡開きっていう言い方だけじゃなくて料理方法もちゃんと縁起をかついでるんだね」
ぐっちゃんは目を丸くして「へええ」と呟く。もとは冬休み明けの時点で鏡餅を食べようとしてたくらいだ。私だって実家でいつもやってたから槌で割るって行為を知ってただけで、鏡餅を実際はいつ、どう食べるかなんてちゃんと考えたことなかった。
水につけて餅が柔らかくなるのを待ちながら、ひとつお勉強ができたのもぐっちゃんのおかげだなあと思う。元旦のくじ引きでぐっちゃんが鏡餅を引き当てなければきっと、今年も実家から開いたあとの鏡餅を送ってもらっていたはず。で、今年の雑煮も食べ納めかななんてのんきにぼやいてただろう。
「もーちーもーちーもっちっちー、もーちーもーちーぞーうーにー」
なぜか「たなばたさま」のメロディにあわせてぐっちゃんが餅と雑煮を連呼し始めたので一分でも早く雑煮を準備するべく台所に向かった。
……歌唱力の良し悪しは別としてすごく楽しそうに歌うから見てるこっちはいいんだけど、ぐっちゃん、外では怪しまれるかもしれないからほどほどにね。
ぐっちゃんの雑煮替え歌があらかたの童謡を網羅して、しばらく間を置いてから某会いに行けるアイドルのフォーチュンなお菓子ソングがお餅ソングに変わってしまったころに雑煮は完成した。
恋するあごだしサトイモって、もうどこから突っ込んでいいのか私にはわかりません。おすまし仕立てなところはここも私の地元も一緒みたいだけど、サトイモが入ってないって知ったらぐっちゃんはへこんでしまうのだろうか。
「ぐっちゃんお待たせ、お雑煮できたよ」
「うっわーおいしそー! ……あ、そうだのんちゃん、さっきケータイ鳴ってたよ」
机の上に置いたお椀を舐め回す勢いで見つめたあと、ぐっちゃんが思い出したように私の携帯を差し出す。チェックしてみると懐かしい人からのメールだった。SNSでもなくメッセンジャーでもないあたりがらしいなと思う。元旦から営業するお店が増えたり門松やしめ飾りをしない家庭が多くなったり、小さな頃とはお正月の雰囲気が変わったりしていても、意外な相手から連絡をもらえるのはこの時期ならではだ。十日遅れの明けましておめでとうで文面を締めくくり送信ボタンを押す。枕元の携帯スタンドに携帯をおいて、手を合わせた。
「もういいの?」
「うん。お餅がどろどろになっちゃわないうちに食べよ。……って、もう遅かったね」
槌で割るのより手でちぎる方が大きさを調節できるはずなのに、うっかり餅を小さくちぎりすぎてしまったらしい。少し早めに鍋からあげたはずの餅は私が携帯を触っている間に輪郭を失っていた。お箸でつまむよりスプーンかれんげですくった方が早いかも。
餅は冷えて固まっていてもまずいけど、どろどろになってしまっても食感が残念なことになるから美味しさが半減してしまう。せっかく味付けもうまくできたのに残念だ。
内心がっかりしながら謝ると、ぐっちゃんはこれっぽっちも気にしていなさそうに笑った。
「俺はどろっどろになってたって全然いいよ! むしろこのくらいの方が溶け合ってるって感じがしていいよね!」
忘れてた……!
新年早々の赤面発言が奇しくも実現してしまった。どうしよう、本当に言葉どおりになっちゃったよ。引きずられるようにしてあの日のなんやかやとかこっちに戻ってきてすぐのあれやこれやを思い出して机に突っ伏してしまいそうになる。ぐっちゃんは初めて会った時から感情表現がストレートな子だったし、そこが私も好きなんだけど、こう、時々「第三者から見ると私たちっていわゆるバカなカップルなんじゃないか」みたいなね……!
ぐっちゃんと私のコミュニティがあまり被っていないとはいえ、昨日の新年会で「月曜に成人式なんです!」と笑っていた初々しい後輩たちにうっかりぐっちゃんとアレな会話をしているところを見られでもしたら私は立ち直れない気がする。だってぱっと見そんなキャラしてなさそうだよねって言われてるもん。私だってぐっちゃんと付き合うまではこのノリについていけるかわかんなかったもん。
だから今年こそはちょっとでも大人っぽいお付き合いを目指そうと思ってたのに!
「……そういえばのんちゃんはあの時すごく恥ずかしがってたけどさ、俺は店員さんに夫婦扱いしてもらってめちゃくちゃ嬉しかったな」
ぐっちゃんに何か言い返してやろうと開いた口がそのまま固まる。
「ほら、俺ってこんなだからいつも落ち着きがないって言われちゃうんだ。えっと、のんちゃんと付き合いはじめたばかりの頃にサークルのヤツとキャンパスで会ったでしょ?」
と、言われても。付き合いはじめたばかりの頃といえばもうけっこう前のことだし、ぐっちゃんのサークル仲間には何度かキャンパスで会ってるから誰のことかわかんない。首を傾げているとぐっちゃんは「じゅんじゅんと初めて会った時だよ」と続けたので、そこであっと思い当たった。
じゅんじゅんはぐっちゃんの親友だ。ぐっちゃんの友達……というかサークル仲間はなかなかの好青年が多いんだけど、中でもじゅんじゅんはひときわアイドルっぽい恵まれた容姿をしているのだ。その彼と出会った時に何が会ったっけ? 私はうなずきながら耳を傾ける。
「あの時だってアイツ、俺が説明するまでのんちゃんのことは女友達だと思ってたし。せっかくのんちゃんと一緒に歩いてるのに恋人同士に見てもらえないのが悔しくってたまらなかったんだよね。だから夫婦に見えるって言ってもらってすっげーテンション上がっちゃったんだ」
「そうだったの? 私……、私たちがバカップルに見えてたらどうしようって考えてたよ」
「のんちゃんは俺とバカップルじゃ、や?」
「や、っていうわけじゃ、ない、よ……」
しどろもどろになりながらぼそぼそ呟くとぐっちゃんは背景に花が咲きそうな勢いで表情を明るくした。
ああ、もう。
ぐっちゃんは私が照れちゃうようなことをぽんぽん口にするし、そうでなくても色々とあけっぴろげな性質だし、落ち着いた雰囲気のお付き合いをしたいなって気持ちは私の中から消えたわけじゃないんだけど、でも。
一年の計が元旦にあるならぐっちゃんと私は人目をはばからずいちゃついていたバカップルそのもので、年神様の前でも終始こんななわけで。そしてぐっちゃんが嬉しそうにしていると、私にも弾んだ気持ちが移ってしまうから。
「のーんーちゃん」
「……なに」
「呼んだだけ! へへっ」
――とりあえず今年はこのままでも……いっか。
じわりと熱くなる頬を隠すように食べたどろどろの雑煮は、さっきよりもずっと美味しかったような、気がした。