112 引き継ぐ
エルを見送ると、アイフェルがこちらを見る。
「ねぇ。あの紋章の正式な持ち主って誰なの?」
剣花の紋章のこと?
「アレクさん、ラングリオンの皇太子アレクシスの……」
「そうじゃなくって。あれは本来、エイルリオンの所有者が自分の伴侶に預けるものなんだよ」
「え?伴侶?」
「アレクシスは結婚したんだよね?あ、婚約だっけ?」
『婚約よ』
「そんなに大切な相手が居るのに、どうして剣花の紋章がここにあるのか不思議なんだけど」
「どうしてって言われても……」
これは、もともとフラーダリーが持っていたもの。
国王陛下だって王妃様には渡してなかったはずだ。
「彼が最も守りたい相手は婚約者じゃないの?」
アレクさんが一番守りたい相手?
「それは、エルだと思う」
『そうだね』
アイフェルが頭を抱える。
「どういうこと?」
「だから、紋章の正式な持ち主はエルだと思う」
今度は、ため息まじりに首を振る。
「まだまだ人間ってのはわからないね」
『当然よ』
「これでも、人間との付き合いは長い方だと思うんだけど」
これだけ仕草が人間みたいだったら、すごく長いに違いない。
「じゃあ、正式な持ち主ではない君が紋章を持っていた理由は?」
「私?」
アレクさん、私を守りたかったわけじゃないよね。
『エルがアレクに頼んだんだよ。紋章をリリーに渡しておきたいって』
そうだったんだ。
紋章は、エルが大事にしてるフラーダリーの形見で、アレクさんにとっても大事なものなのに……。
『単純に、アレクの許可があったから光ってただけじゃないの?』
「許可……?まぁ、彼の意思を反映して輝くのは確かだろうね。血を混ぜているはずだから」
「血?」
「紋章はヴィエルジュとアークの契約の証。エイルリオンの所有者となった者は、紋章に自らの血を混ぜて契約を受け継ぐんだ」
それが、あの不思議な輝きを放つ赤色の正体。
……あれ?
受け継ぐ?
「エイルリオンの所有者が、そのまま剣花の紋章の契約者になるんじゃないの?」
「違うよ。エイルリオンが誰を選ぶかは分からない。だからヴィエルジュは、エイルリオンが選んだ人間をアークの契約代行者として認めることにしてるんだ」
『本当に不思議な剣なんだね、あれって』
「アイフェルも、あの剣が何なのか知らないの?」
「さぁ?」
アイフェルが肩をすくめる。
あの人に効果がある剣。
一体、誰が作ったんだろう。
「君さ」
アイフェルが私の顔を覗きこむ。
「本当にアレクシスとは何の関係もないの?」
「関係?」
『リリーはアレクの近衛騎士だよ』
「近衛騎士?主の傍を離れてるのに?」
「私の主命はエルを守ることなの」
「あの子を?」
「あ」
―でも、一番の目的は、君をエルの元に届けることかな。
―君なら、どんなことがあってもエルを守ってくれると信じているから。
「アレクさん、エルが一人で行動する時に備えて、私に紋章を預けてたんじゃないかな」
『あー。それはありそうだね』
私が紋章を預かった時、エルはアレクさんの傍に居た。
安全な場所に居るなら紋章は必要はないけれど、今回みたいに遠くに行く時は持っていた方が良いよね。
「そんなにあの子が大切だっていうの?」
『アレクは過保護なんだよ』
「エルって、すぐに危ないことするんだもん」
『そうね。昔から、ちょっと危なっかしいわね』
だったら、このタイミングでエルに渡せて良かったのかな。
「でもねぇ」
アイフェルが唸る。
「紋章の正式な持ち主が、あの子って……」
「駄目なの?」
『何か問題でもあるの?』
「ヴィエルジュが守ってあげるのは女の子だけなんだよ」
「女の子だけ?」
『どうして?』
「紋章は契約者の意思を反映し、持ち主を守護する。これは、ヴィエルジュがアークを守らない代わりに、彼の大事なリフィアを守ってあげるって約束なんだ」
『契約者を守らない契約なんて』
『アークのこと、嫌いだったの?』
「嫌いなわけじゃないよ。むしろ気に入っていた。でも、エイルリオンの所有者なら、自分のことぐらい自分でどうにかしろって感じかな。単純に、彼女は男嫌いなんだよ」
『神さまみたいな存在の癖に、男嫌いって……』
だから、紋章の持ち主だけ守ってあげる?
「でも、ヴィエルジュはアレクさんを守ってるよ」
「それは少し違うかな。彼女は世界を守っているだけ。レイリスとアレクシスが封印の要だからね」
『詳しいね』
「風の噂で聞いたんだ」
「風の噂?」
ずっと光の間に居るのに?
アイフェルが宙を見上げる。
「そろそろ行こうかな。あの子が待ってる」
そうだった。
「ごめんなさい、引きとめて。エルをお願い」
「君は、本当にあの子が好きなんだね」
「はい」
「それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」
『いってらっしゃい』
目の前から、アイフェルが消える。
『皆、行っちゃったね』
『そうね』
光の間を見回す。
ここには、ナインシェとイリスしか居ない。
扉が一つがあるだけで、壁には窓すらない隔離された空間。
それなのに、少し明るい感じがするのが不思議だ。
目の前の大樹を見上げて、そのままガラス張りの天井に視線を移す。
ガラスを通して見えるのは暗い雲。
あの人、いつまでこんな天気を続ける気なんだろう。
こういう天気が好きな人なのかな。
キアラさんも雨が好きって言ってたっけ。
ヴィエルジュも困ってなかったみたいだよね。
今は雨は降ってなさそうだけど……。
「!」
扉が開く音が聞こえて、振り返る。
「こちらへ」
女の人の声?
『急いでぇ』
慌ただしく入って来たのは、クララとリース、それからハルトさんの腕を引いた騎士。
『どうしたの?』
『何かあったの?』
『それは、こっちが聞きたいわよぉ』
『あれ?アイフェルは?』
『居ないねー』
光の精霊たちも一緒だ。
扉を閉じた騎士が、周囲を見回す。
「アイフェル様は、どちらに?」
兜を被ってるから気づかなかったけど、この人、女の人だったんだ。
『用があって出かけた』
「アイフェルは用事があって出かけてます。すぐに戻ると思います」
『用事ー?』
「聖櫃はどこに?」
エルが持って行っちゃったんだけど。
『困ったね』
勝手に持ち出したなんて言ったら怒られそうだ。
「その……。すぐに戻ると思います」
『もっと他に言い方なかったの?』
だって……。
『アイフェルと一緒ってことー?』
『そうだよ』
『すぐに戻るわ』
『ここで待ってれば良いんだね』
「わかりました。様子を見ましょう」
良かった。
「あなたは?」
「アイフェル様に仕える聖堂騎士、ヒルダと申します」
ヒルダさん。
クエスタニアでも女性の騎士って珍しくないのかな。
「リリーシア様、クロエ様もいらっしゃらないようですが」
ハルトさんが周囲を見回す。
えっと……。
「アイフェルと一緒に出かけてます」
「そうでしたか」
『どうやって外に出たの?』
『あの子、精霊ー?』
『違うよ』
「あの、何があったんですか?」
「クーデターが起こりました」
「えっ?」
『え?』
『えぇ?』
「どうかご心配なく。アイフェル様のお客様は私たちがお守りいたします」
『大丈夫なのぉ?武器を持った人間が大勢入ってきたけどぉ』
『大勢?』
戦ってるような音は聞こえないけど……。
「隣の部屋って、どうなってるんですか?」
『そういえば、リリーが居なくなった後は、魔法で元通りにしてたわねぇ』
光の魔法で隠していたとしても、あの場所で戦ったら大事な本や資料が傷ついちゃいそうだけど。
「神官様が交渉に当たって居られます」
戦ってるわけではなさそう?
「交渉って、」
「ヒルダ様。僕が出れば、交渉も優位に進められるはずです」
『あの人たちの要求は、この王太子なのよぉ』
「認められません。アイフェル様から退出の許可が下りるまで、お待ちください」
『そういえば、ここに入る時も狙われてたっけ』
「このままでは、音楽堂に向かわれたマリアンヌ様とローズ様が危険です」
「危険って、どういうことですか?」
「クーデターの首謀者は、政務官のマティアス。彼は今日の予定を把握していますし、音楽堂の制圧を優先しているはずです」
『またマリーが狙われてるってこと?』
マリーが危ない。
「助けに行かなくちゃ」
『待ってよ、リリー』
『待って、リリー』
「お待ちください、リリーシア様」
「申し訳ありませんが、ここを通すことはできません」
ヒルダさんが扉の前に立ちはだかる。
「どうか、アイフェル様がお戻りになるまでお待ちください」
『マリーなら心配要らないわ。立派な騎士がついているもの』
「ここに居る限り、皆様は安全です。僕が必ずマリアンヌ様とローズ様をお連れ致しますから、ここでお待ちください」
マリーとローズさんだけ?
「王妃様も一緒のはずです」
「母上は……」
ハルトさんが微笑む。
「母上の身まで案じて頂き、ありがとうございます」
作り笑い。
「しかし、皆様に安全に御帰り頂くことが、王族である僕の役目なのです」
王妃様を助けることはできないってこと?
心配なはずなのに……。
「私も一緒に行きます」
「いいえ。リリーシア様の御手を煩わせるわけにはいきません。こんなことになってしまったのは、僕のせいなのです」
「ハルトさんの?」
「僕は、マティアスが王家に対して不信感を抱き、危険な思想を持っていることを知っていました。それなのに、父上はおろか城内の誰一人として説得出来なかったのです」
『王宮で孤立してたのかしら』
『いつも一人で行動していたのはそのせい?』
『マティアスって人間は、相当上手なのねぇ』
誰も、ハルトさんの話を聞いてくれなかったんだ。
「すべて僕の責任なのです」
「違う」
そんなことない。
「ハルトさんのせいじゃないです。気づいた人が何も出来なかったから悪い、なんておかしいです。誰も気づかなかったから、こうなっちゃっただけです。そうやって、何でも一人で背負おうとしないで下さい」
いつも、全部一人で抱えるから。
私が居ても、力になれない。
「今、味方になってくれる人が見つからないなら、私が手伝います。だから、頼ってください」
「リリーシア様……」
『それ、誰に向かって言ってるの?』
……ばか。
『あ』
目の前にアイフェルが現れる。
「アイフェル」
『お帰りなさい、アイフェル』
「アイフェル様」
「ただいま」
アイフェルが周りを見渡す。
『あれ?王太子は、アイフェルが光の大精霊だって知ってるの?』
『知ってるよ』
『王太子だからねー』
「ヒルダ。これは、どういうこと?」
「申し訳ありません。クーデターが起こり、敵の侵入を許してしまいました。要求は王太子殿下の身柄。皆様の安全を優先し、止む無く光の間に入った次第です」
「そう。国王の安否は?」
「不明です」
「じゃあ、まずは国王を探そうか」
アイフェルが光の精霊を見ると、光の精霊たちが頷く。
『了解ー』
「待って。音楽堂の様子も見てきてもらえる?」
『わかった。まかせて』
頷いて、光の精霊たちが天井に向かって飛んでいく。
「アイフェル様。聖櫃の所在をお伺いしても?」
「聖櫃なら、もうすぐあの子と一緒に大樹から出てくるよ」
「大樹から?」
『あ。ヴィエルジュのことがばれちゃうね』
「これは特別な大樹だからね」
ハルトさんが大樹を見上げる。
「神々しい大樹ですね」
『上手く誤魔化せたの?これ』
どうなんだろう。
※
『大樹が動いたわ』
幹が大きく膨らんで、その中からエルが顔を出す。
「お帰りなさい。エル」
「ただいま」
エルが首を傾げる。
「なんで、こんなにぞろぞろ居るんだ?」
エルの様子は、いつも通り。
向こうでは変なことは起きなかったみたいだよね。
こっちは、そうじゃなかったけど……。
「王宮内でクーデターが起きたらしいよ」
「は?」
「敵が侵入したから、仕方なくこっちに逃げて来たみたいだね」
エルが大樹から出て、中から棺を引っ張り出す。
あ。服装はクロエさんのままだけど、エルって呼んで良かったのかな。
でも、黒髪の鬘を外してるし、声も変えてないし、これなら、変装中とは言えないよね……?
大樹の方に行くと、エルが私を見る。
「リリー。こっちを持ってくれないか?」
「うん」
棺を持って、エルの歩調に合わせて歩く。
相変わらず軽い。
特に変わったようには見えないけど、封印し直してあるんだよね。
マリーの謁見も終わったし、これでクエスタニアでやることは終わりだけど……。
「あのね、エル」
「ん?」
「向こうはハルトさんを探してるみたいなんだ。助けてあげられない?」
エルが眉をひそめる。
「俺に、クーデターを止めろって?」
「いいえ。無関係な方を巻き込むわけにはいきません」
まだ、そんなこと言ってる。
「でも……」
「リリー、引っかかるなよ」
「あ、うん」
膝ぐらいの高さに張られた赤い紐を跨いで、エルと一緒に棺を置く。
「マリーたちと合流して帰るぞ」
「え?」
帰っちゃうの?
「でも、ここも包囲されてるし、マリーたちも捕まってるみたいだよ」
「捕まってる?」
『今のところ、マリーからの呼びかけはないわ』
呼びかけがない?
戦うような状態になってないからナインシェを呼ばないだけ?
それとも、ナインシェを呼べないぐらい大変な状況にある?
……大丈夫かな。マリー。
「クエスタニア側は、ラングリオンからの使者を穏便に帰す気はないってことか?」
「申し訳ありません。僕がどうにか交渉を……」
「ハルトはここから出てはいけないよ」
「アイフェル様、」
「先のことは、もう少し情報を集めてから考えよう」
ラングリオンからの使者。
皇太子近衛騎士。
そんな肩書きがなければ、ハルトさんも私が手伝うことに納得してくれたのかな。
「アイフェルはハルトを守る役目なのか?」
「私は、勝手に光の間に入って来た人間を敵とみなしてるだけだよ」
初めて来た時、私とマリーも門前払いだったっけ。話も聞いて貰えない感じだったよね。
この部屋って、誰も入っちゃいけない場所だったのかな。
『ただいまー』
『ただいま、アイフェル』
光の精霊たちが帰ってきた。
「おかえり」
「おかえりなさい」
『遅かったね』
『王宮は広いからねー』
『報告をするよ。国王は無事。北の塔に居る』
『ろうじょうちゅーだって』
籠城中?
『塔の下で人間が戦ってたよ』
『音楽堂の辺りも戦ってたよー』
国王陛下の軍が王妃様たちを助けに行ってるってことかな。
『どっちが優勢だったの?』
『そんなのわかんないよー』
『どっちも同じ人間だよ』
わからないよね。
どっちも味方だったはずだ。
えっと……。
「国王陛下が北の塔で籠城しながら、王妃様たちを救出する部隊を音楽堂に送ってる感じ?」
『そんなとこだろうね』
今なら、ハルトさんの味方になってくれる人もたくさん居そうだ。
『他に知りたいことはあるー?』
知りたいこと……。
「父上は無事なのですか?」
『元気だよ』
『怪我もないみたいー』
「無事みたいです。マリーたちの様子はわからないけど……」
『マリーは見かけてないよ』
『ねー』
「心配しなくても大丈夫だ」
無事だって断言できるの?
音楽堂に閉じ込められてるのは確かなのに。
「マティアスの居場所は?」
『誰のことー?』
『わかんないよ』
あれ?首謀者のことを聞いたってことは、エル、やっぱりハルトさんに協力するつもりなのかな。
「この周辺の状況は?」
『静かだよー』
『人間はたくさん居るけど』
「この場所が光の精霊に祝福された聖なる場所であることは、王宮の人間ならば誰でも知っています。精霊を怒らせるような真似はしないでしょう」
戦ってる音が聞こえないのはそのせい?
でも、武器を持って入って来てる以上、いつ戦いになってもおかしくないはずだ。
『君も魔法使い?』
「そうだよ」
エルが光の精霊と話してる。
そういえば、魔法使いの素質を持っている人間なら、人間と契約していない精霊の声を聞くことが出来るんだよね。
ヒルダさんも聞こえてたのかな。
「とりあえず、マリーと連絡を……」
「エル、マリーを迎えに行くなら、王妃様も助けてあげられない?」
エルがため息を吐く。
「俺たちはラングリオンの代表としてここに来てるんだぞ。俺が手を貸せば、クエスタニアはラングリオンに借りを作ることになるんだ」
「でも、ほっとくなんて出来ないよ」
自分たちだけ助かるなんて。
「皇太子近衛騎士の主命を忘れたのか?」
―リリーは、主命を優先して行動して下さい。
ローグも言ってたけど。
でも。
「エルロックさん」
エルがハルトさんの方を見る。
「エルロックさんに依頼があります」
『エルに依頼なのねぇ』
あれ?
そういえば、ハルトさんってクロエさんがエルだって知ってたっけ?
「冒険者ギルドには既に依頼を出してあります」
そっか。
ハルトさんは、エルが引き受けたメディシノ捜索の依頼人。
教会でも依頼の話をしていたし、クロエさんの正体が冒険者のエルだって知ってたんだ。
「内容は?」
「僕を、ラングリオンの王都に連れて行って欲しいんです」
ラングリオンに?
護衛の依頼みたいけど……。
「国王も承諾済みのことなのか?」
「もちろんです。目的は、大陸会議に出席することですから」
『大陸会議に?』
クエスタニアが大陸会議に参加すること、決まったんだ。
マリーが知ったら喜ぶよね。
「目的が大陸会議への参加なら断る理由がない。引き受け……」
「ありがとうございます!」
依頼、引き受けてくれるんだ。
「ありがとう、エル」
やっぱり、エルは優しい。
「ただし、いくつか条件がある」
「はい」
「アイフェル、その聖堂騎士を借りても良いか?」
エルがヒルダさんを指す。
「どうして?」
「王太子が国外に行くなら、クエスタニアの人間の護衛が必要だ。今は、ここの騎士以外に頼める相手が居ない」
そっか。
勝手に王太子のハルトさんを連れ出しちゃったら、誘拐みたいだもんね。
「わかったよ。ヒルダ、ハルトを守ってくれる?」
「仰せのままに」
『エルって、いつもこんな感じなのねぇ』
リース。
『困ってる人をほっとけないんだよ』
『巻き込まれやすいだけだ』
『そぉねぇ……。悪い人間じゃないのは確かよねぇ』
『ふふふ。納得したぁ?』
リースがため息を吐く。
『悪かったわよぅ。頭ごなしに怒ったりしてぇ』
『別にぃ、良いわよぅ』
良かった。仲直りしたみたいだ。
『でも、エルに無理をさせちゃだめよぉ』
無理って、治療のこと?
『あたしだってぇ、エルにあんなこと、させたくないのよぅ』
『方法を教えたのだから仕方ない』
バニラ。
まだ怒ってたんだ。
『でも、ユールが助けてくれて良かったと思う』
『アンジュ』
『ルイスが助からなかったら、エル、すごく悲しんだと思うから……』
そうだよね。
『過ぎたことを悔やんでも仕方ない。治療行為が危険なことはエルもわかっているんだ』
『心配しなくてもぉ。クララと私に任せておけば良いのよぉ』
『そうだね。頼りにしてるよ』
『ふふふ。クララ、頼りにされてるみたいよぉ』
「え?」
声が聞こえた方を見ると、ヒルダさんが目を閉じたハルトさんを抱きとめてる。
「殿下、」
「ハルトさん?」
気を失ってる。
「これは、一体……」
「眠りの魔法だよ」
エルが魔法をかけてるんだ。
でも、ハルトさんと一緒にエルの魔法を受けているはずなのに、ヒルダさんは倒れてない。
どうして?
「心配しなくても、安全な方法で移動する。ハルトのことは任せたぜ」
ハルトさんを抱えたまま、ヒルダさんもその場にうずくまる。
今度は魔法にかかったみたいだ。
魔法の強さを変えたってこと?
魔法って、そんなに細かく変えられるものなのかな。
「もしかして、ヴィエルジュを使うつもり?」
「それが一番手っ取り早いからな」
大樹を見上げる。
ヴィエルジュの力を借りたら、クエスタニアからラングリオンまで、あっという間に着きそうだよね。
ハルトさんを運んでるエルを手伝って、ヒルダさんを大樹まで運ぶ。
「ヴィエルジュ、皆をアレクのとこに連れて行ってくれ」
「安全な人間なのだろうな」
「心配要らない」
薄暗い大樹の洞の中から、ヴィエルジュの声だけが聞こえる。
前はこれぐらいの距離からでも姿が見えたはずだけど。
今は、奥の方に居るのかな。
「隣に置いてくれ」
「うん」
ハルトさんの近くに、ヒルダさんを座らせる。
あれ?この中ってこんなに広かったっけ?
「ヴィエルジュ、後二人連れて行って欲しいんだけど。出来るか?」
「可能だ」
中の広さは、ある程度変えられるのかな。
でも、後二人って……?
エルがクララの方を見る。
「クララも一緒に行ってくれないか?これが、一番安全な移動方法だ」
『安全?どういう仕組みか、さっぱりわからないんだけどぉ?』
行き先は、アレクさんの部屋のバルコニー。安全なのは確かだよね。
「大丈夫。ラングリオンにすぐ行けるんだ。ロザリーにも、すぐ会えると思う」
『そうなのぉ。わかったわぁ。クララ、行きましょぉ』
「はい」
『この中に入るだけで良いのねぇ』
頷いて、クララの手を取る。
「クララ、手伝うよ」
大樹の入口は少し高い位置にあるから、一人で上るのは大変だ。
『リリーって力持ちねぇ』
エルは、クララを含めて後二人って言っていた。
『鍛えてるからね』
ここにはもう、私とエルしか居ないのに。
クララが中に入ったことを確認してから、エルを見る。
後一人。
「私は残る」
エルがため息を吐く。
……やっぱり、私なんだ。
「だって、私の主命はエルの護衛だよ」
「マリーと合流したらすぐに帰るよ」
「エルのすぐは当てにならない」
『そうだな』
『全然当てにならないわね』
『エルって、信用ないのねぇ』
「私、そんなに役に立たない?」
「どういう意味だ?」
「一緒に来ない方が良かった?」
「リリーの同行を決めたのはアレクだろ」
「でも……」
私、エルみたいに先のこととか考えられないし、マリーみたいに堂々とできないし、ローズさんみたいに状況に合わせて行動できないし……。
「私、足手まといになってばっかりで……」
「どこが?」
「だって……」
まだ、何もできてない。
エルを守るのが仕事なのに。
エルの体調の変化にだって気づけなかった。
「リリーには助けられてばかりだろ」
全然、そんなことない。
全然、守ってない。
「良いか。いくらヴィエルジュに頼むからって、クエスタニアの王太子を護衛一人で放り出すわけにはいかない。クララだって居るんだぞ。安全確保の為にも、信頼できる人間の付き添いが必要なんだ」
「え?そうなの?」
「そうだよ。こっちの状況をアレクに伝える必要だってあるのに、リリー以外に誰に頼めるって言うんだよ」
今、私にしかできない事?
このまま、エルを置いてラングリオンに帰らなきゃいけない?
『リリーも一緒の方が、クララは安心するけどぉ』
そうだ。誰も付き添わずに移動すれば、クララが怖い思いをするかもしれない。
ヴィエルジュが皆を運ぶのは、アレクさんの部屋のバルコニー。知らない人間が急に入って来たら、皆、アレクさんを守るために行動するはずだ。
誰かが行かなければならないし、誰かが残らなければならない。
でも、エルはマリーたちと合流すると言っただけで、王妃様を助けてくれる気はなさそうだった。
王妃様を助けるのって、そんなにいけない事なのかな。
ハルトさんを手伝うって言ったのに。少しでも味方になってあげたかったのに……。
エルがため息を吐く。
「リリーが望むなら、王妃の救出まで請け負う」
「助けてくれるの?」
「良いよ。冒険者の立場なら、何をしようと関係ないからな」
「ありがとう、エル」
私がやりたいこと、やってくれるんだ。
「だから、皆のことを頼めるか?」
「はい」
だったら、私もエルに応えなくちゃ。
「イリスは、リリーと一緒に行ってくれ」
『良いの?』
イリスはエルの精霊なのに。
「状況の説明が済んだ頃に呼ぶよ」
『了解』
アレクさん、部屋に居てくれたら良いけど……。
急に、エルが私の腕を引く。
体勢を崩しかけたところで抱きしめられた。
「足手まといだったことなんて一度もない。一緒に来てくれて嬉しかったよ」
本当に?
どうしよう。
そんなこと言ってもらえるなんて、思ってなかった。
「ありがとう、エル」
エルからその言葉を貰えるなら、来て良かった。
今から、クララたちをラングリオンに送り届けて、安全を確保するのが私の仕事だ。
アレクさんの期待には応えられなかったかもしれないけど。
主命を怠ったって、ローグに怒られちゃうかもしれないけど。
……ローグ?
「あ」
あれ、返さなくちゃ。
「これ、ローグから借りた聖堂騎士のマントなんだ。ローグに会ったら渡してもらえる?」
言いながら、聖堂騎士のマントを出す。
「わかった。預かるよ」
「待ってるね」
大丈夫。
すぐに会える。
大樹の洞に入って、クララの横に座る。
「待たせてごめんね」
『大丈夫よぉ』
ハルトさん、ヒルダさん、クララとリース、それからヴィエルジュ。
皆を確認してから、エルを見る。
「準備できたよ」
エルが頷く。
「ヴィエルジュ、皆をアレクのところに運んでくれ」
「了解した」
大樹が閉じて、真っ暗になる。
「リリー」
クララに呼ばれて、クララの手を握る。
「大丈夫。すぐに着くよ」
「はい」




