9 再生
ラパレイが苦痛のうめきを上げた次の瞬間には、エルヴィは既に二のに矢を番えている。
弱り目に祟り目、仲間もいない状況ではすぐに男は折れた。
「わかった。わかった。言う。言うから止めてくれ。俺はこずかい銭に困っていた。だから、あの文盲のバカなガキから金を巻き上げた。それがどうした。騙された方が悪いに決まってるだろ!」
大声で自白するラパレイ。
さすがに、騒がしい酒場にもこの声は聞こえたようだ。
兄貴分の帰りが遅い事を心配した二人の子分が気がついたらしく、人が走ってくる音と剣を抜く音がする。
エルヴィは軽く舌打ちすると、さっと身を翻して、ふわりとジャンプする。
黒いローブが宙に舞う。
二度ほど壁を蹴りながら、次の瞬間には高い屋根の上にすくっと立っていた。
人間では考えられないほどの身の軽さだった。
エルヴィはオレンジ色の髪を露にし、美しい姿で見下ろす。
「事情はわかったわ。盗人猛々しいとはこのことね。私はエルヴィ。これ以上弱いものいじめするなら私が許さないわ」
呆気に取られるラパレイ。
エルヴィはそう宣言すると、さっとどこかに消えてしまう。
「なんだったんだ、あの女は……」
ようやく駆けつけてくる手下。
「アニキ。大丈夫ですか……あっ、矢が刺さってますぜ!」
「さっさと医者に連れて行け! 俺は歩けねぇよ!」
慌てる二人。
「アニキ、何があったんですか」
「頭のおかしいエルフ女に因縁つけられた。エルヴィ、と言ったかな。あのティルクのガキに手を出すなって言ってやがる」
「え、エルヴィって有名な女冒険者ですぜ。手練の魔法使いで射手だとか」
「バカ野郎! 冒険者ごときにびびってどうする」
「でも、冒険者連中は毎日魔物と殺し合いをやってるから、おそろしく手強いのが多いって聞いたことがありますぜ」
「バルカス家に楯突く奴を放っておくと親父に俺が殺されるだろうが。敵が冒険者ならこちらも金で冒険者を雇うんだよ。頭を使え、バカが!」
しかられて、しかめ面をする手下。しかし、すぐニヤニヤ顔になって、
「へへ、さすがアニキ。心当たりがあるんですね」
「当たり前よ、うちのコネを舐めるな」
三人はそう話しながら、闇の深い街路に立ち去るのであった。
小さな採光窓から薄い朝日が漏れ、地下の留置所を照らす。
知識のあるものが見れば、この建造物は太古の貯蔵庫の一部とわかるが、今は鉄格子の扉をはめられて、犯罪者の小さな収容施設になっている。
「ん……」
乾いた血を落としながら、少年は目覚めた。
ティルクは状況が理解できず、感覚のある右目を開ける。
左目は感覚が無い。今は痛みは全くないが、切り裂かれて永遠の闇になった左目のことは覚えている。左目のことを調べるのが怖かった。
代わりにくっきりと見える右目で見る。
ここは牢のようだ。
なぜか、牢獄の廊下に寝ており、目の前には扉の閉まった牢があり、食料の投入口に左足を突っ込んでいる。
まだ、陽は出きっていないのか、少し赤い。
鉄格子の向こうには二人の囚人が寝転んでいる。
二人とも小人人種だが、一人はドワーフ、一人はホルス人。
ドワーフの方は鉄格子の扉の前にだらしなく寝ており、ティルクの左足に手を添えている。
ティルクは色々と思いをめぐらしたが、何らかの魔法でこのドワーフが怪我を治してくれたのかとも考えた。
ティルクは足をそっと抜くと立ち上がって体をチェックする。
なぜか目以外の異常はない。
体が軽い、腕の包帯の下を調べると傷はわずかな痕跡を残し治っている。ただ、激しい出血の痕が包帯には残っていた。
腕と太ももに大きな傷を負ったのを覚えていて、調べたが、綺麗に治っている。太ももだけ陥没したように凹んでいるが傷の影響は全くないようだった。
左目は調べる勇気がなかった。
正面の鉄格子は小人用なのか、人間用より若干細かな編み目になっている。
指を突っ込んでドワーフに触れるが、彼は指で突いても全く目を覚まさない。
しかし、体に温かみはあるので死んでいるわけではないようだ。もう一人の小人の様態はわからないが、顔が蒼白である。
辺りを見回すと、後四つ、合計六部屋の牢屋があり、奥の二部屋からは人の気配がある。かすかな鼾が聞こえてくる。
二人の小人を起こすか悩んでいると、ガチャガチャと鍵束を鳴らしながら誰かがゆっくりとやってくる気配に気がつく。
牢番だろう。
あたりを見渡しても身を隠すところはない。
しかし、このまま牢から出ている姿を見られれば再び監禁されるのは目に見えていた。
牢番がどのような人物かは知らないが、自分が罪を逃れるために戦うのは善しとはしない。
しかし、このまま罪に落ちれば両親の仇を探し出して討つという最大の目的は果たせなくなる。
ティルクは瞬時で脱獄を決意した。
再び、焦って隠れる場所を探すが、そんな都合の良い場所はない。
下手に隠れても、真剣に探されたらすぐに見つかるだろう。
一か八かで牢獄に入る扉の側面の壁に張り付いた。
息を呑んで待つ。
ガチャ
カギが差し込まれ、ギギーと音を立てて扉が開く。
入ってきたのは、非常にがっしりした初老の男で、汚い無精髭と何時洗ったのかわからないような汚い服を着ている。腰に牢屋の鍵束、短い鞭。
男は、入ったと同時にティルクが入っていた牢が開いていることに気がつく。
「牢が開いてやが……うわ!」
牢番が何か言う前にティルクが飛び掛った。
牢番は不意をつかれて前に倒れこむが、すぐに逆に強靭な体幹で襲撃者を撥ねのけようとする。
どうやら、退役した兵士上がりらしく、前腕は様々な怪我の痕があった。
体重、経験共にティルクにはかなう相手ではない。
背後から襲い掛かった有利はすぐに失い、肘で頭部を強打され、正面からの掴み合いに持ち込まれてしまう。
「なんだ。貴様。怪我で死にかけていたガキじゃないか? どうやって牢から出た!」
牢番はかなり力が強い、すぐに腕をねじられそうになった。
渾身の力で右腕を外し、わき腹を殴るが効かない。
逆にのしかかられ、首を腕で絞められる。
「思った以上に元気がいいな。でも、今すぐ殺してやる。お前らみたいな犯罪者は裁判なんておこがましい。死ね。無駄に生きのびて偉い人たちのお手を煩わせるな!」
そういいながら、ぐいぐい首を絞める。
ティルクは必死に抵抗するが、力が違いすぎた。
遠のきそうな意識の中で、
「おい小僧。そいつの鍵をこちらに投げろ」
そんな声が聞こえる。
「死ね、犯罪者め」
牢番は汚い歯をむき出しにした。
ティルクはどうせ死ぬならと、最後の力を振り絞って牢番の体を探る。
じゃら。
鍵があった。
ティルクはそれを掴むと、引きちぎり、声の方向に投げた。
ほとんど、床に投げつけるようになり、たいして距離を滑らない。
ティルクができたのはそこまでだった。
呼吸を止められ、意識が途切れそうになる。
突然、圧迫が弱まる。
ティルクはなぜか死ぬ直前から、生に引き戻された。
彼にまだ力が残っていたら、牢番が子供のようにひょいと持ち上げられ、床に叩きつけられる瞬間を見ただろう。
牢番を軽々と持ち上げたのは、先ほどの声の主である。
ドワーフの男ドーリン。
鍵は運良く彼の手に届く位置に落ち、彼は牢を空けるとティルクを救いに出てきたのだ。
小柄なドーリンだが、力だけは人間以上だった。
牢番も屈強な男ではあったが、背後から凄まじい怪力に持ち上げられ、なすすべなく投げられたのだ。
よほどの衝撃だったのか、牢番は完全に気絶して動かない。
ティルクはゲホゲホと激しく咳き込む。
「おい、小僧。休んでいる暇はないぞ」
ドーリンが厳しく言う。
死ぬ寸前まで追い込まれて、体は激しく苦痛を訴えているがこのドワーフの言う通りである。
「あ、ありがとう。二度も……命を助けてくれて。怪我を直してくれたのはあなたでしょう?」
ドーリンは軽くうなずくと、
「とにかく脱出しないと。俺はこのまま捕まっていたら死刑になるからな。お前も必死なところを見ると同じか?」
「わからない。けれど、こんな所で拘束されていたら目的が果たせなくなる」
「とにかく今は脱出してからだな。協力してくれ。お前は牢番を縛って牢に放り込め、猿轡もかませるんだ」
そう言うと、ドーリンは鍵を使って奥で固唾を飲んでいた囚人二人を解放する。
二人の男は、いかにもまっとうではない雰囲気の男たちで実力の程は定かではない。
一人の男は身なりは普通だが、もう一人の無口な男は髪も髭も伸び放題。
まともな方の男がしきりにドワーフに礼を言う。
「お前たち、罪状はなんだ? 死刑になるなら俺たちに協力しろ」
「な、何をしたらよろしいので? ドワーフの旦那」
「協力するんだな?」
「へ、へい。もちろんで」
下卑た笑い顔を作る男。
もう一人の男もかすかにうなずくが、視線を合わせようとしない。
開放して、一瞬後悔するドーリン。
「あんたら罪状は何だ?」
「あっしは盗みの時に人を大けがさせて……」
「お前は盗賊か、じゃあ、あんたは?」
もう一人に聞くが返事もしない。
「こいつは殺人です。あっしもそれ以外は……」
盗賊が代わりに答える。
「ドワーフさん。こちらはいいですよ」
思った以上に手早くティルクは作業を終えていた。
牢番の服を裂き猿轡をし、ベルトで腕を縛って牢に放り込まれている。
「手際がいいな小僧」
「農民だったので作業は何でも……とにかく、小僧は止めてもらえますか。ティルクと呼んで下さい」
「ああ、すまんな。俺はドーリンだ。呼び捨てでいいぞ」
四人は急いで知恵を絞る。
「いいか、脱走はすぐにばれる。すぐにここを出ないとだめだ。今いる場所は城の留置所だ。裁判待ちの犯罪者を放り込むところだから監獄じゃない。すぐ中庭を挟んで隣に城がある。中庭は衛兵が多いから逆に留置所は警備が少ないかもしれん」
「旦那。下水から逃げるのが一番簡単だと思いやすぜ。汚ねぇ場所だから、役人も嫌がって探しませんよ。城の便所から下水に飛び込んだら、後は堀に出て水路から西地区に紛れ込むって寸法です」
盗賊が答える。
西地区は都市内の古代遺跡群、未開発で広大な空間が放置されていた。
「下水には城に行くしかないのか?」
「中庭には下水に通じる箇所は無いと聞いたことがありやす」
主にドーリンと盗賊が話し合う。
殺人犯の男は髭面を時折ぴくぴくさせており、精神的に不安定なようだ。
ティルクは若いので無駄口を叩かないように気を付けていた。
「城に忍び込むのが難点だな。あんたは入ったことがあるのか?」
「あっしは昔、商人の身分で入ったことがありやす。下層民でも案外あっさり入れてもらえるんですぜ。ここの王様が甘いお人だといううわさです」
「それなら場所の見当もつくな。問題はそこまで行くことだが……それは、ここで悩んでも結論は出ないだろう。まずはここを出ないと」
出発しようとすると、
「ドーリン。あの人は放っておいていいのですか?」
ティルクが指差す先にはデリクがいた。
「……奴は死んだ……お前は気にするな。死人を連れて行く余裕はない」
ドーリンは下を向きながら言う。
四人はこっそり牢獄を出て、階段を上る。
留置所の牢は地下、階段の先には衛兵や牢番の控え室があった。
身軽なティルク、ドーリン、男二人の順である。
(デリクがいたら隠密仕事は心配ないのだが……)
ドーリンはそう思いながら登って行く。
ティルクが少し開いた木の扉の隙間から覗き込むと、控え室には衛兵が二人。
革の胸当てを着用し、腰に小さな剣。
椅子に座りテーブルを挟んで話し合っている。
「おい、牢番のオッサンはどうした?」
「さあな。あの野郎、こそこそ囚人に何してやがるのか。うわさだと、金もらって裁判と死刑の手間を省いているって話だ」
「ち、上手いことやってやがるなあのオッサン。酒でもおごらせないと割に合わないぜ」
「少し前に悲鳴が聞こえていたから、誰か殺られたな。オッサン脅して金を巻き上げるのも悪くないな」
暫く、噂話に花を咲かせる衛兵達。
士気がかなり緩んでいるようだ。一人の男などはまだ早朝だというのにワインをがぶがぶと飲み始める。
「衛兵が二人いる」
ティルクが身振りと小声で知らせる。
「一気に行くぞ、とにかく敵にしがみつけ」
ドーリンはそう指示する。
タイミングを計って四人は扉を蹴って開け、一斉に衛兵に襲い掛かった。
2026/3/28 微修正




