37 静寂の国
リアンナ姫と魔法使いターニャは恐怖の表情を浮かべて倒れ、体をけいれんさせている。
漆黒の闇の中で黒いフードの男が笑う。
その目は蛇のような人間とは思えないものに変貌していた。
「フフフ。動けまい。貴様らは無数の怨霊に取り付かれ魂を食い荒らされて潰えるのだ。永劫の恐怖の中で地獄の苦しみを味わうが良い」
男の手から珠は消える。
塵となって手から零れ落ちた。
「だが、王宮で使う予定のものが……妖術王のお叱りは覚悟せねば」
男はターニャの体を蹴り、ロッドを掴む。
ロッドの象頭、バリー・セスも術にかかったように見える。
「『静寂の国』も敵になるか、魔黒教国に逆らうとは愚かなり」
そうつぶやく男。
しかし、突然、象の目が開き、魔力で輝く。
「ほう、なるほど、確かに強力な術だ、さすが妖術王」
「なに! なぜ貴様は意識を失わぬ」
「フフ、魔黒十傑の一人、キューディス殿の言葉とは思えませんな」
象頭のぬいぐるみがにやりと笑う。
「くそ!」
黒ローブの男、キューディスは思わずロッドから手を放す。
しかし、ロッドは床に落ちず、宙に浮いた。
「痴れ者め。亡者である私に効く術ではないとわからぬか」
「貴様、殺してやる」
慌てて、何らかの術を行おうと焦るキューディス。
「では、さらばだ妖術師殿」
ブオン。
そのような音と共に漆黒の闇の球が形成され、二人の女とロッドを包み込む。
「死ね!」
キューディスは黒い魔力の矢を飛ばすが、それは球体に当たると煙のように消失してしまった。
闇の球は一度大きく膨らむと、スーっと小さくなって行く。
極限まで小さくなると球は見えなくなる。
ロッドも女二人も、元から何もなかったかのように消え失せた。
「逃がしたのか……まずい、まずいぞ……しかし、『妖珠』を使ったのは呪詛王様にはわかって……事態を報告しないわけには……」
男は寒さに震えるように、体を両手で抱え、いつまでもぶるぶると震え続けた。
ふっと、頬を柔らかい毛皮が触れる。
「ん……」
気がつくと、そこは明るい部屋だった。
柔かい巨大なベッドに寝かされ、毛布がかけられている。
リアンナははっとして、飛び起きる。
(ここはどこだ!)
「にゃー」
黒い子猫が枕元にきて起こしたようだ。
気がつくと、全裸である。
慌てて服を探すと、ベッドの脇にハンガーがあり、白いゆったりとした女物のドレスがかけてあった。
リアンナはそれを着込む。
「あなた、どこの子なの」
黒い子猫を胸に抱き、辺りを見回す。
部屋は土と石で作った質素なもので装飾は全くない。
ベッドは大きくふかふかで快適だが、あまり見慣れない文化の物である。
部屋には窓があり、ガラスも何も入っていない。ただ、壁をくりぬいただけのもの。
外は昼のようだ。
部屋にある素朴な木製の扉は閉まっていないようだ。
開けて外に出ると、自分が見たこともないような場所にいることに気がつく。
周辺を見回すと、ここはどこかの山岳地帯に建つ城。
彼女がいるのはその城の屋上だった。
屋上と同じ高さに山岳の峰がある。
東西と南は山であり、北側が谷。
北に向かって見下ろすと、非常に深い谷になっており、その急斜面にくねくねした山道と、へばりつくような建物群が見えた。
谷の出口に大きな門があるようだ。小さく見える。
門の先は広大な平原が広がり、霞んでその先は見えない。
彼女がいた小さな部屋は城の屋上にある。
部屋の外には広いベランダがあり、石を刻んで作った机や椅子も置いてあった。
「ここはどこかしら」
「にゃー」
猫に問うても返事はない。
強い日差しだが、風は冷たい。
「お目覚めですか。良かった」
不意に後ろから声をかけられる。
振り向くと、黒い薄物のドレスに黒いつば広の帽子を被った女が立っていた。
顔を薄いレースの布で覆って表情はわからない。
黒猫はリアンナの手から飛び出すと、その女の足元で喉を鳴らす。
「あなたは?」
「私はディア。リアンナ様のお世話を命じられている者です」
彼女の手には小さな盆があり、その上には水差しと青銅の杯がある。
ベランダの机の一つにそれを置く。
ディアはその前の椅子に座るように促した。
リアンナがおずおずと座ると、彼女は青銅の杯に何かの液体を注ぐ。
少しピンクがかっている。
「薬水です。衰えた体に効果があります。どうぞお飲みください」
そう言われて、リアンナは体全体に力が入らないことに気がつく。
少なくとも彼女に悪意があるなら、今頃、命はなかっただろう。
親切の理由はわからないが、疑う理由もなかった。そっと喉に流し込む。
甘く、美味で、体に力が湧いてくるようだった。
黒ドレスの女はリアンナが飲み干すのを確認してから、
「女王陛下がお会いになりたいそうです。ご一緒に来てくださいな」
「女王陛下?」
うなずくディア、リアンナはついて行く。
屋上から階段を下り、素朴だが壮大な城をぐるぐると降りていく。
(ほとんど人はいないわね)
土と石でできた城はまるで廃墟のような寂しさがあった。
凡そ、人が住んでいるように感じられない。
やがて、非常に広い広間に出る。
アーロン宮廷の倍はあった。
広くはあったが、装飾はほとんどなく、やはり、廃墟のようにも見える。
広間は日光を巧みに取り込んで明るい。
そこには王座がぽつんと一つあり、王座に座る人物とその側に立つ異様に背の高い人物。
そして、その前には見覚えのある一人の少女。
彼らはリアンナを待っていたらしい。
黒ドレスの女はリアンナを促すとどこかに消えてしまう。
リアンナはゆっくりとその三人に近づく。
王座の前に立っているのは、あの宿屋で戦っていたターニャと言う女魔法使い。
王座の側に侍るのは、人間離れした背の高さの壮年の男。
そして、王座には異様に青白い肌をした銀髪の女性が座っている。
長い髪を片側に垂らし、黄金に輝くドレス。
完璧に整った顔立ちで非の打ち所がない。
微笑を浮かべて座る。
(なんて美しい!)
女のリアンナでもそう思う。
側の男は通常の人間の頭三つ分は大きい。
髭の生えた顔に特徴はないが、大きさだけで十分異様だ。
「ようやく目覚められましたか、リアンナ姫」
大男が声をかける。ロッドと同じ声だ。
「あなたは、確かバリーと仰るのかしら」
「そうです。さすがは聡明なお方。私の声だけで正確に把握なされている。私は魔道士バリー・セス。惨めな死をさまよう者です」
男は恭しく頭を下げる。
「……」
リアンナは王族らしく無言で礼を受ける。
「ターニャ嬢はご存知でしょうか」
「ええ、アーロンの捜査資料で」
「宜しくね、リアンナ様。でも、私、犯罪には加担してません。そのことはわかってください」
ターニャが親しげに言う。
「そして、こちらが『静寂の国』のフェリーゼ女王陛下でございます」
バリーが王座の人物を紹介する。
「ようこそ、リアンナ姫」
フェリーゼの声は若いような老いたような不思議な声だった。
「『静寂の国』! 聞いたことがあります。はるか南方の山岳地帯に、亡者や幽鬼が国を作っていると。そして、そこの国民は全員邪悪で、通りかかる生ある者を食い殺している……失礼。そのようなうわさなのです。一見したところ、あなた方はそのようには……」
思わず、非礼なことまで口走ってしまうリアンナ。
「ふふ。凄いうわさですね。もちろん、我々はそのようなことをしておりません。それどころか、生ある者に理由もなく襲い掛かったら、法で罰せられるのです。しかし、我らが亡者であることは事実です。真の道を模索することによって悪の力を封印しています」
「あなたたちの目的は一体……」
「亡者に堕とされた魂の救済です」
「……」
リアンナにはその救済の意味することはわからなかった。
知りたくもあったが、今はそんなことを詮索している場合ではないと思い、それ以上は聞かなかった。
とりあえず、害がない。
それだけで十分だった。
「ねえ、バリー。あなた、本当はそんな姿だったの」
紹介の後、ターニャが問う。
「う、この姿はご婦人方のお目汚しにならないようにしている仮の姿。本来なら、世を欺くようなことはせず、正体を晒すべきなのですが……」
「バリー殿。私のことなら気になさらないでくださいな」
リアンナ。
「私も、あの姿平気」
ターニャもうなずく。
「皆様もそう仰っているのですから、変化を解かれてはどうですかバリー」
フェリーゼが言う。
「……ではお言葉に甘えましょう」
そう言うと、バリーの外観がぼやけ、象の頭に灰色のローブを着込んだ不気味な化け物の姿を現す。
「きゃ!」
思わず、女らしい悲鳴を上げてしまうリアンナ。
「やはり、やめたほうが良かったでしょう? 陛下」
骨の手で象頭を掻く怪物。
「いえ、すみません。思わず取り乱してしまって。大丈夫です」
リアンナはそう言うと居住まいを正す。
「リアンナ姫は知りたいことがおありなのではないですか」
女王がバリーを見る。
「そうですわ、あの後のことを教えて頂きたい」
リアンナ。
「あなた方お二人を妖術師の魔手から救うために、私は瞬間移動を使いました。この『静寂の国』まであなた方を運んだのです。お二人の魂は酷い攻撃を受け、何百にも上る悪霊に取り憑かれていました。それを除霊により退去させたのです」
バリーが説明する。
「では、あれから何日も……」
「三日目です」
「こうしてはいられないわ。父上が危ない。あの妖術師が父に何をするか」
「あの者たちの謁見の日取りは明日です」
「助けていただいたのは感謝しますが、すぐに私を父の城にお帰しください!」
「私たちもすぐにそうしたいのですが、一連の行動が妖術王の怒りを買ってしまい、魔術の結界を張られています。魔黒十傑の内、四人が出動して国を包囲しています。瞬間移動は出来ません」
フェリーゼが答えた。
「出来ないことはありませんぞ、陛下。しかし、危険は伴います」
バリー。
「どのような危険でも厭いません!」
リアンナははっきり言い切る。
「結界は四人の内一人でも打ち破れば崩れます。武力でいずれかの妖人を倒せば」
「魔黒十傑?」
ターニャ。
「邪悪な魔黒教国の英雄たちをそう呼ぶ。筆頭の呪詛王以下、魔女や人狼、魔法戦士など様々な魔術や戦闘力に秀でた者たちが就任する。彼らは妖術王その人から寵愛を受けているから、力は侮れぬ」
バリーが説明した。
「じゃあ、その四人はどんな奴らなの」
「それは私が……」
先ほど、リアンナを案内した黒ドレスの女がいつの間にか戻ってきている。
「彼女は『見る者』ディア。姫は既にお会いになられてますな」
バリーが紹介する。
ディアは上品に挨拶する。
「私は初めてお会いしますわ」
ターニャ。
「何が見えた?」
バリーが問う。
「急峻な南に魔剣士のソルイン様。西の峰に魔女リセリア様。東の丘陵にマール様の魔狼隊。正面出口、北の平原には牙将軍のヴォカーン様が布陣されてます」
「比較的簡単なのはマールとヴォカーンだな数は?」
「マール様は十名。ヴォカーン様は五百名です。あとはお一人ずつ」
「ちょっとぉ、それっておかしくない? 簡単なのはお一人ずつの方じゃないの?」
ターニャ。
「その二人は中原の大英雄でも躊躇する魔物だ」
「例え相手がどのようなものでも私は躊躇いませんわ」
リアンナが決然と言う。
「常識的に考えたらヴォカーンを蹴散らすしかない。陛下、国民から有志を募り、この気高い姫に兵をおあたえください」
バリーが跪く。
「魂の平安を願う民を決起させるのは本意ではないが、目の前で困っている人を助けないのは我らの考え方に反します。良いでしょう。バリーもお二人についていっておあげなさい」
「ディア、戦に興味のある者は何人ほどだ」
「上古の英雄方が十名と、現世の英雄方が四十名です」
「思ったより多いな。リアンナ姫の高貴な姿に打たれた者が多いのだろう」
「リアンナ様は上古の血筋を引くお方。陛下とも良く似ていらっしゃいます」
「わが家系にどのような血が流れているのです? 初めて聞きました」
リアンナがちょっと驚いて尋ねる。
「ディア!」
フェリーゼが少しだけ声を荒げた。
「は、申し訳ございません。今申し上げたことはお忘れください」
「教えてはくれぬのか」
「……」
「我らの禁忌に触れるのです。どうか、この件はお許しください」
バリーが懇願する。
「わかったわ。それより、私の武器はどこに」
ディアが合図すると、上品な姿をした召使たちが机を運び込み、武器などをその上に手際よく並べる。
2029/6/21~8/23 微修正




