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前編

 この国の王太子セオドアと、ローラン子爵家の令嬢グレースの婚約が結ばれたのは、今から六年程前、二人が十二歳のときである。

 王族と子爵家の娘、客観的に見て大層な身分差があるが、これは国王やセオドア自身たっての希望で結ばれた婚約であった。

 


 長身で端正なルックスのセオドアと、まるで妖精のように可憐でおしとやかと評判のグレース。

 セオドアはグレースを溺愛し、またグレースもセオドアを慕い、二人が相思相愛なことはこの国中の貴族、いや国民全員が知っていた。




 ある日、グレースは王宮での本日の王妃教育を終わらせた後、いつも通りセオドアの自室へと訪れた。


 そしてすぐにグレースはセオドアの顔色があまり良くないことに気付く。少しだけ不穏なオーラを感じた。


 「殿下、隈ができていますわね。……眠れていないのですか?」


 と、グレースはセオドアの手を握り、彼の身を案じた。

 グレースは、絹糸のように細いモーヴシルバーの髪と、紫水晶色の瞳を持つ儚げな容姿の美少女であり、普段ならセオドアは彼女に手を握られようものなら、飛び上がる勢いで喜ぶ。

 しかし、今日、セオドアから返ってきた言葉は信じられないものであった。



「殿下、今なんておっしゃいました……?」


 グレースはたった今目の前のセオドアの口から発せられた言葉を理解できず、聞き返した。



「……聞こえなかったか? しばらく私に近づくな、と言ったのだ」


 セオドアは、美しいブロンドの髪にエメラルドの瞳を持つ美青年である。グレースはセオドアのそのまるで森の色のような優しい瞳が好きだったが、今その双眸はどこか虚ろげにグレースを見つめていた。



「……何故ですか? 私、何かしましたでしょうか?」


 いきなり近づくなと言われたのだ。何か無礼を働いてしまったであろうか。彼女にはまったく覚えがない。


「……。そういうわけではないが……。とにかく私の前に顔を見せるな」


「と言われましても。……しばらくとは、いつまででしょうか?」


 セオドアはどうやら理由を答えてくれそうにないので、グレースはその期限を聞いた。


「……来週の、私の十八歳の誕生日までだ」


「えっ……」


 一週間後のセオドアの誕生日。この国の王太子が成人を迎える日。この日は大々的なパーティーが王宮で開催される。

 当然、グレースはセオドアの婚約者としてパーティーに参加し、全力でお祝いする予定であった。


「……その日は殿下のお誕生日パーティーではありませんか。私は参加しないほうが良いということですか?」


「…………。いや、参加はしてほしい。しかし、当日、私はエスコートはできない。君の兄上にでも頼んでくれ」


「……まあ……」


 グレースは絶句した。パーティーに参加してほしいのに、婚約者をエスコートできないとは一体どういう了見なのか。

 その言動は今までのセオドアからは考えられなく、グレースは顔を青くした。


 それ以上セオドアは何も言わないので、グレースはおずおずと扉のほうに向かう。

 部屋を出るとき名残惜しそうに室内のセオドアを見たが、セオドアはまるでグレースをシャットアウトするかのように机に向かい仕事に集中していた。




♢♢♢♢




「……というわけなので、来週の殿下のお誕生日パーティーは、お兄様にエスコートをお願いしたいのです」


 グレースは兄であるオリバーにセオドアに言われたことを報告する。

 オリバーはグレースの三歳上でまだ二十歳そこそこであるが、両親は既に亡くなっており、ローラン子爵家を継いでいた。

 ちなみにまだ独身で、グレースを無事に王家に嫁がせてから、自分の結婚を考えるつもりであった。


「ふむ……それは構わないが。殿下は何を考えておるのやら……。次お会いしたとき、私から直接聞いてみよう」


 オリバーは王宮で官僚仕事をしている。下位貴族であるが、グレースの兄ということで昔からセオドアと交流があり、仕事上よく話す立場であった。


「お願いします。……私は殿下に近づけないので」


「……ちなみに国王陛下はこのことを知っているのか?」


「いえ、ご存知の通り陛下は先月から不在なので、まだお耳には入れられていませんわ」


「ふむ……」


 国王は現在友好国である東国に訪問している。セオドアの誕生日パーティーに合わせて帰国すると知らされていた。




 グレースから話を聞いた三日後、オリバーは執務でセオドアの部屋を訪れた。


「で、殿下……。大丈夫ですか?」


 オリバーはセオドアの様子にぎょっとした。

 セオドアは、自分の机に向かい仕事をしていたが、顔色がとてつもなく悪かった。グレースから聞いていた通り、あまり眠れていないのか、隈がひどい。

 普段は男のオリバーが見ても、煌煌(きらきら)と輝いている人間と同一人物とはとても思えなかった。


「……ああ、ローラン子爵か。大丈夫だ……」


「そうは見えないですが……。あ、これ。妹が殿下に渡してほしいと」


 オリバーはグレースから預かったアメジストで出来たブレスレットを渡した。


「グレースが……?」


「はい。自分の代わりだと思って付けていてほしい、と」


「……」


 セオドアはブレスレットを受け取ると、眉間に寄っていた皺を少しだけ和らげ、口端を上げた。


「……グレース、ショックを受けていましたよ」


 と、オリバーは少し非難するような声色で言った。


 室内に沈黙が訪れる。


「…………。ローラン子爵、私の母上は私が幼い頃、私のせいで亡くなった」


 セオドアがいきなり話題を転換したので、オリバーは戸惑った。


 ――セオドアの母、この国の王妃は、今から七年前に亡くなっている。


 セオドアと同じ金髪の、上品で美しい女性であったが、病弱でいつも自分の部屋にこもりきりであった。

 ある日、セオドアは母に強請り、王宮の庭園に連れていき自分のお気に入りの花壇を見せたことがある。一度その花壇の花を摘んでお見舞いにいったときに、母が大層喜んでくれたのをセオドアは覚えていて、母が喜んでくれた花がたくさん咲いている綺麗な景色を見せたかったのだ。


 セオドアの目論見通り、母はとても喜んでくれ、セオドアの頭を撫でてくれた。

 しかし、その帰り突然倒れ、帰らぬ人になったのだ。


 母を亡くした幼いセオドアが、我儘を言って無理矢理母を連れ出した自分のせいだと、気に病みひきこもりがちになってしまったことは、王宮に勤める者なら誰でも知っていた。


「い、いえ、決してそれは殿下のせいではありません……」


「いや、私のせいだ。……そして落ち込んだ私を救ってくれたのがグレースだ」


 悲しみにくれるセオドアを励ましたのが、当時出会ったグレースであった。

 グレースに心を奪われたセオドアは、それから片時も離しはせず、二人はいつも一緒だったのだ。


「殿下が妹を特別に想ってくださっているのはもちろん存じております。……ではなぜ、遠ざけようと……?」


 どうやら、グレースが何かしでかしてセオドアが愛想を尽かしたとか、そういうわけではないらしい。グレースの名前を出したセオドアの声色も表情も柔らかく、オリバーはほっとしつつ、問いかけた。


「……グレースを母上の二の舞にはしたくない、それだけだ」


 セオドアはそう答えたが、オリバーの頭は疑問符でいっぱいだった。


(???? まったく分からん……)


 結局、それ以上セオドアは語ろうとしないため、オリバーは本来の執務を済ませ、セオドアの部屋を出た。

 すると、グレースがオリバーの元に寄ってきた。どうやら居ても立っても居られず、本日の王妃教育を颯爽と終わらせた彼女は、部屋の近くで待機していたようだ。


「お兄様! どうでしたか?」


「悪い、グレース。理由は聞き出せなかった。……何か事情があるようなそぶりであったが」


「……そうですか」


 グレースは肩を落とす。


「お前の心配していた通り、不穏なオーラをまとってたな。隈もすごくて……。ああ、ブレスレットは無事に渡せたぞ。安心しろ」


「…………ありがとうございます」


 オリバーが先程のセオドアとのやりとりを全て伝えると、グレースは思案気に黙り込んだ。


 そしてグレースはオリバーと共に、自分達の邸宅へと向かう、その道中のことである。




「最近、王太子殿下がグレース様を遠ざけようとしているとか」


 王宮の廊下を歩いていると、通りかかった部屋の一室で、使用人達がひそひそと話をしているのが聞こえた。オリバーが足を止めたので、続いてグレースも立ち止まった。使用人達はグレース達に気付いていない。


「私もそれ聞いたわ! 確かにいつも仲睦まじく一緒にいらっしゃるのに、ここ数日二人でいるところを見かけないわね」


「グレース様、何かしちゃったのかしらね?」



 使用人達は、ゴシップが楽しくて仕方ないらしい。きゃあきゃあと楽しそうに笑いあっている。


「……というか、私見ちゃったのよ、昨日王宮の庭でカトリーナ様と殿下が一緒にいらっしゃるところ」


「え、ミッチェル侯爵家のご令嬢のカトリーナ様?」


「そう。殿下がグレース様以外の女性といるところなんて珍しくてついつい凝視しちゃったわ。なんだかいい雰囲気っぽかったわよ」


「ふーん、でもさあ、カトリーナ様とグレース様だったら、正直侯爵家のご令嬢であるカトリーナ様のほうが王太子の(きさき)としてはお似合いよねえ」


 しみじみと使用人の一人が言った。


 その侮辱とも言える発言に、オリバーは注意をするために使用人達がいる部屋に入ろうとしたが、グレースがそれをやんわりと止めた。そのまま、その場を立ち去ろうとするグレースに、後ろから追うオリバーが声をかける。


「……グレース、気にするなよ」


「気にしてませんわ」


 下位貴族の娘という出自で、あのように思う者もいるというのはグレース自身、理解している。

 グレースはセオドアとの婚約が結ばれてから、その隣に立つ将来の王妃として恥じないよう、マナーや王妃教育にも手を抜いたことはない。その自負もあり、昔から周囲の戯言など歯牙(しが)にも掛けない態度を貫いていた。


(ミッチェル侯爵家のご令嬢、カトリーナ様……)


 ミッチェル侯爵はこの国の外務卿であり、現在国王とともに東国のほうへ出向いているため、この国にいない。


 娘のカトリーナとグレースは、何度か会ったことがある。


 聞いた話では、カトリーナはグレースが現れる前までセオドアの婚約者候補のトップであったらしい。

カトリーナは、先ほどの使用人達と同様、子爵令嬢のグレースが王太子の婚約者であることに不満を持っており、セオドアのいないところでよく嫌味を言われていた。グレースはどこ吹く風とばかりに、右から左に聞き流していたが。


 しかし、現在セオドアに距離を置かれていることもあり、セオドアとカトリーナが二人でいるところを見た、という使用人の発言は、少しだけグレースの心に影を落とした。


全三話の予定です。


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