第九章 夢
もう笑うことも、声をだすことも、君のことを思うこともできない。突然、すべてを奪われた。薄暗い闇のなかに一人取り残された。苦しい。痛い。悲しい。そして憎い。いつか、いつか。この思いを晴らすことができたら。
声にならない思いが、溢れる。そうだ、この復讐は何度生まれ変わってでもやりとげる。
いつの日か、この世界に死をもたらす神となろう。それが僕の唯一無二の願い…。
「ルカ君?うなされているようだが大丈夫か」
「エイダさん」
エイダがルカに話しかけてきた。ぼんやりと彼女の存在を目にとらえる。…そうだ。エイダが今日も遅いし休もうといったら、ここで野宿をしようという話になって。じゃんけんで負けた順番でたき火の見張りを交代でして。たき火の番の一番手はルカだった。そしてローズにたき火の番を譲り、ルカはそのまま寝てしまったのだ。ああ、思い出した。
たき火の番がローズからエイダに変わっているということはそれだけの時間ぐっすりと寝ていたということだろう。
「すいません。たき火の番、変わりましょうか」
「それには及ばない」
エイダはきっぱりと断った。
「私も起きていたい気分なのだ」
「そう、なのですか」
どうして、なんて聞けなかった。うすうす分かるような気がしたからだ。前の村で起きた事件のことを考えていたのだろうか。しばらくの間、二人は黙っていた。
「…何かあったのか」
エイダはたき火を見ながら聞く。彼女の青い瞳にたき火の火が映っていた。彼女の瞳のなかで、たき火の火はゆらゆらと揺れている。ルカは答えない。
「苦しい時は誰にでもある。そういう時は誰かに聞いてもらうのが一番だ。たとえ気持ちを分かりあうことができずとも、誰かに聞いてもらうことが支えとなることもあるだろう。君の悪夢は私にはわからない。それでも今は私もローズも傍にいる。だからいつでも頼ってくれ」
エイダの声は夜に浮かぶ満月のように柔らかだった。そしてエイダは揺れるたき火を見つめた。ルカもたき火を見つめ続けていた。二人はひたすら同じ光景を眺めていた。
「ありがとう、ございます」
ルカは絞り出すように言った。嬉しかった。エイダの思いやりが、ルカの心に沁みた。
「すいません。ちょっと怖い夢をみてしまっただけなのですけどね」
ルカは苦笑いする。
「悩みに大小なんてない。どれだけ辛いかは本人にしか分からないものだ。謝ることはないさ」
「そうですね」
「私も小さいころは怖い夢をよくみたものだ。朝食に魚料理ばかりがでるような夢とか家庭教師が宿題をたくさんだしてくる夢とか」
「…それ、怖いですか」
「ああ、ルカ・アボットは前世の記憶を自覚していないようだよ。話をした限りではね」
「そうか」
ジャックは飄々とした口調で男に告げる。ここはもう随分前に廃棄された教会。ステンドグラスは割れ、床には埃が積もっている。明かりはかすかに差し込む満月しかない。そのためジャックの方から男の表情を伺うことができない。感情のない声とあわせてまるで暗闇と話しているようだとジャックは思った。
「引き続き転生者の処理を頼む」
男はジャックに淡々と答えた。
「はいはい」
ジャックは軽く礼をして立ち去ろうとした。しかし暗闇の中ジャックの方に突進してくる小さな影があった。
「あーあ。面倒なのがきてしまったなあ」
ジャックは嫌そうに顔を歪めてぼやいた。
「ジャック。駄目じゃないか。ルカのことを助けてあげないと」
小さな影は厳しい口調でジャックを責めた。
「仕方がないだろう、リサ。ルカ君は前世の記憶がないみたいだし」
ため息をつきながら、ジャックは応じる。さらに語調を荒げ、小さな影―リサはジャックに詰め寄った。
「いいや。それでも、このままだとルカは勇者とされてしまうのだぞ。それをみすみす見逃すのか」
「あのね、これはウィリアムの意向でもあるのだよ。前世の記憶が無いようであれば放置しろと言われてさ」
「そんな、ウィリアム、酷いじゃないか」
リサは暗闇の中にいる男―ウィリアムに抗議の矛先を向けた。ウィリアムはその視線を受け止めながら、淡々と答える。
「リサ。分かってくれ。私とてこんな行為は本意ではない。ただ変革のためにはきっかけが必要なのだ。死がない平和な世界に浸ることになれきった人々の意識を変えるためには、何か起爆剤がいる。彼にはそれになってもらう」
「そんな」
「大丈夫だ。ルカのことは必ず後で助ける」
ウィリアムはリサの目をじっと見つめた。そして安心させるように微笑んだ。
「それなら、いいが」
リサは勢いを弱めた。ウィリアムのことを信頼しているのだろう。ジャックはそんな二人の様子を黙って見ていた。そして切り替えるように声をだした。
「さあて、帰ろう。こんな辛気臭い所にいたらオレも根暗になってしまう」
「ジャック、ウィリアムに失礼だろう。ここは確かに埃っぽくて暗くて汚いがだからと言って、性格が変わるわけがないだろうが」
「失礼なのは君じゃないか」
「?どういうことだ。あ、じゃあお邪魔しました。さようなら」
リサとジャックが言い合いながらでていくところをウィリアムは座ったまま見送った。彼は二人が見えなくなるまで見守っていた。二人が出ていくと、しばらく静寂の時が続いた。しかし堰をきったようにウィリアムは語りだした。
「そう、起爆剤が必要なのだ。現状維持が一番楽な道だ。それがなにかの犠牲の上にあるとしても、人は自分がその犠牲の中に含まれていなければそれでいいと思っている。その考えを変えるためには彼らも被害を受けなければならない」
ウィリアムはどこか熱に浮かされたような口調だ。
「力とは使うためにあるものだ」