73話
ゆっくりと開かれた扉の先、俺は自分の目を疑った。それと同時に周囲からは静けさだけが風となって過ぎていくようだった。
例えるなら、新幹線や特急……いや違うな。一番近い感覚をあえて言うなら、ガキの頃にパチ屋の前を歩いていて、扉が開いた後に閉じた後のような、一瞬で音が消え去る感覚だ。
形容しがたいなんて言葉を使う日がくるとは思わなかったが、頭がバグるような静けさが俺を包み込んでいくのを感じてしまう。
「……」
「何をしているの……貴方は誰?」
あまりに普通の質問が投げかけられる。
なにより、少女の姿が頭の中で見た姿そのままだった事に驚かされてしまった。
ただ、その驚きと同時に何かを忘れてしまうような寂しさを肌に感じた。
「どうしたの? 貴方は1《・》人で、なぜ扉の前にいるの?」
俺は1人で……なんで、1人で知らない家の前に立っているんだ?
「どうして、返事をしないの? 貴方は迷子なのかしら?」
迷子……いや、そんなはずない、俺は立派な大人だっての……
「いいわ。名前を教えて、貴方を知っている人がいないか探してあげる」
「……」
「貴方は名前も言えないの? 迷子で喋れないなんて、困った人……」
俺の名前……名前ってなんだ……なんで、声が出ない、ここはどこなんだ……
目の前にいる可愛らしい少女は俺の手を引いて、外に足を踏み出す。
次の瞬間、静寂に包まれた世界が一瞬で音と動きを取り戻したように賑やかな世界へと変化する。
周囲からは、子供達の楽しそうな声が聞こえ、通りからは、活気に溢れた商売人が通行人に商品を売り込んでいるのが声で理解できた。
「さぁ、街を見ながら、貴方が何者なのかを考えましょう……きっとわかるはずだから」
手を引かれて進む俺は、自分が誰で何のためにこの街に来たのかが分からないんだ。
「ここが大通りで、あそこのパン屋は、朝から晩までパンを焼き続けてるから、いつでも美味しいパンが食べれる。あっちが肉屋で──」
ずっと説明してくれてるんだが、この少女を俺は知らないんだ。
「悪い……名前を聞いてなかったな。自分のことが分からない俺が尋ねるのもおかしな話だが、名前を教えてくれないか?」
「名前……そういえば、名乗りませんでしたね。私はエスト、エスト・フリデーティです。改めてよろしくお願いしますね。名無しさん」
俺は名無しさん扱いか……間違ってはいないから仕方ないな。
案内された街は意外に小さく、半日程ですべての案内が終わった。しかし、俺を知る人物は誰一人いなかった。
「誰も名無しさんを知りませんでしたね。きっと、名無しさんは冒険者さんなんですかね」
「冒険者、俺がか?」
「見た目的にそうですよ。でも、もし強い冒険者さんなら、私は嬉しいです」
不意に向けられた笑顔、俺は何も分からない存在なのに……なんで、そんな嬉しそうな顔をするんだろうか?
そんな疑問が頭に浮かんだ瞬間、突然、名前も分からない女や子供達の顔が頭の中に過ぎった。
「うぅ……なんだ」
「大丈夫? きっと疲れたのね……今日は私の家に泊めてあげるわ……貴方、行く宛てなんてないんでしょ?」
そう言われて、腕を引っ張られる俺、だが、背後から声が聞こえた気がした。
「──ル、ダメだぞ……頼むから!」
「いったらダメだぞ!」
後ろを振り向くが誰もいない……幻聴ってやつか?
「大丈夫よ……さぁ、早く来て……疲れてるみたいだし、貴方は休んだ方がいいわ」
俺は軽く頷き、前に踏み出そうとした。
その時、街の入口から鐘の音が鳴り響いた。
何事かと思った瞬間、街の入口側から土煙が上がる。
「なんで……私の街を……壊すやつも奪うやつも、私は許さない!」
エスト・フリデーティと名乗った少女が、出会ってから一番の大声をあげると入口に向かって駆け出していく。
その後ろを追い掛ける形で走り出した俺は、次の瞬間には入口へと移動していた。
入口の外側に見える複数の人影、武装した冒険者だとすぐに理解できた。
冒険者達は何かを笑いながら話していたが、俺には会話の内容が分からない。
ただ、エストが怒りを表情に滲ませているだけで、俺からしても、目の前にいる冒険者は敵なのだと理解した。
「エスト、俺も加勢するぞ!」
一歩前に踏み出した瞬間、冒険者側からも、1人の小柄な少年とも少女ともとれる容姿の人物が前に出る。
何かを呟きながら、俺に向かって歩いてくるが、何を言ってるか、やはり分からない。
ただ、距離が近づいた瞬間、そいつは勢いよく駆け出すと俺へと拳を握り、襲いかかってきた。
慌てて回避しようとするが、動きを見透かされたように、回避とガードを躱した拳が胴体に命中していく。
「ぐっ……」
殴られた瞬間、たしかに聞こえた。
「馬鹿なんッスか……そんなに大バカだったんッスか!」
怒りに満ちたような、それでいて悲しんでいるような声だと感じてしまう。
だが、明らかに軽い。体格差があり、殴られると分かれば、耐えられる程度の一撃だった。
そう思っていた。ただ、身体が突然動かなくなり、俺はその場に膝をつく。
「痛いッスよね……一日待っても帰らないで、人が心配して探しに来てみれば、ソマリとポメラの2人に抑えられて……先輩は本当に、馬鹿ッス!」
「落ち着いてください。◆◆殿、◇◇◇殿は、術に掛かっただけです」
「そうだよ。だから私達も一緒に来たわけだから、とにかく、落ち着いてってば」
聞き覚えのある声だった……俺を知っているのか……なら、なんで攻撃するんだ……
「エスト……逃げろ、ここは俺が死守してみせる。街の皆を安全な場所に」
そこまで、口にした俺の目の前で、涙を流している女の子の顔がはっきりと見えた。
「先輩……いっぺん、豆腐と言う名の、靴の角に頭をぶつけて、死んでこいッス!」
頭に衝撃が走る。ただ、その瞬間に靄が綺麗に吹き飛んだような感覚と激痛が全身を駆け抜けた。
「ぐぁ、ってぇ……モモ、やりやがったな」
「ぐすっ先輩……やっと、気づいたんッスね……馬鹿ッス……モモを忘れる先輩は、おたんこナスのべっこう飴次郎のスカポンタン野郎ッスよ」
泣いているモモが視界に入った瞬間、俺の背後からは、怯えたような声が聞こえた。
「なんで……守ってくれないの……また、皆……いなくなるの……」
それはエストの声であり、酷く怯え、消えてしまいそうにすら感じられた。
「エスト……お前は、誰なんだ」
その問い掛けに、エストは黒い霧になってゆっくりと霧散していく。
「1人は寂しいよぅ……皆、帰ってきてよ……皆の為のダンジョンにしたのに……なんで嫌うの……」
そうして、エストの声は完全に消滅してしまった。
意識がはっきりした俺の足には、必死にしがみついているソマリとポメラの獣人コンビの姿があり、目の前には、モモと『黒龍の息吹』のミラさん、スリンガーさん、ナンシーさんの3人の姿もあった。
「俺はいったい……」
「ホタル、心配したんだからな!」
「そうだぞ! オイラもソマリもずっと足を掴んでたんだからな!」
俺は事の顛末を聞く前に、エストが消えた位置に視線を向ける。
そこには、小さなガラス玉と、一冊の本が僅かな光を放ちながら、置かれていた。
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