第1話 転生
暗い、暗い闇の中。
非常口案内と、僕――鷹宮唯一の机だけが光源だった。
まるでオフィスの月と太陽だ。
「終わんねぇーーー……」
現在三徹目。
大仕事が佳境を迎えたそのタイミングで、インフルエンザが大流行。
見事に、僕の会社は学級閉鎖のような状態だ。
無事な社員にはリモートワークを指示し、ダウンしている社員にはしっかり休むよう伝えた。
カタカタ…
カタカタ…
終わりが見えない。
納期の交渉をすればいい。
それは分かっている。事情を汲んでくれるはずだ。
客先の社長の顔が脳裏をよぎる。
彼には本当に古くから世話になっている。
独立前も、独立後も仕事をずっと発注し続けてくれている、艱難辛苦を共にした戦友だ。
この仕事は、どうしても次の打ち合わせには格好のいい成果を間に合わせたい。
「意地があるんですよ…オトコノコにはね…ゲホっ、ゲホ……」
正直、体調は思わしくない。
医者にはかからずシュレディンガーのインフルエンザという事にし、働いても大丈夫な理由を自分にこじつけている。
実にバカ。わかってるさ。
「大丈夫、大丈夫…、意外と…ゲホゲホ」
ああ、めまいがする。
三十代に突入して数年、本当に体力が落ちた。
「はぁ……、はぁ。トイレ行こ……」
椅子から立ち上がった瞬間、視界がぐにゃりと歪み、床が傾いたように感じた。
――やばい。
膝に力が入らない。
ぐるりと視界が回り、ドスン!と衝撃。
熱で頭がクラクラする。
薄緑色がじんわりと滲む天井をぼーっと見つめる。
朦朧とする意識の中、視線を動かす。
ガラス棚の中に大事に飾られている、独立記念で前職のチームの皆からもらった寄せ書き。
ああ、懐かしいな――……。
皆元気かな……………。
…………。
…。
****
「んん……」
目を覚ますと、相変わらず薄暗い。
気を失ってしまったらしい。
床で寝てしまったから体がバキバキだ。
思ったより頭も冴えているな。
熱が引いてきたのだろう。
本当にただの風邪だったのかもね。ガハハ。
さぁ!コンビニで栄養ドリンクでも買って、もうひと踏ん張りだ。
あれ?
――デスクがない。椅子もない。ポケットに携帯は…ない。
「……どこだ? ここ」
寝ている間に誰かが来て、休憩室にでも運んでくれたのか?と考えたが、
自分の知っている場所ではない、と直感でわかる。
ほとんど灯りのない空間。自分の立てる物音の響きから「だだっ広い」ということはわかった。
反響から察するに…体育館くらいの広さはあるだろうか。
足元の感覚から石畳であることもうかがえる。
広くて、石畳…?全く身に覚えのない空間だ。
オフィスじゃない事は確実。
取引先にも似たような設備を持つ会社に心当たりはない。
「まさか…、誘拐…か?」
いやいや、まさかまさか。いい年のオッサンだし。
独立したての零細企業の社長だぞ?
資産だって同年代のサラリーマンと大差ない。
襲うメリットがない。
……半グレの無鉄砲な強盗や傷害事件のニュースが脳裏によぎる。
「絶対にない!」とは言い切れないか。
名刺が誰かの手に渡って、肩書だけ見て拉致…とか?
ともかく、ここに留まるのは良くない気がする。脱出を試みよう。
暗闇の中、手を伸ばして壁を探す。
どれほど歩いただろうか。
想像以上に広い空間をさまよい、ようやく壁に触れた。
ざらりとした感触と、ひんやりとした冷気が手にまとわりつく。
手触りは石、岩?――だろうか。
やはり、オフィスビルに使われるような素材ではない。
今あれこれ想像しても仕方ない。
外に出て、ここは一体なんなのか全容を見ようじゃないか。
壁伝いに外を目指そうとした、その時。
背筋が凍る。
――コー……コー……
獣の息遣いだと、本能で分かる。
全身の毛が逆立つとはこのことだろう。
「まずい、まずい、まずい……」
恐怖で漏れる声を手で押さえる。
心臓は爆発しそうなほど警鐘を鳴らし、冷や汗が止まらない。
足がおぼつかない。動け!動け!走れ!
脱出を願いながら壁をなぞる。
天から垂れる蜘蛛の糸を必死に手繰り寄せんと、その希望が潰えぬよう壁をなぞる。
――途切れた。
終わった…。
否。
これは、吉兆か。
奥に空間がある。
途切れた先へ、迷わず駆け込むと、僕は盛大に躓いた。
「……階段か!」
上か、下か!?
恐怖心のせいか、背後から迫る獣の気配が、その存在感がどんどん大きくなっている気がする。
「ままよ!」
わずかに明るく見えた気がした、上の階段を選ぶ。
何度も転び、泥まみれになりながら、必死で駆け上がった。
息は上がり、もうまともに走れてない。
へとへとだ。
限界一歩手前、今にも倒れそうな僕の視界いっぱいに、煌々と輝く満天の星々が広がった。
「で、出られたぁ…」
ふらふらと階段から離れる。
もう、立っているのも限界だ。
汗だくの体で寝転び、ぐっしょりとした感覚が気持ち悪――ん?
思ったほど汗はかいてないようだ。
周りを見渡すと、鬱蒼と茂る木々が目に入る。
自分のやってきた方向へ目をやると、小さな祠と、地下へと続く階段。
祠はひどく古びており、教会のような宗教施設を思わせる面持ちだ。
とはいえ、ボロボロ。
天井は失われ、崩れかけた壁だけが残っている。
「はぁあーーー……怖かった……」
気づけば獣の気配も消え失せ、ひとまずの無事を確信する。
息を整え、近くの朽ちた瓦礫に改めて腰を下ろす。
……はは。まだ足が震えている。
それに、スーツもボロボロ――?
「……ん?」
違和感に気づく。
自分が着ているのは、スーツではない。こんな服もってたっけな?
生地の荒い、言葉を選ばなければ粗野な感じというか、民族衣装チックというか。
改めて服の至る所を探るも、携帯も、財布も、何もない。
いつの間に着替えさせられた?
いや、それ以前に――ここはどこだ。
星々の輝きようから、相当な田舎なのはわかる。
社員にドッキリでも仕掛けられた?
……いや、さすがに悪質すぎる。
本当に誘拐?
それにしては、見張りもいないけど…。
思考を巡らせていると、茂みから物音がした。
獣か――!?
いや、違う。これは、話し声だ。
人がいる……!
「すみませーん!!」
知り合いだろうか。
もしも誘拐だったとしたら、声をかけたのは失策だったか…?
いや、今はとにかく人と話して安心したい。
「すみませーん!! どなたかいらっしゃいますかー!」
茂みから現れたのは、少年少女だった。
年の頃は中高生くらいだろうか。
髪色も明るい茶髪。
顔立ちも、どう見ても日本人ではない…。ハーフだろうか?
ともかく。人に出会えた。
「あの……」
彼らがこちらを見た瞬間――
「ギャーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
「え、ちょっ――」
――投石!投石!
「やめて! いでっ!」
「バケモノーーーーーーー!!!!!!!!」
彼らは、先程までの僕のように怯え、脱兎のごとく逃げ去った。
「そんな……」
がっくしと肩を落とし、足元の水たまりを見る。
そこに映った――自分の姿。
「……え?」
顔は、見覚えがある。
いつもの僕だ。
――決定的に違う部分がある。
顔にひびが入り、その一部が欠けている。
体を見回すと、あちこちに「欠け」があった。
肉がこそげ落ちているといってもいい。
妙だ。痛くもないし、血も流れない。触るとザラついている。
「なんだこれ……!?」
病気か!?
そうか、奇病にかかって秘密裏に研究施設に隔離され――
頬に触れた瞬間、ぼろりと頬が落ちた。
「うわああ!」
慌てて拾い上げると、それは砂となって指の間から零れ落ちていく。
「えっ? えっ? えっ!?」
起こっていることが、あまりにも滅茶苦茶だ。
――そうだ。
「ああ、なんだ。夢か!」
高熱で変な悪夢を見ているに違いない。
「……よし」
瓦礫の影に身を寄せ、周囲から藁を集める。
「夢なんだから……起きれば、いつものデスクだよね。ハ●太郎」
夢の中で寝たら、現実で起きられるんだろうか。
まあいいや。
僕は思考をやめ、寝た。
****
ちゅんちゅん。
――うん。これは、いつもの朝だ。
鳥の囀り。
ルンバがそろそろ事務所の掃除をし始める。
事務所で飼ってる犬のジョンの散歩にそろそろ出かけないと。
「ふあぁ……。…………」
森。
祠。
「……なんも変わってないじゃないですかーーーー!!やだーーーーー!!」




