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【完結編 第二章】 呪いの輪廻

【完結編 第二章】 呪いの輪廻


1938年、僕は無事京都大学に入学した。

予定通り地震学を専攻した。

そのことを森高先生の仏壇に報告しに行つた。

「天国できつと祝杯をあげてるわ」

奥さんも千尋さんもとても喜んでくれた。

久しぶりに会つた千尋さんは、どこか以前と違つていた。

「髪にパーマネントあててみたんやけど、どう?」

パーマネントは、三年前ぐらいからご婦人たちの間で流行しているらしい。

「それは、酸とアルカリで化学変化を起こすことによつて、毛髪をうねらすそうですね。ドイツ人が発明したそうです。すごいことです」

人間の本来備わっている遺伝子に逆らつて髪をうねらすパーマネントというものを、人間を創つた神様はだう思つておられるだらう。

そんな事を考えてゐると、奥さんと千尋さんに笑われてしまつた。

「嫌やわ、義麿さん。さすが京大だけあつて、専門的で細かいしくみを知ってはるんやね」

千尋さんは、女学校の制服姿の印象しかなかつたが、洋服姿は大人つぽく見えた。

「義麿さん、今度、愛宕山に一緒に行つて下さらん? 遊園地もあるし、私、新しく出来た飛行塔を見てみたいんやわ。景色が最高に良いつて、評判なのよ」

千尋さんは、森高先生を亡くして、ずつと寂しかつたに違いない。

「新京極の国際映画劇場もええわ。今、フランスの監督の映画が上映されてるそうやの。観たいわあ」

気丈に大人ぶつて振る舞つているけれど、やはり若い女の子なんやなと思つた。

それにしても、突然のお誘いだつたので、どうして良いものか答えに窮してゐると、

「義麿さんが一緒なら私も安心やわ。ね、あなた」

奥さんが仏壇の森高先生に話しかけるのを見て、僕は、森高先生がまるでそこにゐるかのような気がしてきた。


浅見は、ここまで読んで、やっと義麿の年齢相応の若者らしさを感じた。

「何か面白いことが書いてあるんですか?」

鳥羽が帰宅していた。

「何だ、早いじゃないか」

時計を見ると午後三時だ。

「いつも眉間にしわ寄せてそのノートを読んでるのに、今日は何かニヤニヤしてますね」

「義麿さんの恋愛場面に突入したんだよ」

「へーぇ、あの神童が?」

「お前さんなんかより、よっぽど進んでるよ。三千惠さんと進展はあったのか?」

「何ですか! いきなり」

「仕事仕事でそんな不規則な生活をしていたら、婚期を逃すぞ」

「先輩だけには言われたくないです。それに三千惠さんは一筋縄ではいかないタイプなんです」

「ほう、どんなところが?」

「デートの約束をしても、急にドタキャンされたり……、気まぐれっていうか、つかみどころがないっていうか」

「魔性の女ってやつか」

「そうかもしれません。真代さんに言わせると『霊媒体質』かもしれないんです」

「霊媒体質?」

「例えば、人が亡くなった場所に行くと、その亡くなった人の悔しい思いみたいなものを受けやすくて、突然泣き出したりするんだそうです。そういえば、僕が初めて熊野古道を案内したとき、牛馬童子を『かわいいーっ』ってはしゃいでたと思ったら、『ここには色んな人の怨念とか哀しみとか祈りの想いが溜まっている』って、しんみり黙り込んでたな。本人はあまり自覚がないので、時間が経てばケロッとしてるんですが……」

「人間、少なからず、そんな霊感みたいなものは備わっているとは思うけどな」

「意外だな。先輩は霊とか魂とか信じないタイプかと思ってました。いつも冷静だし、理論で実証できないことは全て認めないのかと……」

「だから単純だって言うんだよ、お前さんは」

「ひどい言われかただな」

「おれは、目に見えるものが全てではないと思っているだけだよ。歴史を研究していると、過去に生きて来た人物たちを追いかけるだろ? そうすると、何故か共感したり身近に感じたり放っておけなくなる。もしかすると、この人物は自分なんじゃないかと錯覚するときがある。もしかすると、この世には限られた数の魂しかいなくて、それが繰り返し生まれては死ぬという……」

「輪廻転生ってことですか」

「歴史が積み重なって、今、おれたちが生かされているわけだからね」

自分でも思いもよらない言葉が口から出て来た。

そのことに、自分で驚いている。

「ま、恋愛を成就させたいのなら、三千惠さんを霊媒体質だとか、決めつけるのはいかがなものかと思うね。傍から見れば、恋愛が上手く運ばない言い訳にしか聞こえないね。そもそも『巫女さん』というのは、昔は『霊媒師』そのものだったんだし」

巫女には二つの系統があった。

宮廷や神社に仕え、神職の下にあって祭典の奉仕や神楽かぐらを行うものと、民間にあって占い、神霊や死霊の口寄せなど呪術的祈祷を行うものだ。

東北地方のいたこ、沖縄地方のゆたなどがある。

「先輩に恋愛の説教をされるとは思わなかったな」

「おれも、人の恋愛に口を挟んだのは初めてだ」

「悔しいけど、三千惠ちゃんはやっぱり、先輩が好きみたいなんですよね。先輩が現れてから妙に積極的っていうか……」

「それはお前さんの思い込みにすぎん。親しい真代さんのご主人が事件の被害者になったんだぞ。おれの行動を見て、彼女の中にも探偵魂が芽生えたのかもしれん。それに、おれは後輩の恋路を邪魔するほど馬鹿じゃないし、今は事件と義麿ノートのことで頭がいっぱいだ」

「事件と言えば……、あ! 先輩のせいで、大事な事忘れてました。警察の捜査のほう、けっこう進んでますよ」

鳥羽は仕入れた情報を一気にまくしたてた。

松江はやはり、浅見の見立て通り、自殺に見せかけた他殺だった。

和歌山県警は、『那智殺人事件捜査本部』を設置した。

一方、大阪府警は、八軒家殺人事件の犯人を松江とほぼ断定したところ、その松江が那智で殺されたことで、被疑者死亡のまま書類送検した。

「大変なのは、容疑者の一人に真代さんが入ってるってことなんですよ」

「松江の車に落ちていたイヤリングが、真代さんの物だったのか」

鳥羽はイヤリングのことまでは知らなかったが、間違いないだろう。あのパールのイヤリングから、真代の指紋が検出されたのだ。

浅見は、三つの可能性を考えた。

一つ目は、真代の家に空き巣に入った松江が、イヤリングを盗み、車の中に落とした。

二つ目は、松江を殺した犯人が、真代のイヤリングを落とした。

三つ目は、真代自身が、イヤリングを落とした。

警察は、三つ目、真代自身が松江の車の中に落としたと見ているのだろう。

動機は、夫殺しの犯人が松江だと気づき、復讐のため殺したと考えているらしい。

とにかく、本人に会って確かめなければならない。

浅見は鳥羽と共に、真代のもとへ向かった。

鈴木家に到着すると、駐車場には既にパトカーが停まっていた。

和歌山県警の星野刑事が来ていた。

今まさに真代がパトカーに乗せられようとしていた。

「ちょっと待って下さい」

「あー、あんた今朝の、第一発見者の……」

「浅見です」

「また会いましたな」

「松江の車の中に、真代さんのイヤリングが落ちていたからといって、すぐに真代さんを疑うのはどうかと思います」

浅見は星野に訴えた。

「はぁ? 我々の捜査に口出しせんほうがよろしいで。あんた、ルポライターさんでしたよな? もう『火祭り』の取材は終わったんでっか?」

「星野さん、話を逸らさないで下さい。だいたい、鈴木社長と電話で揉めていた人物については、調べたんですか?」

「揉めてた人物?」

「鈴木社長は、事件の四日前、電話の男と揉めてたんです。その男が電話した場所が、今朝松江が殺されていた『飛瀧神社参道口』の電話ボックスなんです」

「ちょっとあんた、何を言ってるんか判りまへんな」

「大阪府警から情報をもらってないんですか? 昨日、田辺署の馬島刑事にも話しましたよ」

「ハハハッ、ルポライターさん。警察の組織ちゅうのはね、それぞれ細かく管轄が分かれておりましてね。我々は和歌山県警の捜査一課。今朝の殺人事件の捜査をしてますんでね……」

「だから……」

「八軒家殺人事件のほうは大阪府警が担当ですし、それに被疑者死亡で処理されるみたいですから」

「警察は、県を跨いだら、もう関係ないって言うんですか? 犯人が死亡したら、もう捜査しないって言うんですか?」

警察がいまだに縦割りだということを、彼らが身をもって証明している。

あまりにも酷い対応なので、浅見は憤慨した。

「その公衆電話男が、松江を殺した犯人かもしれないんですよ」

「ミステリードラマの見すぎちゃいますか? あんたいったい何者かね?」

「浅見さんは、……」

真代が口を挟もうとしたら、鳥羽がまた口を挟んでしまった。

「浅見先輩はフリーのルポライターですが、それは世を忍ぶ仮の姿で、その実体は名探偵ですから!」

鳥羽は、この国の行政の目に見えない力に対する鬱憤を晴らすように言い捨てた。

馬島刑事同様、星野刑事も、案の定苦笑いをした。

「いい加減にしろって」

浅見は鳥羽を制して、星野に再び訴える。

「とにかく、容疑者を絞り込むのはまだ早急すぎると思います」

「ほな、せっかくですから名探偵さんの前で、奥さんに聞きますが、昨日ご主人のご葬儀に出はったとき、真珠のネックレスをしてはったそうですね? で、それとセットの真珠のイヤリングが、殺害された松江の車の中に落ちとったんですが……。ご葬儀に行く前、アクセサリーケース開けたとき気づきませんでしたんか? あら、イヤリングないわって」

真代は、頬を紅潮させ、うつむいた。

「気づきませんでした」

「ほんまでっか? 奥さん、なんか隠してるん違います?」

「……とにかく、一人になると、主人を亡くしたいうことを実感するというか、哀しみがこみ上げてきて、ボーっとしてしまって」

浅見は、二人の会話を聞き、確かに真代が何か隠していることは間違いないと思った。

それを察してか、星野刑事が、より挑戦的な目を浅見に向けて来た。

「名探偵かなんか知らんが、あんた、第一発見者なんやし、改めて聞きたいことも出てきたんで、奥さん共々、署で話を聞かせてもらいましょか」

「わかりました」

心配そうな真代と鳥羽に目で「大丈夫です」と合図して、浅見はソアラに乗った。

中央通りを北上すると、十分あまりで、和歌山県警本部に到着した。

浅見と真代は別々に聴取を受ける段取りでそれぞれ部屋に通され、鳥羽は廊下で待機することになった。

浅見は星野刑事にしつこく事情聴取された。

「そもそも、浅見さん、なんであんなに朝早く飛瀧神社の参道口におったんや?」

「だから、先ほども言った通り、鈴木社長は、事件の四日前、電話の男と揉めてたんです。その男が電話した場所が、『飛瀧神社参道口』の電話ボックスなんです」

「そもそも、浅見さん、なんで電話ボックスを特定できたんや?」

「それは……、大阪府警の……、捜査情報です」

浅見は、まずいことになってきたと思った。

「そもそも、なんで大阪府警の捜査情報をあんたが知ってるんや?」

星野刑事は、徐々に高圧的になって、思わず両掌でテーブルを叩いた。

「すんまへんけど、あんたのこと詳しく調べさせてもらううで」

浅見は、名刺、免許証などを提示するように言われ、しぶしぶ応じた。

「星野刑事、東京に浅見さんの身元確認の電話をしたところ、先方が刑事とお話ししたいと言ってます」

杉本刑事が、苦い表情で受話器を渡そうとする。

「は? どうせ弱小出版社か何かだろ? こっちは重大な事件の捜査中なんや 忙しい言うとけ! あほ!」

それでも、杉本刑事が「でも、その、あの……」と、受話器を押し付けるので、仕方なく星野は受話器を受け取った。

「あー、もしもし、和歌山県警捜査一課の星野や!」

浅見は、状況を理解して、逃げ出したくなった。

「はぁ? 浅見? どちらの浅見さんでっか?」

浅見は複雑な思いで星野刑事を見ながら、テーブルの上の自分の名刺や免許証をゆっくりと回収した。

「警察庁? だから、私が和歌山警の……は? 刑事局長?」

浅見の名刺に記載されている自宅の電話番号にかけたら、運悪く兄の陽一郎に繋がってしまったということだ。

「あ、いえ、あの、弟の浅見光彦さまには、今回、第一発見者として大変ご尽力いただきまして……、ええ、めっそうもございません。どうかご心配なく」

また事件に首を突っ込んでいることが陽一郎にバレてしまい、帰京した際の言い訳の数々が頭をよぎった。

「なんや浅見さん、水くさいでんなぁ。お兄さまが警察庁の刑事局長やなんて、早よう言ってくださらんと困りますがな。数々のご無礼、本当に申し訳ございません」

「いや、兄の職業は僕とは関係ないですから」

「何言うとりますの? お兄さまから、『弟を宜しく』と言われたら、我々は最上級の『忖度』をしませんと気が済みませんがな」

「そ、そんたく?」

「ぜひ、今回の事件の浅見さんなりの見解を伺わせて下さい」

兄の地位に助けられるのは不本意だが、ここは乗りかかった船、事件解決のために尽力するしかない。

「あくまでもまだ僕の想像にすぎませんが……、今回の一連の事件は、昭和九年に阿武山古墳で発見された木乃伊に端を発していると思っています」

「奇人変人扱いされようが構はない、君は自分の見立てに自信を持つて披露したまへ」

と、見えない誰かに言われているような気がする。

「昭和九年?」

「阿武山古墳?」

「木乃伊?」

そこにいる刑事たちが同時に言葉を発し、キョトンとした。

「殺された鈴木さんのお祖父さんが、当時のことを克明に記した大量のノートがあり、その中に事件の謎を解く鍵があるはずです」

「浅見さん、いくらなんでも、それは飛躍しすぎやないですか? 昭和九年いうたら、我々の祖父さんの時代やないですか」

「だから、まだ、僕の想像にすぎないと申し上げました。ただ、鈴木さんが殺される直前に、そのノートを宮司に預けたことには意味がある。そしてそれを僕が預かったことにも意味がある、と思っています」

「何だか、ほんまにミステリードラマみたいになって来おった」

「例えば、木乃伊に関するお宝があり、それがどこかに眠っていて、それを巡っての事件なのかもしれません」

刑事たちの微かな失笑を浅見は気にせず、真面目に続ける。

「もしかしたら、鈴木家所有の土地のどこかにそのお宝が眠っているのかもしれません。現に鈴木さんは『島本』なる人物と鈴木家所有の土地売買の話をしており、その後、殺されました。そして、そのお宝が眠っている場所の情報がノートに書かれているとしたら……。だから、松江は鈴木家からノートを奪うために、空き巣に入ったのではないか、と私は見ています」

浅見の話に徐々に引き込まれる刑事たち。

「松江と『島本』なる人物は、仲間なのか敵対していたのかは判りませんが、そのお宝を巡って揉め事になった末、松江が殺されてしまったのではないかと思います」

星野刑事は、浅見の話に翻弄されてはいるが、少なくとも話を最後まで聴く態度を示した。

「まず、我々の仕事は、松江を自殺と見せかけて殺した犯人捜しやが、浅見さんは、それが『島本』かもしれんいうわけやな」

「はい、僕から刑事さんにお願いしたいことが二つあります。一つは、『島本』について調べてほしいということです。ただ、この『島本』という名前は、松江がつけた架空の名前の可能性もあるんですが……」

「せやな」

「そういえば、星野刑事。今朝の、松江さんが他殺と断定された根拠は、何ですか?」

と浅見は尋ねた。

「最初は排気ガスによる自殺と見ていた。だが検視の結果、松江の首の後ろにスタンガンによる傷跡が発見された。松江はスタンガンで気絶させられた後、あらかじめ車内をガムテープで目張りしてある車に閉じ込められ、ガス自殺を偽装され、殺害されたちゅうわけや」

「そうですか。あの……、ガムテープで思い出したんですが、犯人は、左利きかもしれません」

今朝、松江の車の中で見た映像が、浅見の脳裏に鮮明によみがえった。

「それは、どうしてです?」

「ガムテープの貼り方です。右利きの人の場合、普通、左から右に貼りますが、右から左に貼ってあったんです。テープとテープの重なりあう部分がそれを現していました」

「なるほど」

浅見の事件現場を見る視線が鋭いことに、星野刑事は妙に感心している。

「運転席の目張りが甘かったのは、一度犯人が仮の目張りをしておいて、ドアを開け、気絶した松江を座らせ、ドアを閉めたからということは鑑識からも報告があった。だが、犯人が左利きということまでは気付かなかった」

星野刑事は、ガムテープについて再確認・検証するよう鑑識に指示を出した。

「二つ目のお願いですが、真代さんについて調べてほしいんです」

「やっぱり、浅見さんも奥さんを疑ごうてたんか」

「いや、あらゆる可能性を考えているだけです。真代さんに十五年前の牛馬童子窃盗事件について聞いた時、明らかにおかしかった。例のイヤリングの件も、真代さんは何かを隠しているのではないかと思います。真代さんが犯人だとは思いたくないですが、彼女の言動が気になるのは確かなので……」

刑事たちは、八軒家殺人事件の管轄である大阪府警と連絡を取り、

『島本』と真代について調べることを約束してくれた。

浅見が星野刑事と部屋の外に出ると、鳥羽が廊下のベンチで心配そうに待っていてくれた。

「先輩、大丈夫ですか? あの刑事から拷問受けてるんじゃないかって、心配で心配で……」

「犯人の手がかりを思い出すことが出来たし、警察にお願いも出来たし、大丈夫だ。東京に戻ったら、兄に説教されるだろうことを除いてはね」

廊下の向こうから、やはり事情聴取を終えた真代が、刑事に付き添われて歩いてきた。

真代の表情には明らかに疲労の色が見えた。

三人で外に出ると、既に日が落ちていたので、中央通りを帰る途中の適当なレストランで食事をした。

浅見も真代も言葉少なで、鳥羽だけが饒舌だ。

鳥羽は二人を気遣ってか、八軒家と那智の殺人事件の話題には触れない。

その代り、三日後に開催される扇祭り、別名『那智の火祭り』の話題で一人盛り上がっている。なんでも、三千惠はまだこの祭りを見たことがないらしく、仕事が予定通り終わったら見に行きたいと、遠回しに誘われたらしい。

「先輩は、火祭りを見た事ありますか?」

「ないんだよ。ずっと見てみたいと思ってたんだが、事件のことで今は頭がいっぱいだよ」

「浅見さん、私と見に行かへん? 鳥羽さんと三千惠ちゃんのデートを監視するため」

真代がいつもの明るさを取り戻し、茶目っ気たっぷりに言う。

「そうですね。『旅と歴史』の取材も兼ねて行きますか」

三人が笑う。

「二人とも、こっちは真剣なんですから。人の恋路をくれぐれも邪魔しないで下さいよ」

何とか元気を取り戻した真代を海南市の自宅に送り、二人は大毎新聞田辺通信部に戻った。

浅見は、読みかけの「義麿ノート」を取り出した。

読み終わったノートは、鳥羽の部屋にあった空の段ボール箱に入れている。

焦る気持ちから、「飛ばし読みしてしまえ」とか、「他の誰かにも手伝って読んでもらえ」という悪魔の囁きが聞こえてきそうだ。

だが、浅見は義麿ノートを読めば読むほど、時系列を壊さず丁寧に読み進めなければならない気がしている。


今度は、山村先生が亡くなってしまつた。

森高先生に続いて山村先生まで立て続けに亡くなるなんて、あの木乃伊に関わった人間が亡くなるなんて、これは何かの呪いなのだらうか?

森高先生は、六十歳、山村先生は五十七歳、お二人とも僕の祖父より若い。

お二人が亡くなつた今、あの木乃伊の真相は永遠に判らなくなつてしまふのではないか? あと残っているのは僕と竹さんだけだ。

四年前の僕は知らなかつたが、当時、森高先生と山村先生は次期京都大学総長選を争うライバル同士だつたさうだ。

今ならば、あの日の森高先生の不可解な行動の理由が判るような気がする。

木乃伊が発見された後、地震研究所には山村先生率いる考古学関係者が大挙して押し寄せ、その主導権を握つた。

そんな様子に森高先生は当然、怒りを覚えていらしたが、その怒りがあの不可解な行動を取らせたのではないだらうか。

木乃伊が入った棺が地中から掘り出された後、棺は山村先生たち考古学関係者の管理下に置かれるようになつた。

だが、そこで何か問題が起こつたとしたら山村先生はどうなるのか。

高貴な人物の棺や木乃伊が壊されたり、盗まれたりすれば、大きな責任問題になるに違ひない。

さう考えた森高先生は、総長選のライバルである山村先生を蹴落とす為、あの夜、棺を乱暴に壊したのではないだらうか。

西瓜のような何かを持ち去ったのではないだらうか。

では、その何かとは一体何なのか。

布に包まれた丸い物體。

森高先生が奈佐原池の方へ持つて行かれた物體。

やはり、木乃伊の首なのだらうか。

いや、僕と竹さんが森高先生の不可解な行動を目撃したときから何日も経つて、誰も異変に気付かないはずがない。

木乃伊の首でなければ、何なのだらうか。

わからない。

僕は、本当に、永遠にわからない儘でいいのだらうか。


「わからないままでは……よくないと思います」

浅見は呟いた。

「え? 先輩、何か言いました?」

ビール片手にリラックスしながら、テレビを見ていた鳥羽が反応した。

「お前さんは呑気でいいなぁ」

「先輩はいつも僕をバカにしてますけど、僕だって人並みに悩みはあるんですよ」

「言ってみろ」

「ノートのほうはいいんですか?」

「いいよ。何日も寝床を提供してもらっている義理もあるしな」

「実は僕、大毎新聞、異動になるかもしれないんです」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって」

「で、三千惠さんと離れ離れになるから、どうしたらいいんでしょうかって言うんだろ?」

「先輩、いつから人の心を読めるようになったんですか?」

「これくらい、初めて会ったエセ占い師だって判るよ」

「そうか。で、どうしたらいいんでしょうか?」

「そんな事、自分で考えろ」

「相変わらず冷たいなぁ」

「このノートの中で、義麿さんが悩んでいることは、日本の歴史を揺るがすかもしれないのだ。お前の小さな悩みより、よっぽど重大だ」

「義麿君は何を悩んでいるんです?」

「京大の師匠が、偶然発掘した棺から何かを持ち出すのを見てしまったんだ。それが何なのか分からないから悩んでいるんだ」

「何かって、どんな形だったのかな?」

「布に包まれた、西瓜程もありそうな丸い物体」

「『棺』に入ってた丸い物体って、頭蓋骨しかないじゃないですか」

「お前さんでさえ、そう思うか」

「誰だってそう思います」

「そうだよな」

「頭蓋骨を持ち出すなんて、立派な犯罪ですから、その京大の師匠は捕まったんですか?」

「いや、捕まるどころか、騒ぎにもなっていない」

「先輩、じゃ、義麿君が見たのは幻ですね」

「幻ねぇ」

「義麿君って、そのノートが誰かに読まれる事を想定して書いてますよ、きっと。読まれたくないなら、わざと汚く書いたりしますよ。先輩真面目なんだから。ノートに書いてあることがフィクションだったらどうするんですか? あんまり悩まないで下さいよ」

「なんだよ。俺の方がお前さんに悩み相談しているみたいじゃないか。とにかく、義麿さんは地震学から考古学に専攻を変えるほど、真相を究明しようとしているんだ」

「さすが神童ですね。なんか先輩に似ていますね」

「責任感かもしれんな。当時の木乃伊発見に立ち会った人間はあと自分と竹さんしかいない。ならばあの木乃伊の真相を解き明かせるのは自分しかいないのではないか、って日本書紀などの文献を調べたりしている」

「義麿君が、ますます先輩のように思えてきました」

「松江を殺した犯人は、義麿さんが解明しようとしているモノを、手に入れようとしているのかもしれん」

大事なことを喋っているにもかかわらず、鳥羽がウトウトしだしたので、寝床へ追いやった。

このノートに「フィクション」が含まれているかもしれないということは、有り得ないことではないだろう。

ただ、このノートは義麿という人間の人生が詰まっているということは確かであろう。

浅見は、引き続き義麿ノートを読み進めることにして、段ボール箱の中を見た。

大谷宮司から受け取った六十冊程ある大学ノートが、やっと段ボール箱の中の半分まで減った。

読み終わった方の段ボール箱の中には、浅見が気になった箇所につけた付箋がちらほら覗いている。

義麿は「1931」年の十三歳からノートを書き始め、「1940」年までの十年で、三十冊も書いていることになる。

義麿の人生の中で、その十年がいかに濃厚だったかが窺える。

全ての表紙には「1936、6、19」などと横書きで書かれているのだが、探しても「1941」から「1945」は、見当たらなかった。

本当にパッタリと記述が途絶えている。

義麿のような几帳面で冷静沈着な若者ならば、あの時代の記録を残してあるのかもしれないと思ったが、それはなかった。

『戦争』とは、すべてが停止する出来事なのだろう。

実際に経験していない者には何も言うことが出来ない。

想像を絶する出来事なのだろう。

「堅忍持久」「ぜいたくは敵だ」「パーマネントは禁止」などと言われた戦時中。

義麿は千尋さんと無事デートが出来たのだろうか。

愛宕山の遊園地に行って飛行塔は見れたのだろうか。

新京極の国際映画劇場でフランス映画は見れたのだろうか。

ノートに何も書かれていないから、浅見は想像するしかない。

軍服姿の義麿と、モンペ姿の千尋。

こういった想像は、最も空虚で哀しい。

次に義麿ノートの記述が再開されるのは、終戦を迎え暫く経ってからだった。

既に義麿は『八紘昭建』を設立し、不動産業を営んでいた。

驚きなのは、千尋と結婚し、清吉という息子が生まれていた。

浅見はホッとした。

停止していたと思っていた義麿の恋愛は育まれ、実を結んでいた。

頭が下がるのは、不動産業を営みながらも、考古学の勉強も独自に続けていたことだ。

日本書紀など様々な文献を紐解き、研究している様子が書かれている。


あらためて『日本書紀』と『藤氏家伝』を読み比べると、さまざまなことが気になつてくる。

『日本書紀』は720年に書かれ、かたや『藤氏家伝』は760年に書かれてゐる。

『日本書紀』には、公事は書かれてゐるけれど、私事は書かれてゐない。

『日本書紀』を元に『藤氏家伝』が創作・脚色されてゐるのかもしれないと、僕はふと思つたりする。

いま一度、藤原鎌足公の発病から死去・葬儀への流れを辿つてみることにする。

『日本書紀』より――

天智八年(669)秋、鎌足邸に落雷あり。

十月十日、天皇が重病の鎌足を気づかい、鎌足邸に行幸、積善余慶の数々を挙げ、望むところはと慰め励まされる。

だが、死期を悟つた鎌足は、

「臣既不敏、當復何言。但其葬事、宜用輕易。」

(私の命はもう長くありません。陛下の勿体ないお言葉、今はただ仏に従い彼岸に向かふのみ、葬儀は簡単に願います)

と応えた。

十月十五日、天皇は皇太弟・大海人皇子を遣わし、鎌足に大織冠と内大臣の位を授け、藤原の氏姓を贈った。

十月十六日、鎌足死去。

『藤氏家伝』より――

天智八年(669)十月、天皇は鎌足邸に臨幸、大織冠を授け内大臣に任じ、姓を改め藤原朝臣とする勅を伝える。

ここまでは、『日本書紀』の記事と齟齬がない。

十月十九日の記事には鎌足邸行幸の句はなく、遣わされた蘇我臣赤兄が奉宣した恩詔の内容が記録されている。


二つの文献を読みこみ、さまざまな側面から見ても、僕は、十二年前に発見された木乃伊は、やはり鎌足公であらうと思ふ。

ただ、あの木乃伊が鎌足であるなら、どうしても説明がつかないことが一つある。

しかし今となつては、僕には、これ以上のことを調べる術が無いことが悔やまれる。


「これだ!」

浅見は目を見張った。

『あの木乃伊が鎌足であるなら、どうしても説明がつかないことが一つある』

探していたものを、やっと見つけた気がした。

義麿ノートを一字一句見逃さないよう読んできた甲斐があったというものだ。

それにしても、不動産業をしながら研究を続ける義麿の探求心には驚かされた。

浅見が突き止めるべきことは、

『どうしても説明がつかない一つのこと』なのだ。……おそらく。

突き止めるべき目標が定まった安堵感を味わいながら、義麿ノートのページをめくると、おびただしい量の漢文が現れた。


【日本書紀】

八年春正月庚辰朔戊子、以蘇我赤兄臣拜筑紫率。

三月己卯朔己丑、耽羅、遣王子久麻伎等貢獻。

丙申、賜耽羅王五穀種、是日、王子久麻伎等罷歸。

夏五月戊寅朔壬午、天皇、縱獵於山科野。大皇弟・藤原内大臣及群臣皆悉從焉。

秋八月丁未朔己酉、天皇、登高安嶺、議欲修城、仍恤民疲、止而不作。時人感而歎曰、寔乃仁愛之德、不亦寛乎、云々。

是秋、霹礰於藤原内大臣家。

九月丁丑朔丁亥、新羅、遣沙?督儒等進調。

冬十月丙午朔乙卯、天皇、幸藤原内大臣家、親問所患、而憂悴極甚、乃詔曰「天道輔仁、何乃?説。積善餘慶、猶是无?。若有所須、便可以聞。」對曰「臣既不敏、當復何言。但其葬事、宜用輕易。生則無務於軍國、死則何敢重難」云々。時賢聞而歎曰「此之一言、竊比於往哲之善言矣。大樹將軍之辭賞、?可同年而語哉。」

庚申、天皇、遣東宮大皇弟於藤原内大臣家、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏。自此以後、通曰藤原内大臣。

辛酉、藤原内大臣薨。日本世記曰「内大臣、春秋五十薨于私第、遷殯於山南。天、何不淑不憖遺耆、鳴呼哀哉。」碑曰「春秋五十有六而薨。」

甲子、天皇、幸藤原内大臣家、命大錦上蘇我赤兄臣奉宣恩詔、仍賜金香鑪。

十二月、災大藏。

是冬、修高安城、收畿内之田税。于時、災斑鳩寺。

是歳、遣小錦中河内直鯨等、使於大唐。又以佐平餘自信・佐平鬼室集斯等男女七百餘人、遷居近江國蒲生郡。又大唐遣郭務?等二千餘人。


「なんだこりゃ」

コピー機など無い時代、義麿が、おそらく図書館で借りてきた『日本書紀』の気になる部分を書き写したのだろう。

それだけ、一九三四年の木乃伊発見は、義麿にとって衝撃的な事実だったのだと改めて思い知った。

さすがの浅見も、漢文を一文ずつ訳すのは困難なので、ざっと眺めて一旦読み飛ばすことにした。

浅見が中学生の頃、本に載っていた大好きな詩を、ノートに書き写したことを、ふと思い出した。


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