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 使い込まれた木製のテーブルの上で、その大きな本は、怪しさの欠片もなくただそこにあった。しゃべりもせず、悪い気も吐き出さない。一見、普通の本だ。

 僕は手順通り、まずは手を触れずに本の観察から始めた。

 触れたとたんにページが開いて火山が噴火したり、水が滝のように流れ出したりする本もあるから、いきなり触れるのは御法度なのだ。五代目が僕に任せるくらいだから、触っても大丈夫なんだろうけど、これも身についた習性というやつかもしれない。嬉しくないけど。

 群青色の表紙に銀の箔押しで縦書きのタイトルが刻まれている。

 『天の本』

 宇宙に関する本だろうか。

 だとしたらずいぶん直接的で、情緒もへったくれもないタイトルだ。著者名はタイトルの下方に同じく銀の箔押しで『黒羽時雨』とある。出版社の名前はない。

 店用のノートパソコンを開いて、古書店が使う本のデータベースにアクセスして調べてみた。

 十二年前に自費出版で発売されたもので、五十冊しか印刷されていないことがわかった。発行部数的にはこっちも十分、希少価値がある。ただし本の概要については何も載っていなかった。

 千年堂専用のデータベースも検索してみたが、やはり載っていない。

 もし過去にこの店で取り扱ったことがある本なら、ある程度、中身がわかると思ったのだ。

 本は書いてある内容によって、発揮する能力が違う。『天の本』が宇宙の本ならば、開いた途端に目の前に宇宙空間が広がる可能性だってある。

 本を知ることは重要な作業だった。

 けれど、外観から分かるのはここまでだ。後は触れたり、開いてみる必要がある。

 僕は筆を取り出して、宙に「睡蓮」という字を描いた。

 本を一時的に眠らせる筆業だ。

 手を打ち合わせ、術を発動する。

 「睡蓮」という字が薄い桃色の花へと変化する。表紙から少し浮かんだところに、睡蓮の花が咲いた。大きく開いた花弁はゆっくりと閉じていき、最後は蕾になる。蕾のままであれば、本は眠っている状態だ。術が解けてくると、蕾はまたゆっくりと開く。僕の能力だと三十分くらいが限界だけれど、これで本に触れてもいきなり襲ってきたりしないはずだった。

 睡蓮の蕾がしっかり閉じていることを確認してから、僕は本に手を伸ばした。

 指先が表紙に触れる直前、バチッと派手な音をたてて青い火花が飛び散った。

 睡蓮の蕾が砕け散る。

「っ!」

 思わず手をひっこめた。指先がじんじんと痺れている。

「筆業が破られた……なんで?」

 こんなことは初めてだった。

『花は散乱した』

『花は散歩した』

『おまえは散髪した』

 立ち尽くす僕を本たちがからかっていたが、僕の頭の中は別のことでいっぱいになっていた。

 術を間違えた?

 それはない。ちゃんと花は咲いた。

 じゃあ、なんで?

『いわく付きの本に対する千年家の力は絶対ではない』

 五代目の言葉が僕の頭の中で甦る。そのことは何度も五代目から聞いて理解していた。そのつもりだった。

 でも僕は本当の意味では分かっていなかったのだ。

 だって、五代目はいつだって完璧に浄化していたから。おじいちゃんには不可能なんてなかったから。

 指先が震えていた。

 僕は本当に震えていたのだ。

 術が破られたこと。

 筆術が絶対ではないということ。

 そして、初めて本を怖いと思ったこと。

 そのすべてがショックだった。

 目の前にある『天の本』の大きさが急にぐぐっと増したような気がした。

 雨が、店のガラス戸を強く打った。

 飛び上がるほどにビクっとした。

 どきどきと心臓が鼓動を高める。

 もしかしたら、泡に包まれた本からの強い念の影響なのかもしれない。

 まだ未熟な僕を圧迫し、ついには向き合うべき『天の本』から目を逸らさせた。

 僕は『天の本』を見えないところに片付けた。汚いものを扱うような手つきになった。その姿は、物の怪と成り果てた本を持ち込んでくる客と、なんら変わらなかった。

『逃げた』

『見習いが 逃げたぞ』

『追え! 追うのだ!』

『追っても無駄でしょ』

『そうそう 追うだけ丸太ってもんよ』

『でも追わなきゃ歯痛じゃない?』

 僕は、筆業師の血を忘れて、逃げた。

 本たちの声からも逃げるように、テーブルに突っ伏して目を閉じ、耳を塞いだ。

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