▽説教
魔王城昼前。リーヴェレイドとシルバーの二人はリアンの私室で詰問されていた。怒気を抑えていることがひしひしと伝わるような張り詰めた空気の中、リアンは感情を削ぎ落としたような低い声で問う。
「……私は、行くなと、言ったはずだ」
「でも中将は俺ならいけるって……。ガレガレ火山じゃ魔術を使えないなんて知らなかったんです」
「私の言いつけは守れないか、リーヴェレイド」
漆黒の瞳は冷たくリーヴェレイドを見下ろしている。リーヴェレイドは床についた片膝の上に拳を握り、なんとか弁解を試みていた。
「……俺は、強くなりたくて」
「そんな話はしていない。……お前は私の信頼を裏切った。その自覚はあるのか?」
「それは……ごめんなさい」
「お前は、もし問題なく亜竜を倒せたらどうするつもりだった?」
「それは勿論、兄上に報告します。ちゃんと」
「……はぁ。そうだろうな、馬鹿が。いいか、お前が亜竜を倒せようと倒せなかろうと、私を失望させる事に変わりはないのだ。そんな些事どうでもいい。重要なのはお前が私の言いつけを反故にしたという事実。誇らしげに報告されようと、私は同じようにお前を叱っただろう」
きゅっと口を結んで、リーヴェレイドは地面に視線を落とす。
「リーヴェレイド。お前はまだ子供だ。体も魔力も成人には満たない。守られる立場なのだ」
「……確かに年齢はまだ子供だけど、俺、大人にだって勝てます」
「大人とは魔王軍の奴らか?お前、彼らの主が自分の親だと分かっていないと?」
「っ、それは関係ないでしょう!」
「あるに決まっている」
顔を上げ声を荒らげたリーヴェレイドをリアンはばっさり切り捨てる。それに更に燃え上がったのか、リーヴェレイドは立ち上がって吠えた。
「じゃあ、じゃあ尚更外に出て強くなるしかないじゃないですか!あれも駄目、これも駄目、どうすればいいんですか!俺は早く強くなりたいのに!!……っ!?」
ガクンとリーヴェレイドの視界がぶれた。リアンが胸元を掴んで強く引き寄せたのだ。
至近距離でリアンの黒眼とリーヴェレイドの赤眼がかち合った。リアンの表情は複雑に歪み、鋭い眼光がリーヴェレイドを貫く。
リーヴェレイドはその時初めて、リアンの本気の怒りを聞いた。
「お前は何も知らない!お前が思う何倍も、命は脆弱なんだ!」
何百、何千、何万もの命を散らしてきたリアンの、生の声だった。
「どんなに強かろうと戦えばいつか死ぬ!運が悪ければ死ぬ、策に嵌まれば死ぬ、奇襲されれば死ぬ、誰かを生かそうとすれば死ぬ!本当に呆気なく、私の部下も兄弟達も皆死んでいった!!彼らは二度と戻っては来ない!!」
声を荒らげたリアンに圧倒され、リーヴェレイドもシルバーも時間が止まったかのように静止した。リアンの深い悲嘆は、言葉と共に吐き出された魔力に宿る。それを肌で感じれば、無闇な反論など出来ようもなかった。
リアンは息を落ち着けるように深く呼吸をすると、リーヴェレイドから手を離す。
「……リヴ。なにより重要なのは、強くある事ではなく、生きている事だ。……分かってくれ」
「……はい。兄上」
リーヴェレイドは言葉を飲み込んで小さく返事を返し、その目を伏せた。
リアンは再三リーヴェレイドに言いつけを守るよう約束させてから、彼を下がらせた。リーヴェレイドは口を挟む事なく静かにリアンの言葉に耳を傾け、無言で部屋を出た。
そして残されたシルバーに視線が向けられる。どんな説教が待っているのか、そして主にまで矛先が向けられてしまうだろうかと、シルバーは久しく感じてない緊張に身を固くする。
「……私はお前について来なくていいと言ったはずだ。申し開きは?」
「ありません。差し出がましい真似をしてしまい申し訳ありませんでした」
頭を下げるシルバーに、リアンは暫し無言を返した。
「……」
「……」
痛いくらいの静寂。自分から何か言うべきなのだろうか、とシルバーがよく分からない汗をかきはじめたところで、リアンはようやく口を開いた。
「手を出してみろ」
「は」
シルバーは表情を取り繕って、言われた通りリアンに両手を差し出す。
するとリアンは握手をするようにシルバーの手を握った。
「お前に初めて会った時も、手に触れただろう。覚えているか?」
「はい」
「私はあの時、お前の魔力に触れた。随分鍛えられたと分かる魔力量だったから、お前とリヴを仕合せたのだ。お前なら問題なくリヴに勝てるだろうと」
「、……っ?」
相槌を返そうとしたシルバーは、口と喉が動かない事に気がついた。そして同時に理解する。手も足も、全身のどこもが自分のものでは無くなっていると。
ぞわりと鳥肌が立つ。
「シルバー。お前とリヴを結びつけたのは、ヴァンパイアに借りを作る為ではない。分かるな?」
リアンは声の色を冷たく変えてシルバーの手を強く握った。ただ手を握られただけ。それだけの事でシルバーは、己の心臓が鷲掴まれたような錯覚に陥った。体はピクリとも動かない。視線も逸れせない。声も出せない。目の前の彼が、足の不自由な彼が、無意識に哀れみ見下していた彼が、どうしよもうなく怖かった。シルバーは本能的に、敗北を悟っていた。
「お前はヴァンパイアの指示で行動したのか、ただの親切心で行動したのか」
「……」
「どちらにせよ、不敬な奴だ」
今ならシルバーも分かる。リアンを心配して後を追うなど、ただの愚か者だと。その足に目くらましを受けたシルバーが浅慮だった。美しい白銀を身に纏い、高速で飛び回るオオトリを見事に卸し戦うリアンは、紛れもなく大魔王の息子。
触れるだけで体を支配するなんて、常人の魔力量と技巧ではありえない。今も見えない鎖となって体を支配するリアンの魔力は、シルバーの心さえも支配した。強者を前に恐怖と共に渇きを覚えるのは、処刑人の性だろうか。
「……まあ、不敬というのは冗談だ。私の役職はただの国内外交官だからな」
冗談めかしたリアンは、張り詰めた空気を分散させてシルバーの手を離した。シルバーは一瞬呆けたが、すぐに自由になった体を再度リアンに向き直らせて深く頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
「許そう。だがお前も、無茶が過ぎた。もっと慎重に行動せよ。お前より強い魔族も魔獣も、世界には溢れている」
「はい」
「リヴにも言ったのを聞いていただろうが、命というものは存外脆い。危険な真似は止せ」
リアンは数十秒前とは打って変わって優しく、そう諭した。
同時に、浮ついた衝動がシルバーの脳を支配した。
「リアン様、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「私はヴァンパイア貴族に仕える一家の生まれです。主の為に力を奮い尽くす武力派の」
「知っている。処刑人という一族だろう」
それがどうした、と言うように、リアンは小さく首を傾げる。そこを分かった上で出た言葉が、あの言葉なのだろうかと、シルバーは確かめたくて仕方がなかった。
「処刑人は子供であろうとも処刑人です。守られる立場ではありません。リアン様は何故勝手な行動をした私を守ろうとして下さったのですか?」
「何故?当たり前の事だろう。まさか見殺しにするとでも思うのか?」
「お言葉ですが、私は捨て置かれても自分の身くらいは守れたと思うのです」
わざわざ戦闘を中断して結界の中に連れて行かれずとも、引けと命令すればそれだけでよかったはずだ。
「何が言いたい。私に庇われたのが気に食わないのか」
「いいえまさか!……ただ、少し新鮮で」
自分でも上手く言語化出来ず、シルバーは顔を俯かせた。
「ヴェール領では……処刑人があんなにも真っ直ぐに守られることは、有り得ないので、それで」
「そうか、なるほど」
リアンは納得したように軽く頷いて、微笑んだ。
「いいではないか。守られても。誰の背に庇われようと、お前はお前だ。どんな戦士であっても、それは恥ずべき事ではない。お前が誰かを守りたいと思うのと同じように、お前は守られていいのだ」
その柔らかな声と表情は、普段リーヴェレイドに向けられているような情に満ちたものだった。
シルバーはそれに釘付けになる。ずっと欲しかった心の安寧。リアンのその言葉がどうしようもなく尊いものに感じられたのだ。リアンは確かに大魔王の血族という上位者で、つい先程実感したばかり。貴族という上位者に従う事に反感や違和感を覚えながら、更に上の立場のリアンにはその逆の衝動に駆られるなど、シルバーは自分でも上手く理解出来ない。
ただ、リアンはきっと不遇な人では終わらない。シルバーはそんな予感がした。
この時初めてシルバーは、主が欲しいと思った。初めて、進んで誰かに仕え、力になりたいと思った。
しかしそれはある種の禁忌。処刑人はヴァンパイアに仕える一族であり、ヴァンパイアの眷属になるために生まれ育てられる。それ以外の人生など想定されていない。シルバーの父も母も祖父も祖母も皆当たり前のようにヴァンパイアの眷属として生きている。ヴァンパイア貴族は分かりやすく派閥を三つに分けているために、別の主に仕えても同じ派閥のヴァンパイアならば大々的に敵対することも無い。だからシルバーも家族と同様にアレキンヴェール系の貴族家に仕えるのだと、生まれた時から決まっている。それを覆す事は、一族への反逆と同義。そして引いては、ヴェール領の階級社会への反逆。そう簡単に口に出来る事ではない。
けれどこの時生まれた衝動的な欲は、シルバーの胸に焼き付いた。
次の日もその次の日も、季節が変わっても、そして一年の奉公期間が終わりヴェール領に帰る日が来ても、シルバーの心には色褪せない願望が燻っていた。
よく晴れた涼やかな日。シルバーはシャウロの帰郷と同時に、一年ぶりにヴェール領の地を踏みしめた。シャウロとの契約はここで終了。結局二度か三度情報収集を任されただけでろくな仕事は回ってこなかった。その分リアンリーヴェレイドの兄弟と時間を過ごした事でシルバーは各所から少なくないやっかみを買ったが、ヴァンパイアであるシャウロや大公の顔色を伺って表沙汰な行動はほとんど無かった。
今年でシルバーは四十、成人の年。帰郷して直ぐに、優秀な処刑人故の洗礼が始まった。
ヴァルヴロ、シャウロを筆頭とした大公候補や当時のアレキンヴェール大公までもがシルバーとの眷属契約を望み、その眷属達がシルバーに牙を剥いたのだ。
処刑人が眷属契約をする時期は成人後すぐから数十年後までまちまちだが、優秀な処刑人ほど早く囲われる傾向がある。シルバーはその年の人気筆頭で、数々の貴族家から祖父経由で声がかかっていた。その中から主を決めてしまえば問題はなかったのだが、シルバーはそのどれもに魅力を感じなかった。故にまだ眷属契約をするつもりはないと全てのスカウトを断った。
しかしそれが許される貴族社会ではない。貴族達は権力や武力を行使してシルバーの身柄を捕らえようと乗り出した。力で捩じ伏せるという単純明快な方法で、シルバーに忠誠を求めたのだ。中には派閥の垣根を超えて迫ってくる貴族もいて、シルバーと貴族の間だけでなく貴族家同士の睨み合いも裏で激化していった。表ではシルバーを労るような事を言い、裏では眷属にシルバーを捕らえよと命令を出す。貴族の裏表は今に始まったことでは無いが、今回は家族すら敵。誰も信じられず味方が居ないという状況は、シルバーの精神にかなりの負荷をかけた。唯一妹だけは無害であったが、巻き込むわけにもいかず距離を置くしかない。
はやく主を決めてしまえばいい、だが、シルバーにはそれが出来なかった。眷属契約は一生の契約。せめて雑念が消えてからそれに臨まなくてはと、シルバーはひたすら逃げ続けた。リアンから離れていれば、この欲もいずれ収まるだろうと。
そんな裏の攻防が数十日も過ぎた頃。
シルバーは噂を聞いた。国からの使者として、リアンがヴェール領を訪れると。




