平和な村
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翌朝。日が昇り、朝焼けは一瞬で、すぐに辺りは明るく照らされた。燃え残りの廃墟に似つかわしくないような、多少冷えた心地の良い風が爽やかに通り過ぎる。
「おはよう」
「んん……おはよう……」
寝ぼけ眼で虚空を見つめるメルテロリス。完全に覚醒するまではもう少しかかりそうだ。リアンは椅子に座ったまま節々を伸ばしてストレッチをする。
「よし!出発!そろそろマジで腹が限界……!」
限界という割には元気なメルテロリスの掛け声が辺りに響いて、今日もまた農村を目指して進み始めた。カタカタと椅子を鳴らしながら、ふたりは進む。順調な道中だった。
昼も過ぎた頃だっただろうか。緩やかな丘の上にたどり着いた二人の前に、雄大なコムキの畑と牧場が現れた。まだ青いコムキと熟した金色のコムキが段階的なグラデーションを描いている。
「おお……!」
「綺麗な畑だ」
メルテロリスが小走りに丘を下って、現在ふたりは畑に挟まれた道を進んでいる。民家が密集した場所まではもう少しこの景色が続く。
畑で作業をしている農民が時折見慣れぬ二人を振り返って、首を傾げている。奴隷に車輪付きの椅子を押させて進む真っ白な魔族。ふたりは辺りの景色からなかなか浮いた存在だった。
「なんだ?あいつら」
「おいあんまり見るな。こんな辺鄙な村に奴隷持ってるような金持ちが来るなんてそうない、何しに来たかは知らんが触れぬが吉だ」
「つってもあの奴隷、さすがに服がみっともないっていうか……」
「金持ちの奴隷っていうより鉱山にいる奴隷みたいだ」
「てかあの椅子何?」
「都会の流行りじゃね」
「あ〜なるほどありそう。俺も欲しい」
コムキに半分隠れた農民がそれとなく集まりながらそんな会話を広げていた。メルテロリスにそれらは聞こえていないようで、しきりにリアンに話し掛けてくる。
「なあ今日はこの後どうすんだ?やっぱ食事処か?後で返すから奢ってくれよ」
「そうだな。食事にしよう」
「よっしゃ!探そう!早く探そう!」
「お前、その格好ではお付きの奴隷には見えないと思うが」
「あ……ぁああ……」
基本的に側仕えではない奴隷が主人と同じ卓につく事はない。これはしきたりやマナーと呼ばれる部類のものだ。高級な料亭ならサービスで奴隷や付き人専用の料理が出ることも稀にあるが、一般的な食事処でみすぼらしい格好の奴隷が食事をすることは滅多にない。奴隷の扱いは、服装で判断される部分が多い。今のメルテロリスの格好では、いい顔をされないだろう。
メルテロリスあまりに悲壮な声を出すものだから、リアンはすぐに解決策を提示した。
「宿屋についている食事処を探そう。宿泊して部屋まで運んで貰えば大丈夫だ」
「なるほど!了解ッ!」
元気な返事だった。
ぽつりぽつりと小屋などの建物が見え始め、数十分歩けば民家や商店が連なる区画にたどり着いた。
聞き込みは主人役のリアンが行うことにして、メルテロリスはただ黙って自走椅子を押す。道すがら、声をかけられた女性は不思議な二人組に多少困惑しつつ、丁寧に宿屋の場所を教えてくれた。
「二番目の角を進んだ先にある、赤い看板の家が宿屋ですよ」
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。あのー……」
「何でしょう」
リアンは上品に微笑みながら、先を促す。奴隷を背後に引き連れ堂々と椅子に腰掛けるリアンは、シンプルな服飾でも十分に上流階級の威風を纏っていた。様々な種族の王や貴族と相対しているうちに染み付いた細かな所作は、生き返った後でも健在だ。この農村で普段見かけぬ白という色もまた気品に拍車をかける。
女性は言い淀みながらもリアンに問うた。
「どのようなご要件でこの村へ……?あ、いえ、ご気分悪くされたらごめんなさい。ここは国の端の村ですから、外から人がいらっしゃるのは珍しくて。今日は行商さんの日でもありませんし……」
「私達はあちらにある森の先から来たのです。詳しい事情は話せませんが、この村の先にある街を目指しています。道中、このような美しいコムキ畑があるとは思っていませんでした。収穫の時期に来られたのは僥倖です」
「まあありがとうございます。そうなのですね。うちの村は小さいけれど、コムキ畑はとても美しいでしょう?私達自慢の畑なんですの」
女性は嬉しそうに頬に手をあてて微笑んだ。通りすがりの不思議な二人組であろうと、自身の村が褒められたとあれば気分もいい。
「ここで収穫されたコムキは西風の街フリズまで運ばれて色々な食べ物に加工されますの。この辺りで食べられるパンやフレーク、ヌードル、あとはお菓子も、ほとんどこの村の自慢のコムキから出来ていますのよ。特に焼き立てのパンはとても美味ですわ、ぜひご賞味あれ。あ、そうそう。フリズを目指されるなら、丁度明日が週に二回の行商の日ですわ。南の広場で朝市が開かれますの。いくらか払えばフリズの街まで乗せて貰えますわよ」
「明日ですか。運が良かったようです。短い滞在になりそうですが、せっかくですので今夜はぜひコムキ食品を頂く事にしましょう」
「ふふ。たまのお客人ですもの、宿屋の店主も張り切ってパンを焼いてもてなすはずですわ。それでは御機嫌よう」
親切な女性は上機嫌に去っていった。
空気に徹していたメルテロリスが小声でリアンに話しかける。
「なんか雰囲気違ったな、あんた」
「そうか?」
「なんか……なんだろう。偉い人?とは違うか、執事?とも違うな、品格というか……なんか上品な感じだった」
「外で人に丁寧に接するのは基本だろう」
「まあそうだけど、別に良くね?相手はその辺の農民だぜ?宿の場所だけ教えて貰えれば。そんな畏まらなくてもさ」
「メルテロリス。私達はこの村からしてみれば余所者だ。時が時なら村から追い出されても文句は言えぬ立場。ただ当たり前のように受け入れられている事を当然だと思ってはならない。私達は彼らに敬意と感謝を示すべきだと、私は思う」
「お、おう……?」
メルテロリスは若干大袈裟に感じているようだが、リアンにとっては大事な事だった。使者が辺境の地へ赴いて、刃を向けられない回数のほうが少なかった時代もある。中立派と呼ばれる半独立領地の集落などは特に閉鎖的で、独自の文化、独自の法律を持ち、中には全てのものに牙を剥くような領地もあった。後の時代となっては、中立派との交渉も進み、国全体に施行されている上級法律も浸透したが、彼らには彼らの考えがあり、それを無碍にすることは決してならない。魔王はそれを認め、彼らを守り、彼らは結果的に国を回す。そしてそれは中立派だけに認められる特権ではない。昔から魔王に付いている村だとしても、その扱いに何ら変わりはないのだ。
「お前はこれから彼らの育てたコムキで出来たパンを食べるのだろう。彼らを怒らせればパンは出来ない。勿論食べる事も出来ない」
「それは困る!」
「そうだろう」
ぐるるるとメルテロリスの腹がなった音がリアンにまで聞こえた。
くすんだ赤茶色の大きな看板に、コガネ屋、の文字。大通りからすぐの脇道に、その宿屋はあった。看板を除けば周りの民家と差程変わらない建物で、どっしりとした土の安心感のようなものがある。中に入ると、扉のベルがカランカランと鳴った。
「どなたですか〜〜い?」
無人のカウンターの奥から男性の声が飛んできた。遅れてエプロン姿の男が手を拭きながら現れた。恐らく店主であろう。
「あれ、またお客さんでしたかい。珍しい事もあるもんで。おっと失礼、いらっしゃい!宿をご利用で?」
店主は目を丸くして帳簿を取り出した。開かれたページには枠線が引かれ、欄外に『5月…1』、枠の一番上に『25日 男1女1 2部屋』と一行のみ記載がある。
「一泊、お願いします」
「一泊ですね〜。二人部屋でよろしい?」
「ええ二人で。食事もお願いできますか」
「お食事ですね〜承りました。あ、これタオルです。水場は裏にありますんで、お付きの方はそちらで汚れを落としてからご利用下さいね〜」
店主は新たに『26日 男1他1 1部屋』と帳簿に書き記す。
メルテロリスは少し嫌な顔をしたが口を開くことは無かった。他、と書かれたのが気に触ったのだろう。明らかに首やら手首やらに枷がついているのだから仕方ない事だ。むしろ入室拒否されなくて良かった。
リアンは二人分の代金を支払って、部屋の鍵と札を受け取った。
宿の裏に移動し、水場でジャバジャバ汚れを落としてスッキリした顔になったメルテロリス。
「折角綺麗になったというのに、またそれを着るのか?」
「ん〜。そのつもりだったけど、昨日寝たときにススが付いちまったみたいだ」
汚れた服で宿を使うのは申し訳ない。メルテロリスはリアンが鞄から取り出した無地の半袖シャツとスラックに着替えた。袖のダボつき具合は中々だが仕方がない。シンプルな服装に首手首足首の金属感が不釣り合いだ。鹿色の髪から水が滴り枷に落ちる。
「メルテロリス。髪もしっかり乾かせ」
「えー面倒くさい〜。いつもなら風でちょちょっと乾かせるんだけどなあ」
「貸してみろ。そこに座れ」
タオルをメルテロリスから取り上げ、腰程の高さの石塀に座らせる。メルテロリスは素直に頭を差し出してなされるがままに髪を拭かれた。
「あわわわわわわ」
「ふふ」
リアンは満足げに拭き終わった頭を小突く。
「よし。戻ろう」
「あいよ。あ、あんたは水浴びしないのか?」
「部屋で拭く。椅子が濡れてしまうから」
「なるほど」
宿のロビーに戻り、部屋を確認すると階段を上がった二階の部屋だと説明された。仕方がないので、店主に自走椅子を運ぶのを手伝って貰い、リアンはメルテロリスに背負れて二階へと上がる。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ〜。たまのお客さんにくらい満足していって貰いたいですからね。また申し付け下さいな」
店主はにこにこしながら一階に戻って行く。彼は気さくな男だった。
シンプルな板張りの床に少し柄の入った可愛げのある壁紙。二つ並んだベッドはふたりにとっては大きめで、大柄な獣態系の男性も寝られるスタンダードなタイプだ。
「悪いなお金。ちゃんと返すぜ〜っとぅ」
メルテロリスは殊勝なことを言ったと思えば、頭からベッドにダイブしてケラケラ笑う。背伸びした子供のようにも見えて、リアンは苦く笑った。
ふたりは夕飯までの間、取り留めもない話をして過ごした。メルテロリスの家族や一族の愚痴や、雷魔術の事。リアンのヴェール領にいるであろう知り合いの事や、また雷魔術の事。これまで話したことも、初めて話すことも、メルテロリスは感情豊かに話し、聞く。特に雷魔術の話になると早口になって沢山話す。
「本当、あんたに会えてよかったぜ」
屈託なく目を細めて、メルテロリスは伸びをするようにリアンに手を伸ばす。仰向けに寝転がったまま手を伸ばしたところで椅子に座るリアンには届きはしないのだが、それが可笑しかったのかメルテロリスはまた笑う。
「こういうの、縁っていうんだろ。ラッキーだったよな俺たち。俺はこの枷を取るための味方が出来て、あんたは俺の補助で街まで行ける。あんた結構しっかりしてて安心できるし、雷魔術の話も通じるから楽しいんだ」
「私もあの場に居たのがお前で良かったと思っている」
「そっか!」
ふと、階下から夕飯のいい匂いが漂ってきて、ふたりは顔を見合わせた。
「シチューかな!」
「お前が受け取って来てくれるか」
「あいよ!」
コンコン
間もなくノックの音がして、メルテロリスが飛び出して行った。
店主からお盆を受け取って目を輝かせたメルテロリスと席について、温かいコムキのパンとシチューに手を合わせる。
「「いただきます」」
甘いようでスパイスの効いたシチューが、硬めのパンに良く合う。ふたりは久方ぶりの和やかな食事を楽しんだ。
リアンが再び地上に生き返って二日、旅は順調に進んでいる。
──コガネ屋二階、とある一室
リアンとメルテロリスが泊まる部屋のニつ隣りの角部屋。カーテンを閉め切った部屋に微かに灯された蝋燭の火が、男と女を照らしていた。
「この仕事ももう終わりだなあ」
男はにこやかに女に話しかける。
「最後まで気を抜かないでちょうだい」
対する女は冷たい目で男をあしらう。
「心配性め。明日の昼にはフリズに着くのに。報酬でどんなご馳走食べるか考えようよ」
「その空っぽな頭に雨水でも注いであげましょうか?この辺りは魔王派を表明して平穏を享受しているに過ぎませんのよ。すぐ隣の中立派の地域ではまだ小競り合いが続いてるって分かっていますの?阿呆髑髏」
「分かってる分かってる。何が来てもオレと君が居れば大丈夫だよ」
「分かってませんわ馬鹿髑髏。楽観者は早死しておしまい」
「辛辣……」
男は顔を引き攣らせて肩を落とした。女はそれを気にした風もなく高飛車に男を小突く。
「さあ自分の部屋に帰りなさいな。レディはもう寝ますわ」
「あいレディ。また明日」
立ち上がった男は異国情緒のある袖の広い着物を翻して女──レディに一礼する。そして二人分の空の盆を持って退散して行った。
ありがとうございました。