狂犬病予防と「お祭り」の朝、あるいは春の試練
狂犬病予防と「お祭り」の朝、あるいは春の試練
### 1. 待合室のシンフォニー
四月の声を聞くと同時に、京都の街は一気にピンク色に染まり、当院の待合室もまた、別の意味で「満開」になります。
一年に一度の**狂犬病予防注射**。普段はあまり病院に来ない子から、ピカピカの一年生まで、多種多様な犬たちが一堂に会する「春の祭典」の始まりです。
「先生、おはようございます! ほら、『コロ』、挨拶しなさい。……あ、こら! 他のワンちゃんを追いかけないの!」
柴犬のコロ君を連れた常連の佐藤さんが、リードを短く持ち直しながら苦笑い。待合室は、ワンワンという合唱と、飼い主さん同士の「あら、大きくなったわね」という挨拶で溢れかえっています。
### 2. 「義務」の裏側にある、平和の盾
「先生、狂犬病なんて日本にはもういないのに、どうして毎年打たなきゃいけないんですか?」
新しく家族を迎えたばかりの若い飼い主さんから、よく聞かれる質問です。
「それはね、**『今いないこと』を『明日もいないこと』にするため**なんです」
狂犬病は、発症すれば人間も動物も致死率がほぼ $100\%$ という、世界で最も恐ろしい感染症の一つです。
* **水際対策の砦:** 日本は島国ですが、グローバル化が進む今、いつ海外からウイルスが持ち込まれてもおかしくありません。
* **集団免疫の重要性:** 国内の犬の $70\%$ 以上が免疫を持っていれば、万一ウイルスが入ってきても大流行を防げます。あなたの愛犬が打つ一本は、隣の家の子や、地域の人々を守る「社会の盾」なんです。
### 3. 診察台の上の「一瞬の戦い」
診察室では、僕と河野が阿吽の呼吸で処置を進めます。
「はい、コロ君。体温測るよ。……うん、食欲はあるかな? 異常なし。じゃあ、ちょっとチクッとするよー」
河野がコロ君の首筋を優しく保定した瞬間、注射が終わります。
「えっ、もう終わったの? 全然鳴かなかったわね!」
佐藤さんが驚く中、コロ君は誇らしげに尻尾を振っています。でも、中には「この世の終わり」のような顔をして震える子や、診察台の上で石のように固まる子も。そんな彼らの緊張を解きほぐすのも、僕たちの春の大切な仕事です。
### 4. 注射のあとの「放課後」
「注射が終わっても、今日一日はお祭り気分でドッグランに行ったりしないでくださいね」
僕はすべての飼い主さんに念を押します。
1. **安静第一:** 体の中で免疫を作っている最中です。激しい運動やシャンプーは数日控えてください。
2. **顔色チェック:** 稀に「アレルギー反応」で顔が腫れたり、ぐったりしたりすることがあります。特に接種後 $30$ 分、そして数時間は、すぐそばで見守ってあげてください。
3. **ご褒美を忘れずに:** 「病院に行くと痛いだけ」にならないよう、帰ったらとびきりのおやつをあげて、たくさん褒めてあげてくださいね。
### 5. 春の嵐を越えて
「先生、お疲れ様です。……午前中だけで $30$ 頭。さすがに腰に来ますね」
河野が、済証(注射済みの札)の束を数えながら額の汗を拭った。
「そうだね。でも、この一枚一枚の札が、京都の街の安全を守る『お守り』なんだ。そう思うと、手が止まらないだろう?」
窓の外では、春風に乗って桜の花びらが舞い込んでいます。
明日もまた、たくさんの「お守り」を配るために。僕は少し熱くなったコーヒーを飲み干し、午後の部のカルテを開きました。
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