88.13 死神ゲデ
燃え上がり夜空を舐める建物の炎に煌々と照らし出された二人は、調子はずれのクリスマスソングを聞いた。
喜色満面、御機嫌で杖先から火を放ちながら隣家の屋上から飛び降りてきたのは一人の女だ。
高らかに口ずさむジングル・ベルはいかにもクリスマスの夜に相応しいものであったが、爆発炎上しているロドリゲス・ファミリーの邸宅を背景にしていると異常さが際立った。
「お義母様……」
屋敷を爆破したと思しき異常者を見たカミラは、目を見開きペトロの袖を強く掴んで呟いた。
言葉を聞いたペトロの頭に無数の考えが一瞬で過ぎる。
あれがカミラの継母だというのなら、自分が属するロドリゲス・ファミリーに敵対しているフェルナンデス・ファミリーのボスの後妻だ。
魔人であり、カミラの暗殺を指示した敵である。
逃げるべきか? 動かずいるべきか?
相手が超越者ではなく魔人なら、やりようによっては何とかなる可能性もある。
魔人なら前にも戦った事があるし、殺した事もあるが、それは油断しているところを大人数で襲って袋叩きにしたからだ。
今、襲われたのはロドリゲス・ファミリー側。しかもペトロは一人であるどころか足手まといを連れている。
魔人と戦うのは愚策、しかし戦わずに事を済ませるには……魔法を使って魔力の動きで注意を惹くのもまずい……
ペトロはカミラの襟首を掴み、ゆっくりじりじりと後ずさりした。
フェルナンデスの後妻はよほど機嫌が良いのか、歌いながら燃え盛る屋敷に更に火を送り込んでいる。
気付くな、気付くな、と念じながら大通りの脇道の暗がりまで後退しようとしたペトロだったが、杖から出している火炎放射を止めて満足気に頷いた異常者が不意に振り返った事で足を止めさせられた。
笑顔を浮かべていた後妻の顔から一瞬で喜びが消え、歪んだ憎悪の表情にとって代わられる。
「おや、おや、おや。呆れた子だね。家出娘が男を連れて夜歩きしてる」
「みっ、見逃して下さい。お義母様の邪魔はいたしません。消えますから。名前も立場も捨てて、」
「黙りな。そっちのお前がカミラを攫った男かい? その女をこっちに寄こしな。妙な真似をしようだなんて考えるんじゃないよ」
「…………」
杖を向け命令されたペトロは沈黙を返した。
言われるまで思いつきもしなかった事だった。
カミラを邪悪な継母に差し出し、自分だけ助かろうとするなんて。
それは全く以て合理的な解決法だ。
目の前の異常な女はロドリゲス・ファミリーの本拠地を爆破し、義理の娘の死を望んでいる。
ロドリゲス・ファミリーから今夜足抜けするペトロを強いて殺す理由はないはずだ。
彼女が望むままにカミラを差し出し頭を下げれば、見逃される公算は十分にある。
それなのに、ペトロの口は頑として動かなかった。
ペトロの袖を掴むカミラの力はますます強くなり、身を寄せてくる。
カミラの顔は蒼褪め、体は酷く震えていた。
二人の様子を見た継母は忌々しそうに唾を吐き捨てた。
「そうかい。なるほどね。攫われたんじゃあない、男をたぶらかして逃げようとしたわけかい? 悪知恵ばかり働く性根の腐った汚らしい淫売だよ、お前は」
「……私を殺せばお父様が黙っていませんよ」
「どうせ死体は喋らない。ああ心配はいらない、ファミリーのボスの椅子にはいま私の弟が座ってるからね」
カミラは言葉を失った。
この短い会話でペトロにも分かった。
カミラの継母は、会話はできても対話はできない。
話し合いで軟着地させられる手合いではなかった。
「とっくにロドリゲスの懐に逃げ込んだかと思っていたんだけどね。つくづく私をイラつかせるのが上手い子だよ」
「お義母様、私は」
「まあいいさ。家は潰した。逃げ込む場所も壊した。護衛も殺す。
アンタには居場所も頼れる人も何もないんだよ。全部壊して、奪ってあげよう。私の邪魔をした事を後悔しながら死にな」
ペトロは魔人と違い魔力の動きを感知できない。
それでも敵の動きだしは分かる。
呪文を唱えたのは同時だった。
「焼き溶かす投げ槍!」
「撃ち砕け!」
ペトロは短文呪文の優位性をよく知っている。
短文呪文の速射性に命を助けられた事も多い。
しかし今回ばかりは敵が上手だった。
異常な俊敏性で光弾を回避した敵は呪文を完成させ、火を凝縮した火槍魔法を放つ。
魔人は、ペトロとの遭遇前に既に自己強化魔法を唱えていたのだ。
人に容易く風穴を開ける火槍が火の粉の尾を引き猛スピードで迫る。
体勢が悪かった。射撃魔法の命中精度を上げるため安定した体勢をとっていたため、咄嗟に足が動かない。
そして、なんとか身を捻り即死だけは回避しようとするペトロは、横から突き飛ばされた。
「カミラ!?」
カミラはペトロを突き飛ばし、代わりに火槍に貫かれた。
腹に風穴を開け、血反吐を吐いて倒れ伏す。
傷口と呼ぶにはあまりにも大きな腹の穴からだくだくと流れだす鮮血が、地面に花のように咲き広がった。
「カミラ、おい! なんで、どうして庇った!?」
ペトロは急いで跪き、なんとかカミラの傷を塞ごうとする。
両手でも塞げないほどの大穴を前にペトロは無力だった。
いくら魔力が多くても、致命傷を治すレベルの治癒魔法を使うには全く足りない。
ワケが分からなかった。
道理が通らない。
カミラはペトロをたぶらかし、自由になろうとしているのではなかったのか?
ペトロを盾にし、自分を庇わせる事はあっても、自分がペトロの盾になり庇う事なんて有り得ないはずだ。
混乱するペトロの手を血でべっとりと濡れた手で握り、瀕死のカミラは美しく微笑んだ。
「貴方が好きです、ペトロさん。私と一緒に逃げて欲しかった……」
「…………!」
その言葉で、ようやくペトロは真実を理解した。
衝撃だった。
逆だったのだ。
ペトロがカミラを好きになっていたのではない。
カミラは最初からペトロに一目惚れをしていたのだ。
「ペトロさん。どうか私の分まで……自由……を……」
思いが通じた時間はほんの数秒だった。
カミラの手からみるみる力が抜けていく。
言葉からも力が抜け、カミラは目を閉じ意識を失った。
ペトロの手から、カミラの手が力なく零れ落ちる。
今まで感じた事がないほど大きな、あまりにも大きな悲しみがペトロを襲った。
二人で一緒に逃げていれば。
好きだと最初に言われた時に信じていれば。
違った道はあったのかも知れないのに。
悲しみと後悔の津波はペトロを打ちのめし、津波の後には巨大な憤怒が残された。
ペトロはそっとカミラの体を横たえ、決然と立ち上がった。
気色の悪い笑みを浮かべ見ていた魔人がわざとらしい大袈裟な泣き真似をする。
「えーん、えーん! 悲しいねぇ! ああかわいそうに、せっかく好きな人を見つけたのにねぇ!」
「殺してやる。今すぐに」
ペトロは無限に湧きあがるマグマの如き怒りを込め魔人を睨みつけた。
これほどの殺意を感じた事は無かった。殺意で人が殺せるならきっと魔人は即死している。
マフィアはどいつもこいつもゴミだ。クズの集まりだ。
しかし、マフィアは家族だ。
たとえ体裁の上だけのものだとしても、ファミリーなのだ。
目の前の魔人は家族を手にかけ笑っている。
カミラを手にかけ笑っている。
マフィアよりもなお悪い、許しがたい邪悪だ。生かしておけない。
ペトロは憤怒に突き動かされ固く決めた。
この魔人は、刺し違えてでも殺す。
必ず殺す。
他ならぬペトロ自身の自由意思で、そう決めた。
殺害予告をされた魔人が小馬鹿にした笑い声を上げる。
「私を殺すってェ? 魔人を? 一人で? いや流石だよ! 底抜けの馬鹿娘が選んだ男は底抜けの馬鹿だねぇ!」
「せいぜい笑ってろ。覚えておけ――――」
ペトロは杖を構え、混じり気の無い殺意と共に魔人に向け死刑宣告をした。
「―――――俺はお前を殺す死神だ」
言葉と共に、事態は再び急転する。
燃え盛り熱と炎を撒き散らしていた燃える屋敷が、突如凍り付いたのだ。
比喩でもなんでもなく、凍り付いた。
屋敷も焦げた生け垣も鉄柵も、炎そのものさえも。丸ごとすべて、冷たく透き通った青い氷に変じていた。
一瞬にして出来上がった凍える氷の館から、ロドリゲス・ファミリーの首領を無造作に担いだ一人の魔女が悠々と姿を現す。
腰に佩いた美麗な蒼い杖。
長い黒髪。
街に流れていた噂。
その全てがペトロに一つの名を口にさせた。
「青の魔女……!」
姿を現しただけでペトロと魔人は凍結魔法をかけられたように動けなくなった。
ほんの一瞬前まで屋敷は燃え空気が焼けるほどだったというのに、今は冷や汗すら凍り付くような寒々とした圧が一帯を支配している。
凍り付いた魔人に冷たい一瞥をくれた青の魔女は興味が無さそうに視線を外し、代わりにペトロの前にすたすた歩いてきて、担いだ首領を投げ捨てた。
「お前、ペトロだな?」
「は、はい」
生きる伝説、圧倒的強者を前に声が震える。
直感的に、ペトロは首領が突然心変わりして自分を自由にすると言い出した理由を朧気に悟った。
青の魔女が何かをしたのだ。
一挙手一投足で世界を塗り替える古魔女は投げ捨てられ地面に転がる首領を顎で指し言った。
「お前の上司は奇襲で千切れて大火傷を負ったから治しておいた。文句はないな」
「は、はい」
「青の魔女。悪いけどね、邪魔をしないでくれるかい? この街の事情に手出しは」
「うるさい」
無謀にも話に割り込み喧嘩腰で話しかけた魔人に、青の魔女は無機質な無表情で冷たく言った。
それは呪文ではなかった。そのはずだ。
しかし現実に、青の魔女の古杖の先からは凶悪な氷槍が二本同時に撃ちだされ、瞬きの間に魔人の頭が消し飛び地面に縫い留められた串刺し死体と化した。
ワケの分からない異常な魔法に目を剥くペトロと違い、青の魔女は魔法の着弾確認すらしなかった。
青の魔女は血だまりに沈み命の灯が消えかかっている少女に杖を当て、ペトロを見て尋ねる。
「こいつは誰だ? 殺すか? 生かすか?」
「助けられるんですか!?」
「まだ生きているからな。分かった、治そう。失せろ運命。私の前から退くがいい」
杖先から温かで柔らかな光が広がり、カミラを包み込む。
魔女の魔法一つでほとんど死体同然だったカミラはみるみる治っていき、あっというまに穴の開いた服以外全て元通りになって落ち着いた呼吸をしはじめた。
目まぐるしく変わる状況にペトロの頭はもうぐちゃぐちゃだった。
今夜は激動にもほどがある。全てが何度もひっくりかえる夜だ。
跪き、カミラの額に手を当て体温を感じ、穏やかに上下する胸の動きを見ているうちにペトロの目からは涙が一筋流れた。
青の魔女は災害だと人は言う。その通りだ。
青の魔女は化け物だと人は言う。それもその通りだ。
そこにペトロは一つ付け加えたい。
青の魔女は、間違いなく救世主でもあった。
「お前は魔力過敏症だな?」
「はい」
脈絡なく質問されても、ペトロはすやすやと眠るカミラの髪を撫でながら素直に礼儀正しく答えた。
「いつから症状がある?」
「いつから……? 物心ついた時には」
「魔法を見ると目が痛むか?」
「いいえ」
「グレムリンを長く触っていると痺れを感じるか?」
「いいえ……たぶん」
「そうか。ペトロ、やはりお前は魔力過敏症じゃない。症状が似ているから分からなかっただろうが、お前は超越者予備軍だ」
青の魔女は淡々と語った。
超越者には規定数がある。超越者の誰かが死亡すると、静電気体質の誰かが繰り上がり、空いた枠を埋めるように新しい超越者になる。
世界にグレムリンが蔓延し何十年も経ち、ペトロのような若い世代は静電気を経験した事がなく、自分が静電気体質なのかどうか知る術がない。
だが青の魔女によると、近年の魔法医学発達によって魔力過敏症に似た症状を示す超越者予備軍(潜在的静電気体質)を見分ける事ができるようになったのだという。
すらすらと話し終えた青の魔女は、感情の窺えない冷たい無表情のまま締めくくった。
「お前はいずれ超越者になる。変異に耐えられればな。いつになるか分からないが、首尾よく超越者になれたら、私にどんな魔法を覚えたのか教えてくれ」
「分かりました。必ず。約束します」
ペトロはしっかりと頷いた。
今まで散々胸糞の悪い命令ばかりを受けてきた。
青の魔女の言葉は状況的には命令同然だったが、ペトロにとっては進んで守りたいものに思えた。
青の魔女はペトロの返答に満足したようだった。
疲れたような息を吐き、空の向こうを見つめて、しばらく遠い目をする。
それから、ローブのポケットに手を入れ二枚の紙をペトロに渡した。
「私の連絡先と、列車のチケットだ。この街を出るんだろう? 列車に乗って。話はだいたい聞いている」
「え。行っていいんですか……?」
「構わない。私はお前に恩を売っておきたい。魔法を知りたいからな。街を出て自由になりたいんだろう? 精々恩に着て、いつか私に覚えた魔法を教えてくれ」
「あ、ありがとうございます! どう御礼を言えばいいか」
「礼は魔法で返してくれ。他には何もいらない。ああ、それから」
歩き出した青の魔女は振り返って言った。
「街を出るお前を追いかけて殺すような奴らは消しておく。さっさと行け……その子が好きなら、絶対に手を離すなよ」
最後に少しだけ語気を柔らかくして言い置いて、青の魔女は夜の暗がりに消えていった。
ハリケーンのように激しく、夜の月のように優しい青の魔女の後ろ姿を深々と頭を下げ見送ったペトロは、カミラを横抱きに抱え上げた。
そして、いつか青の魔女に必ず恩を返すと誓い、自由へのチケットを握りしめ、眠り姫を抱きかかえ、力強く歩き出した。





