88.12 青年ペトロ
大脱走だった。
豪邸から敵対マフィアのボスの娘を誘拐して逃走したペトロは、令嬢の首にかかっていた怪しいネックレスを引き千切って川に捨て、地の利を生かし上手く追手を巻いた。
ペトロはこの街で生まれ育った土地っ子だ。この街にやってきて二、三年のよそ者より入り組んだ小道について熟知している。
酒場の裏手に積み上げられた酒樽の陰から大通りの様子を窺えば、案の定追手は川べりに集まりカンテラで水面を照らし途方に暮れている。
ペトロの推測通り、ネックレスには標識魔法がかかっていたらしい。要人にありがちな誘拐や行方不明への備えだ。
ペトロは過去に標識魔法がかかった宝石を盗み、警察に捕まった事がある。標識魔法を解除するには焔魔法で焼き壊すか、超越者専用魔法である魔法解除魔法を使うかの二通りの方法がある。今回は魔法節約のためにもっと単純な方法を選択した。
抱きかかえられ大人しく運ばれるがままだった令嬢をおろして立たせたペトロは、令嬢の背後に立って手際よく手を後ろに回させ布で縛っていく。
縛られながら、令嬢は落ち着いた声音で話しかけてきた。
「御存知かも知れませんが自己紹介を。私はカミラ。カミラ・フェルナンデスです」
「ああ」
ペトロは素っ気なくこたえた。
最近街にやってきて幅を利かせているフェルナンデス・ファミリーのボスの一人娘。
知っている。
気の無い返事をしたきり名乗り返さず拘束の固さを確認している誘拐犯に、カミラは小首を傾げ催促した。
「誘拐犯さんのお名前は? なんとお呼びすれば?」
「好きに呼べ」
「なら緊縛上手さんとお呼びしますね。よろしくお願いします、緊縛上手さん」
「……ペトロだ。軽口を叩く余裕があるとは驚きだ。騒がれるより良いが」
騒いだら猿轡を噛ませて騒げなくするまで。
だが、騒がないに越した事はない。
薄手の寝間着姿のカミラが僅かに震えている事に気付いたペトロは自分のコートを脱いで羽織らせた。
寒さに頬を赤くしていたカミラはほっと息を吐いて礼を言う。
「ありがとうございます。ペトロさん、このまま私と一緒に二人で逃げませんか?」
「何を言っている……?」
攫われている人間の口から普通は出ない言葉が飛び出し、困惑する。
しかし屋敷の寝室で鉢合わせた暗殺者を思い出し、ここは話を聞いておくべきだと判断したペトロは、民家に挟まれた細い隘路を微かな月明かりを頼りに歩きながらカミラが語る事情に耳を傾けた。
カミラが声をひそめ語ったところによると、要は継母に命を狙われているのだという。
カミラはフェルナンデス・ファミリーのボスの前妻の娘である。
継母となった後妻はカミラが目障りで、始末したがっている。
屋敷の警備はペトロが属するロドリゲス・ファミリーへの備えというのもあるが、身内への警戒というのも強かったようだ。
フェルナンデス・ファミリーのボスは娘のカミラを大切にしている。娘を露骨に排除しようとしている後妻をよく思っていないが、後妻とは政略結婚をしている(後妻は魔人の家系で政界に強いコネクションがあるそうだ)。無下に扱う事もできない。
継母が放った刺客とペトロが遭遇したのはカミラにとって幸運だった。ペトロが誘拐しなかったら、カミラは今頃ベッドの上で冷たくなっていただろう。
カミラは裸足でペトロの隣を歩きながら頭を下げた。
「だから、ありがとうございます。ペトロさんのお陰で助かりました」
「ああ」
「父に大切にされていると言えば聞こえは良いですが、実際には屋敷に閉じ込められているだけです。外に出たのは二年ぶりでしょうか」
「ああ」
「閉じ込められて飼い殺されるか。籠の中で殺されるか。どちらにせよ、私には自由が無いんです。こうして外の空気を吸えてどんなに嬉しいか、伝える言葉が見つからないぐらいです」
「…………」
不覚にもペトロはカミラに同情心を抱いてしまった。
ペトロもまた、父のせいで街に囚われている。自由を求めている。幼い頃には自分を外の世界に連れて行ってくれるヒーローの存在を妄想し、焦がれたものだ。
今はそんなヒーローなど存在しないと分かっているが。
世界は残酷だ。
ペトロは囚われの少女を解き放つ救世主などではない。
少女を檻から引きずり出し別の檻へ押し込むだけの、ただのマフィアの使い走り。命じられればなんでもやる無法者に過ぎない。
ペトロはカミラを再び檻の中に押し込む代わりに、今夜ようやく、渇望していた自由へのチケットを手に入れるのだ。
気が咎めてしまう自分にペトロは内心驚いた。
外法に染まり、真顔で何の感慨も無く人を殺せるようになってしまった自分にも、まだ良心の欠片が残っていたらしい……
あれこれ考えながらカミラを首領に引き渡すべく冬の街の暗い小道を歩いていたペトロは、不意に少女が足を止めたため自分も立ち止まった。
ペトロは手を拘束されたカミラの背後に立ち、後ろから追い立てる形で歩いている。
急に立ち止まったカミラにぶつかりそうになり、訝しむ。
俯くカミラに何があったのかと顔を覗き込もうとすると、深窓の令嬢は突然振り返りペトロの唇を奪った。
「!?!?!?」
驚かされてばかりの夜にあってなお、特大の衝撃がペトロを貫く。
反射的に飛び退り、未知の不意打ちに頭が真っ白になり絶句するペトロに、カミラはニッコリ笑って言った。
「貴方が好きです、ペトロさん。このまま私と一緒に逃げてくれませんか?」
ペトロは目を瞬いた。
束の間、二人は見つめ合う。
やがてゆっくりと言葉の意味を咀嚼したペトロは、顔を顰め、柔らかな感触が残る自分の口を袖で乱暴に拭い、冷たく吐き捨てた。
「こんな露骨な色仕掛けがあるか。やるならもっと上手くやるんだな」
「…………。男の方はこうすれば味方になってくれると本で読んだのですけど」
カミラは寂しそうに笑った。
ペトロは舌打ちをして、カミラの背を押して再び歩かせる。
めちゃくちゃな女だった。
普通、この年頃の少女は誘拐されればもっと泣き喚くものだ。大抵は拳の一つもくれてやって立場を分からせ黙らせる手間がいる。
カミラはどうだ? 内心がどうかはとにかく、余裕綽々に見える。これほどの胆力の女はまず見ない。
見た事が無いほど豪胆で、見た事がないほど可憐な少女は、背を押され歩かされながら悪戯っぽく笑って言った。
「困りましたね。私のファーストキスを奪った責任、取って下さらないんですか?」
「取らない。が……そうだな。靴屋には寄ってやる。裸足のままじゃ歩きにくいし、足が冷たいだろう」
「よろしいのですか?」
「クリスマスプレゼントだと思え」
「あら。ありがとうございます」
肩越しに振り返り本当に嬉しそうな笑顔を浮かべるカミラの背を、ペトロは乱暴に押して前を向かせる。どうにも顔を正面から見るとムズ痒かった。
色仕掛けに引っかけられたわけではないが、カミラの小癪な作戦でペトロの慈悲が揺さぶられたのも確かだった。
カミラはペトロにとって自由への引換券だ。カミラにどんな事情があろうと手放すなんて有り得ない。
必ず首領に引き渡し、街を出る列車のチケットと引き換える。
だがそれは一分一秒を争う急務でもない。
少しだけ。少しだけ遠回りをして、自由の空気を味わわせてやっても誰も困らない。
ペトロは人気のない脇道を何度か曲がり、馴染みの靴屋の裏手の戸を叩いた。
真夜中に起こされ苛立っていた靴屋の主人は、客人がペトロだと分かると肝を潰してヘコヘコ頭を下げ中に招き入れる。
ペトロはカミラの手を縛る布をナイフで断ち、自分は裏口の戸の前に椅子を置いてどっかりと腰を落ち着けた。
こんな時間に一体全体何事かと目を白黒させる靴屋の主人に、ペトロは手短に伝えた。
「夜遅くにすまんな。眠いだろう、手短に済ませよう。取り立てを一か月分、無くしてやる。この女の靴を用意しろ」
「は、はあ。ありがとうございます。こちらはどなたで……?」
「ほう。知りたいか?」
「い、いいえ」
「それでいい」
すっかり委縮した靴屋は口を噤み、粛々とカミラの靴を選び始める。
粗末な椅子に優雅に座り、足置き台に足を置き靴を試着するカミラは楽しそうだった。
目をキラキラ輝かせ、店の中の物を指してはあれはなんだこれはなんだと子供のように尋ね店主を困らせている。
「ペトロさんは知っていました? 渇き靴って魔物素材で作られているんですって!」
「魔物素材じゃないなら何だと思っていたんだ」
「私、てっきりそういう魔法がかけられているのかと!」
見る物、聞く物、全てを楽しんでいる無邪気なカミラに苦笑する。
カミラの笑顔が輝くほどに、ペトロの中で迷いは膨らんでいった。
自分の自由の代償にこの可憐な少女の自由を犠牲にするのか?
街に閉じ込め縛り付けるのか?
それでは、やる事が自分を縛っているロドリゲス・ファミリーと変わらないではないか。
しかし慈悲も過ぎれば身を滅ぼす。
首領は何を思ったのかこの仕事を終えればペトロを組織から解放すると言う。カミラをマフィア同士の小競り合いから逃がし自由を与えてやれば、その対価は他ならぬペトロに降りかかる。
ペトロは罰を受けるだろう。二度と自由は望めなくなる。
だからこれで良いのだ。
カミラは人質になり、自由にはなれないが悪くない生活を送る。
ペトロは解放され自由になり別の街で新しい人生を歩む。
正しい選択ではない。
だがペトロにとっての良い選択である事は間違いない。
万が一にもカミラが逃走を企てはしないかと目を光らせながら考えていると、カミラが自分の髪から宝石付の髪留めを外して店主に渡し、代わりに一足の靴下を受け取った。
ああ、確かに靴を履くなら靴下も必要だ、とぼんやり見ていると、驚いた事にカミラはその靴下をペトロに渡してきた。
「なんだ。なんのつもりだ?」
「もちろん、私からペトロさんへのクリスマスプレゼントです」
「…………。ああ、ありがとう」
ペトロは心底困惑しながら靴下を受け取った。
誘拐犯にクリスマスプレゼントを贈る人質なんて聞いた事がない。
無論、懐柔策の一環ではあるのだろうが。
邪気の無いカミラの笑顔をずっと見ていると絆されそうで、ペトロは靴下をズボンのポケットにねじ込み椅子から立ち上がった。
「靴は選び終わったな?」
「素敵な靴を頂きました」
「行くぞ」
「ええ。さようなら、店主さん。いつかまた、きっと、今度は空が明るい頃にお伺いしますね」
店を後にしたカミラは、新品の靴で踊るように夜の小道を歩いた。
鼻歌の一つでも歌いそうなカミラはペトロの手を取って本当に踊りに誘ってきたが、ペトロは握り返しかけた自分の指先を理性で制御し振り払う。
代わりに、出せる限りの冷たい声で言った。
「カミラ」
「はい、なんでしょう?」
「俺はお前をロドリゲス・ファミリーに送り届ける」
「はい。ペトロさんはやっぱりロドリゲス・ファミリーの方だったのですね」
「ああ。外には出られないだろうが、可能な限り、良い生活を送れるよう取り計らおう」
「ありがとうございます。ペトロさんもたまには顔を見せに来て下さいね?」
「…………」
諦めたような、しかし少しの希望を滲ませる儚い笑顔で言うお願いに、ペトロは頷く事ができなかった。
ペトロは街を去るのだ。
今夜限り、カミラとは二度と会う事はない。
それを言うのは憚られた。
ペトロはカミラを連れ、しばし無言で歩いた。
少しの遠回りのつもりが、大きな遠回りになった。
足がなかなか首領が待つ拠点に向きたがらない。
それでも結局は目的地が見えてくる。
足が重い。歩調がゆっくりになる。
あれほど渇望した自由も、同じく自由を望む少女を犠牲にして得るものだと思うと色褪せる。
ペトロはほんの短い間に絆され過ぎている自分に呆れ、これ以上篭絡される前にさっさと引き渡してしまう事にした。
深呼吸をして、足を早める。
とうとう二人はロドリゲス・ファミリーの本拠地に到着した。
街一番の大邸宅の門扉の前で、ペトロは足を止め、言う。
「カミラ」
「はい」
「ここがお前の終の棲家だ」
ペトロは貴人にそうするように、恭しく邸宅を指し示す。
すると、示された邸宅は突如大爆発を起こした。
耳をつんざく轟音が鼓膜を揺らす。
夜空を真昼のように照らし出す赤い爆炎が吹き上がる。
「は?」
「え?」
爆風に髪を煽られ、二人は揃って口をあんぐり開け目を見開く。
夜の散歩の終着点は燃え上がった。
どうやら、夜はまだ終わりそうにない。





