ペネロペの靴下③
ミュリエルは、自分の命令に従わない聖奏師たちを冷遇し、聖奏師団から追いやってきた。
だが……ついに、ルシアンナに凶報がもたらされた。
隣国グロスハイムの軍隊が、国境を越えようとしているという。
「陛下は、国境戦の軍隊に聖奏師団の精鋭も同行するようおっしゃったわ」
聖奏師団員が集まる中でミュリエルが発した言葉に、皆の間に緊張が流れる。
それはつまり――徴兵。
貴重な癒やし手である聖奏師も、戦地に行かなければならないのだ。
そして、ミュリエルは怯えた顔の聖奏師たちを順に見ていったが――ペネロペを見たとき、意地悪そうにその口元がつり上がったのを、ペネロペは見逃さなかった。
「国境戦に参加する聖奏師を発表します。……ルイーザ、ソニア、ペネロペ。以上三名は、聖奏師団の誇りを胸に軍隊に同行すること」
その言葉に。
名前を挙げれられなかった者たちは安堵のため息を吐きつつも仲間が徴兵されたことで身震いし、指名された三人は心臓が止まるかと思った。
ペネロペもまた、絶望的な気持ちでミュリエルを見ていた。
――彼女が本当に「精鋭」を選ぼうとしたら、半人前のペネロペは絶対に選ばれない。
間違いなく、嫌がらせだ。
ルイーザとソニアも聖奏師としての才能は中程度だが、最近ミュリエルとの折り合いが悪かった。彼女は、邪魔な半人前を戦地に送り込んで――追い出すつもりなのだろう。
だが、ペネロペは泣いたり叫んだりしなかった。
「……はいっ! ファリントンのため、ありがたく拝命いたします!」
三人の中で真っ先にペネロペが言ったからか、周りの聖奏師だけでなくミュリエルも驚いた顔になった。
負けない。泣いたりしない。
絶対に、生きて帰る。
生きて帰り、セリアに会うのだから。
自室で国境戦に行く仕度をしていると、ドアがノックされた。
「ペネロペ。入ってもいい?」
「うん。どうぞ、ヴェロニカ」
静かにドアを開けたのは、ペネロペよりも四つほど年長の聖奏師・ヴェロニカだ。セリアが筆頭だった頃の古株のほとんどが退職した中、ヴェロニカはミュリエルの無理難題に耐えながら在籍している先輩聖奏師の一人だった。
筆頭になるなら、ヴェロニカのような人がよかった。そんなことを考えながら旅行鞄に衣類を入れていると、ヴェロニカの眼差しが少しだけ緩くなった。
「その靴下は……もしかして、自分で繕ったの?」
「うん! 戦場ではこれを履いていくのよ」
「……歩きにくくない?」
「だ、大丈夫だと思う!」
確かに自分で繕った靴下は布地が引っ張られて糸も飛び出しているし、とてもではないが履き心地がいいとは言えない。
だが、これはペネロペにとっての一張羅のようなものだ。
「いつかセリア様に再会できたら、自分で靴下を繕えるようになりました、って報告するの。だから、その……願掛けみたいなものよ」
「セリア様に会う前に新しい穴が空きそうね……」
「そ、それはそのときだもん!」
ぷいっとそっぽを向いて靴下を鞄に入れたペネロペは――ふと、背後からヴェロニカに抱きしめられた。
「ヴェロニカ?」
「……。……その言葉。ちゃんと、自分でセリア様に伝えてよ」
「……うん。でも無理だったら、ヴェロニカにお願いしていい?」
「縁起でもないことを言うんじゃないわよ! 四の五の言わず、生きて帰りなさい!」
ヴェロニカが怒ったように言うが、ペネロペはくすっと笑うと振り返り、ヴェロニカに正面から抱きついたのだった。
体が、痛い。
「……聖奏師たちはどうする?」
「知るか! どうせ長くないだろうし、置いていけ!」
たくさんの人の足音が近づき、そして遠のいていった。
ゆっくり、ペネロペは体を起こす。血に染まった床の先に、ペネロペと同じローブ姿の少女たちが転がっている。
「ルイーザ……ソニア……?」
震える唇を動かして名を呼ぶが、二人の体はびくともしない。ペネロペ以上に出血のひどい彼女らは、もう、生きていないのかもしれない。
もう、この砦に残っている人は他にはいない。
ペネロペたちは……味方であるファリントン兵に、見捨てられたのだ。
ふと視線をずらすと、弦の消えた聖弦が転がっている。だんだん力の抜けていく体にむち打ち、ペネロペは聖弦を押しやった。
誓ったのだ。
何があっても、セリアから渡されたあの聖弦を壊したり汚したりはしないと。
たとえ自分の血だろうと、あの美しい木のボディを汚すわけにはいかない。
セリアさま、とペネロペは名を呼ぶ。
――あの日、門の前でペネロペの手を取ってくれたセリア。
――大切な譜面台を貸してくれたセリア。
――勉強を教えてくれて、お菓子をくれて、「よくできましたね」と褒めてくれたセリア。
セリア様。私、最後まで頑張りました。
国境戦に動員されても泣かなかったし、戦闘中の聖奏も一度も間違えなかったんです。
それに、見てください。
ほら、この、靴下。私が繕ったんですよ。
私、ドジだしどんくさいし不器用だけど、セリア様に言われたように頑張ったんです。
私、セリア様のことが大好きです。
ずっとずっと、お慕いしています。
ねえ、セリア様。
もし、またあなたに会えたなら。
私のことを、自慢の部下だと、言ってくれますか。