第26話 『巫女』の威厳
「キ゛サ゛マ゛……!」
明確な敵意……殺意の籠った視線を向けてくるローエン。
鬼人になってもセンドルフのように意思がある、というよりは鬼人へ変化するきっかけであるノエルへの殺意を抱き続けている、といった様子だ。
そう、こいつはノエルへ殺意をぶつけている。
「おい」
酷く冷たい声を出していることが自分でも分かる。
だが、敵意を向けてくる相手に対して敵意を抑えることができない。
「こいつが一体何をした?」
「ニゲタやつがエラソうニ……!」
こいつはこいつで苦労してきたのかもしれない。
だが、同情する余地は一切ない。
「逃げているのは、お前の方だろ」
【迷宮操作:鎖】で生み出した鎖を鬼人の体に巻き付ける。
相当な怒りを貯め込んでいたらしく、拘束された状態でも抜け出そうと足掻いている。
「貴族だというなら貴族の義務を果たさなければなりません」
「グゥアアアァァ!!」
さらに天から落ちてきた何十本という剣が体に突き刺さる。
メリッサの魔法だ。彼女もローエンの言葉に苛立っているらしく、魔法にいつも以上の力が込められている。
真っ赤な血を流して倒れるローエン。
この程度の傷は鬼人であることを思えば致命傷にはならないだろう。
さらに地面へ倒すと四肢を串刺しにして動けなくする。再生能力が高いため刺された傷は修復されるものの剣はそのまま。串刺しにされた状態では何もできない。
「おい、どうしたってんだよ」
「黙っていろ」
「……」
尋常ではない雰囲気の俺に近付いてきたパウロ。
だが、少し睨んだだけで退いてしまった。
今の俺はそれだけ怒っている。
「起きろ」
うつ伏せになった鬼人の角を掴んで顔を持ち上げる。
完全に怒りに囚われているローエンは何もできない状態になってもこちらを睨み付けていた。
「まるで裏切られたように言っていたけど、先に裏切ったのはお前たち貴族だ。こいつが必死に祈りを捧げている間にお前らは何をしていた? 直接的な妨害をしていなかったとしても何かをするのが貴族の役目だ。貴族なのに何もしていなかった時点で罪だ」
メリッサの作った治療薬を飲ませる。
「お前みたいな奴には真っ当に祈りを捧げられるようにすることすらしたくない」
ローエンをそのままにしておくのはノエルの望みに反する。
体内に溜まっていた“穢れ”が完全に中和されて元に戻ったローエンが剣に囲まれた状態で横たわる。
「キサ、マ……!」
「まだノエルを恨むか」
治療薬は効果抜群だが、恨む気持ちが残ってしまうのが問題だ。
「代わって」
ノエルから要望があったためローエンの前を譲る。
「あなたにわたしを責める資格があるの?」
「なに……?」
「この2年間全く外へ出ないで屋敷に引き籠もる生活を続けていたらしいじゃない。そんな貴族の責務を果たさずに貴族が嗜む贅沢だけは続けていた。あなたが使っているお金は領民からの税金なの。贅沢がしたいなら少しは責務を果たしなさい」
「逃げた奴が……!」
「自慢じゃないけど、わたしは神殿にいる間は清貧な生活を続けていたから贅沢な生活とは無縁だったわよ」
巫女たちも質素な生活をしている者が多かった。
ただし、中には寄付金から贅沢な生活をしていた者たちもいたし、神殿関係で利権を得ていた者たちはもっと贅沢をしていた。
「これからは悔い改めて真面目に貴族として働きなさい」
「ウルサイ!」
体を起こしながら血走った目でノエルを見るローエン。
既に治療薬で完全に中和されているため怒りをぶつけたところで鬼人へ変化することはない。
「平民如きが偉そうに……」
反省した様子がない。
治療薬を使えば元に戻すことができるけど、反省を促せる結果に必ず繋がる訳ではない。
「貴族っていうのは、貴い一族ってことなの」
「そうだ。だからボクを敬え!」
「けど、世代を経たせいで貴くなくなったみたい」
「なっ!?」
顔を真っ赤にしながらノエルへ近寄ろうとしたローエン。
が、そんな素人の接近を許すようなノエルではない。立ち上がったローエンを蹴り飛ばして屋敷の壁に叩き付ける。
打ち所が悪かったのか生きてはいるみたいだが起き上がる気配がない。完全に気絶しているようだ。
「そいつは適当な場所にでも放り込んでおいて、反省して真面目に仕事をするようなら出してあげてもいいけど、たぶんしないでしょう。それからパウロさん」
「は、はい!」
「あなたの騒動が起きていた時における勇気ある行動を評価してしばらくの間、街の統治を任せます」
「え、いや……何を?」
「先ほどローエンに頼んだことをしっかりと実行してください」
ローエンは役に立ちそうにない。
そこで必要になるのが代役なのだが、街の若者から慕われているパウロは打って付けの人材と言えた。
「俺に統治なんて無理だって! そんなものは貴族にでも任せれば……」
「今、この国にいる貴族に真面な統治が可能だと思いますか?」
「それ、は……」
頼りになる貴族などいない。
多くの貴族が最低限のことしかせず、平民と関わることを避けるようになってしまった。
もはや政治機構はズタズタと言っていい。
それでも人は生きていかなければならない。
その想いがあったからこそ貴族の助けなどなくても一人一人が自主的に何をすればいいのかを考えて行動していた。
それが、この2年間での出来事。
「今回みたいなことをされると困るし、やっぱり明確に指示を出せる人が必要なの。パウロさんみたいに自然と指示を出せる人ならみんなも安心できると思うの」
「いや、そういう訳にはいかないだろ」
自分は平民。
身分という壁は高く、険しいため「貴族の真似事をしてくれ」と頼んでも簡単に受け入れてはくれない。
まあ、ローエンが役割を全うできないのは事実。
パウロを納得させるには、それなりの理由が必要になる。
「分かりました」
ノエルにもそれぐらいのことが分かっている。
だからこそ、今まで伏せていた切り札を使うことになる。その切り札を使えば曖昧にしていたことが確定してしまうことになる。
それでも、困っている人たちを見捨てることができないノエルは切り札を切ることにした。
「あなたたちの崇める女神ティシュア。最後の『巫女』たる私が命じます――民を導く存在となりなさい」
「は……ははっ」
重々しく威厳のある雰囲気を出して告げられた言葉にパウロが膝をついて受け入れる。
そうさせる気迫が今のノエルにはあった。
今の姿こそ『巫女』のあるべき姿。
以前にティシュア様から聞いたことがあるが、メンフィス王国の貴族は国から爵位を授かる方法以外に、ティシュア様の言葉を受けた『巫女』が名を告げることによって一代限りの名誉貴族に任命されることもある。
今のメンフィス王国には女神と『巫女』が不在。
後者の方法による任命方法は機能していない。
先ほどの南門前での出来事を見ていた人たちの心にはノエルが『本物』である、という確信がある。そして、『本物』だけが出すことのできる雰囲気。
それらの効果があって全ての反対意見が封じられた。
「では、任せましたよ」
「はっ」
もちろん公的な力など存在しない。
しかし、『巫女』に頼ってティシュア様を信仰していたメンフィス王国の人たちには十分な効果があった。
いつまでも屋敷の前にいる訳にもいかないので、未だに跪いている人たちを放置して離れる。
「これでいいんだな」
「今さらわたしが生きていることを知ったところで、この国の人たちに何かができるとも思えないのよね。それに、何か迫ってくるようなら見捨ててアリスターまで帰ることにするわ」
「そうか」
聞きたい言葉は聞くことができた。
――アリスターへ帰る。
今のノエルにとって帰るべき場所が変わっていないのなら俺から何かを言うことはない。