第1話 赤ん坊
シエラが生まれてから1カ月。
特に依頼を引き受けることもなく屋敷で過ごしていた。
朝食を終えてリビングでまったりとした時間を過ごしているとアイラがテーブルに突っ伏す。
「育児がこんなに大変だなんて思っていなかった」
夜、全員が寝静まっているにも関わらず全力で泣き出してしまう為に起こされてしまい母乳をあげたり、あやしたりしなければならないため冒険以上にアイラは疲れていた。
赤ちゃんはいつ泣き出すのか分からない。
だから、母親は気が休まる時が少ない。
「何を言っているの? アイラはそれでも楽な方でしょ」
「分かっているんですけど……」
母の忠告にアイラが言葉を濁す。
「私なんて一人で育てないといけなかったんだから」
今の様子を見ていると母には本当に頭が上がらない。
基本的にはアイラが中心になって育てているシエラ。母乳を出せるのがアイラしかいないのだから仕方ないのだが、他の事に関してはシルビアたちも率先して育児を手伝ってくれているおかげで5人で育てられている。
随分と楽ができているはずである。
「そうなんですけど――あ!」
椅子から立ち上がるアイラ。
次の瞬間には姿が消えていた。
「屋敷の中だとスキルを隠さずに使うようになったな」
アイラの姿が消えたのは【転移】によるもの。
5秒後――今度は突然に姿を現していた。
ただし、彼女の腕にはシエラが抱かれている。
「ふぎゃぁぁーーー!!」
しかも、この1カ月で聞き慣れてしまったが全力で泣いているシエラを抱いている。
「よしよし」
アイラが必死にあやしている。
突然、泣き出してしまう赤ちゃんだったが、誰もいない状況で泣いてもこの屋敷には迷宮核の監視がある。
『あ、泣いている』
さっきの突然消えた時も迷宮核の言葉を受けてシエラを寝かせている自分の部屋までアイラは【転移】で移動していた。
そして、すぐに戻って来たのには理由がある。
「ほら、みんないるから寂しくないでしょ」
「あぅ?」
アイラが自分の方を向くように抱いていたシエラの向きを変えてリビングにいる全員の姿が見えるようにした。
そこに全員(仕事で外出している兄やバルトさん、学校へ行っている妹たちを除く)の姿を確認すると泣き止んでいた。
「もう寂しくないわよ」
「あぃ!」
生後1カ月にもなれば色々な物を認識できるようになる。
そして、親も子供について色々と分かるようになる。
アイラと同じように真紅の髪と赤い瞳を持って生まれたシエラだったが、母親と同じでどこか家族に飢えているところがあった。そのせいか目を醒ました時に誰かが近くにいないと寂しさから泣いてしまう。しかも、複数の家族を目にしないと泣き止まない。
寂しさから泣いてしまったシエラを泣き止ます為には全員がいるリビングへ連れて来る必要があった。
「うぅ!!」
しかも自己主張が強い。
頬を膨らませて怒りながらアイラの胸に手を伸ばして邪魔な服を掴んでいる。
「お腹空いたの?」
アイラが尋ねても答えない。
いや、答える術を持たないシエラにとっては服を握っている事こそが返答なのだろう。
「ごめん」
「いや、いいよ」
シエラに母乳をあげるアイラ。
「んく、んく……」
全力で吸い付いているシエラ。
赤ちゃんは毎日を全力で生きている。
そうして、自然と大きくなるものだと母から教えられた。
「この子は本当に手が掛からなくて助かるわね」
「そうなんですか?」
「ええ、おっぱいが欲しい時は服を掴んでくるし、おむつを取り替えて欲しい時はムズムズと気持ち悪そうな顔をするから何を要求しているのかが簡単に分かるわ」
自己主張の強い子。
そういう風に親である俺たちは感じていたが、育児経験のある母――祖母たちはそんな風に感じていた。
「げぷっ……」
飲み終えて満足したのか寝息をたてて眠ってしまった。
「赤ちゃんは本当に自由だよな」
寂しければ大声で泣き、お腹が空けば催促する。
「でも、それでいいんじゃないかな」
眠ってしまったシエラの顔を覗き込むとニヘラ、と笑みを浮かべていた。
「たしかに子供を育てるのは凄く大変だけど、こうして日々大きくなって行ってくれる姿を見るのは本当に楽しい」
笑顔でシエラの頭を撫でているアイラ。
そこには先ほどまでの疲れた表情はなかった。
「私は少し不安になって来ました」
不安そうにしているのは出産を間近に控えたアリアンナさん。
彼女も再来月には出産……早産だったアイラの事を考えて早ければ来月には出産する事になる。
「ご主人様」
いつの間にかリビングからいなくなっていたシルビアが俺を呼んだ。
「お客様です」
「客?」
あまり来客のない屋敷。
最近だと曾孫の姿を見に来た俺の祖父母であるアルケイン商会の祖父母ぐらいだ。まだ外出はさせられないため二人にだけ来てもらってシエラの姿を見てもらった。二人とも生まればかりの曾孫を見て本当に喜んでいた。
「訪問者は次期領主のエリオット様です」
「エリオットが?」
応接室に通されているであろうエリオットに会うべく椅子から立ち上がる。
しかし、俺の前に立ち塞がったシルビアが首を振る。
「いらっしゃったのはエリオット様です」
同じ言葉を繰り返すシルビア。
「だから……いや、護衛は何人だ?」
ようやくシルビアの言いたい事が分かった。
「お義兄さまを含めた6名です」
「そういう事か」
課外授業の時のような感覚で会う訳にはいかない。
今日は、次期領主と街の有力冒険者として会う。
☆ ☆ ☆
応接室へ入る。
既にエリオットがソファに座っており、兄を含めた6人の騎士がソファの後ろに立っている。
兄も次期領主の護衛に選ばれるほど地位を確立された……と素直に受け取れればよかったのだが、おそらく兄は俺との橋渡し、もしくは屋敷への案内役といった要素が強いのだろう。
あまり気分のいい話ではないが、兄の出世に役立てていると思って納得する。
「お久しぶりです」
「1カ月振りだな、マルス殿」
相手もそういったつもりで話を進めているので合わせる。
「今日はどのような用件でしょうか」
「子供は元気か?」
「ええ、今は眠っていますけど顔を見て行きますか」
「いや、健やかに成長しているならいい。子供も無事に成長されているようでなによりだ」
エリオットが心配しているのは子供、と言うよりも俺についてだ。
領主としては有用な冒険者は自分の街に滞在してもらいたい。
こうして子供が生まれれば簡単には移動ができなくなる。そうなればアリスターで滞在し続けなければならない。
自分の街にいてくれると知って安堵していた。
「護衛の皆さん、そんなにピリピリしていると疲れますよ」
警戒しているのだから当然なのだが全員がピシッとしていた。
「護衛の私たちが気を抜く訳にはいきません」
「俺たちを警戒する必要ないのでは?」
これまで領主に対して敵意を持ったことなど一度としてない。
にも関わらず、兄以外の護衛は外ではなく屋敷の中を警戒していた。
「ああ、俺たちの力を警戒しているんですね」
突如として無名の冒険者になったばかりの子供が異常な力を示した。
しかも、俺の周りに集まった少女たちまで力を誇示すれば事情を知らない者からすれば異常に思える。
そんな相手を警戒するのは当然だ。
「安心してください。みなさんに害を及ぼすつもりはありません」
「しかし……」
「その気があるならこの部屋にいる全員を数秒で血祭りにあげる事ができます」
場を和ませる為に言った冗談だったのだが、護衛騎士の緊張感が一気に高まった。
「あれ?」
「お前たちも必要以上に警戒するな。武器から手を放せ」
エリオットから命令されて渋々手を放していた。
「今日は、冒険者である貴方たちに依頼を持って来た」
「どのような依頼ですか?」
「先日の課外授業で訪れた森。あそこの事は覚えているか?」
「ええ、一応はあの村で生まれ育った者です。村の近くにある森については父親から色々と教えられてきました」
「君たちに依頼したいのは、あの森の開通だ」