第16話 変身怪盗
整列している兵士の一番後ろに立っている人物の肩を叩く。
「な、なんですか?」
肩を叩かれた兵士はオドオドしている。
その兵士は茶髪に黒い瞳というどちらかと言えば地味な青年で、帝国兵士全員に支給されることになっている制服を着ている。他の兵士と一緒に整列していたこともあって兵士にしか見えない。
しかし、偽者だ。確信を持って言える。
「盗んだ指輪を素直に差し出せば今なら身柄を拘束されるだけで済まされるかもしれない。だから胸のポケットにしまい込んでいる指輪を出せ」
「私には何の事だか……」
助けを求めるように周囲の同僚へ視線を向ける。
求められた兵士も困惑していた。自信満々に怪盗の下まで案内すると言っていた俺がいきなり兵士の一人を指名している。
「ちょっといいだろうか?」
兵士に指示を出していた隊長が近付いて来る。
「君の言い分を信じるなら彼が怪盗だと言うのか?」
「正確に言うなら指輪を盗み出した犯人です」
懐から振り子を出して隊長にも見せる。
「これは探し物の位置を示してくれる魔法道具です。これで盗まれた指輪を探したところ彼を指し示しています」
「ふむ」
決して根拠のない言い掛かりではない事を教える。
俺の言いたい事に納得した隊長が兵士の顔を見る。
「おまえは誰だ……?」
「え……」
大勢の兵士の中に兵士の服を着ていたなら誰もが兵士だと思う。
しかし、異端者として注目を集めてしまえば兵士ではなく『誰か』として顔を認識されてしまう。
隊長の言葉に周囲にいた同僚のはずの兵士も相手の顔をしっかりと確認する。
――誰だ?
彼らの顔にも隊長と同様の困惑が浮かんでいた。
「た、隊長! 何を言っているんですか?」
「俺は兵士全員の顔を記憶している。だが、お前の顔は一度も見た事がない」
「それは仕方ないですよ。自分はパーティーで人員が不足しているからと隣の都市から応援に駆け付けた兵士の一人ですから」
「そういう話も聞いているが全員とも顔を合わせたぞ」
その中にも目の前にいる不審な兵士はいなかった。
「応援に駆け付けたのは俺がいた都市だけじゃなくて他の都市からもいましたから数十人です。全員の顔を覚えていないのは仕方ないですよ」
やれやれ、とでも言いたげに首を振る兵士。
彼としては適当にはぐらかして話を切り上げたいのだろう。
隊長も応援に駆け付けた全員の顔を覚えている訳ではなかった。
だが、そんな事を認める訳にはいかない。
「だったら身体検査ぐらいさせてもらえませんか?」
「は?」
「あなたが指輪を持っている可能性は俺の中では非常に高いです。無実だと言うなら身体検査ぐらい受けて身の潔白を証明してくれませんか?」
「そんな事をしている場合ではないでしょう! 怪盗は今も帝都を逃げ回っているんです。今すぐに帝都をくまなく探し回るべきだ!」
兵士の言葉ももっともだ。
隊長も正論を聞いてどうするべきか困惑している。彼も探しに行けるならさっさと帝都へ赴きたいと考えている。
「申し訳ないが、身の回りを調べさせてもらう」
「隊長!?」
「誇りある帝国兵士ならば疑いを掛けられたままにするよりも調べられて身の潔白を証明した方がいいぞ」
「隊長はこんな何者かも分からないような奴の言葉を信じるんですか?」
「ああ」
肯定する隊長に疑いを掛けられている兵士だけでなく、騒ぎを見ていた他の兵士も驚いている。
格好を見るだけならパーティーに参加していた貴族に見えなくもない。会場の警備を請け負っていた彼らはパーティーに参加していた俺たちの姿を見ている。そういった意味では招待客なので不審人物ではない。
だが、帝都の中へ赴こうとしていたところへいきなり声を掛けて留まるよう言って兵士の一人を犯人だと疑いを掛けて来た人物。
不審者である事は間違いない。
「彼らは皇帝陛下が招待した冒険者だ」
皇帝の招待客。
相手が誰との伝手を持っているのか知って動揺が広がる。
「皇帝陛下から相手は冒険者なのでパーティーに参加した経験がない。問題があるかもしれないから多少の事なら目を瞑るように言われている」
今回の件は『多少の事』に含まれるらしい。
成り行きを見守っていた兵士も納得したらしい。
しかし、疑いを掛けられている兵士は納得がいかない。
「いくら隊長の言葉でもこのような待遇には納得がいきません」
「だったら、私の命令ならどうですか?」
城からドレスを着た一人の女性が出て来る。
女性の姿を見た瞬間、疑いを掛けられている兵士以外の隊長も含めた兵士が敬礼をする。
疑いを掛けられていた兵士も女性の姿ではなく、一斉に敬礼をする兵士の姿を見てから慌てて敬礼をする。
出て来たのは皇帝の側室であるマリーさん。
「みなさん仕事の最中です楽にして下さい」
敬礼を解く兵士。
「さて私が誰だか分かりますか?」
「……」
疑いを掛けられている兵士は何も答えられない。
目の前にいる女性が何者なのか知らない。
兵士たちが敬礼した事からそれなりの地位にいる女性なのは間違いないのは分かるが、詳しい事までは分からない。
正直に答える訳にも行かない。
「あなたは先ほど応援に駆け付けた兵士だと名乗りましたね。応援に駆け付けた兵士は当然のように兵士を預かる隊長に挨拶をしています。その時に私も同席させてもらいました」
側室というだけではない。
事務能力にも優れているマリーさんは色々な仕事も手伝っている。
「さて、少なくとも自己紹介を済ませているはずなのに私が何者なのか知らないのは何故なのでしょうか?」
兵士が一歩後退る。
「それから私は人の顔を覚えるのが得意です。一度会った事のある相手なら忘れませんし、この場にいる者全員の名前も言えます。ですが、会った事のないあなたの名前は言えません」
詐欺師として生きて来た彼女は、設定に齟齬がないように苦労をしてきた。
その事が社交界を生きる上で役に立っている。
これ以上の反論ができない事から諦めてしまったらしい。
「おっと、そこまでよ」
「クソッ」
兵士の背後に回り込んだアイラが羽交い絞めにする。
無防備に胸を晒した兵士。
振り子が示している上着の内ポケットに手を突っ込ませてもらうと中から指輪が出て来た。
間違いなく盗まれたガランドさんの指輪だ。
「なるほど。兵士に変装してパーティー会場に忍び込む。暗闇に乗じて襲撃、相手が気絶している間に指輪を盗み出す。その後、仲間が怪盗の姿を晒して注目を集めている間に本人は何食わぬ顔でパーティー会場から逃げ出す」
さすがに騒動のあった場所から逃げ出せば気付かれる可能性があった。
しかし、目の前に犯人だと思われる相手が姿を現していれば誰もが指輪を盗んだ犯人もそちらだと思い込み怪盗を追い掛ける。しかも兵士に変装している本当の犯人は、怪盗を追い掛けるという名目でパーティー会場から逃げ出す事ができる。
真相を知ってしまえば神出鬼没なスキルなどではない。
「まさか、変装を見破られるのではなく指輪の位置を見破られて捕まる事になるとは思いもしなかった」
観念したのか自白を始める。
「そうだ。俺がアメント伯爵を襲って指輪を奪った犯人だ。兵士の格好をしていれば誰でもいいと思って顔は適当な人間を選んだのが裏目に出たな」
だが、その視線はキョロキョロと動いて何かを探しているようで諦めているのとは違うようだ。
「それにあんただ。俺も記憶力には自信があるからパーティー会場にいる人のことは覚えるようにしていたけど、あんたの事は覚えていない」
「そうでしょうね。私はあの場にいてあの場にいませんでした」
ずっとカトレアさんの身代わりをしていたマリーさん。
その事実は兵士にも知らされていないためマリーさんがパーティー会場にいる事にすら気付けなかった。
「けれど、一つだけ訂正させてもらおう」
怪盗の仲間の視線が留まる。
その視線の先には本物の兵士の一人がいた。
「俺がしたのは『変装』ではなく『変身』だ」
羽交い絞めにされていた怪盗の仲間の姿が消える。
アイラの手からも逃れており、前へ倒れそうになっている。
「足下です!」
消えた先に気付いたマリーさんが声を荒げる。
怪盗の仲間が立っていた場所には小さなネズミが手を振っていた。
変装:道具や化粧によって他人に成りすます。
変身:体格だけでなく大きさまで全く異なる存在へと変えることができる。
そんな感じの違いです。