第43話 神酒
「神酒……? 俺には、そんな名前の回復薬は覚えがないけど」
『当たり前だよ。効果しか説明してないから名前については教えていない。だから名前を知らないだけ』
言われれば当たり前の事だった。
迷宮主になってから怪我らしい怪我をしていなかったので回復薬にそれほどの価値を見出せずに【鑑定】もせずに道具箱の中にしまい込んでしまったのだろう。
「神酒と言えば、どんな難病でも一口飲むだけで癒してしまうという伝説の回復薬だったはずです」
「そうなのか?」
神酒についても知っていたメリッサが教えてくれる。
「はい。その効果に期待して難病を患った多くの貴族や商人が手を尽くしてでも入手しようとしたらしいですが、現代では入手不可能な素材を使用されているうえに製法そのものが喪われてしまった為に大昔からある迷宮のような場所でしか手に入らないとされている貴重な代物です」
「そんな貴重な代物を……?」
いつ手に入れたのか本当に覚えがない。
『地下77階で「天の羅針盤」を手に入れようとしていた時だよ』
「ああ、あの回復薬か!」
地下77階のランダムで手に入るSランクの宝箱。
目的の品物を手に入れる事はできなかったが、色々と役に立つ道具を手に入れる事ができた。
中でも道具箱の肥やしにしてしまったが回復薬あった。
急いで道具箱から神酒を取り出す。
取り出したのはピンク色の液体が入った瓶。ドロッとした液体で、とても万病を癒す回復薬には見えない。むしろ体に悪そうだ。
「これが神酒だろ」
「たぶん……」
なにせ再現不可能な伝説の回復薬。
見ただけでは本物かどうか分からない。
だが、【鑑定】をすればきちんと『神酒』と名前が表示されるので本物に違いない。
「頼む。それを譲ってくれ!」
リオが土下座してくる。
突然の行動に驚いていると他の眷属まで土下座を始めた。ただし、カトレアさんだけはシルビアが直前に止めさせた。
「私たちにはどうしても神酒が必要なのです」
「理由を訊ねてもいいか?」
対価さえきちんと払ってくれるなら譲っても構わないと思っている。
だが、譲った事によって巡り巡って俺たちに不利益が与えられてしまっては問題だ。
だから、せめて事情を聞いておかなければならない。
「……」
誰も答えない。
眷属の彼女たちは主であるリオの事を見ており許可を求めている。
リオも答えたいのだろうが、金が払えない以上の問題があるせいで喋れないみたいだ。そっちの意味でも競争を仕掛けた意味があるのかもしれない。景品として譲り渡すなら事情を説明する必要なんてない。
「……話しましょう」
「カトレア」
「私たちにとって神酒が手に入らない事態の方が問題です」
「そう、だな」
意を決した様子で俺の事を見上げて来る。
「ただし、事情は俺から話す。全ては俺が負うべき責任だから……」
「まだ、そんな事を言っているのですか? お義母様は、私たち全員にとっての母です」
「そうです。母親を救う事に反対する者などいません」
「この場にいるのは親を亡くした者や親から愛されなかった者ばかりです。そんなわたしたちにとって本当の娘のように接してくれたネリアさんは本当の母親と変わりません」
カトレアさんの言葉にリーシアさんとマリーさんが続く。
「それでも俺に原因がある。だから俺の口から言わせてもらう」
話の流れから神酒を必要としているのはリオの母親みたいだ。
その母親の病気を癒す為に神酒が必要。
「神酒が必要なほどの病気なのか?」
「病気、だったなら諦めも付いたのかもしれないけど、母さんは病気なんかじゃない。強力な毒に侵されているんだ」
「毒……」
「それも1度服用するだけで1年間苦しみながらゆっくりと死へ向かって行くという凶悪な毒だ。そんな毒に母さんは3カ月も耐えている」
3カ月間苦しみに耐えている。
どれだけの苦痛なのか想像する事もできないが、拳を握って悔しさから体を震わせているリオの表情を見ればかなり辛い事ぐらいは想像できる。
「犯人は第1皇子に協力していた有力貴族の伯爵だ。戦争の責任を追及される事になる一人だったんだが、自分へ手が伸びる前に手を打ってきた」
粛清は第1皇子、第1皇子に近い人物から行っていた。
そのため第1皇子からはそれなりに離れていた伯爵まで追求の手が伸びるまで1カ月近い時間を要してしまっていた。
伯爵は自らの伝手を最大限に使って強力な毒を用意した。
「俺が慌ただしくしている内に伯爵に買収された使用人が母に毒を飲ませてしまった。伯爵としては、権力を再び手に入れる為に俺を使いやすい駒にする為に母を脅迫の材料に俺を脅すつもりだったらしい」
毒に侵された後で伯爵が接触してきて要求を突き付けて来た。
受け入れる代わりに伯爵が用意したのが解毒薬だった。
「もちろん解毒薬は偽物。ただ痛みを和らげる効果がある薬でしかない」
それでも苦しみながら死に向かって行く毒薬。
解毒薬に効果がないと分かるのにそれなりの時間が掛かる。
「伯爵はそうして稼いだ時間の間に俺の弱みを握るなりして脅すつもりだったらしい。それが無理なようなら俺の目が母親に向いている間に国外へ逃亡するつもりで用意をしていた」
伯爵としては僅かな時間が稼げればよかった。
その間に次の行動に出るつもりだった。
だが、伯爵が得られた時間はあまりに短かった。
「要求を突き付けて来た段階で伯爵は使用した毒が『デボアの毒』だと言って解毒薬の在り処は自分しか知らないと言っていた。だから、その場で『天の羅針盤』を使って解毒薬の位置を特定しようとした」
そう、伯爵が優位に立つためには解毒薬が自分しか用意できないという状況でなければならない。
しかし、『天の羅針盤』を持っているリオに隠し場所など用意できるはずがなかった。
けれども、分かったのは悲しい事実。
「解毒薬なんて最初から存在しなかった」
「そうですね。デボアの毒は非常に危険な毒で、神酒と同様に現代では既に製法の失われた毒です」
デボアの毒についても知っていたメリッサが教えてくれる。
「どうやって入手したのか知りませんが、デボアの毒は迷宮の宝箱のような場所から手に入れたのでしょう」
「入手先なんて興味がないし、既に知る方法はない」
解毒薬がなく、解毒効果など全くない鎮痛薬を渡して来た段階でリオは伯爵を見限りその場で斬り捨てたらしい。
家族もその場で捕まり、近い内に一族全員が処刑される事が決まっている。
それだけ伯爵の犯した罪は大きい。
「それから何度もデボアの毒の解毒薬を対象に何度も『天の羅針盤』を使った。それでも解毒薬が反応する事はなかった」
さらに皇太子としての権限も使って何人もの医者に見せた。
だが、全員が体調を悪くして行く患者に匙を投げ出した。
医者に八つ当たりする事もできず刻一刻と時間だけが過ぎて行く。
「唯一の希望をボタンが見つけて来てくれた」
「それが神酒」
「帝都にある図書館の奥深くに大昔は実在した伝説の回復薬を見つけたんです」
既に喪われたはずのデボアの毒は存在した。
ならば、どんな難病を癒してしまう神酒も存在するはず。神酒なら死に向かうだけの体を癒す事も出来る。
一縷の望みを懸けて『天の羅針盤』を使用した。
「結果、アリスターの迷宮が反応した」
その時、俺が迷宮にいたのか道具箱の中に入れっぱなしにしていたせいで迷宮が反応してしまったのか分からないが、目を付けられてしまった。
「この迷宮に主がいる事は戦争の時から分かっていた。主のいない迷宮なら手に入れるのは途轍もなく難しいけど、管理している人間がいるなら難易度は一気に下がる。だけど、こんな事情は皇帝にとって足枷にしかならない」
「だから、このような手段を採ろうと私から提案したのです」
カトレアさんが提案した策にリオも乗っかった。
母親の治療は早くしたかったが、その毒に苦しんでいる母親自身が自分の事は気にしないように言って来た。
自分を助ける為に足枷になるような事を息子がしてしまったと知ったなら責任を感じてしまう。
だからリオも密かに進める事を決断した。
事情は分かった。
「ちょっと待ってくれ」
リオたちを置いて教会の端へ移動する。
俺が移動した事でシルビアたちも付いて来る。
「……いくらで売ろうか?」