第64話 雲海の魔法陣
イルカイト迷宮地下41階。
転移魔法陣で移動した場所はゴツゴツとした岩肌の地面の上で、崖から下を覗き込めば雲が見える。どうやら相当な高さにあるらしい。
「ウチの迷宮よりも高いな」
「なにせ使用している階層が違いますから」
ウチの迷宮は5階層を繋げている。
対して、イルカイトの迷宮は10階層を繋げていた。
倍の広さを利用することができるなら高くなるのは当然の事だった。
「この辺は攻略情報がありますから、もう一度確認します」
下へ向かうだけなら崖に沿って山道を移動するのが手っ取り早い。
しかし、崖沿いの山道は空を飛ぶことができる魔物から狙い撃ちにされる危険な場所でもある。
もう一つの山の内側に作られた山道は何度も迂回する必要があって時間が掛かるものの比較的安全に進むことができる上、山でしか得られない木の実や薬草が得られる。
そのため、ドラゴンとの遭遇を避けるため冒険者たちは後者の道を選ぶ。
「じゃ、崖沿いを進むことにするか」
先を急ぐ俺たちが選ぶのは崖沿いの道。
しっかりと作られているおかげで広い道を歩いていても崩れる様子もない。
「ダメですよ。気を抜いている時にこそ不注意から落ちてしまうことがあるんですから、もっと内側を歩いた方がいいですよ」
崖沿いの場所を歩いていた俺をシルビアが注意してくる。先頭を歩く彼女は地面の状態まで確認しながら歩いてくれていた。
「いや、危険が来るならこっちの方からだろうなと思って」
「危険?」
「ほら、さっそく来た」
雲の向こう側に気配を感じる。
シルビアも気付いたようで崖に立って下を覗き込む。
「ドラゴン……」
見えているのはシルエットだけ。それでもドラゴンが迫っているのが分かる。
「全員戦闘準備」
と言っても空を飛ぶ魔物が相手なら魔法ができるメリッサが頼りになる。
杖を構えるメリッサだったが、異変に気付いた。
「出て来ませんね」
「ああ」
先ほどまでドラゴンのシルエットがあった。
ところがドラゴンのシルエットどころか気配すらも消えてしまった。
「何かあるな」
雲の中に何かがあってドラゴンを消した。
雲があるのは500メートル以上も下。
「ちょっと行って来る」
崖から飛び降りようとする。魔法で空を飛ぶことのできる俺なら対処のしようがある。
「危険です」
が、シルビアに止められてしまった。
振り向いて彼女を見ている間にメリッサとノエルが崖から飛び降りる。
「あ、おい……」
俺と同じように魔法で空を自在に飛ぶことができるメリッサは大丈夫だろう。
だが、ノエルは空を飛ぶ方法を持っていなかったはずだ。しかし、杞憂だったみたいで【召喚】を空中で使用すると大型の鳥――風船鷹を出現させる。
バルーンホークは、体を風船のように膨らませることができる鳥型の魔物で、広げれば10メートルはある。女性を一人乗せるぐらいは造作もなかったし、なにより懐いているノエルを乗せられることに誇りを抱いていた。
落下するメリッサが雲の手前で停止し、ゆっくりとした動きで降下したバルーンホークも停止する。バルーンホークの場合は、その場で浮遊しているだけだが微かにしか動いていないところを見ると停止しているようにしか見えない。
二人が雲の上から覗き込んでいる。
「そっちの様子はどうだ?」
『何か妙な魔力の流れは感知します』
『ただ、覗き込んでいるだけじゃ何があるのか分からない』
距離が離れていても念話で声は届けられる。
『行きます』
「え、危なくないか」
『ここから見ているだけでは何も分かりません』
二人が雲の中へ突っ込んで行く。
中がどうなっているのかは二人の視界を借りれば見ることができる。
真っ白な雲海の内部は薄暗くなっており、体が重たくなったような感覚を覚えている。
「二人とも、斜め下!」
隣でシルビアが注意を促す。
雲海内で下からブレスが吐き出される。
シルビアの注意もあってブレスを回避し、背後にあった断崖に当たる。
『醜いですね』
ブレスを回避した二人が目にしたのは、蛙のような顔と体をした鶏。鶏と言っても人よりも大きく、蛙の目で見つめられたことで嫌悪感から退いてしまう。
見たことのない魔物。しかし、ブレスで断崖を崩したことから実力はあることが分かる。
吐き気を覚えて口を押さえたメリッサの周囲に6本の剣が出現する。
『アレは私が倒します』
雲海の中を泳ぐように進むメリッサが2本の剣を飛ばす。1本目の剣を上昇して回避され、落ちてきたところを2本目の剣が掠めて後ろへ飛んで行く。速度を重視して飛ばされた剣であるため操作はされていない。
ただし、回避されている間に躍るような動きで接近したメリッサが残った4本の剣で斬り刻む。
肉片となった蛙姿の鶏が落ちていく。
「魔法を使った方が楽だったんじゃないか?」
『そういう訳にもいかなかったのです』
パシッと肉片の中にあった魔石を掴んで回収する。
『この雲ですけど、魔力を霧散させる性質があります』
「でも、バルーンホークにそんな様子はないぞ」
『おそらく魔物には通用しない効果なのでしょう』
メリッサによれば空を飛んでいるだけでも普段以上の魔力を消費する。もしも、魔物を倒す為に遠距離から攻撃していた場合には届く前に霧散してしまった可能性もあった。
対抗策としては届けられるほど魔力を消費して強い魔法を撃つ。ただし、そんな無駄な消耗をするよりも接近して斬った方が少なく済ませることができた。メリッサらしい選択だ。
『こちらへ下りて来る時は十分に気を付けてください』
「分かった」
自分たちを狙っていた魔物を倒したことで安心したメリッサが怪しい魔力の反応を放つ場所へと向かう。
そこでは、薄暗い雲海の中でも薄らと光を放つ魔法陣があった。
『これは……』
記憶力のいいメリッサは魔法陣について覚えがあった。
俺も迷宮主として魔法陣が何なのか分からないはずがない。
「転移魔法陣――」
「え、どうしてこんな所に?」
アイラが疑問を口にするけどもっともだ。
転移魔法陣は、断崖に描かれていた。もしも、人間が利用した場合、空を飛ぶ術を持たなければ真っ逆さまに落ちていく。
そもそも、人間が利用することを目的とした物ではない。
「攻略情報によれば、この高山フィールドには転移結晶があるだけで転移魔法陣は存在しない」
階層間の移動が必要ない高山に転移魔法陣は必要ない。
イリスの情報は正確だ。
「階層の接続面に対応しているのか一定の高さで設置されている。だから、あんな場所にあるはずがない」
少なくとも断崖に描かれた転移魔法陣など知られていない。
「そうなると、最初からあったけど知られていなかった転移魔法陣」
空を飛べる者は希少で、飛ぶことができたとしてもドラゴンの跋扈する場所は危険すぎる。
ただし、今の状況を考えるともう一つの可能性がある。
「もし、その転移魔法陣が外へ繋がっているならゼオンの奴が設置した可能性があるな」
『誰が設置したのか分かりませんが、外にある鉱山の頂上へ繋がっているみたいです』
【空間魔法】によって魔法陣を解析したメリッサが転移魔法陣の繋がっている先を知る。
「よし、壊そう」
こんな物があっては外へドラゴンのように危険な魔物が次々と飛び出して行ってしまう。迷宮を攻略すれば、これ以上出て行くのは止められるだろうが、それまでの間にどれだけのドラゴンが飛び出して行くのか分からない。
さっき見失ったドラゴンも、この転移魔法陣を利用して外へ飛び出して行ったのだろう。
メリッサが再度2本の剣を構成して、6本の剣を断崖へ向ける。
解析の終了したメリッサにはどこを破壊すれば転移魔法陣の機能を失わせることができるのか分かっている。
狙いを定め、剣を放つ。
だが、何かに阻まれて弾かれ、制御を失った剣が落ちていく。
「……ぁ、っは!」
いきなりメリッサが後ろへ大きく吹き飛ばされた。
「な、にが……」
メリッサの視界越しでは、正体不明の攻撃を腹部に受けたことしか分からなかった。
目を凝らして見てみると……
「なにかいる」
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